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狼少女と嘘吐き少女  作者: キノハタ
第4章 雪女
19/25

第17夜 嘘吐き少女と常連さん

 下描きの線を、描いては消すを繰り返す。


 こうかな、違うか、もっと遠くへ、もっと広がるように。


 頭の中のイメージをどうにかその場所に描き表すために、手を動かし続ける。


 限られた両手の幅で収まるはずのキャンバスの中へ、あなたと駆け抜けたどこまで続く空を表すために。


 一年のブランクは明確に、私の指を鈍らせているけれど、それにすら今は構っている暇はない。


 掛けられる時間は限られている、手間も、技術も、あるものでどうにかするしかない。


 それでも、それでもと、手を動かし続ける。


 思考の狭間にあなたの横顔を想いうかべながら。


 ただ。


 ただ。


 描いていた。


 時間も、忘れて。



 「こら」


 「いだ」


 ゴチンという重い音共に、私の視界ががくんと揺れる。振り返ると、少し呆れた顔の副部長が資料用の分厚い図鑑で、私を引っぱたいている姿があった。


 「うう……何するんですか。いいとこだったのに……」


 久しぶりに集中力が蘇ってきて、意識を溶かして、何もかも忘れて描いていられたのに。その不満を表情でうーっと表すと、副部長はため息を吐きながら、冷たい眼で見降ろしてくる。


 「バイトがあるから、時間になったら教えてくださいって言ったの、あんたでしょーが……。15分の電車に乗らないと間に合わないとか、言ってなかった?」


 そんな副部長の言葉に、私の口から思わず「あ」と言葉が零れる。ばっと時計を見てみると、あと数分しか猶予がない。


 さーっと冷や汗が降りてきて、じわりと思考が焦りで埋め尽くされる。


 「す、すいません! バイト行かないと、あ、でも片づけ…………」


 「はあ……私が、やっとくから、さっさと行ってきなさい。次からはもっと時間に余裕もって動くこと」


 「は、はい、ありがとうございます!」


 ため息を吐く副部長へのお礼も早々に、私は大慌てで手近な画材だけ片づけると、大慌てで鞄に荷物を詰め込んで走り出す。途中で他の美術部員が怪訝そうに私を見ていたけれど、今は構ってる余裕もない。


