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狼少女と嘘吐き少女  作者: キノハタ
第5章 二人

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第24夜 狼少女と君の想い出

 眼を開けてまず感じるのは、一つ一つ数えるのも馬鹿らしいほどの不快感。


 空腹でお腹は苛むように痛い。喉が渇いて焼けるように疼いてる。


 眼元は昨日、泣き尽くした腫れがまだ残っていて、そして何より割れるように頭が痛む。


 でも、そんな感覚も今だけは、少しありがたい。脳がそっちの処理に手一杯で喰人衝動を忘れさせてくれるから。


 もし、このノイズのような感覚達がなければ、きっと私は今頃、人を襲いに街に飛び出している気さえする。


 そんなながら思考のまま、部屋の隅で、電気もつけず、着替えもせずに、ただぼんやりと膝を抱える。


 一日中寝尽くしたのか、窓の外は暗くて、月明かりの中、カーテンを夜風が揺らしてる。


 最近は、夜は少し涼しくなってきた。クーラーもつけてないけど、少し前よりは大分マシに思える。


 少し前―――りこと一緒にいるときは、クーラーをつけてないと、暑くて引っ付いてもいられなかった。それでも部屋に入ってきてすぐは、君は汗を気にして抱き着くと不機嫌そうにしてたっけ。


 そんな想い出を、鈍る頭が壊れたテレビのように再生し続ける。


 あの時、何を感じたっけ。りこはなんて言ってたっけ。


 上手く想いだせない、疲れてるからかな、それか衝動が酷いからなのか。


 忘れてはいけないはずなのに、記憶は穴だらけで、想い出す映像はノイズが走り続けてる。


 君はどんな表情をしてたっけ。どんな言葉を言っていたっけ。


 想い出したいのに、想い出せない。


 もう私には過去(想い出)しかないのに。


 眼を閉じる。そのまま、また眠ってしまおうと想った。


 夢の中なら、ちゃんと君のことを想い出せるような、そんな気がした。








 ※








 眼を開けた、まだ相変わらず頭は痛い。


 時間も日付もわからないけど、どうやらまた夜みたいだ。ぼやけ続ける意識のまま、どうにか視界を上にあげる。


 現実は、何も変わらない。想い出は相変わらず、上手く頭の中で再生されてくれない。


 でも、今回は少しだけ違いがあった。


 「おはよ。まあ、もうおやすみの時間だけどね」


 視界を上げる。夜風に吹かれるカーテンの隣で、すらっとしたシルエットが、うずくまる私のことを見降ろしていた。


 「ちゆ……さん?」


 私の声に、紅い瞳の吸血鬼はそっと微笑んだ。


 「そーだよ、みんなアイドルちゆさんだぜ? どう、元気してた?」


 彼女はそう言いながら、私の隣までゆっくり歩いてくると、持っていたビニール袋と一緒にすとんと腰を下ろした。


 「………………なんで」


 そう問いかける私の声はがらがらで、まるで人間じゃないみたいだ。


 「なんでって、そりゃあ様子見に来たの。ましろさんも心配してたよ。ご飯食べてないでしょ? 一緒に食べよ、水も飲んどきなよ。ちょっと涼しくなってきても、脱水症状はこわいぜ?」


 ちゆさんはそう言って、笑いながらビニール袋から、コンビニのお弁当や飲み物をたくさんの私の前に置いていく。私はそれをぼーっと聞きながら、何気ない様子の彼女をただ眺めていた。


 「………………」


 「何がいい? ていうか、しばらく食べてない? ゼリー系の方がいっか。あー、それよか先になんか飲む?」


 そういう彼女の様子は、まるで何事もなかったかのよう。


 「………………聞かないんですか?」


 何が―――という言葉が抜け落ちたそんな問いに、ちゆさんはしばらく視線を逸らしてゆっくりと首を横に振った。


 「…………聞かなくてもわかるよ」


 そう言った声は、とても静かで悲しそうで、だから私も納得する。そりゃそうか、こんな惨状でどういう結末だったかなんて見たらわかるか。


 「…………………………」


 何も言えないまま、手渡されたスポーツドリンクをぼーっと眺める。


 「…………ていうか、さ、腹立つよねー」


 そうしていたら、ちゆさんはまたいつもの調子に戻って、ぼやくように頭を掻いた。


 「………………え?」


 そんな声を漏らしながら、どこか遠くを見るような目の彼女に顔を向ける。


 「こっちが人生最大の選択ー! ……みたいなものをした後でも、地球は回るし、明日は来るし、人生は当たり前に続くんだよね」


 そう言って彼女は、どこか力ない笑みで、困ったように笑ってた。


 「………………」


 「ふざけんなよ、こっちはそんな気分じゃないんだよって想ってもさ。そこで終ってはくれないんだよね。会社は行かなきゃいけないし、ご飯も買いに出なきゃいけないし、夏場は日差しが鬱陶しいし」


