第15夜 嘘吐き少女と大事な約束
つき先輩の言葉は、いつも唐突だ。
わがままで、私の都合なんておかまいなし、自分がそうと決めたら絶対譲らない。
「私と、一つだけ、約束しない?」
なんでですか、どうしてですか、どういう脈絡で言ってるんですか。
「いつか、りこの絵を、私に見せて欲しいんだ」
話聞いてなかったんですか、私、絵なんてもう描けないって言ってるじゃないですか。
「その時は、絶対に―――見に行くから」
そもそも―――。
「…………描けないって言ってるじゃないですか」
そもそも、私の絵が、もし万が一描きあがるとしても。
「うん……だから、いつかでいいよ。いつか見せてね」
その頃までに、文化祭が始まる前には。
「………………」
次の―――満月がやってくる。
「ダメ…………かな?」
つき先輩の、喰人衝動が抑えきれなくなる日が、またやってくる。そして、その時までにきっと「3回目」も来るんだろう。
「ダメって言うか…………見込み薄って言うか」
そしたら、私たちは―――もう、今のままの関係じゃいられない。
「いいよ、気長に待つから」
それは、私が絵が出来るまで一緒にいてくれるってことですか。それとも…………。
「―――――――」
……それとも、ただ出来もしない約束をしてるだけですか。
「………………りこ?」
何も言えない私の顔を、つき先輩はどこか心配そうにのぞき込む。
わからない。
わからないよ。
「………………」
あなたは私の嘘がわかるけど、私はあなたが嘘を吐いてるかわからないのに。
あなたばかりが私のことを知っていて、私はあなたのことを何も知らないのに。
「…………ごめんね、いっつも困らせちゃって」
なのに。
どうして―――。
「………………よ」
「……………………りこ?」
どうして、私は。
「………………約束、ですよ」
そんなあなたの言葉に、縋ってしまうんだろう。
つき先輩は、優しく静かに微笑んで、そっと私の身体に手を回して、ゆっくりと抱きしめてくる。
ぎゅっと暖かい感触がする、肌が触れあって、呼吸と心臓の音が緩やかに私の身体を揺らしてく。
それだけで、不思議とさっきまで止むことのなかった胸の痛みが和らいでいく。
「………………うん、約束」
そんなあなたの声を聞きながら。
結ばれた黒いリボンと一緒に、触れた指先がゆっくりと絡められていくのを感じながら。
つき先輩の穏やかで、静かで、優しい言葉に縋っていた。
未来の保証なんてどこにもなくて、明日、隣に居る確証すら私たちは持っていない。
そんなことわかっているのに、願うように「約束」なんて、無責任な言葉を繰り返す。
それが、まるで子供が描く拙い夢ような、儚くて簡単に壊れる物だと知りながら。
「……描けるかな」
「大丈夫、りこなら、描けるよ、大丈夫」
眼を閉じて、落ちる雫を零したまま。
あなたの言葉を聞いていた。
あなたの××を聞いていた。
※
人生で初めて吐いた嘘は何だっただろう。
間違えてお母さんのコップを割ってしまった時かな、宿題を忘れた言い訳だったっけ。
それとも。
――――「寂しくさせて、ごめんね?」って言われて「寂しくないよ、大丈夫」って言ってしまった時だったかな。
※
眼を閉じて初めに想い出すのは、灰色の部屋、大きなアルミの棚に積み上げられた本の山。
その隅っこの小さな子ども用の机が、私の居場所。
確か、塾のあまり使われてない資料室か何かだったと思う。
親が共働きで、お母さんが塾講師だったから、私は、よくその部屋で夜遅くまで、仕事を終わるのを待っていた。
他に誰もいない静かな部屋で、本と自由帳だけが私の友達。
自分の背では届かない本棚に踏み台を使って手を伸ばしながら、ただ本を読んで、お絵描きをして、それだけを繰り返す日々。
