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狼少女と嘘吐き少女  作者: キノハタ
第5章 二人

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第29夜 嘘吐き少女と狼少女

 ゆっくりと、ゆっくりと、丁寧に包装された絵の梱包を解いていく。


 それから、ことんと音を立てながら、私の絵を壁に立てかけた。


 よく見えるように、窓から差す月明かりの真ん中に。


 そうしていると、なんだか真っ暗な部屋に月光のスッポトライトが当たったよう。


 少し遠目にそれを眺めてから、部屋の隅で毛布で体を隠したあなたの隣に座る。


 それからどちらともなく、こてんと身体を寄せ合った。


 毛布越しに触れる体温が、少し冷たくなってきた夜風の中で暖かい。


 「…………最初は」


 そうやって言葉を漏らすと、つき先輩の涙で腫れた目が、ゆっくりと私に向いた。


 「……最初は、つき先輩を描くつもりだったんです」


 何度も、何度も、あの春の窓際で見上げた、あなたの横顔。


 「でも、最後に描き上げるとき、何かが足りない気がして」


 いつもは素直に動かない口が、どうしてか今はすらすらと動いてく。なんだか不思議な感じだ、まるでいつも言葉を抑えていた栓が外れてしまったみたい。


 「………………何だろうって考えて、わかんなくて、そしたらなんとなく、あの黒猫の貯金箱を想い出しちゃって」


 ちらりと視線を横に向けると、まだ泣き腫れたあなたの横側の向こう側、廊下の奥にあの貯金箱が暗がりの中ひっそり見えた。


 「それで、最終的に、ああなりました」


 そう言いながら、私はあの絵を指さした。


 夏の蒼が渦巻くように描かれる中、青空と、夜空と、海と、川が、混ざりあう、その中心。


 ビルの上でそっと寄り添う、一匹の黒猫と、一匹の灰色の狼。


 どれが誰を表しているのか、説明するのも少し恥ずかしいけれど。


 「狼がつき先輩で」


 少し顔が紅くなるのを感じながら、それでも口を動かす。


 「黒猫が……その、私です」


 それでも、今日くらい、今くらいは、少しは素直になりたかった。


 虚飾も、暗喩も、嘘も。


 せめて、今くらいは、なかったことにして。


 「そっか」


 つき先輩は短くそう言いながら、こてんと私の肩にその頭を預けてきた。


 「二人の―――想い出だもんね」


 静かで、か細くて、それでも何かを確かめるように。


 「りこがいないと、完成しないよね」


 そう、私が伝えきれなかった言葉をゆっくりと、拾い上げるように頷いた。


 「本当は、私…………」


 零れる言葉が、何を言おうとしているのか、自分でもわかってない。それでも、胸の中にある言葉にならない何かの形を探すように、一つずつ口を動かす。


 「あの絵の中に……自分を……多分、描きたくなかったんです」


 少し自分の膝をぎゅっと抱えて、胸の奥がじっと痛くなるのを感じながら、それでもまた言葉を探す。


 「私は……その、自分が……嫌いだから。……嘘吐きで、素直じゃなくて……わがままな私は、醜いだけだと想ってたから」


 もしあの絵の中に、無理矢理を私をそのまま描こうとしたら、きっと目も当てれないくらいぐちゃぐちゃなものになってしまう。


 「でも綺麗なものは描くのは好きでした。……私は綺麗じゃないけれど、私が見た世界には綺麗なものが沢山あったから……」


 例えば、どこまでも広がるような青空とか。


 全てを飲み込んでいくような、暗い夜空とか。


 透き通るような髪をした、灰色の狼みたいな人とか。


 「だからあの絵の中には、私が綺麗だと想ったものだけ、描いたんだけど……」


 少し震えた声をあやすみたいに、あなたの頬がゆっくりと私の頬をなぞっていく。


 「でも、それじゃ、足りなかったんだね」


 最後の言葉を引き取るように告げたあなたに、私は静かに頷いた。


 綺麗なものだけ描きたかった、そこに私はいらなかった。


 あの夏の想い出の中に、私はいなくてもいいと想ってた。


 でも、それじゃあ、どうしてか足りなかった。


 「二人で見たんだから」


 「あの夜空も、あの蒼空も」


 「だから、きっと二人じゃないと意味がないんだよ」


 つき先輩は静かに、私に向かってそう告げる。


 そんなあなたの言葉を聞きながら、改めて私の絵を眺めてく。


