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狼少女と嘘吐き少女  作者: キノハタ
エピローグ

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35/38

×××と答え合わせ

 あの満月の夜から数日が経った。


 りことつきの人生を根幹から揺るがすような、そんな人生の分岐点を過ぎた後も、日常は変わらず続く。地球は回って、朝になればまた今日が始まる。


 高校はそろそろ本格的な文化祭準備に入って、授業もそこそこに、各々がクラスや部活で出し物の準備をしている。


 そんなどこか慌ただしくも、平和な日常の中で、つきはときおりぼーっとその様子を眺めていた。


 まだそうやって繰り返される、当たり前の日常を、どこか受け止めきれていないのかもしれない。


 人を喰い殺す心配がなくなったこと、飢えに苛まれなくなったこと、初めて孤独が埋められたこと。


 そのどれもが、彼女は生涯、手に入れるはずはないと思っていたものだから。


 まだ心が、その安らぎに上手く慣れないでいる。


 だからか、時折、本当にこれでいいのかな、と少しだけ不安になる。


 先のことはわからない、将来のことも、何一つ。


 そもそも自分が社会に出るまで、真っ当に生きていられる保証すら彼女にはなかったのだから。


 文化祭明けに提出するように言われた、進路希望をぼんやり見ながら、つきは泡のような曖昧な現実感の中を泳ぎ続けていた。


 そんな放課後も近い頃のことだった。


 遠く向こう、秋の高い雲が薄く棚引ていく、その先から。


 不意に、声がした。



 高く、高く。



 遠く、遠く。



 まるで誰かを呼んでいるような。



 狼の声。



 つきは静かに、その声に耳を澄ませた。



 穏やかで心地のいい、秋の風が吹いていく。



 その狼の遠吠えを乗せていくように。



 つきは少しだけ、声に誘われるまま、窓の外をふっと眺めた。



 そんな彼女を見守るように、蒼く高い空は、どこまでも広がっていた。







 ※







 文化祭まで、あと数日になった頃。


 りこと美術部の飾りつけを買いに行くために、待ち合わせをしていた時だった。


 「や、初めまして」


 そう、不意に声をかけられた。


 初めて出会う、顔も名前も知らない少年。年ごろは私と同じくらいだろうか、灰色のパーカーを目深にかぶって、ごく自然な様子で私に話しかけてきた。


 ここは学校から少し離れた雑貨店だから、うちの学校の生徒でもない。こんな見た目だから、一方的に知られていることはたまにあるけど、多分そういうのですらない。


 「ちょっとお話しない?」


 加えてナンパにしては、誘い文句の一つすらない。でも、私はしばらくスマホを見てから、軽く頷いた。


 りことの待ち合わせまで、もう少しだけ時間がある。


 そんな私の答えに、その少年は軽く笑みを浮かべた。


 そして、その笑みの奥から、()()()()()()()()()()