「寂しくない?」って聞かれたことは何度もあって。
最初の方は「ちょっと寂しい」って言ってたけれど、その度に、お父さんもお母さんも悲しそうな顔をして「ごめんね」って言うばかりだった。だから、いつしか私は、そんな二人の顔を見るのが嫌で、気付けば嘘を吐くようになっていた。
もしも、あの時、たとえ迷惑になったとしても思いっきり泣いて、気持ちを言葉にしていれば、少しは変わっていたのかな。
最初はなんてことない嘘だったと思う。
別にいうほど寂しくないのは本当だった。だって、ふとした瞬間に、胸の奥がぎゅっとなるけど、結局はその程度。読んだ本は面白かったし、お絵描きも楽しかった。時間を忘れてお迎えの時まで、熱中していたこともさほど珍しいことじゃなかった。
元からそんなに物を言う気質でも、感じやすい気質でもないから、平坦に淡々と、ただお父さんとお母さんのお荷物にならないように過ごしてた。
学校でのおしゃべりは苦手で、友達も大体少ししかできなかった。それも、そこまで深い仲にはなれない。家に連れてくる友達がいないから、両親はいつも心配そうだったっけ。当の私は、相変わらず本と自由帳だけが、友達で充分だと思ってた。
そして、小学生の中学年から高学年の頃。
学校の図工で描いた絵が、コンクールの特別審査賞に選ばれた、しかも3回。
3回とも教室から見上げた空の絵を描いたっけ。
普段話しかけない子が話しかけてきて、普段褒めれられない先生に褒められて、お父さんはうっきうきで、お母さんも珍しく機嫌が良かった。
金賞でも、銀賞でもない、特別審査賞。これは個性があるからだね、将来は芸術家かな。なんて褒められて、その気になったのが、今にして思えばよくなかった。
自分の個性は、絵を描くこと。普段周りとちゃんとお喋りできなくても、絵の話ならいくらでも出来た。沢山褒めてもらえたから、自分みたいな奴も皆の中にいてもいい気がした。
将来は芸術の大学に入って、絵の仕事をして、たくさんお金を貰って、お父さんとお母さんに楽させようなんて。幼稚園児が描いた拙い夢のようなものを、どこか漠然と信じてた。
現実を知ったのは何時のことだったかな。
3回取った特別審査賞の後は、さっぱりコンクールに受からなくなった時だっけ。
お父さんが病気で倒れて、家計がますます苦しくなった時だっけ。
中学に上がって、自分の絵を周りと比べだした時だっけ。
お父さんとお母さんが、夜な夜な私の学費のことで大声で喧嘩しているのを聞いた時だっけ。
お父さんは私を芸大に入れたがったけど、お母さんはそんなお金どこにあるのって猛反対。お父さんの病気で貯金もほとんどなくなっちゃったから、普通の大学すら大変なのにって、いっつもいつも同じ喧嘩ばかりしてた。
その時の私は酷く馬鹿だったから、じゃあ、自分でこっそり稼いじゃおうって想って、親にも内緒でバイトを始めた。
でも、何も知らない保護者の許可もあやふやな中学生を雇ってくれるとこなんて、ほとんどなくて、今のバーのバイトを見つけるまでに随分と苦労したっけ。
確か、熊みたいに大きなマスターに、バイトの面接で必死に絵の夢を語って雇ってもらったけれど、今にして思えば恥ずかしすぎて死にたくなる。
一か月、二か月と頑張って、バイト代を貰ってウキウキして、今更スマホで芸大の学費を調べて愕然とする。
芸術系の大学って、基本的に凄くお金がかかる。本当に眼玉が飛び出そうになるくらい、普通の大学ですらとんでもないお金が要るのに、その何倍も。
こっそりお母さんの通帳を覗き見て、そこに書いてある金額と、自分のバイト代を足し合わせて、ようやく私は現実を知る。
