第21夜 噓吐き少女と最後の時間
このまま、つき先輩の隣に居続けたら、私は何を失うんだろう。
将来の夢? 今の生活? 友達? 家族?
でも、将来の夢なんて、叶いっこないし、今更どうでもいい。
だって、お金もないし、絵を描いて暮らせるほど、私の描く絵に価値はないから。
今の生活も、正直さして、って感じだ。バーのマスターとバイトリーダーには申し訳ないけど、結局、多分それくらい。
友達は、そもそもいないし。部活の人たちも、邪魔ものがいなくなってせいせいするかな。同じ学年の美術部員には、よく呆れた視線で見られてたっけ。
家族は…………少し悲しむと思うけど、きっと、長い目で見たら私がいなくなった方がいいと想う。
だって、私さえいなければ、お父さんとお母さんは、学費のことで喧嘩しないで済むし。お父さんの病気の治療に専念できる。お母さんもお金で悩むことは、今よりずっと減るはず。
私が稼いだバイト代も、少しは二人の老後の足しになると思うし。
だから、多分、大丈夫。
普通の人は、きっと捨てられないものが一杯あるから、こんなことできないけれど。
何の価値もない、誰にも必要とされてない私なら大丈夫。
そんな私の安い人生で、つき先輩の心の寂しさが埋まるなら。
きっと、そっちの方がいいんだろう。
ちゆさんは、自棄になっちゃダメだと言っていた。もちろん、その言葉は正しい。
ましろさんは、そんな私だからつき先輩が選んだって言っていた。そうなのかな、どうなんだろう。
結局、こんな想いも、突き詰めて言えば私のわがままだ。
自分の価値に自信がないから、誰かのためになることで、価値を産みだした気になってるだけ。
どこまでいっても、わがままで。どこまでいっても、利己主義な。そんな私。
でもいいや、もうそれで。
だって、私は嘘吐きだから。
結局のところ、自分に都合のいいように戯言を吐いてるだけだよ。
こうやって。
「おいで、つき」
私の自己満足に、あなたを付き合わせてるだけだから。
でももし、神様が願いを一つだけ叶えてくれるなら。
この莫迦な行いで、あなたの心の寂しさが、たった一瞬でも埋まればいい。
こんな都合のいい私の自己満足で、あなた寂しさが一時でも紛れるなら。
私は、それでいい。それがいい。
少し向こうで波が岩を打つ音がする。
視界の端でゆっくりと月が昇ってく。
淡い夜の紺が、空を静かに塗りつぶしていく。
そんな光景の真ん中で。
あなたが私を見降ろしている。
不謹慎だけど、そんな姿が、どうしようもなく綺麗に見えた。
まるで一枚の絵のようで、溜息すら出そうなほどに。
ごめんね、つき先輩。
今日、私は、あなたを裏切る。
※
「いいよ、我慢しないで」
あなたの耳元で、そんな無責任な言葉を吐く。
つき先輩は私に馬乗りになったまま、目を血走らせて、震える手で私の両手を抑えつけてる。でも、その手はどこか優しくて、表情はどこまでも辛そうだ。
葛藤してる……まだ、少しの理性が残っているのかな。
もし、つき先輩が本気で私の腕を抑えたら、枯れ枝みたいにぐしゃぐしゃに潰せるはずだから。
これはもうちょっと、背中を押してあげないとダメだろうか。
「怖くないから、つき先輩のしたいようにしていいよ」
辺りを満たしていく夜闇の中で、どろどろに歪んだあなたの瞳が困惑に揺れる。
私の言葉一つで、抑えきれない衝動があなたの心を揺さぶっていく。
そんな姿を見ていると、どうして胸の奥が微かに熱くなる。
「いいよ、おいで」
あえて耳の傍で、吐息を吹きかけるようにそう囁いた。
あなたの身体は一瞬、ビクンと微かに震えて、そのまま覚束ない指で私の左手を両手でそっと握った。どこか泣きそうな顔のまま。
「そんなに優しくしなくていいよ、もっと乱暴にして?」
口から漏れ出る言葉が嘘か本当か、自分でもどこか曖昧だ。
「噛みたいんでしょ?」
口を開いたあなたの吐息が、私の指先を熱く濡らしていく。
「喰べたいんでしょ?」
唇が微かに指先に触れる。濡れて蕩けて、まるで私の指を今か今かと、待ちわびているかのよう。
「いいんだよ、やりたいようにして」
そう言いながら、つき先輩の湿った唇をゆっくりなぞる。ぴちゃって小さな水音がして、どろどろに濡れたその感覚が、私の何かを致命的に壊していく。
あなたは辛そうに顔を歪めながら、それでもゆっくり堪えきれないように舌を伸ばした。
胸の奥がぎゅっと締め付けられる。心臓が痛いほどに脈打っている。
お腹の奥で熱い何かが、まるであなたを待ちわびるように疼いている。
ああ、どうしよう。こんな瞬間が、どうしようもなく気持ちいい。
あなたが、こんな価値のない私なんか待ち侘びている。絶対に越えてはいけない一線を、私のせいで踏み越えそうになってる。
