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狼少女と嘘吐き少女  作者: キノハタ
第3章 嘘吐き少女
16/25

第14夜 狼少女と言えない秘密

 どれだけ嘘が匂いでわかるとしても、心の全てがわかるわけじゃない。


 りこが抱えてる想いも、悩みも、全部気づいてあげることはできない。


 それでも今、君の手を取ることを躊躇いたくはなかった。


 だってこれは嘘吐きな君が、溢した本当に微かな兆し。


 私たちの猶予は、あと一回。きっと、今を取りこぼせば、君のその涙をぬぐう機会は、二度とない。


 それに気づいてしまったからだろうか。


 私は、無理矢理にでも君の手を取って、無理矢理にでもその顔をこっちに向けさせた。


 君がそれを望んでくれるかは、わからないけど。


 久しぶりに二人で跳んだ空は、鮮明過ぎるくらいに酷く蒼く澄んでいて。


 立ち上る入道雲だけが私たちのことを、物言わぬままじっと見ていた。


 嫌われちゃったら、どうしよう。


 でも、それでも、君の心をこのまま閉ざしてしまうことは嫌だった。


 どうしてか、そんなわがままな気持ちが私の背中を押し続けていた。




 ※




 「はい、りこ」


 そう言いながら、鞄から取り出した棒付きのコーラ味のアイスを君に渡した。


 「…………いつ買ってきたんですか?」


 そういう君は、まだうつむいたまま、どことなく濁った声で小さくぼやく。


 「最初から。売店寄ってたんだ、一緒に食べようと思ってさ」


 同じメーカーのソーダ味のアイスをカバンからもう一つ取り出しながら、私はビルの側面で足をぷらぷらさせる。適当な屋上の日陰を見つけてみたけど、正直まあ、暑いことに変わりはない。


 袋を開けると、氷菓子の合成されたソーダの匂いが、すんっと香る。私は牙で思いっきり嚙み砕かないように気を付けながら、少しずつそれを咀嚼する。うん、冷たい、甘い。


 「…………」


 君は何も言わぬまま、じっとアイスを見ていたけれど、やがて渋々といったふうに封を切り始めた。


 「アイス嫌い?」


 「大っ嫌いです」


 甘い嘘の匂いがする。意外とりこの舌はお子様風味だ。


 そうして君は大っ嫌いなはずのアイスを、大口で思いっきり嚙み砕く。ざくざくと気持ちのいい音を立てながら。


 そうしてしばらく沈黙が続く、となりの君は泣きべそをかいたまま。


 どうして泣いてたの? 何か辛いことがあったの?


 そう素直に聞いてもいいけれど、君のことだし適当言ってはぐらかす気がする。


 だから。


 「ねえ、りこ」


 「…………なんですか」


 君はぶっきらぼうに、そう返事をする。


 「こっち向いて」


 「…………?」


 あえて説明せずに、君の顔をこっちに向けさせる。


 君は疑問に眉を寄せながら、半眼で私の方を見ていた。その口に。


 「はい、あーん」


 私のアイスを、思いっきり突っ込んだ。


 さすがに歯とかでひっかかるかなと思ったけど、意外とすんなり君の口にアイスが突き刺さる。あらら、半分くらい入っちゃった。


 「も……あ……がっ?!」


 君は眼を白黒させながら私の方を混乱した様子で見てくる。


 それにしても、ふむ、女の子の無防備な口に棒を突っ込むのは、なんだかいけない背徳感がある。


 そのまま「うりうり」とちょっと棒を上下させると、余計にそんな気分が加速する。何故か喰人衝動もちょっと湧いてくる、ほんのちょっとだけ。


 うーん……、こういう状況じゃなかったら、もうちょっと楽しいかも。こういう状況じゃなかったらね。


 しばらく遊んでから、口をカチカチさせて、「噛んで」と伝える。


 君はしばらく困惑したままだったけど、やがてふんと思いっきりアイスを噛みちぎって、険しい瞳で私を睨んだ。


 「もう…………んぐ、なんなんですか……もう……んぐ」


 そう言われながら、私は半分くらいなくなったアイスを眺める。それから先端をちろっと舐める。うん、りこの味がする。嘘だけど。わかんない、でもちょっと涎の味がするのは確かかも。


 君はそんな私を見て、少し顔を紅くしていたけれど、私があーんと口を開くともっと紅くなってしまった。


 「な、なんなんですか?! つき先輩?!」


 「なにって……食べさせっこ? 私もコーラ味食べたかったから」


 そう言って眼を閉じて、口を開けて君のアイスがやってくるのを待つ。こうやってると、少しだけ君が『ご主人様』な時間を想い出すけど、まあ、今は気づかぬふり。


 しばらく君の悩むような気配を感じたけれど、やがて恐る恐るという風に、私の口の中に冷たいアイスがゆっくりと入ってきた。うん、甘くて、冷たい。


 指を噛んでいるときも思ったけど、この自分の粘膜の内側を、他人に明け渡すのって凄い感覚だと思う。普通じゃ絶対あり得ない、絶対許してはいけない、生物なら忌避をしてしかるべき、そんな感覚のはず。


