第八章:日光の巨木
一
嘉永六年(1853年)、日本近海に異国の黒船が来航し、天下がにわかに騒然とする中、金次郎は六十六歳という老境を迎えていた。
長年の過酷な泥まみれの労働と、幾度もの断食や心労は彼の強靭だった肉体を確実に蝕み、その腰は曲がり、歩行には杖を欠かせなくなっていた。
しかし、彼が挑んでいた日光神領の復興事業は、険峻な山々と広大な原生林、そして冷涼な気候が阻む、生涯で最も過酷な大土木戦であった。
金次郎は、ただ机の上で図面を眺めるだけの総指揮官であることを潔しとせず、老いた体に鞭打って、険しい峰々や泥深い谷底へと自ら足を運び続けた。
「先生、もう御無理はなさいますな。差配は我ら弟子にお任せを」と、側近の弟子たちが涙ながらに引き止めるのを、彼は厳しく退けた。
「私の命など、天から預かった一時の道具に過ぎぬ。この地を拓かずして、どうして死んでいった両親や、私を信じてくれた主殿に顔向けができようか」
二
日光の開墾における最大の制約は、数百年にわたり手付かずであった巨木や巨石、そして冷たい湧水が田畑への通水を拒むという、自然の凶暴さであった。
金次郎は、単に木を切り倒すのではなく、水の流れを大局的に見極め、周囲の山々の地形を利用した巨大な用水路(仕法堀)の建設を、独自の知恵で設計した。
彼は、困難な工事を前に恐れをなす数千の作業員たちに対し、自ら泥の中に腰まで浸かり、大きな節くれ立った手で石を運び、その背中で民の士気を鼓舞した。
ある難所において、掘り進める土手から大量の冷水が噴き出し、崩落の危機に瀕した際、作業員たちが一斉に逃げ出そうとしたことがあった。
金次郎は逃げる彼らの前に立ち塞がり、曲がった腰を精一杯に伸ばし、雷の如き大音声で山々を震わせて怒号した。
「逃げるな。水は低きに流れるという天の理を持つ。ならば、その理を利用して、こちらが別の逃げ道を作ってやればよい。自然を敵とするな、自然の力を味方にせよ」
彼の透徹した価値観と、危険を恐れぬ覚悟の前に、作業員たちは自らの恐怖を恥じ、再び鍬を握って泥水の中へと突撃していったのである。
三
金次郎の卓越した大局観と、命を懸けた執念の指揮により、日光の山々には総延長数十里にも及ぶ美しい用水路が完成し、冷害に強い新たな新田が次々と姿を現した。
かつては「人が住めぬ不毛の魔境」と恐れられていた日光山麓の村々は、数年のうちに、豊かに米が実り、子供たちの歓声が響き渡る理想郷へと生まれ変わったのである。
しかし、この偉大な奇跡と引き換えに、金次郎の残された命の灯火は、確実にその終わりを迎えつつあった。
病床に伏せることが多くなった彼は、かすむ眼で自らが築き上げた緑豊かな大地を見つめながら、次世代を担う弟子たち、そして遥か未来の日本人へと引き継ぐべき、最後の遺言を胸中で練り上げていた。
安政三年(1856年)、日本の歴史が幕末という未曾有の激動期へと突入する中、一人の偉大な百姓がその激動の生涯を締めくくる、最後の瞬間が近づいていた。
(第九章に続く)
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