第7夜 噓吐き少女と侵入者
「まあ、というわけで、初めまして。私の名前は千寿井 知由。親しみを込めて、ちゆさんって呼んでもいいよ?」
「じゃあ、不審者さんで」
「とりあえず、不法侵入なんで出てってもらっていいですか?」
あれから、この謎の来訪者の誤解を解くのにおよそ数分。
なんやかんやと言ってるうちに、何故かこの不審者はつき先輩のリビングに居座って、どこからか取り出したパックのトマトジュースを飲んでいる。
そんなこの人を、私とつき先輩はソファに座って半目で睨む。私は肩をそれとなく、つき先輩に庇われながら。
「え~~、そっけなーい。人生で初めての『お仲間』との出会いじゃないの? あ、ちなみに私は『吸血鬼』だから厳密に言うと、藍上さんとはちょっと違うんだけどね」
「へー……あんまり興味ないです」
「私も知りませんし、求めてません、早く帰ってください」
ちなみに上が私の反応で、下がつき先輩の返答。
私も正直、だいぶ塩対応な自覚があるんだけれど。つき先輩はそれに輪をかけて、素っ気ないを通り越して冷たい反応。というか、多分、かなり怒ってる。まあ、初手が私に対して、首を掴んで襲い掛かってきたわけだから、警戒は当然か。
それにしたって、この人の言う通り、初めての『お仲間』の相手の割に、つき先輩は異様に突き放した態度を取ってる。なんなら冷たいを通り越して、ちょっと怖い。
「あれえ、おっかしいなあ……。もうちょっとこう、ミステリアスな謎の吸血鬼襲来! とうとう出会った自分以外の人外! みたいな感じで来たはずなのに……。なんか演出足りてなかった?」
「……むしろ演出過剰だったから、こうなってるんじゃないですかね?」
「りこに危害を加えた時点で、あなたは敵です。話を聞く道理がありません。私が殴る前に帰ってください」
微妙な顔で悩む自称吸血鬼は、私に対していたたまれない視線でヘルプを送ってくる。しかしまあ、自業自得なので、私には如何ともしようがない。
……とは言っても、このままじゃ話が進まないか。仕方ないので、とりあえず、つき先輩を宥めてみることにする。
「まあ……つき先輩、私は、実際怪我とかしてないんで、大丈夫ですよ」
と、言ってはみるけれど、肝心のつき先輩の目線は未だに厳しい。灰色の細められた瞳がぎろりと光って、中々心臓に悪い眼光になっている。美人が怒ると、普通の人の三倍こわい。
「よくないよ、りこ。私と同じだって言うなら、なおさら危険だもの。いつ、ばっくりいかれるかわかんないよ?」
つき先輩はそう言って、以前、吸血鬼を睨み続けていた。だめだこりゃと私が肩をすくめると、対面の吸血鬼も困ったように頭をぽりぽりと搔いていた。
……しかし、改めて見ると、なんというか不思議な人だ。
吸血鬼、つき先輩と同じ、人から外れたそんな何か。
真っ黒で流れるような、肩ほどまでの黒い髪。透き通るような白すぎる肌。闇夜の中で淡く光る、血を溶かしたような赤い瞳。
そこだけ見たら、なるほど確かに人外で、吸血鬼だと言われても納得するような不気味さと、言葉を失うほどの綺麗さがあるんだけれど。
肝心の当人は口を開いてみれば、どことなくふわふわしてるし、あんまり物を考えている感じもない。言葉も軽くて、受け答えも適当だ。
私も嘘吐き故に、言葉が軽い側の人間なので、ちょっと話しやすいと思ってしまうけど、ややこしいから今は口にしないでおこう。
着てるスーツはアイロンこそ掛けられてはいるけれど、どことなくくたびれていて、首にかかった名札からは、何とも言えない哀愁が漂っている。年は二十代半ばくらいかな、なんか疲れたOLみたい。
そして、突然、夜に尋ねてきた割に、暴れるでもなくただ話を聞いてくれというばかり。しかも、見てる限り出たとこ勝負で、あんまり流れも考えてきていなさそう。
……………………うーん。
「えーと、不審者さん」
「ちゆさんでいいよ?」
「………………ちゆさん、今日のご用件は何なんですか?」
このまま睨み合ってるわけにもいかないし、本当につき先輩を暴れさせるわけにもいかないから、渋々話を進めることにした。
