29 好きだけど好きだけど届かない思い
奇妙な三角関係が続いた。
「ねえ~涙~。今日こそ一緒に帰ろうよ~……ゴフッ」
「ダメ~。お兄ちゃん。今日も一緒にワタシと帰るんだかラ!」
「うるさい!連休前の俺様は特に忙しい!寄り道する暇なんてないんだ!」
最近の放課後は大抵はこんな感じである。
涙を追い回す咽に、それを追いかける凍。
そして、それを遠巻きに見守る他の生徒たち。
もっとも、その視線の熱量は人それぞれ。
「くっそー。いくら妹だからって、俺たちの凍ちゃんを独り占めしやがって、怯川のやつ……!」
「マジであり得ない。いくら妹だからって、私たちの咽君を独り占めするなんて、怯川のやつ……!」
いつの間にか結成されていた、凍のファンクラブ会員と、この学院の創設時から存在する咽のファンクラブ会員。
それぞれのヘイトは、互いの兄妹に向けられるようになっていた。
しかし、当の兄弟たちはどこ吹く風。周囲からどう見られていようとお構いなしである。
それが余計に波風を立てているのだが、二人がそれに気づくはずもなかった。
とはいえ、この状態に焦りを感じている者がゼロというわけではない。
一人目は──
(まずいな。このままでは学校一の嫌われ者の座がこいつらに奪われかねん)
相変わらず、不思議なライバル心を燃やす我らが主人公、渡涙。
そしてもう一人は──
「ちょっと、渡君。顔を貸して頂戴」
生徒会長兼クラス委員長の獅子門杏であった。
なにやら緊迫した表情で涙を呼び止める。
「なんだ、獅子門。俺様は忙しいといったはずだ──」
「いいから、お茶一杯くらい付き合いなさい。時間は取らせないわ」
「怯川君。彼を借りていくわね」と有無を言わさぬ迫力で涙の腕をひっつかむと、ぐいぐいと駅の方角に引きずっていくのであった。
その様子を呆然と見ていた生徒たち。やがて──
「なんだよ!渡のやつ!!俺たちの獅子門さんと二人きりになるなんていい度胸じゃねえか!」
「許せないわ!渡君!私たちでさえ、生徒会長と二人っきりでお茶したことなんてないのに!」
先ほどとは比べ物にならないほどの怒号が学院中に広がる。
なんだかんだ言って、この学院での最大派閥である獅子門ファンクラブを敵に回すほど、恐ろしいものはないということであった。
涙本人が知るところではないが、当面の間は彼の地位は安泰といったところだろう。
前回と同じ、駅前の喫茶店。
「それで、何の用だ?」
この前と同じ席に不機嫌そうに座る涙。
注文を取りに来た店員が、同じく不愉快そうな視線を涙に落とす。
ドン!と、注文もする前から乱暴に水の入ったコップを彼の前に置く。
コップの中に、氷は入っていなかった。
「貴方、凍さんと面識があるんでしょ。彼女について聞きたいの」
「断る」
ピシャリと、断固とした口調で涙。
しかし杏は諦めない。
「どうしてそこまで彼女のことを守ろうとするの?」
「……」
核心を突いた杏の問いを、涙は出された水にふーッと息を吹きかけながらやり過ごす。(どうやら、水を少しでも温めるのが狙いらしい)
質問の答えの代わりに、こんな問いを返す。
「どうして、そこまであのマセガキを気に掛ける?リーゼントの時と時と違って、あいつの居場所はもう既にあるだろう」
「あの娘の場合、居場所が歪なのよ。わかるでしょ?」
「……」
「久しぶりに会えた兄にべったりなのは分かるわ。それも、しばらくすれば治まると思ってた。でも、治まるどころかむしろ悪化してるじゃないの」
最近ではトイレにまでついて行こうとする始末である。
突如乱入してきた彼女の姿に、トイレにいた男子生徒たちが阿鼻叫喚の悲鳴を上げたのは言うまでもない。
「彼女の、その……あまりにも偏った愛情は、クラスの輪を乱しかねない。いえ、すでに乱しつつあるの」
「さっきの放課後だって、気づいてたでしょ?」という問いに。涙は渋々頷く。
凍本人は強烈な引力を持っている。かわいらしい見た目と、年下であることを十分に生かし、クラス中の男子の好感度を掻っ攫っていった。
しかし、兄に近づこうとする者に対しては激烈な斥力を放つ。誰一人として、兄に近づけようとしないのだ。
強力な、そして偏った磁場は、場の空気をかき乱すのに十分すぎた。クラスは、あの兄妹を中心にゆがみ始めていた。
「……アイツは、貰われっ子なんだ」
「血はつながってないってのは、本当だったのね」
ぽつり、と話はじめる涙。真正面からこちらを見つめてくる杏の圧力に、応じることにしたのだ。
「昔から嘘ばっかりつくやつでな。その場に応じてぺらぺらとよく舌の回る奴だったよ」
「……」
「小さい頃から、咽のやつにはずいぶん懐いてたな。俺様とも近所だったせいで、兄妹ともども遊んだこともよくある」
「──渡君、あなたにも妹がいたのね」
「!」
ついうっかり口を滑らせた。昔のことを思い出すのに必死になっていたせいで、自分のことに関するガードが甘くなっていたらしい。
「……他のやつには言うな」
「どうして?──まあ、いいわ。約束する、他の人には言わない」
「とにかく、将来は結婚する、だとか言ってベッタリくっついてるし、兄に近づこうとするやつは容赦なく追い払った」
「今とまるで変わらないのね」
「とはいうが、今の方が徹底してるぜ。なにぶん、数年ぶりに会ったわけだからな」
そこまで喋ると、ゆっくりと水で唇を湿らせる。
同時に、杏が注文したミルクティーが届いた。
「彼女は、帰国子女だと言ってたけど?」
「アメリカに留学するってのは聞いていたが、理由はよく分かんなかったな。とにかく嫌がってわめいていたのだけは間違いない」
「それで、久しぶりに帰国してあの様子だってこと?」
杏の問いに黙って頷く。
しかし、当の本人は全く納得した様子がない。
「それにしても、あの執着は尋常じゃないわ。普通の男女であっても、あそこまでベタベタしないと思うの」
(普通じゃねえんだよ──)
という言葉をぐっと飲みこんで、涙は席を立つ。
これ以上核心に触れることは、凍との約束を反故にすることになりかねない。
「とにかく、これ以上アイツのことを調べようとするな。余計な不幸をまき散らしたくなければな」
「でも、結局は彼女の怯川君への執着を緩めてあげないと、クラスのゆがみは直らないじゃない」
「重要なのは、咽の態度だ。違うか?」
「……」
涙のその言葉に、杏はあっけにとられたように目を開く。
「渡君──あなた、そんなまともなこと言えたのね」
「やかましい!」
「とにかく、期待してるわ。また何かあったら、相談に乗って頂戴」
「──暇になったらな」
そういって、二人の短い作戦会議は終わった。
しかし、千里の時と同じく、騒動は会議の翌日に起こるのであった。




