37 恥ずかしくて恥ずかしくて、でも燃え滾る情動
翌日。
登校してきた凍は、下駄箱の前に立つとぴたりと動きを止めた。
(また、何か入ってる……)
外から見てわかるほどに、下駄箱の蓋が半開きになっていた。中に何かが詰め込まれているのは明白だ。
ラブレターの類ではないことは容易に想像がついた。
きっと、昨日のうちに自分が何者であるかは学院中の人間に知れ渡っているに違いない。
それでもなお、自分に対して好意を伝える人間がいるとは到底思えない。
それでもなお、自分に対して手紙を書く人間がいるとすれば……。
(やっぱり、来るんじゃなかった)
昨日の出来事がフラッシュバックする。
わかってはいたつもりだった。自分は嘘をついていたのだから。
噓がばれた暁には、周囲から非難を浴びるのは当然だと覚悟をしていたつもりだった。
(でも、実際に経験してみたら、あんなに胃がギュッとするような辛い思いをするとは想像してなかったなあ……)
嘘で固めた自分の人生が、根底から崩れていく──いや、すべてを嘲笑われている感覚。
公衆の面前でいきなり裸にされて、その様子を全員に笑われる感覚に近かった。
(せめてもの救いは、お兄ちゃんにそんなに被害がなかったことかな)
ほろ苦く笑う。あれからしばらくして一緒に帰宅したのだが、兄は意外にも何事もなかったように平然としていた。
もちろん、「もう絶対に、二度と、水際に一人ででかけないように」と釘はしっかり刺されはしたが。
さらにいえば、その時の兄の表情は今まで見た中で最も恐ろしく、そして真剣なものだった。
今朝なんか、「もう道は覚えたよね」と言って、強引に一人で送り出されてしまったわけで、流石に反論の余地はなかった。
「ま、こんな不気味な手紙をお兄ちゃんに見られなかっただけ、マシと思わなきゃね……」
嫌われるのは、自分だけでいい。確かに、これ以上兄と一緒にいたらいけないのかもしれない。
そう思いなおし、静かにため息をつく。
すると──
「悪かったわね、不気味な手紙で」
「ひえっ!?」
背後から聞き覚えのある声。
ビクリと背中をわせて振り向く。そこには、気まずそうにそっぽを向く敷島の姿があった。
「敷島……さん」
「そんなに警戒しないでよ。って、無理もないわね」
ポリポリと頭を掻きながら、凍の下駄箱を勝手に開ける。
案の定、そこには大量の紙の入った分厚い封筒があった。昨日の手紙の中身を思い出し、凍の眉間にしわが寄る。
そんな凍の姿に、敷島の仏頂面がさらに険しくなる。
というより、今にも泣きだしてしまいそうな、そんな表情にも見えた。
分厚い封筒を抱えたまま、敷島は深々と頭を下げる。
「へっ……?」
「ゴメン、他にいい方法が思い浮かばなくて……。貴女にどうやって謝ればいいのか、一晩中考えたんだけど、結局こんな方法しか考えつかなかったの」
そう言って、封筒を改めて差し出してくる。
よくわからずに、とりあえず受け取ってみるが、イマイチ凍も要領を得ない様子だ。
「昨日は本当にごめんなさい。私、最低なことをしたわ。謝った程度じゃ許されないってことはわかってる。でも、まずは謝らせてほしいの」
「う、うん……」
押し付けられた封筒の中身がおおよそ想像できた。
今回の件に対する謝罪の手紙なのだろう。しかし、わずか一晩でこれだけの量を書けるものかとおもわせるほどに、手にした封筒は分厚く、そして重かった。よくわからないが、文庫本一冊くらいの分量があるのではないだろうか。
「この罪を、どう償えばいいのかわからなかった。だからせめて、私も貴女と同じ目に遭うことしたの」
「???」
敷島の言葉で、手にした封筒の中身が全く想像できなくなってしまった。
とにかく悪意はなさそうであるから、封筒を開けて中身を読んでみることにした。
数行目を通してみて、凍の全身に電流が走った。
「こ、これは……!」
「そう。私と怯川君を題材にした、自作の"夢小説"よ……」
顔を真っ赤にして、俯きながらかろうじてそれだけを呟く。
夢小説とは──
いわゆる創作小説の一種で、夢主(主に作者)と架空の人物(主に版権キャラ)との関係性を描いた物語であり、場合によっては夢主と実在の人物で構成される物語もある。当然ながら、作者の願望をむき出しにした内容になっており、「幻想恋愛録」あるいは「イタい妄想日記」などとも呼ばれる。
「う、うわあ……」
「彼のファンクラブを立ち上げる前から書き溜めてきた、私の衝動を煮詰めた作品よ。もちろん、誰かに見せるつもりで書いてないから、それなりに──いえ、かなり生々しい表現も多いわね」
あまりに過激な内容なため、読んでいる凍も耳まで真っ赤になっている。
そして、そんな彼女に作品紹介をする敷島もまた、全身を真っ赤にして恥ずかしさに震えていた。
「凍さん。私は、あなたが人に見せたくないと思っていた部分を無理やり暴いてしまった。だからその罰として、私も貴女と同じ目に遭うことにしたの。だから、この夢小説はあなたに読まれた後に全校にばらまくつもり」
