21 終幕
「涙、大丈夫!?」
「これはまあ、随分と派手にやられたな」
ジェーンを連れてきたのは咽だったようだ。
誰一人いない生物室の様子を見て、二人はおおよその事態を察する。
「……ふむ」
モルモット達のいた籠をひとしきり観察し、涙が手にしている百合の花に目をやる。
「これは、確かにアルカロイド系の神経毒の作用だ。これだけ多量に摂取したのであれば、おそらく苦しむことなくあっという間だったに違いない」
「……そうか」
身動きできない涙のそばにしゃがみ込み、やさしく抱きかかえる。
「だが、その百合の花は無関係だ。確かに、百合の中にはアルカロイドを含むものもあるが、そいつは違う」
「それは……アブねえとこだったぜ。あいつにもうちょっと知識があったら、ばれるとこだった」
「涙の……バカ!」
ふらふらで立つのもやっとの涙の胸に突進してくる幼馴染。
目を真っ赤にはらしている。
「ボクは君のことが好きだよ?でも、涙。君のそういうところだけは、どうしても好きになれない。どうして、君はこんなやり方しかできないんだ!?」
「うるせえな。こうでもしねえと、またあいつが不幸のどん底に落ちていきそうだったんだよ。未然にライバルの芽を摘むのも、俺の大事な仕事だ」
「まったく、お前はいつもこうなのか?不器用というか、なんというか……」
「それよりも、不良女教師。力を貸してくれ」
籠の中の吐しゃ物を指さし、涙はこう続けた。
「あいつを分析して、犯人を割り出してくれ。俺様は、絶対にそいつを許さねえ」
火を噴くような苛烈な目だ。先ほどの千里のそれに匹敵するほどの。
「どうしてそこまでやる?」という問いに、涙は答える。
「そいつは、やっちゃならねえことをした。死んじまった。あいつらは……。死んじまったんだよ……。そして、死んじまった相手には、もう不幸で勝つこともできねえ。勝ち逃げされたままなんだよ……」
今にも泣きだしそうな表情でつぶやく涙。
そんな彼を、咽も一緒に支える。
「ボクも、手伝うよ──。君の汚名は、払って見せる」
「それは余計な真似だな。このままでいい」
「とにかく保健室に来い。治療くらいはしてやる」と言われ、涙は生物室を後にした。
──後日
私立ハンテリアン学院の敷地内に、新しい建物が立った。
名を、レスタースクエア。いわゆる飼育小屋である。
そこでは、近所の保護猫だけでなく、予後不良になった競走馬や、どこからか逃げ出してきたワニ。はたまたゴリラなども飼育されていた。
その膨大な動物たちの飼育を一手に任されることになったのが、新生飼育委員長の千勢千里であった。
やるなら本気の杏の宣言は本物だった。
校長に自ら掛け合い、周辺の保健所への交渉や、区役所への根回しを一瞬で済ませると、あっという間に巨大な動物保護施設を建設してしまったのだ。
「あなたの動物に対する優しさは本物だった。だから、あたしも本物の居場所を用意したわ」
普通の人間には手に余る大型動物たちも、大柄で屈強な千里にとってみれば小動物とさして変わりなかった。
力加減を覚えたおかげもあって、器用に大型動物たちをまとめ上げていた。
言うことを聞かないものもたまにはいたが、千里の覇気の前では恭順せざるを得なかった。そういう意味では、彼はこの保護施設の王ともいえる存在である。
そして、千里は根っからの動物オタクであった。
「おい、馬の赤ちゃんにあげるミルクの温度はきっちり管理してるんだろうな?」
「その猫は昨日引き取られたばかりで人への警戒心が強い。しばらくは遠くから餌やりをしろ」
「バカ野郎、そんな塩気の強い餌をワニに食わせる奴があるか。もっと塩抜きをしてからにするんだよ」
オタク特有の早口で、事細かな指示を一気に飼育委員たちに飛ばす。
こと動物のことになるとひどく饒舌になるし、動物のことであれば、他の生徒たちとも楽しく会話することができた。
「ちょっと時間ができたな。ちょっと行ってくる」
「委員長、どこに?」
「知らないのか?千勢先輩の日課だよ」
保護施設の隣には、新しく霊園ができていた。
施設自身は新しいため、幸いにも霊園に入る動物はまだいなかった。
──たった一つの例外を除いて、
「……」
霊園で眠るモルモット達に、花をささげる。白い、小さなカモミールの花だ。
さわやかなハーブの香りが、風に乗って鼻をくすぐる。
お墓の前に立つ。そこには先客があったらしく、誰かが花を添えてあった。
「これは……」
モルモット達のお墓には、季節外れのヒマワリの花が捧げてあったのだ。
いつかの会話が思い出される。
──モルモットといえど、寿命はそう長くない。その時が来たら、捧げる花は百合ではなく別のものにしたがいい──
──そりゃそうだな。まあ、こいつらの好物のヒマワリの花にでもするか──
──いいアイデアだ──
あの時の会話を聞いていたものが他にいるはずがなかった。
「まさか、な……」
そう呟いて、お参りをする。
目を閉じて、あの日──一日中執拗に自分に付きまとってきた不良生徒のことを思い出す。
あれがなければ、おそらく彼は今こうしてみんなと同じ時間を過ごすことはなかったに違いない。
(感謝……すべきなのか……)
不思議な男だ。
あの一件があって、彼の立場はさらに悪くなった。
それでも、彼は堂々と学校に通っている。まるで、それが誇りと言わんばかりに。
なぜかその姿が、あの"ナミダグマ伯爵"と不意に重なった。
死闘を繰り広げた相手ではあるが、結局のところ、あの一撃のおかげで千里は自分の力をうまくコントロールできるようになったのだ。
「まさか……な」
同じ言葉を口にして、霊園を後にする。
春先の柔らかい風は、霊園に眠る小さき命たちをいつまでも撫で続ける。
墓の前に、二人の男の献花が仲良く風に揺れていた。
第二章はこれでおしまいです
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