対面の吸血鬼……ちゆさんの表情は私の問いにぱあっと明るくなって。反対につき先輩の顔は、がるると唸りだしそうなほど険しくなる。
「りこ、こんな奴の言うこと聞くことないよ」
「…………まあ、でも本当に害意があるなら、夜道で襲ったりすればいいじゃないですか? あのまま、私を人質とかにしてもいいわけで。そうしないってことは、多分、話すほうが目的で、とりあえず危害を加えてこないんじゃないですか?」
まあ、私に人質の価値があるかも含めて、実際のとこは何もわかんないけど。あえてそこは突っ込まずに、とりあえず話を進める方向に持っていく。
つき先輩はいまいち納得した感じはないけれど、ちゆさんの方は、凄く嬉しそうにうんうんと頷いている。……はあ、なんか板挟みになってる気がする。
「そう、そうなんだよ! 悪いことをする気なら、もっと他にいくらでも方法あるんだから! 今日は君たちに話を聞いて欲しいだけなんだぜ!」
そういって水を得たわかめの如く復活した吸血鬼はふんと胸を張って、自信満々ににんまりと笑ってくる。……うん、まあ、話が進みそうなのはよいことですね。
「でも、不法侵入はしてましたよね」
「あと、りこに危害を加えてましたよね」
「ふぐっ…………」
そんな私たちの冷たい言葉に、吸血鬼はお腹にナイフを刺されたかの如く呻きだした。これが人が図星を刺された時の音かと、しみじみと味わう今日この頃。
ちなみにその後、首を掴まれたことは、ちゃんと謝罪してもらった。
「ていうか、なんで、あんなことしたんですか?」
「え? こうなんかドラマチックじゃない? 突然の人外の来訪者、月夜に現る的な?」
「ねえ、りこ、やっぱりこの人、追い出さない?」
つき先輩の言い分はごもっともなわけだけど。私としてはこれ以上話が後戻りするのも避けたいので、ただなだめることしか出来ないのでしたとさ。
あんまり遅いと、また親に色々言われるんだけど、今日、大丈夫かなあ……。
※
「と言ってもね、用件もそこまでややこしいことじゃないの」
「ほら、私達みたいな人から外れた奴らって、色々と大変じゃない?」
「だから、そういうので集まって自助グループみたないことしてるの」
「今はいないけど、昔、そこに藍上さんと同じ人狼の子がいたから、色々と詳しいと思うよ? 自分の身体のこととか、他の人外がどう生きてるかとか、ちゃんと知りたくない?」
「どう、興味出てきた?」
そう言って、ちゆさんは朗らかに笑っていた。深夜の物静かなマンションの中には不釣り合いなほどに、明るく朗らかに。
そんな話をされてようやく、この人が本当に人ではない何かだということを実感する。
そしてつき先輩のようにそんな人たちが、世の中でこっそり人知れず生きていることを。嘘だったらつき先輩が反応するはずだし、言ってることは多分事実なんだろう。
「へえ……」
となると、これはつき先輩にとっては願ってもない話なんじゃなかろうか。
だって、つき先輩がずっと苦しかった理由の一つは、多分寂しさだ。まあ、世界でたった独りの『人狼』だって思って生きてきたんだから、そりゃそうだと思う。
独りだから、喰人衝動の抑え方も解らなくて、そのための代償として私は抱き枕としての仕事をすることになったわけだし。こうやって他の誰かと関われて、生き方を教えてもらえるなら、願ったり叶ったりなんじゃないかな。
そうしたらもう、私なんかで代償行動をして、寂しさを埋める必要もなくなってくる。
……てことは、私もお役御免になるのかな。でもまあ、それは喜ばしいことに違いはない。この気持ちは嘘じゃない……はず。
ただ、一瞬脳裏に、先輩と過ごしたこの場所での時間がちらついた。私の指先に触れる、先輩の唇の感触と一緒に。
でも、そうやって微かに感じる痛みは、眼を閉じてそっと気づかないふりをすればいい。
それでいい、それでいいよね。つき先輩のことを考えたら―――。
そう自分に言い聞かせて、眼を開いた瞬間に。
「―――申し訳ありませんけど、興味ありません」
低く、静かに、そして冷たく。
つき先輩は、そう断りの言葉を告げていた。
………………あれ、なんで?
