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狼少女と嘘吐き少女  作者: キノハタ
プロローグ
1/19

噓吐き少女と狼少女

 人生で初めて吐いた嘘は何だっただろう。


 間違えてお母さんのコップを割ってしまった時かな、宿題を忘れた言い訳だったっけ。


 始めは凄く胸がどくどく嫌に脈打ち続けて、身体中が冷たくなったような、そんな恐怖と不安の中で嘘を吐いていたけど。


 慣れって怖いもので、今では顔色一つ変えず、さも当たり前のように嘘が吐ける。


 「宿題……? やったよ」


 嘘だけど。


 「友達? いるいる、でもlineずっとうっさくてさ、通知切っちゃてんの」


 嘘だけど。


 「絵? さすがに、もう描いてないよ。小学校で卒業したって」


 嘘だけど。


 「援交? パパ活? してない、してない…………」


 これは別に嘘じゃなかったけど……最近、結果的に嘘になってる気がする。


 私、いつわ 凛心りこ 。高一。


 ちょっと嘘が癖づいてるだけの女子高生をしています。


 最近の悩み事は、夜な夜な学校の先輩に捕まって、抱き枕になる仕事をさせられてること。


 別にいかがわしくはないけれど、他人に説明できる気はしない。お金を貰って、身体に触れさせてるから、当然といえば当然だけどさ。


 でも、それより、何より。きっと、誰に言っても信じてもらえない理由がもう一つあって。


 私を買ってる、その女の人、つき先輩は……。




 人ではない―――人狼だった。







 ※







 つき先輩と会うのは、いつも私が親に内緒でやってるバイトが終わった後。大体、夜の9時を回ったあたり。


 繁華街の灯りの中、キャッチと酔っぱらいの波を抜けた路地が、私たちのいつもの待ち合わせ場所。


 夏休みに入ってから週に二・三回くらい、陽が落ちてもまだ暑さが残る川沿いの街並みを、小走りで駆け抜けて会いに行く。


 そして今日も、つき先輩はいつもの通り、ぴょこんと二つ耳の伸びた黒色のパーカーを着て、私のことを待っていた。


 「はやいね、りこ」


 「……普通です」


 いつも私より先に待っている癖に、毎度、先輩はそんなおべっかを言ってくる。


 少し低めのハスキーな声。私よりちょっと背の高いすらっと伸びた身体。


 少し余ったパーカーの袖から小さく覗く、細くて長くて、真っ白な指。その先の、不思議に尖った爪。


 何より印象的なのが、フードの下から覗く、夜闇の中で静かに光る灰色の瞳。


 相変わらず、人間とは思えないほど、綺麗な人だ。私との釣り合わなさに、毎度ため息をつきたくなる。


 そして挨拶も程々に、私はつき先輩に手を引かれるまま、彼女の家まで歩いてく。


 走ってきて、手汗が少し滲んでいるから、私的にはちょっと嫌だけど。先輩はなぜかこれがお気に入りなようで、さっぱり止めてくれる気配がない。


 そもそも迎えも要らないって言ってるのに、全然聞いてくれないし。初めて会った時から私の意見なんて、この人はどこ吹く風だ。


 そうやってしばらく連れ歩かれてついた先、駅近の一際高そうなぴかぴかのマンションが、つき先輩の住む家だ。


 鍵はスマートキーとからしくて、つき先輩がエントランスにつくだけで自動扉が勝手に開く。誰でも入りたい放題の安アパート住まいの私は、ただため息を吐くばかり。


 お金はあるとこにはあるもんだね。まあ、そのお陰で比較的割のいいバイトをさせてもらってるわけだけど。


 とりあえず、ここで抱きしめられるのが私のお仕事。


 家が貧乏だから仕方ないとはいえ、後ろめたい気持ちはなくもない。


 援交やパパ活と何が違うんだと言われれば……上手く言い訳できる自信もない。


 そしていつも通り、最上階にあるつき先輩の、独り暮らしと思えない、うちの二倍は広い部屋についた。


 そして靴をまともに脱ぐ間すらないまま、ベッドに連れていかれて、そのまま押し倒される。


 「ちょ、今、汗臭いですから!」


 「ん? りこは臭くないよ? むしろなんか甘い匂いがする」


 女とはいえ、私より背の高い先輩にこうやって組み敷かれるのは、正直ちょっと怖いとこはあるけど。フードの下から覗く先輩の酷く楽しそうな笑顔のせいで、そんな毒気も抜かれてしまう。


