遭遇
「そうじゃったのか…。」
「はい。ごめんなさい、黙っていて。」
「いいんじゃよ。簡単に人に話せることではない。」
そう言って、カープさんは優しく頭を撫でてくれた。
兄しか居らず、前世でもこういう触れ合いが少なかったから、何だか凄く慣れない。
でも、凄く嬉しくて、安心した。
「わしも力になれるかもしれん。頼っておくれ。」
「…うん。」
こういうのが、お爺ちゃんなのかなあなんて思う。
前世でのマリアとカルロ氏を思い出す。
当時私は、そんな二人の関係が凄く羨ましかったのを覚えている。
「さあ、もう遅い。お帰り。」
「はい、ありがとうございます。」
そうして私は、外で待っていたダグリスと共に先生の家を後にした。
待っているものには、気付かずに。
血の気が引き、倒れそうになるのを気丈に耐える。
目の前が真っ暗になりそうだったが、ここで倒れる訳にはいかなかった。
「報告によると、みすぼらしい服を着た子供が二人入り込んでいたので、追い出したそうだ…。分かるな、この意味が?」
向かい側に立つ祖父の言葉に、私は眩暈を覚えた。
今度こそ本当に倒れそうになり、近くにあった長椅子に座り込んだ。
震えの止まらない腕を抱き、俯く。
「あ、あの子が、手引きがあれど、自分から居なくなったということですわね…」
「そうだ。…これが知られれば、幾ら唯一人の子息だとしても、地位が危ういことになる可能性がある。」
「…ふっ、それを許したお爺様の地位も、ですわね…」
あまりのことに、嘲りの笑みが零れる。
息子のことに気付けなかった自分も、いなくなったことで被る祖父の責任問題も、息子が居なくなったことで自分の存在価値が揺らぐ不安を感じてしまった自分も、全てが愚かなことだ。
分かっているけれど、私にはもうあの子しかない。
「あの子は、誰の引き金でどこへ行ったんですの?」
動揺している場合ではない。今直ぐにあの子の居場所を突き止めて、連れ帰らなければ。
今回の帰省の期間は三日。
三日後、城へと戻る時にあの子が居なければ、私は失脚したも同然だろう。
そうなれば、もう―――
あの人の横に立つ資格も理由もなくなってしまう。
それだけは、避けなければ。
だって、その為に、あの人の横に立つ為に、私は、私たちは。
「…今、子飼いの兵を使い調べさせている。いいか、マリア。この事は内密にするのだ。」
「…分かっておりますわ。でも、三日経ってもあの子が見付からなかったら、どう致しますの?」
口にした自分がゾッとした。
もしそんなことになろうものなら、私はどうしたらいいのだろうか。
あの子しかいないのだ。あの人と私の間の絆は。
私似に生まれたあの子を思う。
何度、あの人に似て生まれてくれればと思ったことか。
それでも、あの子は私の子だ。
可愛い、可愛い子供。
彼女ではない。私が生んだ子供。
「…なんとしてでも見付け出す。これでは一体何の為に、十五年前動いたか分からんではないか!」
感情を昂らせたお爺様が、持っていた杖を激情に任せて、床に振り下ろす。
十五年前、の言葉に、私の精神はスッと冷めた。
私を親友だと言って微笑んでいた女を思い出す。
あの子は、“神託”で国を追い出され、死んだ。
「十五年前、私が神官まで買収して、フォンシュミット家の娘を排除したというのに!結果がこれでは何の意味もないッ!」
普段の好々爺とした顔をかなぐり捨て、祖父がそう吐き捨てた。
こんな顔を持っていることを知る人間はきっと、殆どいないだろう。
普段の祖父の顔をそのまま信用している人間が多いことを、私は知っている。
あの子も、そうだった。
こんなにも野心を持った男なのに、気付かなかった。
私にだって、そうだ。
「お爺様、もうそのことを口にするのは止して下さいまし。…不愉快ですわ。それよりも、必ず見つけ出して下さい、あの子を。」
今は息子のことだけが大切だ。
私は、縋る思いで祖父を見詰めた。
「あの子はまだ十二歳なのです。きっと悪い者に誑かされたに決まっていますわ。」
「否、王太子がそんなことであってはならない。嬉々として政敵共が喚く隙を与えるだけだ。」
そう言って目を逸らし、背を向けた祖父の背中を見詰める。
確かにその通りだった。