そんないけない感情が、堪らないほどに心地いい。
「つき」
名前を呼ぶとそれだけで、あなたの身体が強く震える。絡み合う足の感触すら信じられないくらいに熱くなって段々と湿っていく。でも表情はどこか泣きそうなまま、何かを堪えているみたい。
………はあ、それにしても大した理性だね。
喰人衝動がどれくらいのものかはわからないけど、私から見れば頑張って意思で抗えるようなものではないように見える。
どうしようもない感覚だと言っていた。思考を塗りつぶすほどの感情だと言っていた。耐え難いほどの痛みだと、あなたは苦しそうに言っていた。
だけど、あなたはこんな状態に陥って尚、まだその衝動に抵抗しようとしてる。
必死に意識をとどめようと、辛そうな顔で抗っている。
手に触れる指は優しくて、重なる身体はどうにか体重をかけないように気遣われていて、胡乱で淀んでいるはずの瞳は必死に何かを堪えてる。
やさしいね。でもどうしたら、その理性を揺さぶれるかなと少し考えて、自分が巻いたリボンにはたと気が付く。
そっか、そうだね、そういう『ルール』だったよね。
「つき、口開けて」
この首輪をつけている間は、あなた私の命令に従うのだ。
私の言葉に、あなたの身体はびくっと震えて、でもその口はゆっくりと開けられた。抗おうとしてる、でも抗えない。
ぽたりと、私の指先と胸元に雫が落ちる。どろどろと赤く濡れたその口内から、そのままぼたぼたと、あなたの唾液が滴り落ち続ける。
何も言わないまま、あなたの口の中へ、指をそっと挿れていく。
やがて、ぴちゃっという音と一緒に、あなたの震える舌と私の指先が触れあった。
あなたは眼を閉じて、まるで何かを堪えるようにぎゅっと目をつぶる。
堪えてる? だめだよ、そんなの許さない。
「舐めて」
そういうと恐る恐る触れた舌が、ゆっくりと私の指をなぞっていく。
蛇が絡みつくみたいに、濡れて熱いその場所が、私の指先を溶かすように舐めていく。そうするたびに、肌がざわつくような、熱くぞわぞわとした感触が背筋をなぞる。
そんなあなたは、不安そうで、辛そうで、なのに頬は赤く表情は段々と蕩け始めてる。
ああ、たまらない。
私の命令にあなたが従う、この感覚も。
あなたの粘膜を自分の指先で犯す、この状況も。
あなたが美味しそうに私の指を舐る、熱に浮かされたような、その顔も。
何もかもが堪らない、脳を壊してしまうほどの快楽がここにある。
「咥えて」
味わうように、指先があなたの口内に飲み込まれていく。
「キスして」
言祝ぐように、あなたの唇が私の爪先に重ねられる。
それからあえて、ゆっくりとあなたの唇から指先をそっと離した。
そうしたら、あなたはまるで、大切なものが奪われたかのように、切なそうにその眼に涙を貯めていた。
その姿はただ従順に命令に従う、飼い犬そのもので。
「まて」
そういいながら、濡れた指先でゆっくりとあなたの耳元をなぞってく。
「まて」
うなじをなぞって、真っ白なその首元へ。
「まて」
ぎゅっと、柔らかくて綺麗なその肌をなぞって、その奥にある頸動脈の鼓動を感じる。
「まて」
鎖骨をなぞる。それから少し下の胸骨を。服の中をあえて少しなぞるように触れ続ける。
「まて、だよ」
そう言いながら空いた方の手で、あなたの頬をそっと撫でた。まるで母親が子どもにそうするかのように。あなたは泣きそうな顔で、その手に必死に縋りつく。
耐えている、でももう崩れかけだ。快楽が、衝動が、背徳が、きっとあなたの心をぐずぐずに溶かしてる。
「もう、すぐだからね」
そうしてあなたの身体をなぞっていた指を、もう一度その唇の前にゆっくり差し出す。
あなたは身体を震わせながら、溶けた瞳で私をじっと見つめてて。
私はその唇に、優しく触れてから、口内にゆっくりと指を伸ばした。
あなたは、物も言わず、眼を閉じて泣きながら、私の指を受け容れる。
でも、その間、あなたの顔は確かに悦びに震えてた。
ぴちゃぴちゃ、と音がする。
息が、震える。
心臓が、熱い。
身体が、小刻みに痙攣を続けてる。
あなたは時折、堪えるような、高く甘い喘ぎ声を漏らしていた。
ああ、頭が、おかしくなりそうだ。
期待と不安と、快楽と背徳感に、脳がぐちゃぐちゃに犯されていく。
ああ。
ああ。
無意識に空いた手が、縋るようにあなたの手をぎゅっと握ってて。
あなたの手も、私の指をぎゅっと恋人のように結んでた。
そうして、身体の熱と震えが一瞬、あなたのものと重なった瞬間に。
「よし」
そうして。
あなたの牙が。
私の指に。
振り――――。
ー。
ーーーーー。
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?
