2 完全無欠のヤルガチ少女
「前髪、良し。上着、良し。スカート、良し!」
鏡を前に、入念なチェックを繰り返す一人の少女。
少し赤身のかかった髪の毛は、一部の隙もなく整え、結い上げられている。
制服にはシミ一つ、しわの一つもない。入念にアイロンがけを行った成果が出ていた。
「ブラ、良し。パンツ、良し」
合わせ鏡を利用し、自分の背面もチェックする。
なんと念の入ったことだろう。
スラリとした長身を包む制服が、あらゆる角度からの視線に対しても完璧に下着をガードしているかにまで気を配る。
校則に違反しない範囲で、自らを最も美しく見せるスカートの長さを彼女は把握しきっていた。
「リップ、良し。鞄、良し。校章……あっ!?」
勝気な赤い瞳が鏡の中の校章を捉え、剣呑とした光に揺れる。
「……校章が1ミリもゆがんでるじゃない!」
爆弾でも扱うような慎重な手つきで、胸の校章の位置を正す。
生徒会長のみがつけることを許された、彼女の誇りの一つである。
「校章……よし!」
満面の笑みを鏡の向こうの自分に向ける。
一部の隙も無い。完璧な線対称。
「よーし。今日も、完璧!」
はつらつとした声で、母親に向けて声をかける。
「獅子門杏、行ってきまーす!」
完璧少女
彼女を一言で表すなら、その言葉が最もふさわしい。
むしろ、それ以外の言葉で彼女を言い表すのが困難と思わせるほどに、彼女には隙がなかった。
成績は常に学年トップ。運動も万能。組織をけん引するリーダーシップも兼ね備えていた。
加えて、容姿も端麗。学校の誰もが憧れ、憧れまくったせいで、いまだに誰一人として告白した者がいないほどの特級の高嶺の花。
さらに、彼女の恐ろしいところは、その完璧さを次々と伝染させていくところにあった。
小学3年生の時に合唱の指揮を執った際、クラスの持つ歌唱力の高さをいち早く見抜いた。案の定学芸会でぶっちぎりの一位を獲得する頃には、地域のコンクールに応募していた。
驚くクラスメイトに対し「やるなら本気が当たり前でしょ!?」と気勢をあげると、その日からさらなる猛特訓が始まる。
予選を通過し全国大会への出場が決まると、教師に掛け合って一日の時間割を「国語」「音楽」「音楽」「音楽」「昼休」「体育」「音楽」に無理やり変更させた。
「大会が終わったら、みんなで授業の遅れを取り戻します!」と、全員の両親にまで約束を取り付けるほどの徹底ぶりである。
およそ小学生がこなせるとは思えない練習を乗り越えたせいもあって、彼らは見事に全国大会で優勝を果たした。
杏に一つ誤算があったとすれば、その先に控えていると思っていた世界大会がなかったことくらいだろう。
その時の同級生の中には、今は声楽家に進みプロのミュージシャンを目指すものもいた。
とにかく、やるとなったらとことんやり抜くのが獅子門杏という少女なのである。
そんな彼女が進学したのはここ、私立ハンテリアン学院。2年前に設立されたばかりの新設校である。
周囲の大人たちは驚いた。当然のように名門校に進学するものと思っていたからである。彼女の経歴を知っていれば、私立であればどこでも特待生扱い間違いなかっただろう。
しかし、彼女はこの新設校を選んだ。
理由はいくつかあるが、その一つに「自分の理想とする完璧なクラスを作り上げる」という目的があったのだ。
伝統や慣例にとらわれず、ゼロから始めることこそが、その目的に最も近いと考えたのだった。
「おはようございます、生徒会長」
「おっはよー!杏ちゃん」
「今日もきれいだね、獅子門さん」
様々な生徒からの親しみの籠った挨拶のすべてに完璧に返事を返しながら、彼女の教室に向かう。
上履きを履き替えたところで、彼女の目に一人の生徒が目に留まる。
「京本君、おはよう。どう、あれから?」
「あ!し……獅子門先輩……!」
