第22夜 狼少女と君への手紙
親愛なる嘘吐きの君へ
一緒に買った猫の貯金箱、りーこに貯めていたバイト代を同封しておきます。
私が稼いだお金じゃないから、偉そうなことは言えないけど、ついでに私が自由にできるお金も全て入れておきます。学費の足しに少しでもなったらいいのだけれど。
そういえば、どうして私がこんなにお金を持っているのか、話をしてなかったっけ。口で伝えられるのが一番なのだけど、上手く言えない気もするので、一応手紙に書いておきます。
なんとなく察していたかもしれなけれど、私は両親とはあまりいい関係とは言えません。
あのマンションも本当は家族で暮らしていたのだけれど、私を置いて二人とも出て行ってしまいました。今では連絡もほとんどありません、月に一回使い切れないような生活費が振り込まれるだけ。
りこに渡していたお金はここから出ていたのですね、衝撃の真実というやつです。いや……さすがに察していたかな、りこは勘がいいもんね。
昔、喧嘩してお父さんを突き飛ばして大怪我させてから、二人は私に近寄ろうともしなくなりました。自分の子どもかどうか、疑われたことも何度もありました。
「どうしてお前のような奴が、うちの子どもに生まれてきたのか」っていうのがお父さんの口癖で。
「せめて『普通』のふりをしなさい。あなたのありのままを受け容れてくれる人なんて、どこにもいないんだから」っていうのお母さんの口癖でした。
酷い話だよね、本当に。
でも、二人とも私が普通の子どもだったころは、優しいお父さんとお母さんだったから、きっと私がこんな風に産まれたのが間違いだったんだと思う。
私がこんな風に産まれなければ、二人にここまで嫌われることもなくて。
私がこんな形をしていなければ、きっとりことも別れずに済んだのかな。
…………でも、人狼じゃない私はりこと、そもそも出会えてないような気もするんだよね。夜の繁華街なんて人狼の力がないと、怖くて独りで出歩けないだろうし。なんていうか、ままならないね、人生って。
私は人狼だから、りこと出会えて。
私が人狼だから、りことはさよならしなくちゃいけないんだ。
ごめんね、最後の手紙なのに暗くなっちゃって。
お詫びにここからは、明るい話にしよう。うーん、何がいいかな。
そうだね、やっぱりお礼をしないと。
本当は口で言えてるのが一番だけど、私、正直自信がないから。
ここに、精一杯の感謝を、君へ。
初めて君が私の手を取ってくれた、あの時ね。
すごく、すごく驚いて、すごく、すごく嬉しかったの。
君にとっては、きっとたまたま通りすがりに、学校の先輩を助けただけの出来事かもしれないけれど。
私は、あの時、人狼になってから、初めて誰かに優しさで手を取ってもらえたんだ。
君はいつも、私を助ける時、必死に震えて、怖がりながら、それでも嘘を吐いてくれてたね。
君の嘘はいつも甘い匂いがして、そこに君の優しさがたっぷり詰まっているみたいで、そんな匂いを嗅ぐのが私は好きだった。
誰かの嘘はねいつもいつも、苦くて、酸っぱくて苦しいんだけれど、りこの嘘はねそうじゃないの。優しくて、胸が暖かくなって、どうしてかそんな君を見ていると、笑顔になっちゃう。
君はそんな優しい嘘を、たくさん、たくさん私にくれたね。
私が喰人衝動に飲まれかけても、大丈夫大丈夫って、怖がってるのに嘘吐いて。
私がわがままばかり言う時も、仕方ないなあって嘘吐いて。
私が自分のことを化け物だって言った時も、君は必死になって嘘を吐いてかばってくれたね。
本当は怖いのに、本当は辛いのに、それでも、君は誰かのために嘘を吐く優しい人だった。
ねえ、りこ。
君は時々、自分なんかがって言っていたけれど、そんなことはね、ないんだよ。
君は凄い人なの、君は優しい人なの。私は、君以上に優しい人なんて出会ったことがないくらい。
きっと君の絵だってね、この世界のどこかに待ってくれてる人が、絶対いるの。
副部長さんは君の絵を「誰かの人生を変える絵だ」って言ってたんだ。