 その姿は、女の子を金で買ってる悪い人っていうより、大型犬のそれに近い。なつき過ぎて、勢い余ってこっちを押し倒してくるとこまでそっくりだ。ま、私、大型犬なんて飼ったことないけれど。


 「絶対嘘だー……」


 「えー……嘘じゃないよ」


 「ていうか、仕事じゃなかったら、もろセクハラですからね」


 「そーだね。でも、これが、りこのお仕事でしょ?」


 そう言って、先輩は私に馬乗りになりながら、フードを取って、どこか意地悪気な笑みを浮かべた。


 そこから漏れた長い灰色の髪は、さらっと水が流れていくように滑らかで、傷一つないんじゃないかってくらいに綺麗だ。


 そんな常識離れした美しさが、この人が人間じゃないっていう、なによりの証明にさえ思える。


 ……まあ、そんな証明しなくても、他にも証拠はいっぱいあるけどさ。


 にぃと浮かべる笑みの奥には小さく、でも人としてはありえない鋭さをもった牙が見えていて。


 耳は少し尖って、薄く灰色の毛が生えていて。


 その腰に手を回せば、小さなふわっとした尻尾が指先に触れてくる。


 よくよく観察すればするほど、この人は人間じゃない。


 そして、この人の――――この狼少女の抱き枕になるのが私のお仕事。


 「じゃあ、今日もお願いね? りこ」


 そうやって笑うあなたの灰色の瞳を直視できないまま、私はもごもごと口を動かして頷いた。


 ただ抱き枕とは言っても、抱かれて眠るだけじゃない。


 結局のところは、先輩がその日満足するまで、枕のように何も抗わないのが私の役目。


 だから。


 「―――怖がらないでね?」


 私は何をされても、抵抗しない。


 つき先輩が私の首を、鋭利な爪でそっと優しくなぞっても。


 指を絡めて、太ももを絡めて、キスが出来そうなくらい口元を寄せてきても。


 私の匂いを嗅いで、お腹を指でなぞって、時折ふっと息があてられても。


 私は何も言わないで、何も反応しないで、ただ受け容れる。


 『なんでこんなことするんですか』っていつかの頃に聞いたら……先輩はなんて言ってたっけ。確か、えーと……。


 『―――人狼にはね、どうしても抗えない衝動が一つあるの』


 『お伽噺に出てくる狼が、絶対持ってる。狼を化け物たらしめる行動原理』


 『―――それがね、()()()()


 『本当はね、私、人を喰べたいの』


 『でも、今の世の中で、そんなこと出来ないでしょ?』


 『だから埋め合わせが必要なの。私が飢えに駆られて人を襲ってしまわないように、この渇きを満たしてくれる代わりが必要なの』


 『こういうの、学問的には「代償行動」っていうらしいんだけど。それを、りこにお願いしてるんだね』


 『つまり、りこには、私が人を襲わないで済むように、私の抱き枕になって欲しいんだ』


 ……っていうのが、私のこの仕事の意味らしい。


 誰かを甘噛む。


 撫でる。


 触れ合う。


 抱きしめる。


 それで本当に欲が抑えられるのかはわかんないけど。終わった後、先輩はいつも満足そうな顔をしてるから、一応意味はあるみたい。


 まあ、私はただ何もせず、されるがままなだけだから。あんまり関係ないけどさ。お金が貰えるなら文句はないし。


 それに幸い、感度というか、感覚が鈍い性質だから、幾ら触られてもさして気にならない。反応がいるなら問題だけど、抱き枕としては申し分ないのでしょう。


 ただ、ちょっと想うことがあるとすれば。


 「りこ―――りこ」


 そう言ってあなたが少し頬を赤らめながら、私の首元をそのほっぺたでなぞっていく。


 乱れた息が私の首元に絶え間なく当たり続ける、そうして時々その牙が優しく……でもそれでもわずかな痛みを伴って、私の肌にそっと触れる。


 「りこ―――」


 今、先輩がきっと、その気になれば。


 私の喉は簡単に―――食い千切られる。


 先輩は人狼というだけあって、素手でリンゴが割れるくらい力が強いから、きっと私なんて抵抗する間もなく、先輩のお腹の中に入れられてしまう。それこそお伽噺の狼と子どものように。


