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狼少女と嘘吐き少女  作者: キノハタ
第5章 二人

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第25夜 嘘吐き少女と描いたもの

 絵筆がゆっくりとキャンバスの上を滑っていく。



 水彩が滲んで、真っ白だったその場所に空が描かれていく。



 蒼い空が描きたかった。入道雲が立ち昇る先にあるような、どこまで広がるような、憂いも不安も全てを吹き飛ばすような。あなたと跳んだ、あの青空が描きたかった。



 暗い夜空が描きたかった。花火で染まったような、繁華街の街を見下ろすような、痛みも苦しさも全て溶かすような。あなたと見上げた、あの夜空が描きたかった。



 どっちにしようって下描きの時点では迷ってた。でも色を付け始めた時点で、答えはおのずと決まってた。



 どちらも描こう。一つのキャンバスに、あなたとの想い出を全て描ききるみたいにして。



 花火を描く。入道雲を描く。



 川を描く。海を描く。



 一緒に見たお祭りを。一緒に歩いた海辺を。



 昼も、夜も。空も、街も。



 全てが織り交ざっていくような、あり得ないはずの情景を、想うがままに描いてく。



 円を描くように、あなたと過ごした夏の想い出を。



 ただ描いて。



 描いて。



 描いた。



 意味すら知らない。価値すら分からない。



 あなたが見てくれるかすら、定かでないけれど、そうだとしても。



 きっと、この絵に込めた想いは無駄ではないと。



 そう嘘を吐きながら。



 そう(こいねが)うように。



 絵を描いた。



 あなたに届けと。



 ただ、それだけを想って描き続けた。



 ふと目を閉じれば、浮かんでくる、たくさんの情景をなぞりながら。



 そうして、満月の日(最後のリミット)はやってきた。






 ※






 「最後が……決まらない?」


 そんな副部長の言葉に、私はうつむくように頷いた。


 今日は、絵を描き上げなきゃいけない、最後のリミット、満月の日。


 文化祭が近いから、授業は午前までで午後からは、各自文化祭準備だ。


 残り時間は少ないけれど、ペース的には、今日中に間に合うはず。そう思っていたのだけれど。


 私の筆は、ある場所でぴたりと止まってしまった。


 描いた絵は9割方完成した。円を描くように外側から情景を一つずつ埋めていって、後は中心の僅かなスペースを残すだけ。


 「ここ、人影を一つ描いてたでしょ。それを描けばいいんじゃないの?」


 副部長はそう言って、不思議そうに、私が既に描いた下描きの線をそっと指さす。


 もちろん、副部長の言う通りだ。そういう風に下描きで決めたのだから、そう描くのが正しい。


 でも…………。


 「なんか違うなー、ってなっちゃった?」


 ふと気づいたら後ろから覗き込んできた部長が、そう言って首を傾げる。


 私は少しびっくりしたけど、美術室の椅子に座ったまま、もう一度頷いた。


―――何かが、違う。


 最初はここにつき先輩の姿を描いたら、それで完成だと想ってた。これまで何度何度も、窓際でみたつき先輩の横顔は描いてきたから、それを単純に描くだけ。それでいいと想ってた。


 でもいざ描こうとすると、指が止まる。


 胸の奥で何かがつっかえて、喉から何かが出て行きそうなのに、その何かが分からない。


 そうやってしばらく唸って、行き詰って、結局、人に頼ってしまった。


 本当は自分で答えを出したかったけれど、もうそうやって意固地になってる時間も私にはもうない。


 「ふーん…………そうね、なんだろ、何かが違うのよね? 色? 大きさ?」


 「雰囲気が違うとかかな? もっと明るく、もっと暗くとか。それか、パースの位置……は、今更動かせないか」


 二人が真剣に私の絵を眺めながら、うんうんと頭を捻る。ただそんな姿を見ていると少しだけ、申し訳なくなる。二人だって忙しいし、私ばかりに構ってもいられないのに。


 そもそも自分の作品のことなのに、誰かに頼るなんてことがどうかしてる。


 これは私が描き始めた絵なのだから、私が責任をとらないといけないはずだ。


 しばらく二人が悩んでいるのを見て、なんだか段々と焦りが湧いてくる。


 私も必死になって考えるけれど、うまく答えは出てこない。


 色や、大きさ、雰囲気を変えたつき先輩の横顔を想像するけれど、なんだか不自然な感じがする。何かがおかしい、でもその何かが分からない。そもそも正解なんて、何処にもないのかもしれないけど。