 「りこは猫みたいだからね」


 いつか、あなたが言った、そんな言葉。


 「気まぐれで、嘘吐きで、わがままで」


 私のことを揶揄うように告げた、あなたの言葉。


 「だけど、ホントは優しくて、暖かくて」


 それが、あの絵の最後のピースを埋めた。


 「ピッタリだよ」


 そう、私は素直じゃない嘘つきだから、やっぱり私自身を上手く描くことはできない。


 だから、ああいう形に描いたんだ。私のことを黒猫として描くなら、隣に居るあなたは狼の姿で描くのが必然だと思った。我ながら回りくどくて、解かりにくい。


 でも、描き上げた時、妙な納得感もあったんだ。


 まるで初めから、こうするために描いていた絵のような。


 この形を最初からずっと、想定していたかのような。


 そんな不思議な感覚が、そこにはあった。


 「さっきのつき先輩の姿も、丁度あんな感じでした」


 想像で描いた割には、ぴったりの姿を描けていたと思う。ただ、私がそう言うと、つき先輩は隣で少し口を不満そうに尖らせた。


 「……何? こうなるって想像でもしてたの?」


 ちょっと拗ねたみたいな、そんな声。それがなんだか、いつも通りみたいで、少しだけ安心する。


 「まさか、でも、つき先輩が狼だったら、あんな風だろうなって想ってたんで」


 そうやって安心したから、余計に言葉は、ふっと息を吐くように軽く口から出て行く。



 「―――綺麗でした」



 「きっと、今まで私が見てきた、誰より、何より、一番」



 「つき先輩が、綺麗でした」


 

 流れるような灰色の毛並みも、すらっと伸びたその手足も、鋭く光る爪と牙も。


 そのどれもが、まるであの月夜の中にあるために、産まれてきたかのような。


 鮮烈で、克明で、一つの美しさの極致の様に、私には見えた気がした。


 「…………りこ、わざと言ってる?」


 ただ、そうやって口にした直後に、つき先輩の頭が私の肩でぐりぐりと暴れ出す。まるでそうやって何かを誤魔化すみたいに。言葉尻も、少し拗ねたような感じがする。


 「…………何ですか、珍しく素直に褒めたんですけど」


 ちらっと隣を見てみたら、つき先輩の真っ白な肌が、薄い朱色に染まっていた。どこか恨めしそうに、じっと私のことを見上げてる。


 「もしかして……照れました?」


 そうやって、尋ねると、また頭はぐしゃぐしゃと私の肩にあてこすられる。どうにも照れていたらしい。ふうん、素直になるのも意外と悪くないかもしれない。


 「まったく、普段、嘘ばっか吐く癖に。こういう時はホントなのどうかと思うよ」


 そうやって膨れたつき先輩の頬を見ながら、私はこてんと首を傾げる。


 「ご心配せずとも、多分、今日だけですよ」


 そう、きっと、こんなに素直になれるのは、今日だけだ。


 「そう、ならよかった……のかな?」


 こんな綺麗な満月の夜くらいにしか、嘘吐きの私は、きっと素直になれない。


 人狼が狼になるような、そんな現実と嘘の境が曖昧な夜くらいにしか。






 「ところで、りこ。……()()()()()?」






 つき先輩の声が、静かに響く。


 「はい―――()()()()()()


 満月は私たちの背中を、何も言わずに照らしてる。


 「ちょっと泣いて、気が紛れただけだから、すぐにまた噛みたくなるよ」


 つき先輩の声は、静かだ。とてもとても、まるで最後の言葉みたいに。


 「はい、わかってます」


 私がしたことは結局、心を一瞬揺らしただけ、その程度じゃ現実は何も変わらない。


 「死んじゃうかもしれない、そうでなくても、取り返しのつかないことになるんだよ。りこが人狼になっちゃうかも……」


 つき先輩はそう言いながら、じっと眼を閉じていた。まるで、私に全てを委ねるみたいに。


 「……………………」


 きっと、あなたは今更、私がここから逃げ出しても、決して責めたりなどしないんだろう。そんなことはわかってる。私がこれからやることが、どれだけ馬鹿げているのかも。


 「それでもいいよ」


 そう言いながら、視界の先にある絵をじっと見た。


 「だって、今までつき先輩が、本気で私のことを傷つけたことなんて一度もないじゃん」


 わかってる。


 「人狼になるとかもさ、本当にそうなるかもわかんないじゃん。身体が急に作り変わるわけもないしさ。それになったらなったで、以外と便利かもしんないよ。電車に乗り遅れてもビルの上を走ればいいし」