 そんな姿を想うと背筋が凍るような……なんて表現が陳腐に感じるくらい、怖くはなる。今まさに、他人に命を握られてる、心臓を鷲掴まれているのと何も変わらない、そんな事実に背筋が凍りそうなる。


 触れる指が、なぞる手が、私の命を奪わないのは、今、この人にその気がないから。ただそれだけでしかない。


 だから、もし。


 もし、先輩がその気になったら。いや、そうじゃなくても、喰人衝動が代償行為なんかじゃ抑えられなくなった、その時は―――。


 私の意識とは関係なく、手がぎゅっと痛いくらいに握られる。それに反応して、吐いた息が少し浅くなる。


 そんな間も、つき先輩は、まるで恋人の名前でも呼ぶみたいに、私の名前を何度も何度も繰り返して、私の身体を抱きしめ続ける。


 そんな姿をじっと見ていたら、先輩はふと私の視線に気づいたみたいで、ゆっくりと顔を上げて、こっちを見た。


 「…………どうしたの、りこ? …………()()()()?」


 そうやって尋ねる先輩の表情は、笑っているのに、どこかせつなくて、そのまま消えてしまいそうだった。


 「…………ううん、ちょっとくすぐったかっただけです」


 だから……じゃないけど、なんとなく嘘を吐いてしまった。


 口にしてからしまったって想ったけれど、もう遅くて。


 先輩は寂しそうな笑みを浮かべたまま、そっと目を伏せて私の胸にすとんと顔を落とす。それから私の薄い胸に顔をうずめたまま、仕方ないなあって風に笑いながら口を開いた。


 「()()()()()()()()()


 そうやって言うあなたの声は、静かで穏やかで、なのに少し震えてた。


 そんな姿を見ていたら、胸の奥が怖さとは違う感じで、きゅっと詰まる。


 だから、っていうわけじゃないけれど―――。


 「嘘じゃないですよ」


 また、そんな嘘を吐いてしまう。


 「そうなんだ……」


 そう先輩は口で言っているけれど、さっぱり信じてる感じはしない。それでも私は結局、同じ嘘を繰り返すことしか出来ない奴だ。


 「ていうか、つき先輩なんか、怖いわけないじゃないです」


 「ふうん、そうなの?」


 嘘を吐く。


 「やってること、犬がじゃれてるのと変わりませんよ。どう怖がれって言うんですか」


 「そっか……そうだね」


 また、嘘を吐く。


 そうやって繰り返す中で、つき先輩の手が私の手をぎゅっと握る熱さだけが、いやに鮮明で。


 涼しくて静かなマンションの一室は、外のうだるような夏の夜からはまるで切り離されているみたいだった。


 そんなどこか夢うつつのような場所で、ただあなたに抱かれてる。


 ……実は夜な夜なこんなことしてるなんて、誰に言っても、信じてもらえないんだろうな。


 何せ私は嘘吐きだから。人様からの信用がとんとない。


 お伽噺の嘘吐きが、嘘を吐きすぎて、本当に狼が来た時、誰にも信じてもらえなかったのと同じで。


 きっと、私がこの人に喰べられそうになっても、誰も助けてはくれないんだよね。


 そしたら私は人知れず、あなたに喰べられていなくなる。


 まあ……別にそれもいいかな、なんて世迷言、口にしないけど。


 眼を閉じて、胸の奥で弱く脈打つ鼓動と、あなたの吐息だけを感じながら。


 私は、今日も嘘を吐く。


 「つき先輩は、怖くなんかないですよ」


 「うん……ありがと、りこ」


 あなたにさえ信じてもらえない、こんな陳腐な嘘を繰り返す。


 静かな夏の夜の暗がりの中。


 ただつき先輩と二人っきりで。


 

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