8(幕間) 黄金の尻尾†
黄金の竜巻
沿岸部の埋め立て地で、何の前触れもなく発生した巨大な光学事象を、世間はのちにそう名付けた。
雲すら突き抜け、天に突き刺さらんほどの細長い螺旋の渦を、どう控えめに例えたとしてもそう呼称するしかなかっただろう。
あるものは、それを神の福音と呼び、また別のものは大地震の前触れ、あるいは海底火山の噴火の予兆ととる者もいた。
そして、それを最も間近で目撃していたのは私立ハンテリアン学院の2年1組の生徒たちであった。
この幕間では、彼らの視点に立って、徐々に爆心地へと近づくことにしよう。
──化石発掘隊の場合──
人並外れた杏の嗅覚に従い、発掘を始めた彼らは、すぐさまいくつもの恐竜の化石を掘り当てることになった。
慎重に土の中から骨を掘り起こそうとしていた傍ら、金の竜巻が突如として巻き起こったのだ。
「おい、あれってなんだよ?」
「逃げたほうがいいの?」
呆然と見つめる2年1組の生徒たち。それも当然といえば当然だった。
ただの竜巻にしてはあまりにも細く、どこまでも長く、そして美しかった。
竜巻が発生したのであれば全力で逃げ出すのがセオリーではあるが、不思議と危険を感じることはなかった。
むしろ、その美しさに皆が見とれていた。
しかし、やがて誰かが気付くことになる。
「あの竜巻って、委員長が行った方向じゃない?」
──青蓮院ジェーンと怯川咽の場合──
「涙──!」
「獅子門!」
二人は、爆心地からあとわずかのところまで迫っていた。
他の生徒たちの視点からでは、地面から竜巻が巻き上がったように見えただろう。
しかし、二人の視界にはまた別のものが映っていた。
「渡……!」
いつもの気だるげな様子はどこへやら、紅潮しきった頬に食い入るような眼差し。
不良女教師の視線は釘で打ち付けられたように、涙の姿に固定されていた。
黄金の竜巻は、涙を中心に巻き起こっていたのだ。
赤毛の少女を抱きかかえた瘦身の少年は、呆然とその場に立ち尽くしている。
「あれは、まさか……」
人体を中心に巻き起こる、激しい突風に似た細長い風の帯に、ジェーンは心当たりがあったのだ。
「まさか……幻眩腸……!?」
文献で読んだだけの知識と、目の前の事象がかろうじて繋がりかけた。
だが、擦り切れるほど読んだ書物のどこを探しても、これほど甚大で途方もない気象災害のようなものであると書いてなかったのだ。
「これを、たった一人の人間が生み出すのか。これではまるで……」
「ゲホッ……ゲホッ……グウウウウウウウウウウ」
続く言葉は、隣の生徒の苦悶の声にかき消される。
いつもと様子が違った。
「オイ、怯川……どうした!?」
「ゲフッ!グフ!……………!」
呼吸困難どころではない。すでに呼吸が停止している。
それでも、肺の中にある何かを排斥するかのように、全身が激しく痙攣する。
「クソッ!?こんなに早く酸欠症状が現れるはずが……。いったい、どういうことだ」
動揺するジェーン。
痙攣する体を必死に押さえつけている間に、いつ間にか黄金の竜巻は治まりかかっていく。
それに呼応するように、咽の症状も次第に緩和していった。
緩やかに、呼吸を再開する。
「ふう。どうにか持ち直したか。しかし、渡。お前、どういうつもりだ?親友をこんな目に合わせるなんて、お前らしくないぞ」
──校長室(番外)──
「オォ……」
薄暗い校長室で、深く腰掛けた老人は突如現れた黄金色に輝く竜巻に目を細める。
かつて清田がそうしたように、恍惚とした笑みが、深い皺に覆われた顔に刻まれる。
「ついに、今度こそお会いできるのですね……。菌祖よ……」
──獅子門杏の場合──
劇的で衝撃的な出来事の連続のせいで、杏の意識と記憶は完全に混濁していた。
直前に何が起こったのか、そして今、自分の身に何が起きているのか、何もわからなくなっていたのだ。
「う……」
うっすらと目を開けると、どうやら自分が何者かに抱きかかえられているらしいということだけが分かった。
こけた頬に、よどんだ瞳。ボサボサの黒髪。
そしてこの世のすべての不幸を背負い込んだかのような猫背。
「渡……君?」
何があったのかわからないが、どうやら自分は彼に助けられたらしい。
よく見れば上半身は下着同然だ。そんな状態で抱きかかえられていたのかと思うと火を噴くほど恥ずかしい。
しかし、体が全くいうことを聞かない。自分の足で歩くなど、到底不可能なようだった。
かろうじて動く目を動かしながら、お礼の言葉を口にする。
「何があったかわからないけど、助けてくれたのね。ありがと──」
その時、杏の目に飛び込んできたものを見て、絶句する。
視線を下に送った、ただそれだけだったはずだ。今自分がどこにいるのかを確認するには足元を見るしかない。
どういうわけだか、周囲は台風でも吹いているように強風で景色が歪んでいたのだ。
視線の先には、涙の下半身があった。
彼の腰とお尻の中間地点から、光る細長い光が見えたのだ。
見覚えのある光だ。
見覚えがある、どころの話ではない。2度と忘れることのできない、忌々しい光だ。
獅子門杏という少女から、"完璧"を奪い去った憎き仇。
血走った目で、杏は再びその名を呼んだ。
「黄金の……尻尾……!」
──爆心地──
渡涙の意識は、杏のそれよりもはるかに不明瞭であった。
はっきりと感じられるのは、長年連れ添った最凶最悪の腸が、嵐のように荒れ狂っているという感触だけだった。
比喩ではなく、腸を直接ネジ繰り回されているような激しい違和感が絶え間なく全身を駆け巡る。
(一体、何があった?)
朦朧とする意識の中で、彼の意識に直接語りかけてくる声があった。
テレパシーという奴だろうか?そうではない。
なぜなら、その声は自分のお腹の中から聞こえてきたからだ。
声は、意外にも穏やかで満足そうな声で、たった一言こう告げた。
『これからしばらくの間、厄介になるぞ』
とりあえず序章は終わりました
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