 そうやって、しばらく唸って、あーでもないこーでもないと後ろで二人がやり取りするのをただ聞いていた。


 10分くらいして、結局、結論は出なかったから、私は慌てて二人に頭を下げた。


 「す、すいません。やっぱり、自分で考えます、先輩たちに、あんまり迷惑かけられないし」


 そう結局これは私の絵なのだから、私が何とかしないといけない。


 そもそも創作で人に頼るのが、前提として間違いだったんだ。


 そう思って頭を下げて、この会話を早く終わらせようとした。


 だけど、下げた頭にぽんと優しく手が乗った。


 「詰まった時に、人に頼るののどこがおかしいのよ。もちろん、自分の作品だし、最後は自分で形にしないといけないけど。手伝ってもらっちゃダメなんてルールはないの」


 頭を上げると、どうということはない風の、いつもの仏頂面の副部長の顔があった。その横で部長はどこか可笑しそうに微笑んでいる。


 「りこちゃんは、ずっと人を頼ってこなかったからね、とうこちゃん的には頼って貰って嬉しいんだよ。もちろん、私もね」


 「いや、私は別に……」


 「それに、三年は夏で半分引退済みみたいなもんだから。実は結構、暇なんだよねー。相談に乗ると言いつつ、私たちなりに楽しんでるから気にしなくていいよ?」


 そんなやり取りをする二人を見ていると、なんだかどうにもむずがゆくなる。絵を描いているときに、誰かに手伝ってもらったり、助けを貰うなんて発想がなかったから、どことなく違和感すら感じてしまう。


 いつかの頃は、人に意見を口出しされるなんて、気持ち悪くて、想像すらできなかったのに。


 でも、今はどうしてか、そこまで拒絶するような感じもしない。私から頼ってるからそりゃそうだけど。


 …………そもそも私、こうやって困ったからって人を頼ったの、初めてだったりするのかな。


 「あー、それにしても、だめね。煮詰まってきた」


 「そーいう時は、あれだね。基本の所から見直そう、()()()()()()()()()()()()()()()?」


 「うーん、()()()()()()()()()()?」


 「いや……でも……これは」


 先輩二人の言葉に、咄嗟に反論を返そうとする。


 だって、これはつき先輩の絵だ。つき先輩との想い出の絵だ。だから、モチーフが違ったり、つき先輩以外の物を描き足すなんて、ありえない。



 そう、ありえない。



 …………ありえないのだけれど。



 「………………」



 ふと、気になって、指を空に動かしてみる。


 なんとなく、それとなく。


 指に誘われるまま、下描きの線をそっと無視して、空想の中で像を浮かび上がらせてみる。


 『何かモチーフが、そもそも違う』


 『何か大切な物を、描けてない』


 つき先輩、以外の何か。


 想い出の中で、それを探す。


 何か、何か。


 何かを。


 そんな瞬間。


 どうしてか、ふっと思い浮かんだのは。



 『黒猫の貯金箱』



 …………………………まさか。


 「…………ん?」


 「りこちゃん…………何描くか、決まった?」


 「…………」


 大切なのに、描けなかったもの。


 この絵に足りなかった、最後のピース。


 でも、それを描くのはとても難しい。


 だって、私は誤魔化したがりの嘘吐きだから。


 そう素直に描き表すことはできない。


 なら、どうしたらいいだろう。


 そう悩んではみるけれど、不思議と頭の中で、イメージはすっと浮かび上がった。


 だから、そう描くなら。



 あれがいい。



 「…………で……何描くのか決まったの?」


 「うーん、スイッチ入っちゃったね、これは」


 二人の声が、少しずつ遠くなっていく。


 海の中に潜っていくように、水音の向こうにあるみたいに、ぼやっと聞こえる。


 そのまま頭の奥から意識が溶けて、キャンバスの中に沈んでいくような。


 そんな錯覚に誘われるまま、絵筆と消しゴムを取る。


 下描きは消していく。


 そうして、そのまま直接絵筆をキャンバスの上に、そっとなぞらせる。



 この絵を埋める最後のピース。



 あなたとの想い出を完成させる、その一欠片を。



 ゆっくりと少しずつ、埋めていく。



 意識は絵筆を通して、キャンバスの中に深く深く沈んでいく。



 息をすることすら忘れて、想いと感情の狭間を、ゆっくりと潜っていくように。



 意味すら忘れて。



 価値すら忘れて。



 あなたと私を。



 ただ描き続けた。



 深く、深く。



 私の想いを形にするために。



 今、ここに。



 私の絵を。



 描ききる。










 ※









 そうして、絵は、完成した。


 




