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狼少女と嘘吐き少女  作者: キノハタ
第5章 二人

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第23夜 噓吐き少女とあなたの想い出—②

 「りこちゃーん、顔色悪いぞー? ちゃんと食べないと、いい絵は描けないよー?」


 あの後、私は部長と副部長の二人に、購買横のベンチへ無理矢理連れ出されていた。


 部長は私が昨日夜から何も口にしていないことを聞くと、真っ先に購買でパンと飲み物を買ってきて、問答無用で私の口に突っ込んできた。物理的に。


 アンパンが私の意思とは関係なく口にねじ込まれ、その隙間からカフェオレのストローが刺さってくる。私は何も言えず、口をむぐむぐと動かすことしかできない。


 「はあ、それにしても、あの子は……」


 副部長はそんな私の隣で、まだどこか怒りを宿した顔で、虚空に向かってぼやいてた。そんな副部長に部長は、軽く微笑んで首を横に振る。


 「まあ、仕方ないよ。きょうこちゃんは、とうこちゃんのこと大好きだから、りこちゃんに嫉妬しちゃったんだね。『どうして私じゃなくて、あの子ばっかり目に掛けてるの!』って」


 そんな部長の言葉に、副部長は尚のことため息を深くする。


 「言うほど目に掛けてないし、あの子も別に特別じゃないっての。それで? だから、許していいって話?」


 そう副部長が言った、その直後。


 ふっと一瞬だけ、空気が凍った。



 「ううん―――絵を足蹴にしたことは、私も許してない」



 そう応える部長の声は優しい声色のはずなのに、とても静かで、どこか恐ろしささえ漂っていた。


 「…………まあ、さやかは、そうでしょうね」


 「うん、理由があっても、ダメなことはダメだから。それとこれとは、話が別。理解はできても許しちゃダメなこともある。だから、この後もう一度、お話しするよ。改めて―――徹底的に」


 そう言った部長の声にはいつもの抑揚がさっぱり無くて、私は思わず副部長と軽く視線を見合わせる。どうしてこのほんわかした人が部長をやっているのか、本当の理由を少しだけ理解した気がする。