「あ」
「――――――――――――――ッア」
快。
楽が。
え?
「ァ? え? あぁうぁぁァァぁぁっっっ?!」
なに。
これ。
壊れる。
震える、身体が。
気持ちいい、心が。
あなたに指を食べられている。
あなたに牙で貫かれている。
あなたと一つになっている。
それが。
それが。
それが。
耐えがたいほどに。
き もち いい。
あ。
「ッ ぅ ぇ、あ。ぅあ、ダメ、あぁぁぁぁぁぁ?! ぁああぁっ」
牙が。
私の指先の中で動くたび。
ぐちゃぐちゃと私の指先を掻きまわすたび。
きもち、いい。
黄色い快楽を、まるでバケツで脳に直接ぶちまけられているような。
心が、身体が。
強制的に幸福感で犯されていくような。
人を、心を、想いを。
決定的に壊してしまうほどの、そんな、感覚。
身体が痙攣を続けてる。
あなたが指を舐るたび、あられもない声が口から漏れる。
胸が中身ごと手でかき混ぜられたみたいに、ぐちゃぐちゃになっていく。
お腹の中にもう一つ心臓ができたんじゃないかってくらい、身体の奥が脈打って息ができない。
そんな私をあなたは愛おしそうに、震えながら、泣きながら喰らい続ける。
知らない、知らない。こんな感覚。
壊れちゃう、想いも、心も、身体も全部。
あなたに壊されちゃう。
壊されちゃう。
ああ。
でも。
それもいいかな。
最後に、私たちは、お互いの身体を一際、強く震わせて。
「「 」」
互いの名前を呼んでいた。
そうして、長い、長い絶頂感に、身体が言うことをきかないままに。
ぽてっと。
あなたの口元から、私の指が零れ落ちた。
荒れる息、震える身体。
身体はお互い熱くて、あなたとの境界すら曖昧で。
蕩けたような、苦しそうな、気持ちよさそうな、そんなあなたの表情を呆然と見つめてた。
私の人生で間違いなく、一番快楽に染まりきった時間だった。
ぽたぽたと涎が落ちる。
ぼたぼたと涙が落ちる。
あなたはまだ熱と余韻に身体を震わせたまま、何かを失くした子どものように、ただ泣いていた。
……そうだね、だって、これでお別れだもんね。
どれだけ、この行為が気持ちよくても。
どれだけ、これが夢のような時間でも。
これで私達は『3回目』。
これが私達の最後の時間なんだから。
あなたはきっと泣いちゃうよね。
でもね。
だからね。
「まだだよ」
そう言って、首輪をぎゅっと掴んだ。
今、ここで、『4回目』をする。
あなたは一瞬、信じられないように目を見開く。
そのまま首輪を引っ張りながら、あなたの頭ごと無理矢理、抱き寄せる。
そして、あなたの顔が、私の首元へと当てられるように。
こうすると、あなたの表情は見えないけれど。
凍えるように身体は震えてる、燃え盛るように息は荒れている。
あなたが、私の首元を、ずっと物欲しそうに見ていたのを知っている。
そこから漂う誘惑に、ずっと抗っていたことを知っている。
きっと、狼の本能なんだろう。そこを喰らいたいとずっと思っていたことを、ずっと耐えていたことを、私はその視線で知っていた。
だから。
「つき」
耳元で、あなたの思考を揺らすように囁きかける。
こうすれば、きっとあなたは抗えない。
だって、そこにはあなたが、ずっとずっと、待ち望んだものがあるのだから。
「いいよ、喰べて」
息が震える。
胸が動悸でぐちゃぐちゃになっていく。
「ずっと、ずっと喰べたかったんでしょ?」
首元であなたの吐息が、壊れそうなくらい荒れていく。
ぼたぼたと、唾液と涙が混じった雫が、私の胸を濡らしていく。
「ほら、おいで」
あなたは抗えない。
ずっとずっと、きっと生まれてきてからずっと、抱えてきたその衝動。