 こんな言葉に、根拠も、確証も、何もないことを。


 「だから、大丈夫だよ。死んだりしないよ、私は、そう信じてる」


 それでもまた、私はこうして嘘を吐く。


 「大丈夫」


 いつも通り、他愛なく。


 「大丈夫だよ」


 そうやって、目一杯の笑顔を浮かべながら。


 「ね、つき先輩」


 そう言ってあなたの顔を振り向いたら。


 あなたは、どうしてか信じられないようなものを見る目で、私を見ていた。


 どうしてだろう、こんな見え透いた嘘、あなたには簡単にバレるはずなのに。



 まるで。



 まるで、今、告げた私の言葉が。



 ホントのことだったような顔してる。



 「………………だからね」


 

 ぎゅっと、あなたの手を握った。



 「もう、置いてかないでね、独りは嫌だよ」



 声が少し震えるのを感じながら、じっと祈るようにその手を両手で覆う。



 「…………でも、私なんかじゃ、りこの人生を償い切れないよ」



 暖かくて、柔らかくて、その感覚が何よりきっと心地いい。



 「……償おうとしなくていいよ、だって私のわがままなんだから」



 こうやって、あなたの隣に居れる感覚が。



 「だからさ」



 きっと何より、幸せだった。



 「いいよ、おいで」



 そう言いながら、つき先輩の首元にまだ巻かれていた黒いリボンを手に取って。



 そっと。



 ゆっくり。



 その首元から。



 優しく解いた。



 これでもう嘘も、ごっこも、おしまいだ。



 「つき先輩の、したいように、していいよ」



 あなたの頬から雫が零れる。



 「大丈夫」



 私の頬からも、きっと同じものが零れてる。



 「大丈夫だから」



 月明かりの中で淡く照らせながら、あなたに精一杯の笑顔を向ける。



 根拠なんて、どこにもないの。



 確証すら、ありはしないの。



 でも、それでも。



 嘘吐きの私は、素直になれない私たちは。



 それくらいでいい気もするんだ。



 この決断の先が、どうなるかもわからない。



 これからの人生が、どうなっていくのか想像すらできはしない。



 明けない夜を歩いているような、何も見えない荒野を彷徨っているような。



 先すら見えない、そんな暗がりの中で、生きているようだけど。



 でも、私たちはそれくらいでいい気もするんだ。



 だって、こんな寂しい夜に、あの夜に、あなたと出会えたんだから。



 こんな独りぼっちの私達が、たまたま出会うことができたんだから。



 解りもしない明日に向けて、それでもいいよと暗がりを笑いながら歩いていくような。



 そんな人生でいいと想うんだ。



 たとえ明けない夜でも、あなたと一緒ならそれでいい。



 先が見えなくても、不安と苦しみで一杯でも、あなたの隣に居れるならそれがいい。



 二人揃って、手を繋いで歩いて行けるなら。



 きっと、それでいいんだよ。



 指と指を、その形を確かめるように繋いだ。



 涙と涙を、混ぜ合わせるように頬を寄せ合った。



 肌と肌を、体温を溶け合わせるように重ね合わせた。



 どちらともなしに、私の上着のボタンをはずしてく。



 首元と胸元が露になって、そこにあなたはゆっくりと顔をうずめた。



 あなたは私の名前を呼びながら、泣きながら、それでも確かにその牙をそっと私の首にあてがっていく。



 ドクンとあなたの心臓の音がする。



 とくんと私の鼓動の音がする。



 肌と肌は触れあって、肌と牙が触れあっている。



 それはきっと禁断の行為。何一つ許されない、致命の境。



 でも、どうしてか。



 今はいつも感じていた。胸が痛いほどの動悸も、息が震えるような背徳感もない。



 まるでこうなることが自然のような。



 産まれた時から、そういう形であったことを、初めて想い出したみたいな。



 そんな、羊水の中につかっているような安心感と、子守唄を聞いているような幸福感が私の身体を満たしてく。



 きっと、あなたも。



 「つき」



 名前を呼んだ。



 「りこ」



 名前が呼ばれた。



 それだけで、よかった。それだけ、幸せだった。



