わたくしは社交界の華でした
わたくし──リフィア・オーリウスは、王国の社交界に咲く華と呼ばれておりました。
金糸を編んだようなブロンドに、翡翠色の瞳。完璧な笑顔、隙のない立ち居振る舞い、完璧なマナーと教養。侯爵家の令嬢として、恥ずかしくないようにと育てられたわたくしは、いつも期待通りに振る舞ってきました。
社交界では、たくさんの令息たちが声をかけてきました。
「リフィア様、その髪は太陽より輝いています」
「リフィア様の微笑みは、まるで春風のようですね」
笑顔で受け流し、軽やかな言葉で応じる──それが、わたくしの日常でした。
そしてその中の一人、侯爵家の若き嫡男、アルディス・ジルガーノ様と、幾度もの逢瀬を重ね、大恋愛の末に婚約することとなったのです。
アルディス様は、わたくしと同じく完璧なお方でした。
端整な顔立ち、礼儀正しく、文武両道。王都の噂でも「次代の模範」とされるほどの方でございました。
わたくしも、それにふさわしい令嬢であろうと、さらなる努力を重ねました。
けれど、それはどこか──苦しくて。
微笑んでいるのに、胸が痛い。
褒められているのに、空しい。
誰かに求められているのに、怖い。
「本当のわたくし」を見せることは、怖くてできませんでした。
ドレスや宝石のように着飾った偽りのわたくし。仮面の笑顔で微笑むたび、心が擦り減っていくのを感じていました。
そんなある日、わたくしは見てしまいました。アルディス様が、別の令嬢と人目を忍んで会っている姿を──。
「……見てしまったのですね」
そう言って、アルディス様は肩の力を抜いて、わたくしに頭を下げました。
「申し訳ない。けれど……私は偽りの自分を演じるのに、疲れてしまったのです……」
その言葉は、意外でした。
「君の前では、完璧でいなければならないと……思っていた。君は美しくて、礼儀正しくて、どこまでも隙がない。そんな君に見合う男でいなければと、私は……ずっと完璧な自分を演じていた」
アルディス様もまた、仮面をつけていたのです。
わたくしは、怒る気にはなれませんでした。ただ、同じだったのだと知って、胸が痛くなりました。
「もう……終わりにしましょうか」
「ええ」
穏やかな、けれど寂しい微笑みで、わたくしたちは婚約を解消しました。
社交界は騒然としました。華と称えられた令嬢と、その輝かしい婚約者の破談劇。それは、まるで舞台から転げ落ちるような出来事でした。
でも、わたくしは少しだけ、楽になった気がしました。
それから数ヶ月後、父から政略結婚の話が持ち上がりました。
「相手は、辺境の地を治める新興の伯爵家。実績はあるが、血筋は浅い。お前のような華が嫁げば、王都でも一目置かれることになるだろう」
それが、ダイフォード伯爵家の嫡男──セドリック様でした。
武勲を立て、領地を治め、王にも認められた実直な人物と紹介されましたが、王都の華やかさとは縁遠く、粗野な田舎貴族かと、わたくしは少々身構えておりました。
しかし、初めて会ったその日、彼はわたくしにこう言いましたの。
「無理して笑わなくていい。君の本当の顔が見たい」
その言葉は、まるで胸の奥に差し込む光のようでした。
「あなたは……どうして、そんなことを?」
「昔、一度だけ君を見かけたんだ。王都の舞踏会で。君は誰にも見えないように、小さくため息をついていた。誰よりも輝いていたけれど、どこか寂しそうで。……ずっと気になっていた」
あの時の、わたくしの仮面の隙間を、彼は見ていた。
だからでしょうか。
わたくしは、セドリック様の前では、少しずつ……少しずつ……自分の言葉で話せるようになっていきました。
失敗しても、噛んでも、彼は笑わない。
「そういうところも、君らしくて好きだよ」
照れて、口を尖らせたわたくしを見て、彼は穏やかに笑いました。
わたくしは、社交界の華でした。誰よりも着飾って、誰よりも微笑んで。
でも、今、その花びらを脱ぎ捨て、土に足をつけたただの人間として、生きている。
わたくしは、偽りの輝きを捨てて、本当の自分を見つけたのです。
だから、今──
彼と並んで歩ける、この日々が。
何より、誇らしい。
そして、今日。
わたくしは、新しいドレスに袖を通します。
これは、誰かのためのものではなく
周りがどう思うか考えたわけでもなく
──自分が選び、自分が着たいと思ったドレス。
鏡に映るわたくしは、昔のように完璧ではないかもしれません。
でも、確かにわたくしそのもの。
彼が、花束を持って迎えに来る。
「準備はいいかい?」
「はい。行きましょう、セドリック様」
これは始まりなのです。
──偽りではない、真実のわたくしの物語。
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