35 恐ろしくて凄まじい謎の能力
一方で、凍と涙の不毛な戦いは続いた。
筆箱を隠されただの、気になる女子と目が合っただけで泣きだされただの、互いの心に秘めた黒歴史が次々と掘り返されていく。
気が付けば二人とも随分と深いところまで潜っているはずだったが、互いの超菌が持つ”極限耐性”のおかげで、どうにか死なずに済んでいる。
だが、凍の方には限界が近づいていた。
口論を続けるたびに、なぜか心の闇が払われていくのだ。
そして、その度に体が軽くなって、逆に周囲の熱に耐えきれなくなっていった。
『どうした!お前の負の感情がなければ、我々は力を出せんのだぞ!?もっと不幸を思い出せ。そして苦しめ!』
「だって……。だって……!」
囁きかける超菌。宿主の負の感情を糧にする彼らにとっては、凍の気の落ち込みこそが力の源泉なのだ。
それが、徐々に取り払われていく。そして、それは彼らにとってはまさに死活問題であった。
『もう少しなのだ。もう少しで、火口の底に眠る我らの眷属と合流できる。そうすれば、再び力を取り戻し、火口から大噴火を起こせる。すべての恥をなかったことにできるのだ』
「でも……でも……」
必死に訴える超菌”サーマス・アクアティカス“。
だが、凍はすっかり混乱しており、気分をふさぎこむ余裕をなくしている様子だった。
『どうしたというのだ!?』
「だって、なんでアイツはこんなひどい目にあっても堂々としてるの!?あんな悲惨な生き方、ワタシには耐えられない!」
『そんなことはない。自信を持て!お前の方がもっと悲惨な目に合っているはずだ。それを、奴に知らしめるのだ!』
全く訳の分からない励ましを受ける凍。
彼女は覚悟を決めた。とっておきの黒歴史を引っ張り出すことにしたのだ。
まさしく、恥も外聞も捨て、渾身の闇を引きずり出す。
大声で、こう叫ぶ。
「アメリカに行って、本場のBL同人誌にすっかりハマってしまって、それをステイ先の両親に見つかったのよ!」
涙の切り返しは、一瞬だった。
「妹に宛てた自作のポエムをうっかり落っことして、そいつを拾った放送部のやつらに校内放送で全校に読み上げられたわッ!」
会心の一撃が決まった。
凍の幻眩腸が見る見るうちに縮小していく。
「いやっ……!こんなの、耐えられない!?恥ずかしい……!やめて、これ以上聞かせないで!!!あなたの闇は……深すぎる!!!」
『馬鹿!こんな状況で能力を解くやつがあるか!”極限耐性”をなくせば、お前などこの環境に耐えられるわけが……!』
『随分と手間をかけさせたな。だが、ようやく追いついたぞ』
会心の笑みを浮かべるエニグマ。気づけば、彼らは凍を追い抜き、彼女の真下にまで潜りこんでいた。
会心の笑みを浮かべる涙。この位置にいることこそが、彼の勝利の証だった。
「怯川凍。どうやら俺様の勝利のようだな。貴様の不幸、俺様が頂く!!」
右の掌に意識を込める。黄金の輝きが収束し、彼女の下腹部に吸い込まれていく。
しかし、最後まで敵の超菌は抗う。
『や、やめろ!こんな場所で我らを完全に失活させれば、周囲の温度と圧力でこいつは死ぬぞ!それでもいいのか!?』
自分の命さえも人質にした無茶苦茶な交渉であったが、それで怯む二人ではなかった。
『余計な心配は無用じゃ。貴様のようなゴミカスを葬り去るのに、さして手間はない』
「だ、そうだ。安心して成仏しろや!」
黄金の掌が凍の下腹部に炸裂する。
刹那、涙の背後に渦巻く幻眩腸が、爆発的に膨れ上がった。
まさしく、竜巻のように激しくうねり、周囲の熱湯を吸い込み、巻き上げていく。
あまりの回転力に、こんな深層域にまで渦の中心が吸い寄せられつつあった。