 出会った時点で、匂いでなんとなくわかっていたけれど、改めて少年の姿を観察する。


 パーカーのフードの奥には、少し尖った耳が見えた。


 ズボンの後ろから、あえてちらりと見せるように、小さな尻尾が覗いてる。


 そして、何より。


 私と同じ、灰色の髪、灰色の瞳。


 想い起こされるのは、私が衝動に飲まれかけてた時、ずっと聞こえていた狼の遠吠え。


 私のことを呼ぶように、月夜に響いていた、その声の主。


 かつてちゆさんの元に現れて、やがて姿を消した人。


 私と同じ―――人狼の少年。


 そんな同類()との出会いを、私はずっと望んでいたはずなのに。


 どうしてか、今、胸の内はとても静かだった。


 彼もそれが分かっているのか、私たちはお互い何も言わずに歩き出す。


 約束の時間までの時間は、そう多くはない。


 でも、そう長い話にはならないだろう。


 理由のないそんな予感だけが、私の中でじっと佇んでいた。









 ※








 どちらが言うともなく、すぐそこの喫茶店に入って、私たちは窓際の席に腰を下ろした。


 特に示し合わせもなく、二人それぞれ注文を通す。私はカフェオレ、彼はサイダー。


 程なくして、飲み物が運ばれてきた後に、彼は何気なく口を開いた。


 「初めに一つ聞いていい?」


 サイダーを啜りながら、彼は軽く微笑んで、私を見つめた。


 「何?」


 私もカフェオレにガムシロップを入れながら、視線を返す。


 「…………(つがい)の子が、嘘を吐くとき、どんな匂いがしたの?」


 最初の質問にしては、随分と具体的で、限定的な質問だった。


 まるで、お互い同時に解いていたテストの答え合わせをしているみたいだ。


 「甘くて、酸っぱい、そんな匂いがしたかな」


 脳裏に浮かぶのはこの一月、ずっと嗅ぎ続けたりこの匂いと、少し拗ねたようなその表情。


 それを想い出すだけで、思わず微笑みが漏れてしまう。


 そして、そんな私の答えに、少年は静かに頷いた。


 「だよね、やっぱり」


 その答えの意味を想像は出来るけど、きっと今は深掘りしなくてもいいのだろう。


 ただ、それは彼にとって、必要な答え合わせだったんだと思う。


 カランと氷の音が鳴る。静かな店内に、その音が微かに響いていく。


 「私からも一つ聞いていい?」


 私の問いに、彼は無言でそっと続きを促した。


 「私達の身体のこと、あなたはどこまで知ってたの?」


 私の問いに、少年は少し考えるように腕を組むと、やがてゆっくりと口を開いた。


 「僕達は、自分を受け容れてくれる誰かを求めてた、そのために噛む行為が必要だった」


 ありふれた喫茶店の一室で、私たちは何気なく会話を続ける。まるで今日のクラスでの出来事を話すみたいに。


 「3回目からが『境』だ。そこを越えられるかどうかで、全てが決まる」


 そんな既にわかりきった答えを合わせを、私たちは淡々と続けてく。


 「でも、僕は3回目の先を越えられたことがなかった。だから、まさか、あんなオチが待ってるとは思わなかったね……」


 そう言って彼は、軽く天井を仰いで、どこか可笑しそうに笑った。


 私の脳裏には、不意にたかはな先生たちの言葉が浮かんで、思わず少し顔が熱くなる。


 「そ、それは、私も知らなかった。知ってたら……あんなに悩まなかったよ。相手を嚙み殺すとか、そんな心配ばっかりしてた」


 まさか、人狼の宿命と3回目の境が、結局、性……相手への好意が実るかどうかだったなんて。


 噛むとか、喰い殺すとか、悩んでたのは一体何だったんだって、今更になると思うけど。


 改めて、そんな自分のというか、人狼の実態のはしたなさに、少しため息が零れる。


 ただ、そんな私を見て、少年は軽く微笑んだ。



 「いいや? ()()()4()()()()()()()()()()()()



 ―――。



 息が、一瞬止まった。



 「え?」


 私の声に、少年はどこか寂しそうに首を横に振る。


 「もちろん、そうなる前に、僕は相手から逃げだしてきたけどね。君はあの番の子が一人目だから、わからないかもしれないけど。僕達は本来、噛めば噛むほど、好意と同時に殺意も強くなるんだ」


 少年は何事もないような調子で、言葉を続ける。


 「というか、3回目まで行けるのがそもそもレアでね。普通1・2回目で、もうダメだってなるんだよ。どうしようもない程の衝動が湧いてきて、本当に喰い殺したくなる」


 私は何も言えないまま、ただ少年を呆然と見つめてた。


 「どうにも僕達はそういう性質みたいだ。いろんな人と出会って、噛んできたけど。寂しいっていう想いが強くなればなるほど、その人を喰べたくなる。だから、あの夜の君たちも、実際はかなり紙一重だったと思うよ。本当にあのまま、あの子を喰い殺しても、別に不思議じゃなかった」


 カランと私の手の中で、カフェオレの氷が音を立てていた。


 「じゃあ、私とりこは、どうして―――」


 今、隣に居て平気なの?