 そうしてそのまま西日で赤くなった校舎の中を、ただ無心で走り出す。


 背中に副部長の呆れた視線を感じたけれど、今はただ気づかぬ振り。


 その間、ああ、やっちゃった……と思考は慌ててはいるのだけれど。


 肝心の私の視線は気づけば、淡い紅と滲んだ紺色が混じる夕暮れの空をただ見上げてて。


 その真ん中でぽつんと浮かぶ、半分まで満ちた月から目が離せないでいた。


 もう、あんまり時間は残ってない。


 急げ、急げ。


 心の中で、そんな言葉を繰り返しながら。


 ただ一瞬、そういえば、と振り返る。


 今日と昨日、つき先輩の姿を放課後見ていないけど、どうしたんだろう。


 体調とか、悪くないといいんだけれど―――。





 ※






 「りこちゃん、やっと描きはじめられたんだ。よかったね? とうこちゃん」


 「…………さあね、まだ描き始めただけでしょ。文化祭までに完成しないと意味ないんだから。それまでに投げ出さないといいけどね」


 「あはは、どうだろね。私はあんまり心配してないけどなー」


 「それはさやかが能天気だからでしょ」


 「まあ……否定はしないけどさ。でも、りこちゃんの顔見てたらわかるよ、きっと大丈夫」


 「…………」


 「ところでさ、これ……何の絵になるのかな?」


 「…………空でしょ、あの子は、いっつもそうだったから」


 「そうかな……うーん、でもなんか、今回は少しだけ違うような気もするけれど……」


 「………………」


 「この真ん中の影は、何かな……人? 動物?」


 「…………さあね」


 西日に照らされた美術室の真ん中で、二人の女子生徒はそんな会話を続けてた。


 副部長の彼女は、絵のモチーフをなんとなく察してはいたけれど、あえて口には出さないまま。


 そんな彼女の脳裏に浮かぶのは、少し前に見たばかりの、灰色の瞳と透き通るような髪をした少女の姿。


 この絵がどんな形になるのか、まだ描いている当人すら、きっとわかりはしないけど。


 それでもそこに描きあげられる、何かの兆しを、彼女たちは静かに感じていた。


 夜明けの狭間、小さな種が土を押し上げて、そっとその芽を出すような。


 そんな些細な兆しを、ただじっと見守っていた。


 そんな彼女たちの視線の先で。


 夕日が赤く染める美術室の真ん中、まだ色も塗られていないキャンバスは、何も言わずに佇んでいた。







 ※




 結論から言うと、電車にはギリギリ間に合って、大慌てでバイト先には遅刻もなく到着した。


 そうして、あたふたしながらエプロン姿に着替えて、バーのフロアに出たのだけれど。


 …………今日は何というか、少しお客が少ない。


 その癖、マスターとバイトリーダーと私、それにもう一人ホールのスタッフまでいる。ちっちゃいお店だから、これはだいぶ過剰だと思うけど。


 「……今日、なんかありましたっけ?」


 そうやって聞いてもバイトリーダーは軽く肩をすくめるだけだった。


 これなら、もうちょっと絵を描いてたかったな……という気もするけれど、まあマスターだってたまにはシフトミスくらいするか、仕方ないよね。


 そんなことを考えていたら、入り口がらんがらんと入店の鐘が鳴っていた。やってきたのは、いつもの常連のお姉さん。すっかり顔見知りなので、挨拶も程々に店内にお通しする。


 「いらっしゃいませ、今日は何にします? 梅酒ソーダ?」


 「うーん、それも捨てがたいけど。今日はとりあえず烏龍茶からかな」


 おや、珍しい。いつも酔っぱらって、真っ赤な顔ばかり見ている人なのに。私ははあ、と軽くうなずきながら、とりあえずマスターに注文を通した。


 その間、他のお客はバイトリーダーが相手してくれていた。なので、私は烏龍茶を準備して、そのまま常連さんの所まで持っていく。


 「はい、どーぞ。他の注文は何にしますか?」


 「んー、じゃあ、今日は……りこちゃんで」


 「はあ、譎りこは時価3万円のホテル代別になりますが、よろしいですか?」


 「あはは……そんなことしたら、私がパートナーにどやされちゃう……」


 そういうと常連さんは冷や汗を垂らしながら、苦笑いを浮かべてた。バイトリーダーが少し怪訝そうにこっちを見ていたけれど、私はそ知らぬふりで視線を逸らす。


 それから常連さんがしばらくメニュー表を広げて、うんうん悩む姿をぼんやり眺める。こういう時いつもは、注文が決まるまで他の仕事をしてるけど。今日に限っては手が空いてるから、ここで注文待つことにする。


 伝票片手にまだかなって身体を揺らしてたら、常連さんの視線がちらっとこっちに向いた。


 「りこちゃん、なんか、最近いいことあった?」


 そんな彼女の視線に、私は少し首を傾げる。


 いいこと……は、別にないような気はするけれど。


 一瞬つき先輩との色々な情景が脳裏に浮かんだけれど、あれを『いいこと』と一括りにまとめるのは少し難しい。


 「……いいえ、多分、いつも通りですよ」

 

 ただそんな私の答えに、常連さんはどこか微笑ましそうに目を細める。


 「そう? なんか、ちょっと吹っ切れたような顔に見えたから」


 「………………」


 吹っ切れた……何に? と、自分の中で問うのも少し馬鹿らしい気がする。


 吹っ切れたって? 吹っ切れたよ。だって、もう迷わないって決めたんだから。


 「さあ、どうでしょうね」


 答えた言葉が少し静かで、落ち着いていて、自分でもどことなく不思議な感じ。


 そんな私に、常連さんは何かを見守るような、穏やかな笑みを向けたまま、ゆっくりと言葉をつづけた。


 「そう、ならよかった。……ところで、最近、例のワンちゃんどう? 今日も結構匂いしてるけど」


 え、と一瞬、声が口から漏れる。例のワンちゃん……? ただ、しばらく思考して、ようやく私はああ、と納得した。そっか、この前、つき先輩の匂いがしてた時、「犬カフェに行きました」って言って誤魔化したんだっけ。