 「…………ところで、あんた大丈夫なの?」


 そんな状況に少し呆けていると、副部長は少しだけ目線を私に向けた。


 「大丈夫……とは? ……いつも通りですけど」


 アンパンを飲み込んで、どうにか口にした私の答えに、副部長は呆れの表情を向けてきて、部長は少しおかしそうに笑ってた。


 「りこちゃんがあそこまで怒るの初めて見たもんね。そんなにボロボロになって、無茶してるのもさ。何か大事な理由があるの?」


 問われた言葉に、少しだけ押し黙る。誤魔化してもいいけれど、あんな醜態をさらして、今更、意固地になる意味なんてない気もした。


 「…………絵を描き上げなきゃいけないんです、次の満月……三日後までに」


 そう、だから本当は今すぐにでも、美術室に戻って、絵を描き始めなきゃいけない。


 そんな私の言葉に、副部長はなるほどねと軽く頷く。


 「ああ…………あれか、藍上さんとの約束だっけ?」


 ……どうして、副部長が知っているんだろう? 分からないけど、とりあえず、私はゆっくり首を縦に振る。


 「はい…………つき先輩に、あの絵を見せなくちゃいけないから―――」


 そう約束したんだ。だけど―――。


 『どうせ嘘なのに』


 そんな淀んだ思考が、気を抜いたら、私の脆弱な意思を揺らしてくる。


 五月蠅い、今は、黙れ。


 「…………描けそう?」


 「…………微妙、かもです。そもそも、……見せられるかもわかんなくて、あんまり意味ないかもしれません」


 率直な問いに、思わず取り繕えてない言葉が、漏れてしまう。


 実際、あと三日で描き上げられるんだろうか。


 塗りをゼロから全て終わらせないといけない。色だって全部決まってるわけじゃない、手探りで進めるしかない部分も多い。それに何より。


 『どうせ』


 この迷いが、邪魔をする。


 頭も痛い、お腹も痛い、気を抜けば泣きそうだ。


 こんなんで本当に描き上げられるのかな。


 一度、疑ってしまえば、歩みは簡単に止まってしまいそうになる。


 「………………」


 副部長は事情をある程度わかっているのか、どこか辛そうな面持ちで私を見ていた。


 そんな表情が覆せない現実を、私の前に見せつけているみたいで、尚のこと嫌になる。


 描けるのだろうか、描けたとして何になるんだろうか。


 そう思って、私達が押し黙ってしまった、瞬間だった。




 「それでも―――描くしかないんだよ」




 どこか優し気で、なのに静かで、厳かな声がふっと響いた。



 はっとなって振り向いたら、隣にいた部長は穏やかな笑みを浮かべて私を見ていた。



 「事情は何も知らないのに、口挟んでごめんね。でもね―――」



 優し気な表情で、でも揺るぎなく真っすぐと、その視線は私を射貫いてくる。



 「この絵に何の意味があるんだろうとか、完成させられるかどうかとか、そんなことはね―――描き上げてから考えなさい」



 声は普段聞いたこともないくらい、厳しく低く。



 「泥のような挫折を」



 まるで。



 「砂のような悲しみを」



 まるで。



 「灰のような後悔を」



 まるで、残酷で、冷酷で、どうしようもない真実を告げているかのようだった。



 「そんなどうしようもない想いを形にするために、人は何かを創り上げるの」



 きっと、これは正しい言葉だ。



 「意味なんて何一つもないものに、それでも意味を与えるために人は描くの」



 きっと、私なんかのちっぽけな心では、とても受け止められないような。



 「積み上げなければただの泥だよ、形にならなきゃただの砂だよ」



 なあなあにして、誤魔化すだけの、嘘吐きの私なんかじゃ。



 「辛いよね、苦しいよね。でも、そうまでして、形にしたい何かがあるんでしょう?」



 受け止められない、そんなことわかってる。



 「そうまでして―――伝えたい想いがあるんでしょう?」



 でも。



 「だからね、描きなさい」



 それでも。今は。



 「あなたの想いを、なかったことにしないために」


 

 嘘でもいいから前を向くんだ。



 「その想いを、その大切な人に伝えるために」



 私はゆっくり、顔を上げた。虚勢と想い出だけを頼りにして。



 「あなたの絵を描きなさい」



 部長はそんな私を、慈しむような微笑みで、じっと見つめていた。


















 ※







 「毎回思うけどさ」


 「なに? とうこちゃん」


 「私より絶対さやかの方が厳しいよね」


 「ふふ、だって、とうこちゃん本当は優しいもんね」


 「優しくないし。そういう話してんじゃないの…………」







 ※




 息を整える。髪をたくし上げてヘアゴムで巻きつける。



 ふぅーっと長く息を吐いて、指先を軽く動かす。



 ゆっくりとした血の巡りの中で、さっき摂った糖分が身体をじんわり巡るのを感じてく。



 結局、この絵に何の意味があるんだろう。



 わからない。



 つき先輩との約束も、この絵を描き上げた後どうなるのかも。



 今の私には何もわからない。



 でも、それでもいいかと、開き直る。



 だって、全ては描き終わった後の話だ。



 とはいっても、部長の言葉に、ちゃんと納得できたわけじゃない。



 あんな強い信念、きっと私は一生かかっても、持てっこない。



 でも、今は、今だけは。



 それでもいいと、嘘を吐く。



 だって、私、自分を騙すのはお手の物だから。



 これまで10数年、寂しくないと嘘を吐き続けてきたんだから。



 たった三日、意味ならあると、嘘を吐くくらいわけないよ。



 たとえ私に、どれほど価値がなかったとして。



 たとえこの絵に、何の意味すらなかったとしても。



 つき先輩が見てくれるかどうかさえ、分からなくても。



 それでも、今は、今だけは、この想いは無駄じゃないんだと嘘を吐け。



 絵筆を水に浸す。



 ゆっくりとキャンバスに色を付けていく。



 透き通るような蒼を描く。どこまでも広がるような、なにもかもを吹き飛ばすような、そんな蒼空を。



 沈むような黒を彩る。懊悩も、切なさも、寂しさも、全て溶かして飲み込むような、そんな夜空を。



 この、たった一枚のキャンバスに。



 つき先輩との想い出を描いてく。



 嘘を吐け。



 この絵は、無価値じゃないんだと。



 嘘を吐け。



 この願いに、意味はあるんだと。



 嘘を吐け。



 この想いが、あなたに届くまで。



 何度も、何度も、何度だって。



 絵を描け。



 疑念も、痛みも、悲しみも抱えたまま。



 それでもと、描き続けろ。



 つき先輩と、小さくあなたの名前を呼んだ。



 そんな呟きにすら、意味があるのだと、嘯きながら。



 想いを描いた。



 視界の先、窓の向こうでは青い空が、遠く遠く、どこまでも広がっていた。

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