 絵筆をピタッと止めて、バケツの中にそっと落とした。ぽちゃんと水音がして、それを契機に意識が現実に浮上する。


 …………息が荒れてる。


 本当に水の中を潜っていたみたいに、肩が揺れて、ぜえぜえと身体の中から何かが抜け落ちていくような感覚がする。


 血がどろどろと指先から零れ落ちていくような、お腹の奥に孔が開いて、そこから力という力が抜け落ちていくような、どうしようもない欠落感が身体を満たしてる。


 ……できたの、かな、大丈夫、かな。


 ふらふらと揺れる視界をどうにか保ちながら、ぼやける焦点を無理矢理合わせて、絵を見つめる。


 ……拙い。力加減を間違えて、滲んだ箇所がいくつもある。定型は完全に無視だし、技法はお粗末なのもいいとこだ。


 見せる人に見せたらきっと、ぼろくそに言われるのが目に見えてる。フリマサイトに投稿しても、きっと1円だって値はつかない。



 でも、それでも、全てを描いた。



 あなたに届けと私が描ける全てを描いた。



 これでいいんだろうか。やっぱり意味なんてなかったんだろうか。


 わからない、わからないけど。それでも、これを、あなたに見せに行かなくちゃ。


 この私の想いを、あなたに。


 ふらつく足と揺れる視界の中で、どうにか椅子から腰を上げて、キャンバスをそっと掴んだ。


 早く、早く。あなたの場所へ。


 このまま、この絵を、今すぐに。



 「はい、差し入れ」



 そう思っていた私のぼんやり開いた口元に、何かが勢いよく突き刺さった。


 ………………甘い。


 しばらく回らない頭で首をかしげていると、呆れ顔の副部長の顔がそこにあった。私の口に突き刺さっているのは、封の開いたゼリー飲料のパックみたいだ。ビニール袋の中にたくさん入っているから、他の部員への差し入れで持ってきたんだろうか。


 「まったく、絵の具も渇いてないのに、そんなフラフラでどこいくつもり?」


 そう言いながら、副部長はそのままパックをぎゅっと握る。押し出されたゼリーは私の口の中にじゅるじゅる入ってきて、私は仕方なしにそれを飲み込み続ける。


 大変、不本意な図だけれど、血糖値と水分が足りなくなった身体には栄養ゼリーがよく染みる。とても、凄まじく。


 しばらくそうやって、給餌を受けた後、パックを副部長から手渡されて。私はようやく口を開いた。


 「…………ぷは。えと、つき先輩に、絵を見せに行かなくちゃいけなくて……」


 そう言ってはみるのだけれど、副部長をため息をついて、そのまま私を椅子の上に座らせ直した。


 「まだ絵の具も渇いてないのに、そんなことしたら折角描いた絵が滲むでしょうが。それとも、ぐちゃぐちゃになった絵を見せに行きたいわけ?」


 あまりに的確な正論に、私は思わずうっと唸った。いかに判断力がないおバカなことをしようとしていたのか、嫌でも思い知らせる。


 「それにあんた今、過集中でふらふらだから、ちょっと休んでから行きなさい。梱包はこっちでやっとくから、栄養補給して、眼を閉じて、じっとしてること、いい?」


 そうやって詰めてくる様はなんだかお母さんみたいで、私は何も言えずにただ頷くことしか出来なかった。


 優しいのはわかるけど、正論過ぎて耳が痛い。ていうか、わざわざ梱包までしてもらうのは、さすがに申し訳がないというか……。


 と、想って口にしようとしたら。騒ぎを聞きつけたのか、気付けば周りに他の美術部員まで集まってきていた。


 「これ譎さんの絵? 初めて見た」「一学期何も出してなかったもんね」「おー、見たことない色使い、誰から影響受けたのこれ」


 う、まずい。ただでさえ、人の声とか、人に何か言われるの苦手なのに、こんなヘロヘロの時に聞きたくない。ましてつき先輩との想い出の絵なのだ。誰にも伝わらないだろうし、もうバカにされても言い返す元気なんて残ってない。


 それに今、批評を聞いてしまったら、折角嘘を吐いて誤魔化していた私の臆病さがまた顔を出してしまう。


 なので、咄嗟に耳を塞ごうしたのだけれど。



 「()()()()()()()」「あ、わかる。言葉にし辛いけど、胸に訴えてくるものがあるよね」「副部長が言ってたこと、ちょっとわかったかも」



 え?