 なのに、相手が君というだけで、まあいいかという気にさせられる。その気になれば命すら奪えるその場所を、君相手なら平気で明け渡せてしまえる。


 なんならそれが、少し心地いい。不思議な感覚。


 しばらくそんな、得も言われぬ感傷を味わって、やがてそれを断ち切るように牙を振り下ろす。じゃくっていう音の跡、甘い氷の塊が、私の口内に転がり込んでくる。


 「先輩は……間接キスとか気にしなさそうですね」


 「まあ、今更だと思うよ? 普段もっと凄いことしてるし」


 そう言う私を君は恨めしそうに見ていたけれど、やがてはあとため息を吐くと、諦めたように自分のアイスを食べだした。私は微笑みながらそんな君の横顔を眺める。


 それから二人並んで、同じように入道雲を眺めながら、屋上で蒸し暑い風の中、足を遊ばせる。


 何も言わず、ただ風の流れる音と、アイスをかじる音だけがしばらく流れた。


 「ねえ、りこ」


 「………………なんですか」


 君の返事は相変わらず、そっけない。


 「ちょっと気は紛れた?」


 「……………………まあ、ほんの少し」


 でも、その言葉に嘘はなかった。


 それでいい。私はそれだけでいい。


 こっそり、君に見えないように笑みを浮かべる。


 「そう、―――よかった」


 夏風がぶわりとビル風に乗って、私たちをあおってく。ごうごうと髪を風が弄んでいく。


 「………………聞かないんですか」


 「何を?」


 「…………さっき、私が…………荒れてた理由」


 君の視線はこっちを向かない。でもなんとなく、心は逆に顔を覗かせてくれた気がした。


 「教えてくれるの?」


 「…………………………」


 きっと、それは今まで上手く伝えられなかった想い。


 出会った頃から、明かさずに閉まっておいた、りこだけが知っている小さな秘密。


 誰にも見せていけないノートの、奥底に描かれた、大切なもの。


 無理に触れる意味はない。触れて傷つけるかもしれない。


 でも、それでも。


 「聞けたら、嬉しいかな」


 今は、もう少しだけ君との距離を縮めたい。


 一秒でも、一ミリでも、君との、この限られた時間の中で、その心に触れていたい。


 ……なんてね。


 それから、不意に思い立って、君の首元に顔を寄せる。そのまま、ふわりとした甘い匂いに身を委ねる。


 君は一瞬びくって身体を震わせてた。でも、しばらくすると、ふうって一つ息を吐いて、ゆっくりと身体の力を抜いた。


 それから、少しずつ何かを、確かめるように言葉を紡いだ。


 「先輩は―――どうやったら私のこと嫌いになりますか?」


 そう言った君の声は穏やかに響いてるようだったけど。その奥底の、ほんの僅かな、かすかな震えが私の鼓膜を静かに揺らしてる。


 そんな時間の中で、アイスはそっと、私たちの手の中でゆっくりと溶けていった。







 ※








 「そうだなあ……りこがこっそり私のことをサーカスに売ったりしたら、嫌いになるかも」


 「……しませんよ、ていうか、サーカスなんて私、見たこともないです」 


 「実は、私も。後は……うーん、もっとお金が払える人が現れて、私と会ってくれなくなったら……」


 「そんなパパ活まがいな真似しませんよ……」


 「今も、割と怪しくない? …………あとなにかあるかな、うーん……実は私に対して不満ばっかりでSNSで悪口書きまくってる……とか…………ない、よね?」


 「言ってる側が自信失くさないでください……してませんよ」


 「そっか、よかったぁ……本当によかった……」


 「もう…………」


 そう言いながら、古びたアパートのドアに、りこは鍵をがちゃりと差し込んだ。ガチャンと重い音が鳴って、金属製の扉がゆっくり開く。


 あの後、君は私に、何も聞かずにある場所へつれていってと、そう言った。言われるがまま君を抱いて、ビルの屋上を駆け抜けた先に辿り着いたのは、いつもの場所。何度も君を送り届けた、君のアパート。


 見慣れた場所のはずだけれど、昼間に来ると少し不思議な印象がある。閑散としているけれど微妙に人の気配があって、見慣れた光景のはずなのに、少しだけ落ち着かない。


 そんな場所で君は何も言わないまま、私を家に招き入れた。私は少し散らかった玄関で靴を脱いで、誘われるまま君についていく。


 うちは貧乏なんです、いつか君はそう言っていたけど、確かにあまり裕福な感じはしない。親子3人が住むには少し狭い部屋、雑多な物、少し汚れた壁紙、昼間に両親がいないのも、共働きだからだろうか。


 私と君以外誰もいない、短い廊下をそっと横切って、君はある部屋の前のふすまに手をかけた。そこには「りこの部屋」と拙い文字で書かれた、小さな名札がぶら下がっている。


 ガラッと少し、軋んだ音を立てて、ふすまが開いた。


 りこは何も言わずに、視線で私をその中に招き入れた。


 雑多な、物が散らかった小さな和室だ。甘い、りこ特有の匂いが生活臭と混じって少し湿っぽく広がってる。布団は敷かれたままで、勉強机は座卓だけ、小さな本棚には無理矢理たくさんの本が詰め込まれてる