 そんな私の疑問に、少年はゆっくり首を横に振る。


 「わからない、結局、結果しかないからね。でもまあ、想像は出来るかな―――」


 言いながら少年は、静かに遠くを見つめた。まるで何かの情景を想い出そうとしているみたいに。


 「きっとね、大昔にも、僕達みたいなやつが、人の中に紛れて暮らしてたんだろうね」


 彼の視線を辿ると、街を数えきれないほどの人が、どこへともなく行きかっていた。


 「人の中に産まれて、人ともに暮らして、でも人とは違う。それがバレたら、きっと排斥される。だからそれを秘密にして、大昔の僕達も生きていたんじゃないかな」


 あの人ごみの中に、もしかして私たちのような、秘密を抱えた誰かが紛れているのだろうか。


 「でもね、不思議なことに、それでもやっぱり独りきりでは、生きていけなかったんだよ」


 少年はどこか可笑しそうに、どこか寂しそうに笑った。


 そんな言葉に、私も静かに頷いた。そう、狼は群れをつくる生き物だ。


 「寂しくて、でも秘密を知られるわけにはいかない。でも誰かに知って欲しい。そんな矛盾を抱えながら、自分を受け容れてくれる誰かを、僕達はずっと探してた」


 少年はこっそりと、自分の牙を私に晒した。


 「それでね、これだって人を見つけたら。こっそり噛むんだ、たかはな先生が言うには、僕達が噛むと相手は強い性的快感を感じるみたいで、昔はそれで一時的に隷属させてたんじゃないかってさ。ほら、蜜で虫を誘う花みたいにさ」


 ……性的、快感。


 脳裏に浮かぶのは、私が噛んでいるときに、どこか紅くなっていた、りこの表情。…………なんとなく察してはいたけど、改めて言われると、ちょっと……いや、かなり恥ずかしい。それをしきりにりこに求めていたことも含めて。


 「で、3回かけて、相手のことを見極めるんだ。この人は、本当に自分の味方になってくれるのか。自分を受け容れてくれるんだろうか。人から外れた自分を、本当に愛してくれるんだろうか、ってね」


 静かに、静かに、少年は、どこか慈しむように言葉を続ける。


 「そして、もし途中でダメだってなったら、口封じも兼ねて―――」


 カチンと軽妙な音が鳴る、少年がわざとらしく口を開いて閉じた音だった。まるで、何かに噛みつくように。


 「…………そっか」


 私はカフェオレを啜りながら、ふぅと静かに息を吐く。あの満月の夜、りこに感じていた噛みたい、喰べたいという衝動。


 あの時、私は確かに、両方の気持ちがあった。喰べたいって気持ちと、一緒に居たいって気持ちがないまぜになって、どっちがどっちわからなくなっていた。


 受け容れてもらえなかったら怖い。でも、受け容れて欲しい。


 きっと、どっちも真実だったんだ。喰べたいのも、隣に居たいのも。


 胸の奥が微かにぎゅっと震える。紙一重という少年の言葉が、頭の中をなぞってく。


 あの時の私たちは、本当にどちらに転んでもおかしくなかったんだ。


 「ただまあ、僕が気づいてたのはここまでかな。誰かを求めてることはわかったけど、どんな人を求めているのかはわからなかった。4回目に至れる人を探したけれど、結局さっぱり見つからなかった」


 少年はうつむきながら、そう小さく言葉を零した。


 ただしばらくすると、ゆっくりと顔を上げて、どこか不敵な視線で私を見つめた。


 「でも、君は答えを見つけられたんだろ?」

 