「……」
敷島の悲壮な決意。思春期の女子にとっては、とんでもない罰ともいえる。
そんな敷島を前に、凍は無言で夢小説を読み続けていた。
「ど、どうかしら……。我ながら逞しい妄想力だと思わない?見たことも触れたこともない怯川君の身体についてこれだけ濃密に描写してるんだから」
「……」
一向にリアクションを返さない凍。そんな彼女の前で一人で立っているのがあまりにも辛くなってきた敷島は、訳の分からない作者あとがきを述べ始めた。
「特に、後半のハイエース編では、色々あった怯川君を前にかける言葉もなく立ち尽くすあたりなんか……って、私何言ってんのよ!?」
一人で自白し、その場で即座で悶絶する敷島。
人に披露するつもりのなかった自作の小説を目の前で黙々と読み進められるのは、ある意味死よりもつらいことであった。
(もう……殺して……)
頼まれてもいない作者秘話と、それにおまけでついてくる黒歴史を交互に披露するという地獄は約1時間ほど続いた。
周囲の生徒たちの「あいつら、昇降口で何やってるんだ?」といった目線もすっかり消え果て、1時間目の授業も終わろうとしている。
敷島は、恥も涙もすべてが涸れ果て、真っ白になってその場に立ち尽くしていた。
やがて、凍が顔を上げる。
どうやら、あの膨大な量の夢小説を読破してしまったらしい。
「全部読んだわ」
「……」
敷島は無言で次の言葉を待つしかなかった。なにしろ、「で、どうだった?面白かった?」などと聞くようなシチュエーションではないのだから。
凍は、無言で指を二本立てる。
「ワタシが言いたいのは二つ。一つ目は──」
目線を原稿用紙の束に落とし、
「これを学院中に公開するのは絶対やめてね。これをばらまかれて一番困るのは、あなたじゃなくてお兄ちゃんよ」
「し、しまったああああ!そんな基本的なことをすっかり忘れてたわ!!」
当たり前すぎる凍の指摘に、敷島は痛恨の表情でその場に崩れ落ちた。
そんな敷島の様子に、何故か凍は呆れたように、少し淡い笑みを向けていた。
「"ナマモノ"の扱いには、気をつけなさいよ」
「へっ?」
顔を上げる敷島に、凍は二つ目の提案を口にする。
「二つ目のお願いは……その……」
先ほどとは打って変わって、凍の表情に覇気がない。というか、敷島同様に何か恥ずかしがっている様子だ。
見れば、彼女の頬も敷島同様に朱に染まっていた。
意を決したように、ヒシっと敷島の目を見据える。
「次は、ぜひワタシとお兄ちゃんを題材にした物語を書いてほしいの……!」
懇願する凍の顔に、一筋の鼻血が光る。
──敷島の小説で、すっかり興奮してしまった模様である。
「こんなに本格的かつ、濃厚な描写は本場のアメリカでも見たことがなかったわ。敷島さん、あなた才能があるわよ!もしもこの表現力でワタシとお兄ちゃんのお話が読めるなら、昨日のことなんて許しちゃう!」
今度は敷島が面食らう番であった。
ぽかんとした表情で、ゆっくりと凍の言葉を咀嚼していく。
「ええ……?そんなことで……いいの……?マジ?」
「マジもマジ!お願い!」
必死の形相で頭を下げてくる凍。先ほどと、立場が完全に逆転していた。
なぜ、謝りに行ったはずの相手から、逆に頭を下げられているのだろうか?敷島はすっかり混乱していた。
頭を下げた凍が、ペロッと舌を出しながら続きのお願いを口にする。
「でも、このことはお兄ちゃんには絶対に内緒にしてネ。ナマモノの取り扱いは、ダイナマイトよりも慎重にしないと、だから!」
「え、ええ……」
よくわからないが、許してもらえそうな流れになってきた。
その事実が、かろうじて敷島を現実につなぎとめていた。
震える手で、カバンの中に手を突っ込む。
「そんなことで許してもらえるんなら、喜んで書くわ。ていうか……」
カバンの中から、先ほどと同じ量の原稿用紙の束を取り出す敷島。
「ていうか、すでにもう書いちゃってたんだけど……」
「マ……!ジ……!デ……!?」
喜び、飛び跳ね、敷島から原稿を受け取ると、ものすごい勢いで読み始める。
「昨日、貴女に人工呼吸する怯川君を見て、急にインスピレーションが湧いて。それで、いてもたってもいられなくなって……つい」
なにが「つい」なのかわからなかったが、出来立ての新作は見る間に凍によって読み上げられていた。
「敷島さん……あなた、やっぱり天才だわ……!ワタシも、常々お兄ちゃんには右だけじゃなくて左の才能もあると思ってたのよ!」
「で、でしょ!?昨日、貴女に必死にお説教している彼の姿を見たら、こういうスタイルも全然ありだなって思って……!」
いつの間にか、二人はがっちりと手に手を取り合い、意気投合していた。
誰に知られるでもなく、非常に深い趣味を共有する同志がここに誕生した。
二人は午前中の授業をすっぽかし、怯川咽ファンクラブ(裏)を結成したのであった。
なんか、これで本当に良かったのか不安です。