あと何百時間? 何千時間? 働いて、働いて、働いて。それでも、私の中学と高校までの全部の時間を使っても、足りるかどうかわからない。そもそも入学してから、もっとお金がかかるなんてこともネットに書いてあった。
しかもお金は貯まっていくだけじゃない、携帯代、交通費、他にもいろんなことで減っていく。
焦って、必死になって、自分の描いた絵が売れないかななんて、試しにフリマサイトにあげてみたけれど、誰一人だって私の絵を買ってくれる人はいなかった。
そこにきて、私はようやく、お金以外の現実を思い知る。
当たり前だけど、私が必死にバイトをしてお金を稼いでいる間に、他の子は絵を描いていた。
みんな、中学生っていう多感な時期に、どんどんたくさん吸収して、絵が上手くなっていく。コンクールにあがる作品は、学年を経るごとに、加速度的にレベルが上がってく。
それに、絵が上手くなる人は、みんな多かれ少なかれ、人と仲良くなるのが上手い人だった。
誰かに教えてもらうことに怯えなくて、絵の感想を聞くことに物怖じしなくて、もっと上手く描く方法をたくさんの人と共有して。そんな私にできない方法で、みんな、どんどんうまくなっていく。
なのに、私は結局、独りぼっちで絵を描き続けることしかできなくて。
それなのに、バイトでどんどん時間はなくなっていく。
お金はさっぱり貯まらない。なのに、夜遅くまで働き続けているから、段々と身体はしんどくなる。
もっと働きたいのに、働きすぎだよって、マスターに止められて。空いた時間で絵を描く練習をするけれど、頭の中はこの絵は周りと比べてどうなんだろう、一体、幾らで売れるんだろうって考えてばっかりで。
ふと見直した自分の絵が……相変わらずバカみたいに描いた空の絵が……特別審査賞を貰ったあの時から、大して進歩もしていないことに気が付いて嗤ってしまった。
お金がない。
時間もない。
人と話すこともできない。
そもそも才能だって、そんなにない。
努力だって、ほとんど出来てない。
大体なんで空の絵なんだ。今どきネットで検索すれば山のように出てくるし、写真だって腐るほどある。それにAIにでも頼めば、数秒で出来上がる。
誰が、こんなものに価値を見出す。
こんな私に一体、何の価値がある。
ないよ。
何にもないよ。
誰もこんな私を求めてない。
誰も私の絵に一円だって払ってはくれない。
誰も、誰も、誰も。
そんなことを考え続けると。
段々、自分が何をしているのか、わからなくなる。
バイトばかりで、寝不足で、授業だってまともに聞けてない。
絵も段々と描けなくなる、適当に描いて、コンクールにまた落ちて、そんなことばかりを繰り返す。
バイトは結局、親に内緒のままだから、嘘を吐く。嘘を吐いて出た綻びを誤魔化すためにまた嘘を吐く。その繰り返し。
絵が描けないことで嘘を吐く。勉強ができないことで嘘を吐く。友達がいないことで嘘を吐く。お金がないことで嘘を吐く。
そうやって嘘をただ漠然と繰り返していたら、他人からの信用すらすっかり無くして、終いに自分が何をしているのかすら、わからなくなってくる。
親から不審な眼を向けられて、部活では邪魔者扱い、友達すらまともにいない。
そもそも、私、何がしたかったんだっけ。
そもそも、どうしてこんなにぼろぼろになっているんだっけ。
もう、誰も私のことを信じてなんてくれないのに。
わからない、わからないけど、もう疲れたよ。
お金を稼ぐことに疲れた、絵を描くことに疲れた、将来を考えることに疲れた、人から見放されるのも、もう疲れたよ。
自分で自分を嫌いになるのすら、もう疲れちゃったよ。
そうやってただ、息継ぎすら出来ないまま、陸地も見えない海原であてもなく泳いでいるような、そんな日々を過ごしてた。
なんでバイトしてるんだっけ?
なんで絵を描いてたんだっけ?
なんでこんなに嘘を吐いているんだっけ?
