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狼少女と嘘吐き少女  作者: キノハタ
第5章 二人

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第26夜 狼少女と君の夢

 遠く向こうで、狼の泣く声がする。



 夜空の向こう、どこか遠くにいる誰かに向けて。



 届け、届けと願うみたいに。



 高く、高く、どこまでも響くような、そんな狼の声がする。



 その声に誘われて、私はふっと目をあけた。



 最初に見えたのは、カーテンの向こうに映る人影、窓の外にいるけど、それでも背格好でわかる君の姿。



 あれ、りこだ。どうして、ここにいるんだろう。



 わからないけど、わからないまま口を開こうとした。



 だけど、できない。伝えたいことは沢山あるはずのに、口は上手く動いてくれない。



 淡く滲んだ君の姿に、声を上げようとするけれど、どうしてか言葉にならない。



 どうしてだろう、そう考えたところで、これが夢だと思い知る。



 だって、声の一つも出ない。だって、指の一つも動かない。



 それに人間の君は、窓の外からやってきたりしないよね。



 だから、これは夢だ。そうに違いない。



 ああ、でも夢だって言うのなら。



 言えなかった言葉の一つくらい、届けばいいのにな。



 縋るように、窓の向こうの君の姿に向かって手を伸ばす。



 りこ―――りこ。あのね、私ね―――。



 そうやって、口にして呼びかけて、沢山話をしたいはずなのに。



 声は出ない、胸の奥で何かがつっかえて、喉の奥は塞がって、指先はさっぱり前に向かってくれない。



 まるで、人間じゃ、なくなってしまったみたいだ。



 息が荒れる音がする。



 視界と、思考が同時に揺れる。



 窓の外の君は、何も言わない。



 ベッドからゆっくりと這い出して、ずるずると何かをひっかけながら、窓の外の向こうの君へと足を延ばした。



 上手く歩けないから、四つん這いのまま、荒れた息を整えることも出来ずに、足を引きずりながら、君の傍へ行く。



 どてっと身体が前に倒れた、顔から床に突っ伏して、情けなくそのまま転がる。



 窓の向こうの君はそんな私に向けて、何も言わない。そもそも窓の向こうにいるんだから、声なんて聞こえてないのか。



 それでも何かを訴えようと、必死になって喉を震わせる。まともに動かない口をあらん限り動かして、何かを伝えようとする。



 あのね、りこ。



 言えてないことが本当は一杯あるの。



 手紙一つじゃ書ききれなくて。



 もっと沢山話していたくて。



 遊びに行きたいところも一杯あって。



 また一緒にくっついたりしていたくて。



 それから、それから―――。



 君の描いた絵を見に行きたいの。



 君と交わした約束を本当はね、破りたくなんてなかったの。



 嘘みたいだよね、でもね嘘じゃないの。信じて欲しいの。



 君の絵を見たかった。



 君が、また歩き出せるようになるところを見たかった。



 その隣にいたかった。



 でも、私にはそれができなくて。



 だって、私は『化け物』だから。



 私がこんな私じゃなかったら―――。



 そうやって、カーテンの向こう君に向かって、何度目かもわからずに手を伸ばした時だった。



 ―――ふと気づく。



 手の感覚がいつもと違う。



 指先を伸ばそうとしても、上手く伸びない。



 手を前にあげようとしても、上手く動いてくれない。



 床に触れると何故か、少し固くて何かをひっかくような音がする。



 そんな違和感はやがて、理解に変わる。



 同時に、ああ、これは夢だ―――と、また想う。



 だって、伸ばした手が毛むくじゃらだ。



 灰色の毛におおわれて、爪はいやに鋭くて、指は上手く曲がらない。



 視界もなんだかぼやけてて、身体のあちこちが苛むように痛んでる。



 漏れた息が熱く、震えてる。心臓は不自然なほどに早く脈打ってるのがわかる。



 ふと、身体にまとわりついていたものが、自分の服だったのだと思い知る。それも無理に動かそうとしたから、すっかり千切れてしまってる。



 まるで。



 まるで、そう。



 本当の狼になってしまったようだ。



 私の胸の中にあった、喰人衝動という名の獣が、とうとう私自身を喰らい尽くしてしまったのかな。



 もう人に紛れることすらできなくなった、そんなどうしようもない化け物になってしまったみたい。



 なるほど、声なんて出ないわけだね。言葉なんて伝えられるわけがないよね。



 こんな人から外れた姿で、君の隣にいられるわけがないんだ。



 ああ。



 自覚すると、喉が渇く、身体が飢えに震えだす。



 辛い、苦しい、痛い、寂しい。



 胸の奥から欠落感が止め処なく溢れ出してきて、眼元から涙とも呼べない何かが零れてく。



 身体と心に大きな穴が空いてしまったような、そこから何もかも零れだしていくような。



 そんな耐え難くて、どうしようもない衝動が身体中を侵していく。



 そんな感情に抗うことすらできないまま、窓の外の君に向かって這いずり続ける。