 ……そして私は、犬カフェなんて行った事すらない。


 「あー…………悪くなかったですよ、結構、甘えてきて。首とか指、舐められちゃったりして……」


 適当に漏らした言葉が不自然じゃないか、少し気を使う。嘘を吐いたことを誤魔化すために嘘を吐く。わかりやすい嘘吐きの悪循環だ。


 「へえ、イチャイチャしてたんだ。いいなあ、犬って甘えるとべったりだもんね。可愛いよねー」


 「はは……ですね」


 そう言って苦笑いを浮かべながら、少し目を逸らす。実際に指とか鎖骨とか舐められてはいるから、半分は嘘を吐いてない……はず。


 それにしても、本当につき先輩の匂い、段々と強くなってるのかな。自分でも嗅いでみるけれど、ほとんど匂いは感じないけど。



 「ああ、心配しないで。()()()()()()()()()()()()()



 そんな私に。


 常連さんは、なんでもないように笑って、そう言った。


 ………………まるで。


 「……まるで、自分が普通じゃないみたいないい方ですね」


 冗談だ。そんなわけあるものか。


 そう考えはするけれど。


 思考の端で、微かな気づきが警鐘を鳴らしてた。


 私がつき先輩の匂いをさせていたことに気が付いたのは、これまで、この人とあの吸血鬼だけだ。他の人は、店長もバイトリーダーも、誰も気づきはしなかった。


 「うん、こー見えてね、感覚が鋭くてさ」


 「………………」


 常連さんはいつもお酒に酔ってばかりで顔が紅い。でも、今日は酔っぱらってないから、真っ白な肌がよく見える。


 だから今まで気づかなかったけれど、その肌はあり得ないほどに白くて、透き通るようで傷一つすら見えなくて、まっさらな絹のよう。


 「ねえ、りこちゃん、一つたとえ話をしてもいい?」


 「……なんですか?」


 「もし……もしね、りこちゃんが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 綺麗な人だとは思ってた。でも、その人から外れたような綺麗さの意味を、私はつい一月前まで知りもしなかった。


 「……命を貰うって、どういうことですか?」


 私の問いに、常連さんは流れ落ちるような黒髪をなびかせながら、そっと首を傾げる。


 ちゆさんと同じ様な見た目だけれど、違うのはやっぱり瞳。血を溶かした様な紅色のちゆさんに対して、常連さんの瞳は澄んだ黒の中に淡い蒼を透かしたような、宝石めいた色をしている。


 綺麗だ、そのまま、一枚の絵になりそうなほどに。


 「うーん、そうだね。例えば、寿命を貰わないといけないとか。血を吸わないと生きていけないとか。あとは―――人を喰べないと生きていけないとか」


 そんな目を疑うような綺麗さに、私は二人、覚えがある。


 そして、その二人の共通点は。


 「………………」


 寿命を貰う……は、わからない。でも『血を吸う』と『人を喰べる』というのが、誰のことを指しているのかは、いやでもわかった。


 吸血鬼と人狼。


 心臓がゆっくりと冷えていく。目の前に座って、穏やかに笑う人が何者なのかを、少しずつ理解し始める。


 「もし、そんな時、大切な人がいたとして。その人から何かを奪わなくちゃ生きていけなかったら……」


 「………………」


 常連さんは――――その人外は静かに氷のような微笑みを浮かべながら。


 「りこちゃんなら―――どうする?」


 そう言って、そっと私の手に指を重ねた。


 ――――冷たい。


 あるはずの人肌の温もりが何もない、氷水にそのまま手を晒しているような、致命的な体温の差異。


 それは人間としては、ありえないはずの冷たさ。


 唖然としていた、その瞬間。



 ガランと音が鳴った。



 バーのドアが開く音、誰かがやってきた音。


 そして―――。


 「―――りこ?」


 振り返った先にいたのは驚いた顔をしたつき先輩と……少し難しそうな顔をした吸血鬼、ちゆさん。


 どうして―――と私が口を動かす、その前に。


 「じゃあ、改めて自己紹介するね。


 波雪(なみゆき) ましろ。


 種族はね、雪女。


 つきちゃんやちゆさんと同じ、人から少し外れた生き物」


 常連さんは―――雪女は、そう言って静かに微笑みを浮かべていた。




 「私はね―――人の寿命を吸って生きてるの」

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