ちらっとつき先輩の顔を窺ってみると、あまり感情の見えない表情で、静かにちゆさんのことをじっと見ていた。
「…………理由を聞かせてもらっていい?」
ちゆさんの声は、あまり驚いた様子が無くて、どこか穏やかですらあった。
「………………一番はいきなりやって来た人を、信用できないって、ことですけど。仮にそうじゃなくても、あまり興味ないです。だって、さっき、人狼の人がいたけど、もういないって言ったじゃないですか」
「うん…………言ったね」
「それって、実際はいれなくなったんじゃないですか?」
つき先輩の声は、静かで、冷たくて、まるで湧き出る感情を一つだって外に零さないようにしているみたいだった。
対する吸血鬼の表情は、どこか曖昧な笑みを浮かべたまま。
私は何も言えずに、ただ見ていることしか出来ないでいた。
「………………」
「さっき詳しいっておっしゃったから、喰人衝動のことはご存じですよね。もしそれに解決策があるなら、真っ先に誘い文句にするんじゃないですか?」
つき先輩は、一つ一つ確かめるみたいに、言葉を繋ぐ。
まるで自分の逃げ道を一つずつ、潰していくみたいに。
「………………」
「でも、あなたはそうはしなかった。だって、解決策なんて見つかっていないから。昔いた人狼の人も、結局何も解決できなくて、いなくなったんじゃないですか? それか人を喰べて危険だから―――いなかったことにされたんですかね」
ちゆさんは何も言わない、何も言ってくれない。
ただどこか悲しそうな笑みを浮かべたまま、つき先輩の言葉を聞いてるだけ。
そうやって先輩の言葉を聞いていると、どうしてか私の胸の奥がぐじぐじと痛んでくるような感覚がする。
先が見えない、不安で仕方ない、もうどうすることもできない。そんな脈絡のない言葉が、頭の中で繰り返される。
「人に教えられなくても解りますよ、ちょっとした工夫で、どうにかなるほど喰人衝動は生優しいものじゃない。もっと手のつけられない何かだって」
一瞬だけ、なぜか学校で作り笑いを浮かべている自分の姿が、瞼の裏でちらついた。
「…………」
「だから―――結局」
先輩が、その後に何かを言おうとした。
きっと、それは痛くて、苦しくて、辛い現実の言葉。
どれだけ逃げても、どれだけ誤魔化しても、いずれ目の前に現れるどうしようもないほどの真実の言葉。
ああ、これは言わせちゃダメだ。
そう想った。
だから、慌てて口を開いた。
「結局、『人狼』は―――」
嘘を吐け。
「どう頑張っても――――」
冗談を言え。
「人を襲うことしか出来ない―――」
話を誤魔化せ。
「そんな―――」
何か言わなきゃ。
あなたの言葉を止める、何かを。
「先輩っ――」
「―――『化け物』なんでしょう?」
あ―――。
そう静かに告げたつき先輩の瞳は、暗くどこまでも沈んでいくようで。
私は結局、誤魔化しの一つすら言えないままに。
ただ息を呑むことしか出来ていなかった。
………………今。
今、どうして、私は何も言えなかったんだろう。
簡単なことだったのに、いつもみたいに、適当な言葉を並べて話をなあなあにするだけでよかったのに。
何度も何度も繰り返してきた。他愛もないことを、ありもしないことを、べらべらとこの部屋の中で何度も何度も繰り返したのに。
どうしてこんな時に限って、上手く口が動かないの。
くだらない嘘を吐くくらいしか、お前には能がないのに。
そうして、誰も、何も言わない、暗い部屋の中。
ただ沈黙することしかできない、その場所で。
私は嘘の一つも吐けないまま。
あなたに向かって伸ばしかけた手の置き所すら、わからないでいた。
※
「そういえば、りこはさ、よくすんなり信じたよね。私が人狼だって」
「まあ、信じざるおえなかったといいますか……」
それはいつかの夜の、お仕事中のやり取り。
私がそう返事をすると、つき先輩はそりゃそうかと肩をすくめた。
「まあでも、私は正直、もっと混乱されるかなって思ってたよ。なんなら、『化け物!』って言って、逃げられても仕方ないかなって」
そう言われて、まあ確かにと軽くうなずく。
普通、出会い頭に人狼とか言われても、早々簡単に受け入れられない。私も、あの時ちゃんと受け容れたかと言われたら、若干怪しい。
それでも、今はどうしてか、すんなりつき先輩の言葉を信じている自分がいる。