 そう言いながら、彼女は手近にあった弁当の封を開けると、意気揚々と割り箸を取り出して、見事なまでに左右非対称に割って見せた。多分比率にしたら6:4くらいになっている。


 「………………」


 「たまんないよね、しばらく人生休憩させてほしいよ。時間止めてさ、ハワイにでも行って、気持ちが戻るまでバカンスしてたい。もちろん、時間も止めてるからお金もタダにして欲しい、なんなら有休にして欲しい」


 そう言いながら、彼女はばくばくと吸血鬼らしからぬ様子で、コンビニ弁当をかきこんでいく。


 「…………吸血鬼がハワイで、バカンスなんてできるんですか」


 よくわからないけど、その真っ白な肌は南国の日差しで、あっというまに真っ赤になりそうだ。


 そんな私の軽い突っ込みに、ちゆさんはにやっと笑みを浮かべた。


 「そだね、行くならやっぱ北海道とかかな。ドイツとかも行ってみたいなー。ビールが美味しいらしいよ」


 「…………私飲めません、未成年だし」


 「ふふふ、そーだね、じゃあソーセージかな。向こうは豚肉生で食べていいらしくてさ、ちょっと興味あるよねー」


 そうやって彼女は笑い続ける、きっとそうやって励ましてくれているのだろうというのは、よくわかる。


 「………………」


 「…………なんて、本当に出来たらいいんだけどね」


 でも、現実は、何も変わってない。


 「…………りことは」


 口から漏れる言葉は、相変わらずがらがらで濁って、まるで別人みたいだ。丸一日以上、飲まず食わずなんだからそりゃそうか。


 「……うん」


 「……りことは、さよならしました。もう一緒にはいられないから」


 そんな台詞を自分で喋っているはずなのに、まるでどこか他人事みたいで。遠くて、ぼやけてて。今この時さえ、淡い夢なんじゃないかと錯覚しそうになる。


 「…………そっか」


 「……それで最後に海に行ってきたんです。それから、上手くは言えなかったけど、少しだけ喋って、手紙も書いて―――」


 口を動かすたび、まるで違う誰かが喋っているような声が聞こえる。眼から雫が落ちるけど、それすら私じゃない誰かの涙に思えた。


 「…………」


 「…………上手く、上手く言えたか、わかんない。ちゃんと伝わったかな。りこ、ちゃんと私のこと忘れて、前に進めるかな。重荷になっちゃいけないから、だから―――」


 ぼたぼたと雫が落ちる音がする。遠く向こうで響くみたいに。身体にもう水なんて一滴だって残ってないように思えるのに、雫は絶え間なく落ちていく。


 「…………つきちゃん」


 「だから―――もう一緒にいれなくて」



 言葉を零すたび、雫が落ちる。



 「………………」



 「もう―――二度と会えなくて、会っちゃいけなくて」



 声にするたび、現実を思い知る。



 そう私たちは、もう。



 「………………」



 「もう、終わっちゃったんです」



 きっと、もう、何もかも。



 器から水は、零れてしまった。



 瓶は落ちて、割れてしまった。



 戻らない、もう、何一つ。



 私が、こんな形で産まれてしまったから。



 「ねえ、つきちゃん」



 ちゆさんの声が、やっぱり遠い。



 「………………なんですか」



 私の声はもっと、遠くて小さい。



 「ちゆさんの、なさけなーい話、聞いてくれない?」



 「………………」



 頭が痛い。喉も、お腹も。



 きっと、この話を聞いても、私の心は救われない。いや、誰に何の話をされても、もう救われることなんてないと思う。



 だから、聞かなくてもいい。



 「仕方ない大人の愚痴に、ちょっとだけ付き合うと思ってさ」



 聞かなくてもいいはずだけれど、わからない。断る気力がないだけなのかもしれない。



 「………………はい」



 そう言った私の声にちゆさんは「ありがと」って呟きながら、スポーツドリンクを喉に流し込む。そうして、少し目を細めて、窓の外のもうすぐ満月になる月を見ていた。



 まるで、いつかの頃を懐かしむかのように。





 ※





 前も話したと思うけど、ちょうど、つきちゃんと同じくらいの年の人狼の子と、一緒に暮らしてたことがあったんだ。


 その頃の私はねー、荒れてた。というか情けなかった。吸血鬼って、結構、発覚遅いらしくてさ、私もそろそろ社会人かーって頃に、ようやく自分の身体の特性に気付いたの。


 あの頃はねー、そりゃあもう、大変でしたとも。急に日傘刺さないと外歩けなくなって、人の血が欲しくなって、力も段々と人間離れし始めて。


 どうにかこっそり、血を口にできる手段を探してて、結局、女子トイレの使用済みナプキン漁って過ごしてた。これまじで内緒ね? ましろさんに一回喋ったら、凄い生暖かい眼で見られたから。


