お嬢様の出立
この小説は想像の産物です。内容(出来事や物事人の名前)は現実と一切関係がありませんが、ムソルグスキー作曲の展覧会の絵は聞きました。素敵な曲です。
ジュリアは扉を開けてバルコニーへ出た。眼下には白壁に緑の屋根の城下町。その向こう、右には世界有数の港、左には広大なレモンとオリーヴの畑。人々の声に、カモメの声。爽やかな磯の香り。赤いメインマストの商船が、出航していくのが見える。
「もうすぐ夏ね。早く来年にならないかしら」
海風が吹いて、緩い金の巻き毛が揺れる。ジュリアはその髪を片耳にかけた。
「気が早いですよ、ジュリア様」
チェス盤を片付けながら、ジュリアの片腕とも言える青年が苦笑いした。黒髪に茶色の瞳は、昔からこの地に住んでいた人々の証。
「だって、早く学校に行きたいもの。入学直前で1年も休ませるなんて……。私がさんざんダンスとかパーティーとかすっぽかしたから? 私には貴族っぽい生活なんて向いてないのに」
「そんなことは」
「クラウディオ、嘘はいけないわ。私はこの国で一番おしとやかさが欠如してるわ。まったく、お嬢様じゃないわ!」
クラウディオはチェス盤をガラスのコレクションケースに入れた。ケースは猫足で、バラの彫刻、金細工の取手付き。趣味はとてもお嬢様らしい、とクラウディオは思っていたのだが。
「だって私、軍人になるのよ? おじい様みたいに」
日差しの強い、首都リセーナ。日に焼けるはずが、ジュリアの肌は白い。ロウとまではいかなくても、いわゆる深窓の令嬢生活を送る人々と比べても、色白だ。
「そうだ。おじい様に呼ばれてたんだった。行ってくるわね」
「いってらっしゃいませ」
クラウディオは、いつものように一礼した。そして、動きにくいはずのドレスで軽やかに部屋を駆け抜けていく少女を見送るのだった。
ジュリアの祖父、ルヴァント・ドゥナは、葉巻をふかしながら海軍の兵士に何か指示を出していた。ルヴァントの後ろには、クラウディオのような黒髪と、黒目の男が立っている。海軍の制服では無いけれど、部下の一人らしい。一通り何か喋った後、ルヴァントはジュリアの方を向いた。
「よく来たね。待っていたよ、ジュリア。少し見ない間にまた奇麗になったんじゃないか?」
「おじい様はお変わりなく」
ジュリアの部屋よりも幾分か暗い祖父の部屋にも、海の風は入ってくる。
「ジュリア、今日お前を呼んだのは、まぎれもなく命令があるからだ」
ジュリアは姿勢を正した。ハイヒールだが踵をそろえ、胸を張る。
「明日から、ボラーゾフ山の中腹にあるディリストラ城を調査せよ。移動を含めて、一ヶ月やる。土産くらい持ち帰ってくるんだぞ」
「はい、おじい様」
笑って敬礼をする孫娘を、ルヴァントは満足そうに見つめている。そうそう、まだ彼女は自分の部下ではない。まだ。葉巻の煙はゆっくりと上っていた。