 思わず塞ぎかけた手が止まった。


 …………すごい? 私の絵が?


 でも、私の絵なんて、小学生以来誰にも評価されなくて、あの頃から何も進歩していないのに。


 「おつかれー、りこちゃん。頑張ったね」


 そんな部長の言葉と同時に、背後から視界をそっと塞がれた。


 柔らかく暖かい手が、ずっと見開き続けた目を閉ざして、ゆっくりと休めていく。


 「………………」


 「まだ、りこちゃん的には、終わってないだろうけど。お疲れ様、みんなでずっと君の頑張りを見てたんだ。……どんな結果になったとしても、きっとそこに込めた想いは無駄じゃないんだって、ここにいるみんなは知ってるからね」


 「………………」


 「だから、絵の具が渇くまで、ゆっくり休んで。そうしたら、いってらっしゃい。大丈夫、この絵なら、こんな素敵な想いなら、りこちゃんの大切な人の心にもきっと届くから」


 「………………」


 「大丈夫、大丈夫だから」


 そうやって部長が紡いでくれた言葉は、いつかの私が言っていた言葉と、つき先輩の言葉と重なった。


 込められた意味も、込められた願いも違う。そもそも、私が口にしたその言葉は、ただの嘘でしかなかったはずだ。


 でも、今は。


 「大丈夫」


 その言葉が、どうしてか、私の背中を押してくれているような、そんな気がした。


 周りの美術部員のみんなは、しきりに私の絵を褒めてくれてる。


 不思議な感じだ、まるで初めて描いた絵が、特別審査賞に受かった、あの時のような。


 まるで、まだ何の憂いもなく絵を描いていた、あの頃のような。


 そんな、不思議な感覚。


 しばらく、そうやって眼を閉じて、じっと休んで。


 数十分して絵の具が渇いた頃に、他の部員がキャンバスを丁寧に梱包してくれた。大きなキャンバスだから、正直、私独りの手には余っていたのだけれど、みんなが協力してくれたから、あっという間に終わってしまった。


 途中、例の私に突っかかってきた女子も、梱包に参加していたけれど、目が合うとふんと顔を逸らされてしまった。気を悪くしたのかな。申し訳ない気もしたけれど、彼女が梱包してくれた部分は、他の所に増して丁寧だった。


 わからない、どうしてみんなここまでしてくれるんだろう。


 ずっと独りぼっちだった私にはわからない。


 「じゃあ、いってらっしゃい」


 そう言ってキャンバスを背負う私に、部長は優しく手を振って。


 「途中でこけるんじゃないわよ」


 副部長は仕方ないという風に、笑いながら私の額を軽く小突いて。


 「がんばれー」「その絵なら大丈夫」「譎さん、ファイト!」


 名前すら覚えてない部員たちと、無言で仏頂面の例の女子に見送られながら。


 私はそっと美術室を後にした。


 背中には括りつけてもらった、大きなキャンバスを背負いながら。



 とんとんと、歩き出す。




 ぴょんぴょんと、小走りになる。





 どんどんと、走り出す。







 もっともっとと、あなたの元へ。







 風を切る、キャンバスが傷つかないように気を付けながら、それでも出来る限り早く、早く、あなたの元へ。



 校舎を出て、ばっと見上げた先は、紅から紺へと塗り替わっていく狭間の空で。



 そしてその奥から昇ってくる月は、綺麗な、言葉すら失ってしまいそうなほどに、綺麗な満月だった。



 風が吹いている、涼しくなった秋の夜風が、私の背を押していく。



 あの人の所まで、止まることなどのないようにと。



 その風に、背を押されるまま、走り出す。



 行け、行け。



 あの人の所まで。



 止まるな、止まるな。



 あの人に、この絵を見せるまで。



 結末は解らない。何を伝えればいいのかも思いついてすらいない。



 それでも、まだ、この想い出を終わらせないためだけに。



 行こう、きっと、どこまでも。



 この願いは、この想いは。



 きっとあの人に届くのだと、嘯きながら。



 夕焼けを越えて、夜の境へ。



 あなたの隣へ、走り出す。



 私の居場所へ、走ってく。

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