 情けないし、わけわかんないし、バレたらどうしようとか、虐められたらどうしようとか。悪い奴らに捕まって研究所に送り込まれたら、なんて妄想に冗談抜きで怯えてたよ。


 自分だけしか知らない秘密を抱えてると、まるで世界に味方の独りもいないような気になるの。もういっそ、通り魔みたいに人を襲ってやろうかとか、今日傘を閉じたら死ねるかなとか、そんなぎりぎりの精神状態で生活してた。


 そんな頃にね、夜中にばったり出会っちゃったの。ビルの上で、私と同じようにぴょんぴょん跳ねてる狼少年に。


 最初はお互い目が合ったけど、あいつ、私見るなり一目散に逃げだしやがって。もう必死に追いかけたよね。ようやく見つけた同族だと思ってさ。冷静に考えると、小学生くらいの子どもを、いい年の大人が捕まえようとしてる、やばい絵面だったわけだけど。


 で、まあ、なんとか捕まえて、話聞いてみたらどうにも同族じゃないみたい。


 似てはいるけどさ、やっぱ違うの。嬉しいやら悲しいやら、当時は何とも言えない顔してたろうな。


 それから、なんやかんやあって、あいつは私の家に居候することになって、しばらく一緒に生活してたかな。多分、一か月くらい。


 人狼のことは、その時聞いたの。あいつがどんな風にこれまで生きてきたかとか、3回のルールとか、嘘が解るとかまあ、色々ね。


 はた迷惑な話だろうけどさ、正直、シンパシーみたいなのは感じてた。


 誰にも言えない秘密を持ってることも、人と違う生き方しなきゃいけないことも、どうしようもない寂しさを抱えていることも。


 だから、まあ、こいつと一緒なら悪くないかなって思ってた。あの頃は、私、そんなこと口にもしなかったけど。


 憎まれ口叩いてね、鬱陶しいことしてた。居候なんだから、あれしろこれしろってね。わざわざ自分で捕まえといて、何言ってんのって感じだけれど。


 勝手に仲間みたいなものだと思ってた。きっと色々厳しいことはあるけれど、こいつと一緒なら悪くないかなって想ってた。


 私がどうしようもない寂しさを語るとね、あいつはなんてことはない感じで笑い飛ばすの。月に向かって吠えたら気分がスッキリするとか言ってさ。まあ、実際、ちょっとスッとしたかな。


 あいつがちょっとへこんでたら、私は適当にステーキ屋とかに連れてってさ。とりあえずご飯喰わせとけばなんとかなると想ってた。あいつも単純だったから、それで割と機嫌直ってたしね。


 たった1か月だったけど、そんな日がずっと続くと想ってた。


 でも、リミットは結局やってくる。


 あいつの衝動が極端に強くなった日、あれも満月の日だったな。


 あいつは本当に苦しそうで、自分の中の化け物を必死に抑えて、身体が壊れるんじゃないかってくらいに悶えてさ。


 だから、言ったの。「私を噛みなさい」って。 


 結構、決死の決断だったのよ? これで人生もしかしたら終わるかも、噛まれて最悪死んじゃうかもとか、色々悩んでそれでも決意したんだ。


 ……でも、あいつは結局、私のことを噛まなかった。


 「お姉ちゃんの人生を、僕はまだ背負えないよ」って、そう言って。


 あの夜、どこか遠くに飛び出して。今度は本当に逃げられちゃった。


 でも、今にして思うとね、そりゃそうかって感じでさ。


 だって私、本当のこと全然言えなかった。あんたと人生、共にしてもいいと思ってるとか、どれだけ寂しさが癒されたとか、どれだけその言葉に励まされとかさ。


 大人と子どもだからとか、勝手に自分で線引きして。また今度言えばいいやって、素直にならないで、想いの一つも伝えなかった。


 もっとちゃんと言ってれば、あの時、何か変わってたのかな………。


 だから、結構、つきちゃんのことは凄いなって思ってるの。


 だって、言えたんでしょ。ちょっとでも、手紙でも、どうにかして形に出来た。それをりこちゃんに伝えられた。


 それだけで私からしたら、もうとんでもないの。


 素直に何か伝えるって難しいよね、ずっと言えなかったことは余計にさ。怖いし、不安だし、言うことで関係が壊れてしまったらって思うと、どうしても踏み出せない。


 それなのに、つきちゃんはきっと、勇気を出して形に出来たんでしょ。伝えられたんでしょ。じゃあ、それで充分だよ。ましろさんも言ってたじゃん、君なりの最善を尽くしたんだって。だから、さ、あんまり自分を責めないであげてね?