わからない。
わからないけど―――もういっか。
だってもう、誰も私のことなんて求めてないから。
もう、いいや。
もう、いいよ。
もう――――どうでも。
つき先輩を初めて見たのは、そんな頃のことだった。
教室で見上げた先の二階の校舎、まだ桜が散っているころに、丁度窓際であなたは灰色の髪をなびかせていて。
何かを諦めたような瞳をしていた。
何かを失くしたような瞳をしていた。
酷く―――酷く寂しそうな瞳をしていた。
まるで私の心を映して見ているかのようだった。
これは体のいい同情だ。虫のいい投影だ。
でも、それでも、私はその瞳から眼を離せなかった。
その瞳の奥に、嘘を吐きすぎて、もう輪郭すらつかめなくなった私の心が映っているような気がしたから。
寝不足でぼやけて滲んだ視界の中で、私はただじっと窓に映るあなたの姿を、独り
見上げてて。
ノートの端にその光景を、ぼんやりと回らない頭で描き留めていた。
そんなあなたはやがて、夏が近づくころに、学校には来なくなって。
もう二度とあの人を見ることはできないのかなって、半ば諦めていたのけれど。
そんなあなたを、あの日、私は夜の繁華街で偶然、見つけてしまった。
迷って、怖くて、どうしようって思ったけれど。
気づけば身体は動いてて。
私はあなたの手を取っていたんだ。
※
何度思い返しても、私が抱いたのは勝手な同情。
でもあの日、あなたの手を取ったあの日から。
私を抱えて、あなたが夜の街を跳んだあの日から。
私の心の中の歯車は、致命的に組み変わってしまった。
きっと、あの時、私の中の現実が、あなたという非現実によって、音を立てて壊されてしまったんだ。
そうじゃなきゃ、説明がつかない。
だって、私達知り合ってまだ一か月くらいしか経ってない。
本当に大事なことはまだ何も言えてない。つき先輩の両親がどうしてるとか、どんなふうに育ってきたとか、私は何一つだって知らないのに。
なのに、私は今、つき先輩のためなら、何だって捨てる気でいる。
次の満月。もしかしたら、それよりもっと前に来る、あなたの喰人衝動が昂った時。
その時、私は―――――。
眼を閉じる。
隣に寄り添うつき先輩の暖かさを感じる。微かに触れ合う指先も。
迷いはあるし、戸惑いもある、不安だって一杯だし、怖い気持ちも溢れるほどある。
でも、それでも。
胸の奥で心臓は、静かに、でもゆっくりと脈打っている。
心が一つ、決まったように。
本当に、これでいいのかな。
つき先輩は、どう想うだろう。
わからないけど。
それでも、私は―――。
ゆっくりと、腰を上げた。
隣でつき先輩は、静かに私のことを見ている。
それから、すとんと何も描かれていないキャンバスの前に腰を下ろした。
一年前からずっと、自分の絵の価値もわからなくなった、あの日からずっと。
直視するのが怖かった、その真っ白な空白。
ふっと息を吐きながら、ゆっくり見上げる。
―――描けるかな。
今更、何時ぶりかもわからない、上手くできる保証なんてどこにもないけど。
ゆっくりと、指先でキャンバスを、そっとなぞってく。
頭の中で、その指先に沿って、微かに像が浮かび上がる。
何がいいかな、描くなら、やっぱり空だろうか。
そのイメージの残響をぼんやりと感じながら、少しだけ眼を閉じた。
頭の中に何度か目まぐるしく、記憶がフラッシュバックのように流れてく。
繁華街の夜。
祭りの花火、帰りの川沿い。
ビルの隙間、流れる風。
空に浮かび上がる月。
立ち上る入道雲。
それと。
真っ白で透き通るような肌と、流れて溶けていくような灰色の髪。
その奥に静かに佇む、灰色の瞳。
―――あなたの横顔。
ゆっくりと眼を開いた。
胸の奥で何かが、静かに脈打つのを感じる。
ふっと周りを見渡して、少しだけ嘆息を吐く。
……手近な画材はほとんど使い潰されてる。これじゃあまともなのは描けない。