王太子であるあの子に求められるのは、賢さだ。誰かの騙されるようではいけない。
王に相応しくないとされるのは、時間の問題になってしまう。
「…だからこそ、内密に事を解決するしかない。分かっておるな、マリア。」
「……はい、お爺様。でもきっとあの方は…」
あの方は、無事帰って来た息子を次期後継者から外すようなことはしないだろう。
愛しているからではない。あの子以外の後継者を用意する気がないからだ。
私を横に置くことだって、仕方ない決断だったのに。
握った手を、額に押し当て願う。
どうか、あの方に知られる前に、あの子が見付かりますように。
最低な母親だとは分かっていた。
けれど、今更自分を変える術など、自分は持っていない。
全ては、運命に任された。
夜も更けた頃、私はダグリスに送られ、家へと帰り着いた。
私の家は、授業をしている小屋の直ぐ近くにあるこれまた同じく小屋だったりする。
スラムによくある形の小屋で、小さくとも清潔感のある家だ。
そこで私と、兄二人は暮らしている。
筈、なのだが。
目の前のテーブルの椅子に座る、見知らぬ子供。
艶やかな金髪に、海のような青い瞳。
天使のように愛らしい少年が、簡素な服に身を包んで座っていた。
「…えっと、君のお名前は?」
見たところ、十歳前後だろう少年。
じっと青い瞳が私を見上げる。
その顔に、どこか既視感を感じた気がして苦笑した。
そんな筈はないだろう、だって初対面だし。
「わたしは、クリフォード。クリフと呼んでくれ。」
「えっと、私はイストというのだけど…、クリフくんはどうしてここに?」
何だか凄く子供らしくない子供だ。
授業をしている子供の中に居た子ではないし、完全なる初対面。
そんな子が、何で家に居るんだろうか。
クリフくんは、困ったような顔で微笑んだ。
「…知人にここで待っているように言われたのだ。ここはお前の家か、イスト?」
思わず頷いてから気付く。
なんて偉そうな子供なんだろうか。
「(いや、実際に偉いのかも…。きちんと教育を受けた子供って感じするし…)」
だとしたら尚更、こんな所に居るのはおかしい。
なんで良家のお坊ちゃんがこんな所に?
「知人?それって誰のことか分かる?」
「うむ。わたしの側仕えをしていた男でな、三年前にいきなり出家したので二度と会えぬと聞いていたのだが、今日手紙を子供が届けてくれて、それでその者に連れられここに来てな、」
「あー、ちょっと待って!整理するわね?つまり、手紙で君はここへ呼び出されたってこと?」
「うむ、その通りだ。」
怪しい。凄くそれって怪しい。
手紙だなんてそんなので、ひょこひょここんな所まで来るなんて、大丈夫なのかこの子。
「その手紙、お姉さんにも見せてくれるかな?」
「…了承しかねる。」
んー、素直なだけな子供ではないらしい。
差し出した手を手持ち無沙汰になって引っ込め、頬を掻く。
「悪用も他言もしないって言っても駄目?」
「……そなたが何を心配しておるのか分かっておる。この手紙が本当にわたしの知人のものか疑っておるのだろう?」
「そ、その通りです。」
この歳の子らしくない物言いだ。
絶対この子、貴族の子供だ。絶対そうだ。
クリフくんは、にっこりと笑って言う。
「なら大丈夫だ。筆跡も言い回しも、あの男のものに間違いなかったからな。」
「そうなんだ…、じゃあ改めて聞くけど、その知人って何て人なの?」
「ああ、名は、ガイルディア・ニールセンと言う。」
聞いたことのない名前だった。
少なくとも私の知人ではないようだ。
しかし、こんなお坊ちゃまの出家したという知人が、何故この家にこの子を連れて来るよう仕向けたんだろうか。
私は続けて疑問を投げ掛けようとして、止めざるを得なかった。
だって、背後でドアの開く音が聞こえたと思ったら、クリフくんが満面の笑みを浮かべ席を立ったから。
「はーい、そこまでですぜ、お嬢。そして、
ご無沙汰しておりました、クリフ殿下。」
聞き覚えのある声。
振り返った先で笑っていたのは、リオン兄さんの部下。
「すみませんね、お嬢。説明はまた後で。」
ガイさん、だった。
いや、でもそんなことよりも、そう、気になるのは。
「クリフ……でんか?」
音を立てて、何かが崩れた気がした。