 りこ―――りこ――――。



 眼元から止め処なく何かが零れてく。溢れるほどの想いがそこにあるはずなのに、身体は渇いて渇いて仕方がない。



 記憶の中の君の姿は、もう曖昧で滲んで、上手く想い出すことすらできないのに。



 本当は、本当は。



 本当はね。



 離れたくなんてなかったの。



 独りになりたくなんてなかったの。



 ずっと一緒がよかったの。



 もう独りは嫌だったの。



 なのに、なのにどうしてかなあ。



 どうして私たちは、離れ離れにならなくちゃいけなかったんだろう。



 どうして私はこんなふうに産まれてしまったんだろう。



 手を伸ばすけど、狼の前足は上手く動いてくれない。



 そもそもこんな手で、どうやって窓を開けたらいんだろう。



 こんな爪で、どうやって君に触れたらいんだろう。



 こんな牙しかない口で、君とどうやって話せばいいの。



 もう、君の名前を呼ぶことすらできないのに。



 りこ―――。



 りこ―――――。



 それでも痛む身体を引きずって、必死に君へと手伸ばした。



 その名前を呼びながら。



 窓の向こうの、君に向けて。



 ただ冀う(こいねが)かのように。



 狼の泣く声がする。



 遠く向こうで、誰かを呼ぶ声がする。



 口から漏れた声にならない泣き声は、その遠吠えと重なるように響いてた。







 ※







 ねえ、りこ。


 なんですか、つき先輩。


 一つだけ、わがまま言っていい?


 ……いつも通りですけどね。まあ、いいですよ。で、何をしたらいいですか?


 嘘でいいから、試しに……『好き』って言ってくれない?


 ……………………。


 そういえば人にね、そういうの言われたことないなって想って、だから……えと……。


 ―――嫌です。


 え…………、えと、あれだよ。嘘でいいの、ちょっと言われてみたいだけなんだ。だから……。


 嫌です―――絶対言いません。


 え、り、りこ、怒ってる……?


 怒ってません。でも、そういうことを、嘘でもいいからなんて、二度と言わないでください。


 お、怒ってるじゃん? ごめん、ごめんってば。りこ……?


 ………………。


 



 あの後、君はじっと黙って、ずっと不機嫌そうにしていたっけ。必死に宥めて謝ったけど、結局どういう意図で怒っていたかは教えてくれなかった。


 わからない、わからないけど。


 あの時の君からは、不機嫌と怒りの匂いに交じって、少ししょっぱい涙の匂いがした。


 どうしてだろう、わからないや。


 気持ちは伝わって来るのに、肝心なところがわからない。


 私はいっつもこうだ、何もかも分かった気になって、そのくせ、大切なところで全てを台無しにしてしまう。


 伝える勇気が、出ないから。近づく一歩が、踏み出せないから。


 ねえ、りこ。きっと君が思うより、私はずっと不甲斐ない奴だったよ。


 いっつも臆病で、自信が無くて、本当に大事なことばかりが伝えられない。


 だから、こんな私には、そもそも幸せになる資格なんてなかったのかもしれない。


 手なんて届かなくて、当然で。


 声なんて聴いてもらえなくて、当然で。


 想いなんて叶わなくて、当然だったのかな。



 でも、でもね。



 そんな私でも君のためなら、何かできる気がしたの。



 泣いてる君を、どうやって泣き止ませればいいのかも、わからなかったけど。



 自分自身を否定する君を、どうやって慰めればいいのかも、わからなかったけど。



 それでも、何か伝えたくて、どうにかその涙を止めたくて。



 君のためにした沢山のこと、そのどれもかれもが初めてだったの。



 誰かを抱きしめたことも。



 誰かと一緒に跳んだことも。



 誰かを励ましたことも。



 誰かのために嘘を吐いたことも。



 誰かの幸せを願ったことも。



 りこがね、初めてだったの。



 ちっぽけで独りぼっちだった私の世界は、りこに触れて初めて意味が出来たの。



 ねえ、りこ。



 会いたいよ。



 もう一度だけでいいから。



 夢でいいから。



 想い出の中でいいから。



 もう一度、君の声が聴きたいよ。



 ―――――りこ。



















 「                 」











 ガラスが。



 ガラスが割れた。

 


 え。



 夢…………だよね?



 でなきゃ、おかしいよ。



 だって、人間の君は窓の外からやってこないし。



 私はこんな狼の姿じゃないし。



 こんな夢みたいなこと、起こるはずないよ。



 そのはず、なのに、なんで、どうして。



 君は大きな何かを振りかぶって、肩を荒げながら、私のことをじっと見ていた。



 満月の淡い光の中、割れたガラスを踏みしめて。



 「約束――――守りに来たよ」



 そうやって君は言う。



 「つき先輩」



 私の名前を呼びながら。



 暗く沈む夜空の中、静かに佇む大きな満月を背にしたまま。



 君は確かに、そこにいた。

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