明日、美術部に行って、画材を借りてこないと。……また副部長に文句を言われるかもしれないけれど、今は気にしてる場合じゃないか。
そこまで予定を立ててから、肩の力をふっと抜いた。
やるべきことは決まった、あとはやり遂げるだけ。
ゆっくりと後ろを見ると、つき先輩はどこか心配そうに首を傾げてた。
「大丈夫……? りこ」
そんなあなたに、私はゆっくり頷いた。
「はい、大丈夫です」
珍しく嘘じゃない、そんな笑顔が浮かべられたかな、わからないけど。
「そっか、よかった」
あなたにはそれが嘘かどうか解るから。
私にもわからない、そんな想いを。
あなただけは知っているから。
「てい」
だから、私はそれに甘えるように、つき先輩の傍まで寄っていって、その胸にぼふんと顔をうずめる。
先輩は少し慌てたように手をあわあわさせてた。
「ど、どうしたの、りこ!? 疲れちゃった?」
うん、とても柔らかい、そしてとても心地いい。女同士の役得だなあ、なんて思ったり。
「そーですね、ちょっと疲れちゃいました」
嘘か、真か、自分でもいまいちわからない言葉だけれど、あなたにこうして抱き着く理由になっているのなら、それでいい。
「…………ど、どっち? 嘘? ホント? うう…………」
なんて、やり取りをしながら、ゆっくりと二人で抱きついていた時だった。
ガチャン、と音がした。うちの古い扉が開く音だった。
「ただいま、お母さん帰ってきたよー。っていっても、しばらくしたら夜講だけどねー、りこー、いるー? あんた帰ってんなら、洗濯ものくらい畳んでー」
「うん、帰ってるよー、お母さん」
「え?」
腕の中でつき先輩の身体がびくんと震える。どたどたと廊下を歩く音がする。
程なくして、廊下から疲れた様子のお母さんが顔を出してきた。
「ただいまー、そして、おかえり………………って…………え?」
「おかえり」
「あ………………」
しばらく私以外の二人がぴたっと固まる。ちなみに私はつき先輩の胸に抱き着いたままだ、咄嗟に離れられないようぎゅっと強めにね。
「え? あ、え? ど、どちらさま?」
「この前言ってたでしょ、私の恋人。今日、始業式だから遊びに来てたの。ほらお母さん顔見たいって言ってたじゃん?」
「り、りこ?!」
口をあんぐりと開けて固まる母。顔を真っ赤にして大慌てのつき先輩。そしてつき先輩にだけ見えるように、何食わぬ顔で舌をちらっと出す私。
「え、ほ、本当に言ってる? お母さん、てっきりあんたのいつもの、しょーもない嘘かと………………」
「ま、たまには私も本当のこと言うんだよ、ねー、つき先輩?」
「りこ?! え、えと、あ、あのわ、私、あ、藍上 月希と申します。え、えとりこさんはとは夏から少しその、一緒に、えと…………」
それからの時間は、てんやわんやの、てんてこまい。
大慌てでもてなそうとする、うちの母。恐縮しまくって、顔を真っ赤にしたまま、何を言ってるのかふにゃふにゃな、つき先輩。それを眺めながら隣でほくそ笑む私。
結局、つき先輩はお母さんの説得も虚しく、早々に退散してしまったけれど。まあ、普段振り回されてる先輩の慌てた姿が見れたから、私的には大満足。
それからしばらくは、お母さんと、お母さんから話を聞いたお父さんに、つき先輩のことをしきりに詮索されたけれど、いつもどおりはぐらかす私だったのだ。
まあ、つき先輩には散々困らされているからね、これくらいは別にいいでしょう。もちろん、こんなことして、つき先輩を引き留められる可能性が上がったりはしないだろうけど。
いいんだ、もう、それでも。
その日の夜、自室でもう一度キャンバスと向き直る。
他に誰もいない部屋の中、真夜中に窓から覗く欠けた月に照らされながら。
頭の中に描いたイメージを、何度か反芻して、独り頷く。
大丈夫だ、大丈夫。
そう呟いた私の言葉が、記憶の中のつき先輩の声と、少しだけ重なった気がした。
大丈夫、もう、迷わない。