その上で、何故かこうして普通に過ごしてる。つき先輩は自分のことを化け物だと何も隠さずに言っているのに。
怖がって、離れて、遠ざけても、おかしいことはないし。責められる道理もない。
ない……わけだけど。
「そんなこと言ったら、どうせつき先輩、死ぬほどへこむじゃないですか」
「う…………まあ、そうかもだけど」
出会って数週間だけど、それくらいは簡単に想像がつく。いや、まあ、へこまない人の方が珍しいとは思うけど。
「私はこう見えて、優しい人間なので、そんな言葉は胸の内にそっとしまっておいたのです」
そう言って口笛を吹きながら、あらぬ戯言を口にする。本当に優しい人間は、自分のことを優しい奴だとは絶対に言わないけどね。
「そうだね、りこは優しいね」
と、思っていたのに、眼を開けてみれば、微笑ましそうな笑みをうかべるつき先輩がそこに居た。
「あえて流されると、嘘の吐き甲斐がないんですけど……」
「そう、嘘なの? 気づかなかった」
藪にらみを先輩に向けてみると、素知らぬ顔で、そんな風にすっとぼけられた。くそう、変な嘘吐くんじゃなかった。
というか、嘘でも自分のことを優しい奴だとか、言うもんじゃないや。これじゃあ、ただ恥ずかしいだけじゃん。
無駄に少し熱くなった頬を冷ますために、あらぬ方向を向いてため息をつく。
そんな私をつき先輩は、頬杖を突きながら、どこか愉快そうに眺めていた。
※
自分のことを『化け物』だと告げたつき先輩の表情は、どこか悲し気で、何かを諦めているかのようで。
そして―――まるで。
この世界で独りぼっちなことを、自分自身の言葉で確かめているような、そんな寂しそうな顔をしていた。
本当に優しい人だったなら、きっとこんな時にも何か言えるんだろうか。
傷ついて、怖くて、不安で仕方ない、つき先輩の真実に触れたうえで、その想いを、その表情を笑顔に変えれる、そんな言葉を。
もし、私が本当に優しかったなら。
でも、私は所詮ただの嘘吐きで。
甘い嘘なんて、結局ただの痛み止めにしか過ぎなくて。
こうやって事実を目の前に晒されれば、何一つだって言葉を告げられなくなる。
だって、わかんないよ、人狼とか、人外とか、吸血鬼とか言われても。
私、ただの人間なんだから、何もわかんないよそんなの。
そう、わかんない。
どれだけ近くにいて、肌を触れ合わせたとしても、つき先輩の孤独も、不安も、葛藤も。私には何一つだってわからない。
わかんない。
わかんないから―――。
「別にどうだっていいじゃないですか」
ようやく喉から漏れた声は濁って、震えて、とても聞けたものじゃなかった。
でも、そんなの構わず口を開き続ける。
「先輩が人を襲う…………何かだとしても、私に噛みついてる間は大丈夫なんでしょ? じゃあ、それでいいじゃないですか」
顔はあげれない。二人の顔を……先輩の顔を、その現実を見るのが怖いから。
それでも、ただ子供が震えながら泣き叫ぶみたいに、喉の痛みを無視して、声を張り続ける。
「人狼とか、吸血鬼とか、よくわかんないけど。でも実際先輩は人を襲ってないんだから、別にそれでいいじゃないですか。今、私たちは何も困ってないです」
そんなわけないって解ってる。取り返しのつかないことになってから、気付いたって遅いのも解ってる。
わかってるけど。
「だから」
でも。
「だから―――…………」
喉が震えて、傷んで、言葉の一つも、言えなくなる。
ダメだ、言え。最後までちゃんと。
嘘吐きだって言うのなら、根拠のない妄言くらい、最後までちゃんと吐ききれ。
喉が震える、胸が熱くなる、視界が滲んでぐしゃぐしゃに歪んでく。
ぼたぼたと眼元から何かが零れ落ちていく。私の心の真っ黒な澱みみたいな何かが、ぼたぼたとあられもなく。
怖い、言え。
それでも、言え。
嘘を、吐け。
「だから―――」
「もういいよ、ありがと、りこ」
最後の。
最後の言葉を言い切る直前に。
唇が、柔らかい綺麗な真っ白な人差し指で、そっと塞がれた。
訳も分からないまま上げた視界の先で、つき先輩は淡い月光の中で静かに微笑んでいて。
私はぐちゃぐちゃになった思考のまま、そんな先輩をただ黙ってみていることしか出来なかった。
そうして、私は結局、醜い嘘の一つすら吐けないままで。
そんな私たちを、目の前に座った吸血鬼は、ただ何も言わずに。
優しく、淡く、でもどことなく悲しそうな微笑みで見つめていた。