私もね、そう信じてる。きっとりこが描いた絵はね、この世界のどこかの誰かの心を救うの。誰より優しい君が描いた絵なんだから、きっと誰よりも、誰かの心を動かすはずなの。
きっとその人は、君が生きててよかったって想ってくれる。
いつか、きっとね、そんな誰かに出会えるから。
あなたのことを待っている人が、この世界のどこかに、必ずいるから。
だから、どうか諦めないで。
あなたは、あなたのことを諦めないで。
私はもう、あなたに会いに行くことはできないけれど。
ずっと遠くからね、りこが幸せになれるよう祈っているから。
だから、元気でね。
泣いちゃダメだよ。
ありがとう、りこ。
あなたのお陰で、私はもう充分、救われたから。
だから、どうか、私のことは忘れてください。
私はもうあなたから、沢山、沢山貰いすぎるほどに貰ってしまったから。
その優しさをどこかの誰かに……ううん、誰よりきっとあなた自身に、分けてあげて欲しいんだ。
私は、それだけで充分だから。
私は、それだけで幸せだから。
さようなら、私のりこ。
ありがとう。
どうか、あなたの人生が幸せなものでありますように。
ずっと、ずっと祈っています。
つき
※
あの手紙を、りこはちゃんと読んでくれてるだろうか。
フラフラとぼろぼろになった足を引きずって、自室の床にべたっと倒れる。窓は開けっぱなしで、夜風にばたばたとカーテンがはためく中で、私はぼんやりとそんなことを考える。
あれから夜通し走り続けて、私の部屋まで戻ってきた。湧き上がる喰人衝動は今は少し枯れたように感じるけれど、きっと身体が落ち着いたら、また湧いてくる。
喉が渇いた。お腹も減った。そしてそんな感覚のどれより、寂しさで私の身体は飢え渇いていた。
ああ、ああ―――。
瞼が落ちる。朦朧とした意識の中で、思考がぐるぐると渦巻いている。
気を抜いたら、すぐに君の後姿が、瞼の裏に映ってしまう。
「りこ―――りこ―――」
うわごとの様に口が勝手に、君の名前を呼び続ける。
でも、もう全ては終わってしまった。
私の意思で終らせた。
取り返しは、二度とつかない。
なのに。
「りこ―――」
声はずっと、君の名前を呼び続ける。
もう、どこにだって届きはしないのに。
もう、君の少し拗ねたような顔を見ることは二度とないのに。
声が枯れる。
意識が潰える。
身体はただ渇いていく。
背後から吹く、生ぬるい夜風が、私の身体を揺らしていった。
これでよかったの?
これでよかったんだよ。
このまま君を犠牲にするくらいなら、これでよかったはずなんだ。
だから、あとは君が幸せなら、それでいい。
それでいいから。
だから、どうか神様、お願いします。
りこのことを、幸せにしてください。
私はもう、充分だから。
もう、これ以上、あの子から奪えないから。
だから、どうか―――。
ただそう願いながら、眼を閉じていく。
そんな私を見下ろすように、もう少しで満月になる月は、静かに夜空に浮かんでて。
そうして、意識が途切れる、その一瞬に。
遠く。
どこか遠く向こうで。
狼が泣くような声がした。
遠く、遠く、月夜を満たしていくような。
どこまでも彼方へ響いていくような。
そんな遠吠えを聞きながら。
私はゆっくりと目を閉じた。
首元にまだ巻きついている、君のリボンを撫でながら。
どうか、どうか、と。
そう願ってた。
※
「まだ―――終わりじゃない」
嘘吐きな少女は、涙で滲んだ手紙をぎゅっと握りしめながら、独りで小さく呟いた。
喉は震えて、声は枯れて、目は真っ赤に腫れたままだけど。
それでも、彼女は歩き出す。
暗闇の中、独りぼっちで、ふらふらと覚束ない足取りで。
それでも尚、どこかへと。
歩いてく。
「つき先輩―――」
もう一人の少女の名前を呼びながら。
そんな二人の頭上では、ただ同じような空と、同じような月が、その行く末を見守るように静かに佇んでいた。
「終わらせてなんて、やるもんか」