 そして部屋の隅に転がっているのは……キャンバスと……画材かな。


 君はクーラーをつけて鞄を置くと、汚れないように新聞紙が引かれているその場所に、そっと歩み寄る。それから、床に伏せてあったキャンバスを、ゆっくり拾い上げた。


 そうやって拾い上げたキャンバスには……何も描かれてない。真っ白だけど、何かを消した跡だけがあって少し汚れてる。


 りこはそれをそっと壁に掛けると、その下から出てきたもう一つキャンバスを私に向けた。


 ………………なんだろう、鉛筆のようなもので、輪郭取った跡だけがある。


 丸くて……ビルの中にあって、空かな? 丸いのは、太陽? 月?


 何かの下描き、だろうか。


 「これが…………私がこの一年で描いた全部です」


 そう言いながらりこは、少し掠れた声で、そのキャンバスをさっきと同じ場所に立てかける。真っ白で少し汚れたキャンバスと、空をかたどった色のないキャンバスだけが、アパートの壁にそっと並んだ。


 すとんと、りこがそのキャンバスの前に腰を下ろしたから、私も真似してその隣に腰を下ろす。


 「…………笑っちゃいますよね、絵を描く学校に行くとか言っていて、こんな体たらくで」


 そういう君は膝を抱えてうつむいたまま、愉快そうに、可笑しそうに、どこか震えた声で嗤ってた。


 「…………今日、本当は文化祭で展示する作品の報告会だったんです……まあ、私、何も描けてなかったけど」


 そんな君の声を、私も膝を抱えたまま、黙って聞く。その声の奥の震えが少しずつ、私の中にもじんわりとした痛みを産みだすのを感じながら。


 「そしたら、副部長に怒られちゃって、やる気ないなら辞めろって言われて……情けないけど、ああ、その通りだなって想っちゃいました」


 ゆっくりと君の声が震えてく、精一杯明るい声にしようと無理矢理喉を張っているけれど、段々取り繕えなくなっていく。


 「だって、どう考えても、美術部なのに、絵を描けない奴なんて邪魔でしかなくて、やる気だって本当にないし、言い返すことだって何一つもできなくて………………」


 ぽつりと音がした。それから、またぽつり、ぽつりと音がする。雫の落ちる音がする。


 私は何も言えないまま、そっと身体を寄せて、君の身体が弱く震えるのだけを、ただ感じてた。


 「……来週に下描き出すって言ったけど、多分、描けないんです。一年くらい前からずっと……何を描いたらいいのか、もうわかんなくって、誰も私の画なんて、きっと求めてないし…………そう考えたら、もう、いっかって」


 ぐしゃりと、紙が潰れるような音がした。その音の方向に視線を向けると、りこのポケットから小さな紙切れがぐしゃぐしゃに握られていた。


 「だから…………辞めちゃおうって思ったんです。美術部。もう、みんなに迷惑かけてるだけだし、いるだけ……意味ないし、画材もキャンバスも無駄だし、どうせ嫌われてるし……」


 りこの身体は、ずっとずっと震えてる。言葉は途中から水音で濁って、震えて、時折何かを吐き出すように荒げられていた。


 きっとそこには途方もない程の痛みがあった。


 耐えがたいほどの現実、受け入れがたいほどの真実。


 きっとまだ言葉に出来ていないことも、絵を描けない理由も沢山あって。


 りこの小さな背中じゃ、とてもじゃないないけど背負いきれないものばかりで。


 どうにかしてあげたいけれど、私にできることはあまりにも限られている。


 だって、絵を代わりに描いてあげることもできないし、描けない心を無理矢理変えることもできない。


 それ以前に、文化祭の日までに、君との関係が終わっていることだって、十分あり得る。


 それくらい、私達に残された時間は、もうほとんどない。


 でも………何かしたかった。


 目を閉じれば、あの小さな部屋で君が吐き続けた嘘が、震えながら言い続けてきた言葉が蘇る。


 君は私にたくさんの言葉をくれた。嘘に隠した想いをくれた。


 だから、今、君の震えて壊れそうな心を、どうにかして繋ぎ止めたい。


 たとえ、それを覆す力が私にはないのだとしても。



 だから――――。



 りこの震えた手を、ぎゅっと握った。




 「ねえ、りこ」




 だから――――。




 私は決めた。




 「()()()()()()()()()()()()()?」




 ()()()()()




 君がくれた、たくさんの優しい嘘に報いるために。




 それがほんの少しでも、君が前を向く理由になるのなら。




 たとえこれが、やがて呪いになったとしても。




 「いつか、りこの絵を、私に見せて欲しいんだ」




 一つだけ、嘘を吐こう。




 「その時は、絶対に―――見に行くから」




 たとえ、その時、君の隣にもう私がいないとしても。




 君が歩く意味になれるなら。

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