 きっと、りこちゃんも、大丈夫。大丈夫だよ。


 あいつもきっと、どこかで今頃、月に向かって吠えてるよ。しぶとい奴だからね、元気にしてるさ。


 だから、ね。つきちゃんもさ、大丈夫。大丈夫だよ。


 大丈夫、まだ生きていけるよ。








 ※


 優しい。


 それは、とても優しい言葉だった。


 傷ついて迷って悩んで、そうやって歩いてきたから口にできる、そんな優しい言葉。


 「そうだ、今度一緒に病院行こ? 私とましろさんの主治医が、結構いい人だからさ、力になってくれると思う」


 救われていたと思う。報われていたと思う。


 少しは自分を許せて、自分の選んだ選択を認められていたような気がする。

 

 それくらい優しくて、穏やかで、寄り添ってくれるような、暖かい言葉だった。


 「まあ、ちょっと実験癖がある、変な人だけど。まあ、腕は確かで偏見もないから、大丈夫、なんだかんだ生きていく方法はあるって―――」




 

 ――――私がこんな人狼(化け物)なんかじゃなければ。





 「―――ちゆさん」


 口を開く。


 「ん、どうしたのつきちゃ―――」


 ちゆさんの表情が、止まる。


 「()()()()()()()。それから、もうあまりここに近寄らないで、少なくとも満月が終わるまでは―――」


 声が震える。


 「…………つきちゃん?」


 かたかたと何かが揺れる、割れて壊れたはずの瓶が、胸の中でかたかたと。


 恐ろしさを煽るような音を立て続けて、鳴りやまない。


 全身の毛が逆立つような、どうしようもない寂しさが体を満たして、脳を侵していく。



 「――――行って!!」



 そう発した声は、まるで狼が吠えたような音がして。


 咄嗟に立てた爪が、床のフローリングを砂みたいに抉りとる。


 ちゆさんは、呆気に取られて、一瞬迷ったような表情を浮かべたけれど。


 結局、どこか泣きそうな顔をして、その場所を離れてくれた。


 後に残されたのは、夜闇の中、ひとりぼっちの私だけ。


 息が震える。


 熱が胸の奥から絶え間なく湧いてくる。


 意識が壊れそうになる。


 頭の中にはりこの白い首元の光景が、何度何度も鮮明に蘇る。


 でも浮かび上がるのはそればかり、他の情景は段々と霞んでく。


 君との想い出がぐちゃぐちゃに歪んでく。


 それが何より苦しくて。


 こうやって優しい人をただ遠ざけるだけしか出来ない、そんな自分がなによりも悍ましかった。


 きっと、私は生まれてくるべきじゃなかったんだ。


 そんなお父さんの声がする。お母さんの声がする。


 自分の身体を抱きながら、爪がその身体に食い込んでいく。血と涙が混じって、ぼたぼたと身体を濡らしていく。


 ああ。



 ああ…………。


 

 ああ―――――――――。



 りこ。



 うわごとの様に君の名前を呼ぶ。



 りこ―――。



 首元のリボンがゆっくり揺れていく。



 りこ―――――――。



 視界の真ん中、揺れるカーテンの向こうに覗く、月の光から眼が離せない。



 しずかな、しずかな、風の音だけが響く、そんな夜の光景が。



 どろどろと、私の理性を溶かしてく。



 ぐちゃぐちゃと、私の想い出を壊してく。



 君と交わした言葉が、止め処ない衝動に塗りつぶされて、滲んでぼやけていってしまう。



 そんな感覚が嫌で、慌ててカーテンを閉めて、窓に鍵をかけた。だけど、記憶がどろどろと溶けいくのは止まらない。



 それがただ辛くて、眼を閉じた。



 ああ、もし叶うなら、もういっそ、このまま。



 このまま、また眠りに落ちて。



 明日、目なんて覚めなければいい。



 そうすれば、きっと、りことの想い出を忘れずにいられるのに。



 遠く向こうで、また狼の声がする。



 私の中の獣を呼ぶような、そんな声がする。



 「りこ―――」



 落ちる意識の狭間で、また君の名前を呼んだ。



 縋るように、願うように。



 もう手放してしまった、君の名前を。



 ただあてもなく呼んでいた。


















 ※



 その夜、君の夢を見た。

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