『エニグマの秘奥、その2。改変二重螺旋。ついでだ。奥底にいる貴様の眷属もろとも、そのうざったい性質を根こそぎ書き換えてくれるわ!!』
膨れ上がった幻眩腸の渦の中心から、弾かれるように凍の身体が上空に打ち上げられる。
渦の中心にはすでに地上の空気が巻き込まれており、彼女の身体はあっという間に熱湯から追い出されていた。
『ば、ばかな!こんな恐ろしい能力、聞いたことがない!我らの遺伝情報を書き換える、だと!?』
驚愕する敵の超菌。そんな驚きの感情をうまそうに食らうエニグマ。
邪悪な哄笑をあげ、
『で、あろう?もっと驚き、恐れよ。それすらも、吾輩の力の糧となる』
逆バンジーの発射台に乗せられたかのように、グンッと加速して上空に打ち上げられる凍。小柄な彼女の身体は、木の葉のように頼りなく宙を舞う。
「って、しまった!調子に乗って打ち上げすぎちまった!」
『なんじゃ、たかだか十数メートル程度の高さから地面に落下するだけであろう。奴の超菌を失活させたとて、その程度で死ぬわけがあるまい』
「何度言ったらわかるんだよ!?人間ってのは、その程度で死んじまう、繊細な生き物なんだ!って、そんなこと言ってる場合じゃねえ!」
頭を抱えて後を追う涙。だが、到底追いつけそうにない。
すでに凍の身体は地面に向かって落下を始めていた。
「やっべえ!咽、すまん……!」
最後まで全力で地上を目指す。幼馴染との約束を反故にするわけにはいかない。
だが、凍の身体はついに地面に激突する。
──ぼちゃん
「……へ?」
想像していた以上にかわいらしい落下音に、涙が素っ頓狂な声を上げる。
確かに、凍の身体は地面に落下したはずだった。火口の位置から考えて、間違いない。
しかし、音から察するにどうやら水の上に落下したらしい。
打ちどころさえ間違えなければ、大事には至らないだろう。
「だけど、なんで?」
疑問を口にしながら、思い当たる節が脳裏をよぎる。
先日の会話を思い出す。
──やっぱり、この熱泉は温泉にしましょう。少なくとも、ここを必要とする生徒は二人はいるわけだから──
地上では、
「ねえ、委員長。どうしてこんなものを用意してたの?」
熱泉──いや、今は温泉となった泉に浮かぶ凍の身体を抱きかかえながら、杏は敷島の問いにこう答える。
「見ての通り、ここを温泉施設にするためよ。温泉の基本にして王道は源泉かけ流し。でもここのお湯はあまりにも熱かったから、冷却用の水道管を急遽用意してたってわけ」
すさまじい地響きとともに彼女の身体が打ち上げられた時はさすがに肝を冷やしたが、意外にも怪我一つなく、呼吸もしっかりしていた。
大きく安どのため息をつく。
熱泉の間近まで引いていた水道管を遠隔で全開放。窪地になっていた泉周辺を水没させ、少しでも熱を逃がそうとしたのだ。
本物の火山が噴火してはそんなものはまさに焼け石に水であったが、結果としてその泉が吹き飛んできた凍の身体を受け止めることになった。
想像以上に華奢な凍の身体──きっとこの体型、いや体格を維持するために相当な摂生を重ねていたのだろう──を優しく抱え上げる。
「一体どういう理屈であの熱湯の中を生き延びたのかはわからないけど、とにかく無事でよかったわ。そして──」
腰まで浸かっている温かいお湯の匂いを嗅いでみた。間違いない、5つ星の最高品質の温泉だ。
それこそどういう理屈かは知らないが、さっきまで不気味な鳴動を続けていた火山活動はすっかり落ち着いていた。
それでも、今も泉からは潤沢にお湯があふれ出している。
満面の笑みで、校長に提出する提案書の書き出しを口に出す。
「生徒たちの新しい憩いの場、ハンテリアン・温泉へようこそ」