その胸に空いた孔を、ようやく本当の意味で埋める物が、目の前にある。
だから、こうすれば。
この嘘を吐いたなら。
「噛みなさい、大丈夫だから」
私は、あなたと一緒になれると―――そう想っていた。
ぐちゅ、という音がした。
固い何かが、皮膚を貫く、音だった。
※
人狼が同じ人を『4回』噛むと、『取り返しのつかない』ことになるらしい。
……取り返しのつかないこと、って何だろう。
ちゆさんは、私も人狼になるかもしれないって言っていた。
もちろん、それでも全然かまわないけれど、私の予想は少し違う。
つき先輩の衝動は、噛むたび噛むたび、渇き果てるように強くなる。
反対に私の身体はまるで噛まれるたびに、それを受容れていってるような気がする。
まるで、そうやって抵抗の意思が削がれていくみたい。
本当の狼が狙った獲物を何度も噛んで、傷をつけて、じっくりと追い詰めていくようだ。
だから、噛まれている間、なんとなく想っていたことだけれど。
きっと多分、『取り返しのつかないこと』って。
『本当に喰べられてしまう』ことなんじゃないだろうか。
確証はどこにもない、でもなんとなく、そんな気がした。
そして、もし本当に、あなたに喰べられてしまうとして。
――—別にそれも悪くないかな、って想ってしまう、この心は一体何と呼べばいいんだろう。
ほんの一瞬でも構わない。
たった一時でも、あなたの心が埋まるなら。
きっと、あなたはこんなこと望まないけど。
それでも、もう一生あなたに出会うことすら、できないくらいなら。
たとえこの行いが、あなたの心に消えない疵をつけたとしても。
あなたの心の中に、私の記憶を遺したかった。
どうかしてるのは、わかってる。
でも、それでも。
これがあなたに捧げられる、私の唯一の××だと、そう想った。
ごめんね、つき先輩。
※
ぐちゅ、という音がした。
「うん、そうだよね―――」
ぼたぼたと、赤黒い雫が落ちていく。
「りこなら、そうするって、わかってたよ」
私の胸に熱くてどろっとした雫が、いくつも落ちていく。
「…………つき、先輩?」
あなたは―――自分の腕に、爪を、肉が抉れそうなほどに、深々と突き刺していた。
「あ―――」
そうやって意識を、無理矢理―――。
「……でも、ごめんね。私、これ以上りこを傷つけたくないから」
そのまま、血をぼたぼたと零しながら、あなたは優し気な瞳で、私のことをじっと見た。
「やだ」
溢れる涙を、止め処なく浮かべたまま。
「まって」
それでも、あなたは月明かりの中―――笑ってた。
「―――さようなら、しなくちゃ」
最後にあなたは、そう言って。
「やだよ―――待って―――いかないで」
私の前から。
「バイバイ、りこ」
姿を―――消した。
「つき先輩!! つき先輩!!!!」
叫んだ。喉が壊れるくらい。
「いやだよ! まって! 置いてかないで!!」
嘘の一つ、誤魔化しの一つすら吐けないまま。
「やだよ!! ねえ!! 独りにしないで!!!!!」
掠れた声で。震えた指で。涙を拭うことすらできないままに。
「つき先輩!! つき先輩!!!!」
もう届かないあなたの名前を、叫び続けた。
でも、誰一人だって答えを返してはくれなくて。
後に残されたのは、小さなあなたの鞄一つと。
波に声を掻き消されながら、ただ泣き叫ぶことしかできない。
独りぼっちの私だけ。
そんな光景を、もうすぐ満月が近い月だけが。
何も言わず夜闇の中でじっと見下ろしていた。
これが、私たちの最後の時間。
※
残された鞄には、沢山のお金が詰まった封筒と。
つき先輩からの手紙が一通入ってた。




