30 本当だけど絶対に知られたく無いこと
──翌朝
昇降口で上履きに履き替える怯川兄妹。
兄が先に靴箱を開けると──
「ワッ。最近はやけに多いなあ……ゲホゲホ」
中から大量のラブレターが飛び出してきたのである。
ここ最近の、妹の鉄壁守備の弊害である。直接会話できないもどかしさも相まって、手紙という原始的な手法に立ち返っているようであった。
「お兄ちゃん、相変わらずモテるね」
「じゃあ、これはいつも通りワタシが片付けておくネ」と言って、手慣れた手つきで床に落ちた手紙を回収する。
まるでゴミでも扱うようなぞんざいさで、次々と手提げの中に放り込んでいく。(もちろん、兄には見えないように巧妙に自分の背中で隠して)
「そういう凍だって」
「ワッ!?」
兄と同じか、それ以上の手紙が靴箱からあふれ出してくる。
兄に宛てたものとは違い、宛名は飾らない実直な字体で書かれたものが多い。
「まいったな~。ワタシにはお兄ちゃんがいるのに~……」
同じく手慣れた動作で手紙をかき集めていく。
ふと、珍しい字体が目に留まる。他の手紙とは違い、明らかに女性が書いたとわかる可愛らしい文字だった。
「──!?」
そこに書かれた文字にうっかり目を通してしまった凍は、思わず目を見開き、その場に硬直してしまった。
「どうしたの?凍?」
心配そうにのぞき込む兄から、必死にその手紙を隠す。
ほかの誰にも見えないように、それだけは慎重にカバンの中にしまい込む。ひきつった笑顔で、かろうじて返事をする。
「な、なんでもないよ。ちょっと、あまりにも情熱的な内容だったから驚いちゃっただけ」
「ふーん。宛名だけでも情熱が伝わるものなんだ……ゲホッ」
「そ、そうだ。お兄ちゃん。ワタシちょっと用事を思い出したから先に教室に行ってて……!」
そういうと、返事も聞かずに校庭に向かって走り出していく。
一人取り残された咽は、何か嫌な予感が胸をよぎるのを感じていた。
なにしろ、転校して以来、妹が自分のそばを離れるなんてことは一度たりともなかったのだから。
息を切らして、凍が向かったのは校庭の隅──先日、涙と杏の二人が立ち入り禁止の柵を作った場所である。
周囲は木に囲まれており、人目につかない場所であった。
そんな中、凍は必死の形相で誰かを探していた。
手にしていたのは先ほどの手紙、中を読み、その内容に従ってここにやってきたのだ。
「誰だか知らないけど、こんなことしてどうするつもり?」
必死に声を荒げるが、逆に声の震えが露呈してしまった。
状況は絶望的だった。虚勢を張ってみたところで無駄なのは分かっている。
むしろ、相手を喜ばせるだけだ。
「あらあら、いつもの猫かぶりはどこに行ったのかしら?」
凍の予想した通り、手紙の主は嗜虐的な笑い声をあげて彼女の前に姿を現した。
「……」
見知った顔であった。クラスメイトの──
「敷島花恋よ。どうせ、名前なんて覚えてないだろうけどね」
そして、彼女の後に続いて次々と女生徒たちが姿を見せる。
すぐに分かった。兄のファンクラブのメンバーである。揃いも揃って、全員が嫌悪の視線をこちらにぶつけてきていた。
同時に、弱者を見下げるような、どういたぶってやろうか舌なめずりする残酷な笑みを浮かべている。
「私たちの咽君に随分とまとわりついてくれたじゃないの。私たちがどれだけあんたにムカついてたか分かる?」
「……」
「急にだんまり?やっぱりお兄ちゃんの前でだけ猫かぶってただけなのね?いやらしいったらないわね、怯川凍さん。いや──藤松巌君!」
手紙の宛名に書いてあった名前を読み上げると、その場にいた女子たちが一斉に笑い出す。
「なにが異母兄妹よ?適当な嘘ばっかりついちゃって!血もつながってなければ、妹ですらないなんてね。顔立ちは多少はマシだけど、粗暴さまでは化粧じゃ隠せないわよ!」
「ウルサイ!」
足が震えている。しかし、ここは抗うしかない。
なけなしの声を振り絞って、凍は周囲を取り囲む無数の笑い声に立ち向かった。
「今のワタシは怯川凍よ!大好きなお兄ちゃんの妹なんだから!」
「その様子だと、どうやら咽君はそのことは知ってるようね……」
忌々しいといった様子で吐き捨てる。
「でも、このことはみんなにバラさせてもらうわよ?本当のことですものね?」
「や、やめて……!」
急に弱気になる凍の様子に、敷島の嗜虐芯に火が付いた。
「あら~?別にお兄ちゃんがそばにいればそれでいいんじゃなかったの?だったら、咽君以外の誰に知られても問題ないわよね?」
「そうじゃない!ワタシのことで、これ以上お兄ちゃんに迷惑をかけたく……」
「そんなこと言ってもダメ。真実は、きっちりみんなに伝えないと」
「お願い、何でも言うこと聞くから……!」
その場に跪き懇願する凍。しかし、その場にいる全員を喜ばせるだけであった。
「自分がしでかしたことは、自分で責任を取らなきゃね!」
そういって、全員がその場を後にする。教室に向かっていく。このまま、みんなにバラすつもりだ。
(……もう、終わりだ……!)
3年ぶりに再会した兄との時間は、あっという間に奪い去られた。
もう二度と、戻ってこない。
絶望に沈む凍。
それに呼応するように、熱泉の奥底から地響きが鳴る。
地震でも起こったかのように、遥か地の底から何かが吹き上がろうとしていた。
深い絶望に沈んだ凍は、一滴の涙を流す。
(ワタシは……なんて不幸なんだ……!)
流した涙を、灼熱の獣が掬い取る。
『よろしい。では、その不幸──我が喰ろうてやる!』
吹き上がった熱泉が、周囲の木々ごと、凍の身体を攫う。
「キャッ!?」
その場を去ろうとしていた女生徒たちは、先ほどまで自分たちが立っていた場所を振り返る。
そこには凍の姿はなく、激しく噴き上げる熱泉と、そこからわずかに立ち上る──赤銅色の透明な竜巻だけがあった。