 そんな彼の問いに、私は静かに頷いた。


 私達、人狼が―――ううん、私が、ずっと求めていた人。


 思い浮かぶのはりこの拗ねたような表情と、漂う甘酸っぱい香り、あの黒猫と狼を描いた交じり合う空の絵。


 「ねえ、君はどんな人を探してたんだい?」


 少年の問いに、私は少しだけ言葉を探した。


 かつての人に紛れて生きてきた人狼が、探し求めていた誰か。


 秘密を抱えて、秘密を隠して、それでもなお求めた誰か。


 それは私達が抱えた秘密を、一緒になって、守り抜いてくれるそんな人。


 たとえ誰かに嘘をついてでも。


 まるで、りこみたいな―――。



 「優しい―――嘘吐きな人」



 人並みの中で、人でない私達と一緒に、その秘密を隠しながら生きてくれる人。


 甘く、優しい、嘘を吐く人。


 だから、そっか、私は本当に初めて出会った時から―――りこのことを。


 零れた私の言葉に、少年は静かに頷いた。


 まるで、その答えを、ずっと待っていたかのように。


 窓の向こうで人が騒めく音がする、そんな音に誘われて、不意に外の方を振り返った。


 人並みの向こう、そんな中に紛れるよう、見覚えのある小さな人影がぴょこぴょこと動いてる。


 そっか、もう、待ち合わせの時間だね。


 私はすっと席を立って、机にお金を置いた。


 「ごめん、そろそろ行かなくちゃ」


 私の言葉に、少年はゆっくり頷いた。まるで、もう聞きたいことは全て聞けたのだろうか。


 しばらくお互い微笑んで、そして何も言わずに頷きあう。


 ずっと、同類がいればいいと思ってた。私と同じを苦しみを持った誰かと一緒に居れば、この寂しさは埋まるのだとそう思ってた。


 でも、どうにも違ったみたい。


 だって、誰だって苦しみの形は同じじゃないもの。


 私の寂しさも、彼の寂しさも、きっと似ているようで少し違う。


 だからきっと本当に求めていたのは、違う寂しさを抱えて、それでも寄り添いあえる人。


 まったく違う形に産まれて、それでも暗く寂しい夜を一緒に歩いていける人。


 月明かりだけを頼りに、二人手を繋いで夜をいくような。


 そんな誰かを、ずっと探して、私たちは旅をしていたんだね。


 そうして、席を立って店を去りかけた、そんな時。


 「ねえ、最後に一つお願いしていい?」


 私の背中に、彼はそうやって声をかけてきた。


 振り返って、問い直す。


 「なに?」


 そうしたら、彼は笑って、まるで小さな子どもみたいな無邪気を笑みを、にぃっと浮かべた。


 「『お姉ちゃん』に言っといて、大人になったらまた会いに行くからって」


 私は一瞬、思わず呆けた。


 ……そして、『お姉ちゃん』が誰を指すのか、理解して思わずほくそ笑む。


 なんだ、もう大事な人は見つけてたんだね。ちゆさんも、落ち込み損じゃん。


 彼にとっての、甘い嘘を吐く人は意外と身近にいたらしい。


 「わかった、私からも一ついい?」


 喫茶店のドアを開けながら、私は笑って彼に言葉を投げた。


 彼は笑顔で頷いた。


 「ありがとう、あの時、見守ってくれて」


 そんな私の言葉に、彼はまたにぃっと笑みを浮かべた。


 そうして、私は彼と手を振りあって、その場をそっと後にした。


 「じゃあね、名前も知らない女の子」


 「ばいばい、名前も知らない男の子」



 そうして、喫茶店のドアを越えると、秋の夕暮れの紅い空が私の上に広がっていた。



 少し首をぐるっと回して、雑貨屋の前できょろきょろしている君を見つける。



 君は私を見つけると、ひらひら小さく手を振っていた。



 そんな君に、私も手を振りながら駆け出した。



 私の、私だけの優しい嘘吐きの、そんな君へ。



 甘く、酸っぱい匂いに誘われながら。



 もう振り返ることもなく。



 君の隣へ、走ってく。



 私の居場所へ、走ってく。

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