 このまま、このまま。



 産まれたままの姿のあなたと一緒に、ずっとずっと抱き合っていたい。



 「××(あい)してる」



 ずっと。



 「私も」



 ずっと。



 「××(あい)してる」



 こうやって、二人でいたい。



 「りこ―――りこ――――」



 きっと、これから何があっても。



 「――――あいしてるよ」



 私達は。



 「私も―――あいしてる」



 こうやって、ずっと、一緒に入れたらいいなと、そう祈った。






 ぷつっと小さな音がした。



 私の首元、その中で。



 あなたがゆっくりと、私の身体の中に入ってくる感覚がした。



 熱くて。



 暖かくて。



 気持ちよくて。



 幸せな。



 そんな感覚。



 それと同時に、一つ、解かった。



 きっと。



 きっと私は、この時のために、産まれてきたんだ。



 きっとあなたも、この時のために、産まれてきたんだ。



 産まれてからずっと、ずっと、埋まることのなかった孤独が。



 ずっと、ずっと寂しかった、胸に空いたこの空白が。



 今日、初めて、埋められたんだ。






 私と、あなたは。






 やっと、やっと。





 やっと一つに、なれたんだ。





 ぼろぼろと泣きながら、あなたを精一杯抱きしめた。




 その名前を呼びながら。



 

 あなたは私の名前を呼びながら。




 私たちはただ繋がっていた。





 明日のことも、将来のことも、人狼のことも、私達には何もわかりはしないけど。





 でも、今は、ただこの瞬間だけは。





 私達は、二人で一つになれたんだ。






 ただ、それだけが幸せだった。























 ※





 どれくらいの時間が経ったんだろう。




 満月は気づけば、空の天辺を通って、どこかの山の向こうへ沈んでく。




 ゆっくりと、ゆっくりと空は、飲み込まれるような黒から淡い紺へと移ってく。




 そんな白む空を二人で毛布にくるまりながら、じっと見ていた。




 ただお互いの体温を確かめるように抱き合いながら。




 「ねえ、りこ」




 「なんですか、つき先輩」




 静かで、冷たく、なのにどうしてか胸が暖かい。




 寂しさと不安の中に、静かな幸せが残ってる。




 「怖くなかった?」




 「怖くなんてなかったです」




 そういって告げた言葉は、きっと嘘ではなかったはずだけど。




 「りこは、噓吐きだねえ」




 あなたはどうしてか、愛おしそうに微笑みながらそう告げた。




 まるでただ、その言葉を口にしたかっただけみたいだ。




 夜明けの風が吹いていく、カーテンをはためかせながら、うっすらと差し始める朝陽の中を泳いでいくように。




 「そうですよ、私、嘘吐きですから」




 だから私は、そんなあなたに、笑って答えた。





 そう私は嘘吐きだ。





 でも、もうそれでいいや。





 あなたの隣に居れるなら。





 こんな私でも、それでいい。





 きっと、それでいいんだよ





 「ねえ、りこ」





 「なんですか、つき先輩」





 薄れる意識の中、夜明けの光に目を細めながら、あなたの名前を呼んだ。





 「大好きだよ」





 「はい、私も大好きです」





 長い長い夜が明けていく。





 明けない夜の、その向こう側。





 夜と朝の終わりの狭間の向こうへ想いを馳せながら。





 私達はゆっくりと眼を閉じた。






 絵の中に映る黒猫と狼と、同じように。






 そっと身体を寄せ合った。






 もう二度と離れることなどないように。




















 ※


 本編はこれで終了です。エピローグ数話を挟んで、完結となります。


 ここまでりことつきの行く末に、お付き合い頂きありがとうございました。


 キノハタ

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