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6 最古の菌 中編


「先生~!清田先生~!」


 走り寄りながら、(キョウ)はすぐに清田の異変に気付く。

 猫背でどことなく頼り気のなかった背中が、今は大きくのけぞっている。


 ボサボサで白髪の混じった長髪の隙間から、血走った目がぼうっと空を見上げていた。


「先生……大丈夫ですか?」


 駆け寄る歩幅が次第に小さくなる。清田の尋常でない様子に、恐怖を覚えたのだ。いくら海風が強いとはいっても、この距離まで近づいているのに声を無視するのはさすがにおかしい。


 普通の生徒であれば踵を返して逃げ出すところだが、(キョウ)はそうではなかった。


「どこか具合が悪いんですか?そういえば、保険医の先生が来てるんで呼んできましょうか?」


 まずは自分にできることがないか、その目で見て確認しようと思ったのだ。彼女らしいといえばそうだが、少々不用心と言われても仕方ないだろう。


 だが、(キョウ)は自分の人を見る目には自信があった。


 清田は容貌はさえない学者といった風であるが、その目に宿る学問への情熱は間違いなく本物だった。

 だから、そんな情熱を持った人間が、まさかこのような凶行に走るとは夢にも思わなかったのだ。

 

 人のものとは思えない、どす黒い声でさえない地質学者はこうつぶやいた。


『なんだこの環境は……()()の住処には全くふさわしくないぞ……!』

「……へっ!?」


 常軌を逸した声の迫力に、さすがに(キョウ)の歩みが止まる。

 抜群の運動神経と、持って生まれた目の良さが、ギリギリのところで彼女を凶刃から救って見せた。


 シュ……    ──ジャッ……!


 何か鋭利な刃物が空を切って、その軌跡に焼き(ごて)を当てたような鈍い音が追いかける。


「キャッ……!」


 思わずその場にしりもちをつく。腰が抜けそうになるが、彼女の度胸の良さは生まれつきのものだ。刃物で襲われる程度で取り乱すような神経の細さではない。


 制服が汚れるのも、パンツが見えるのもお構いなしにその場で後転。

 彼我の距離を開けつつ、体制をすぐに立て直すと、ためらうことなく助けを呼ぶためにその場を駆けだした。


 完璧少女の名は伊達ではない。自分の手に余ると判断するや否や、全力で周囲に助けを求めるのだ。

 

 しかし──




()()()()()




 地の底から響くような声が鳴る。


「……えっ!?」


 (キョウ)は、自分がいつの間にかその場にひれ伏していることに気付いた。


 自分の意志とは無関係に、体が動いていた。というよりも、自分の意志そのものが乗っ取られた。そんな感覚に近かった。


『心地よい眠りを妨げるだけで飽き足らず、不快極まりない娑婆(しゃば)の空気に晒されたのだ。この怒りを、どうしてくれようか?』


 意味の理解できない言葉を発する清田。

 対する(キョウ)は、恐怖ではなく別の何かによって声と体の自由を奪われていた。


 死の危険に瀕しながらも、心の中でこう祈ることしかできなかった。


(誰か……助けて……!)


 声なき祈りを聞き届けるものは、(むせ)び泣く海風と古の地層だけであった。






 ──しかし、世の中にはなんにでも例外というものがある




 ドゥルルルン!


「……グアッ!?」

「どうしたの、(ルイ)。突然お腹を押さえて……ブッフ」


 突然苦しそうにうずくまる幼馴染に、(ムセビ)は慌てて駆け寄った。

 度々お腹を壊している(ルイ)だが、ここまで急に痛がるのは珍しい。


 だが、この症例には心当たりがある。


青蓮院(ショウレンイン)先生。来てください!」

「まさか、例のやつか?」


 偶然にも、その場にいた二人は、(ルイ)の一風変わった()()に通じていた。

 激痛に身をよじりながら、(ルイ)の目線は一点を指していた。


 グルルルルルルル……!


 地響きのような、(ルイ)の腹の虫が鳴り響く。


「ゆ……許せん……!」


 火を灯すような、熱く鋭い目。それは、怒りの炎だった。

 (ルイ)の怒りは、いつだって他者に向けられる。


「俺様よりも不幸になろうとしている奴がいる……それが、許せるかっ……!」


 そういうと、一目散にどこかに向かって駆けだした。

 こうなった時の(ルイ)の身体能力は人並外れている。お腹が痛いにもかかわらず、とんでもないスピードで走り続ける。


 そんな彼の後を追いかける二人。


「おい怯川(オビカワ)。これは例のやつだな?」

「はい、先生。今朝もちょっとだけありました。(ルイ)()()です……!」


「しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()感じ取ってしまうなんざ、聞いたことがない……!」


 ジェーンが目を光らせる。

 彼女が(ルイ)の腸内に興味を持つ理由の一つである。


 他人のストレスを自分のことのように感じてしまう、いわゆる共感性ストレスという症例があるが、(ルイ)の場合は遠く離れた人のストレスですら感じ取ってしまうのだ。

 そして、それに呼応するように彼のお腹は鳴り響く。


 幼馴染は、それを"共鳴(きょうめい)と呼んでいた。誰かの悲鳴に呼応するように、彼のお腹が鳴り響くからだ。


「私が実際に目にするのは初めてだが、こうなった時の(ワタリ)は本当に凄いな。インターハイに出場できる速さだぞ」

「一度共鳴が始まると、それが終わるまで涙は止まりません」


 共鳴が続く間、(ルイ)は絶え間ない腹痛に襲われる。

 それから抜け出す方法は、たった一つしかない。


 そのたった一つの方法を目指して、(ルイ)は悲鳴の主を目指し、ひた走る。






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