まさか声をかけられると思っていなかったのか、声をかけられた生徒は素っ頓狂な声を上げて慌てふためくばかりだった。
「佐野君と飯塚君の二人は、もう絡んでこなくなった?」
「は、はい。あれからお金を要求されることもなくなりました。それどころか、この前のテストで僕のヤマが当たったって喜んでくれたし、そのお礼に他の学校の不良に絡まれそうになった時に守ってくれたんです」
はにかむように笑う京本に、杏は会心の笑みを返した。
思わず、周囲の生徒が見惚れてしまうほどの輝きで。
「そう!それはよかったわ!また何かあったらあたしに相談してね」
「ありがとうございます!」
全員が平等で、仲良く過ごせる学校。
それこそが、杏の目指す理想の姿であった。
新設校であるがゆえに、入学してくる生徒たちは玉石混合、千差万別。先ほどの京本のようにおとなしく勉強の得意な生徒もいれば、彼に絡んできた佐野、飯塚のように不良校上がりの素行の悪い生徒もいる。
そういった多様な生徒たちであればこそ、手を取り合い、認め合うことで素晴らしい関係性が生まれるはずだ。
杏はそう信じていたし、実際そうなりつつあった。
「出席をとるぞー」
自分の席に座り、担任がクラスメイトの名前を順に読み上げる。
「逢沢。出川。榎木。」
最初は喧嘩やイジメ、あるいは女子同士の派閥争いなどが蔓延していたこの2年1組も、今ではすっかり落ち着き、活気あるクラスへとなっていた。
担任が読み上げる一人一人の生徒に、杏自らが本気でぶつかっていった成果である。
「福田。グラハム。井上。」
時間がかかったが、杏は今の2年1組の状況におおむね満足であった。
虐めなどなく、誰かが困っていたらためらうことなく助け合う。競い合いはあるが、争いはしない。そんな理想的なクラスメイトたちだ。
人種も国籍も異なる生徒たちが全員、担任の呼びかけに元気よく応えている。皆はつらつとして、健康そうな声だ。覇気がある。
「佐藤。タリク。王……」
そこまで読み上げると、担任の声がぴたりとやむ。
同時に、杏の眉間にしわが寄る。完璧な表情に、見る間にひびが入っていく。
確かに、2年1組は完璧に近づきつつあった。
……たった一人の例外を除いて……
「ああ……と、その……」
担任が困ったように杏の方を向く。教師が生徒に助けを求めるような視線を向けられても、とも思うが。杏の実績を思えば無理もない。
そして、出席番号40番。2年1組の最後の生徒の特異性も鑑みればさらに無理もない話だ。
しかたない、といった表情で、担任が最後の名前を読み上げる。
「……渡……」
シ……ン、と教室に静寂が響き渡る。クラスを見渡すまでもなく、その生徒がここにいないことは明らかだった。
完璧なはずの2年1組において、遅刻者が出た瞬間である。
杏は心の中で頭を抱えた。
(あの……男ったら……!また遅刻ですってええ……!!)
ゴゴゴゴゴゴ……と、怒りの炎で体が焼け落ちそうであった。
もちろん、周囲にはおくびにも見せないが。
(何度言っても、あいつだけは、どうして完璧にならないの……!)
頭を掻きむしりたくなる衝動を必死に抑えていると、教室のドアがゆっくりと空いた。
「……どうやら、少し遅刻したようだな」
「おう、渡。ギリギリアウトだぞ、明日からは気を付け……って、おわ!?」
担任の声が急に上ずる。
入ってきた長身細身の男子生徒は、全身ずぶ濡れだったのだ。
「急いで駆け込んだトイレが、どうやら修理中だったらしくてな。おっと、安心しろ。噴き出したのは上水だ。下水は一ミリ足りとも浴びてはいない」
「そういう問題じゃないでしょうが!」
我慢の限界を超えた杏が、バッグの中からバスタオルを取り出し投げつける。
「風邪ひく前に、とっとと着替えてきなさい!」
とまあ、これが渡涙と獅子門杏の完璧な日常の一幕なのであった。
Do it ”gachi" no duh !?