思惑
「ま、じゃあ話すぜ?イストは、この国の王が誰だが知ってるか?」
簡単な問いだった。
いくらスラム育ちとはいえ、自国の王ぐらい知っている。
そう、彼の名は。
「アルカーノ・V・アウグスト陛下、ですよね。」
私にとっては、アルカーノ“殿下”だけれど。
この国の国王となった人。
私の愛した人。
結ばれると思っていた人。
そして、違う人と結ばれた人。
「ま、その通りだがな。ちょっと違う。」
意味が分からなくて首を傾げる。
この国の王は一人だ。代々第一王子が受け継いできた。
「実際に王みたいなことしてるのは、妃の家だ。」
「…外戚ですね。」
確かによくあることだ。
実際に、前世の私の家もそれを狙っていたんだと思う。
「今の王の妃は、マリア・ファンファーニ。つまりは、ファンファーニの爺の天下ってわけだ。」
「…カルロ・ファンファーニ…。」
確か、生まれ変わって暫くして、宰相になっていたと聞いた。
そりゃそうだろう。孫娘が王妃だもの。
そう、あのマリアと。
随分前にお世継ぎにも恵まれて、安泰だろう。
つきん、と胸のどこかが痛んだ気がした。
「よく知ってるなぁ、イスト嬢ちゃん。…ま、その通り。そのカルロっておっさんが宰相になってから、一層貧富の差が酷くなりやがった。」
「…まだ前宰相の時は、貧富の差はあれど今のようにスラムに移ってくる人間はそんなに多くなかったんだよ。」
ルー兄さんが続けた言葉に驚く。
そんな違いがあったんだろうか。
記憶の中のカルロ氏のことを思い出す。
私が彼女の家に遊びに行くと、彼は笑顔で迎えてくれた。
好々爺としたお爺さんだった筈だ。
「ちょっと待って下さい!あの、偶々とかそういう可能性もありますよね…?」
「根拠のないことを、ユーグさんは言わないよ。」
確かに兄さんの言う通りなのかもしれないけれど。
でも、上の気持ちがそのまま伝わらないことがあるのは分かっている。
でもここで私が、カルロさんはそんな人じゃないと言っても根拠なんかない話だ。
だって、イストとカルロ氏に面識はないんだから。
「その通りだ、ルーくんよォ。俺は根拠のないことは言わない主義だかんな。」
「…じゃあ、その根拠ってなんなんですか?」
ムキになって訊ねると、ユーグさんは曖昧に微笑んで「ちょっとな」と言う。
答えになっていないので、更に言い募ろうとした私を止めたのは、ルー兄さんだった。
全幅の信頼を寄せた瞳で私を見て頷く。兄はこのユーグさんのことを、本当に信頼しているらしい。
でも私にとっては、この目の前にいるユーグさんより、カルロさんの方が身近な人だ。
庇いたくなるのは、仕方ないだろう。
「…じゃあいいです。で、それがこの組織と何が関係あるんですか?」
「あるっちゃあるんだなこれが。」
「この組織は、確かに最初はこのスラムを裏から取り締まるだけの組織だったんだ。でも今は違う。厳密に言えば、七年前から違うんだ。」
七年前。
きっとマリアと殿下が結婚して、暫く経った頃だろう。
私が死んだ日からの日数を考えると、妥当だ。
「俺たちは、あの時からある目的の為にやってきた。カルロ・ファンファーニを潰す為にだけにな。」
目の前が、真っ暗になった。
それはつまり、国家に反逆する意味と同じだ。
もしバレたら、捕まるだけじゃ済まされない。最悪死刑だ。
関わった人間、郎党皆殺しにされても文句は言えない。
「今まで黙ってたんだ。…ごめん、イスト。」
瞼を伏せて謝る兄を殴り飛ばしたい衝動に駆られる。
こんな大切なこと、私に黙ってるだなんて信じられなかった。
そりゃ、言い辛いことだろうし、言っていいことでもないのかもしれないけど、一応私にも関係のあることなんだし。
「…本気なの、兄さん?」
信じられなかった。そんなことを考える兄たちが。
静かに、しかし確かに頷く兄は、誰かに誘発されたわけでもなく、自分の意思での決意なんだろう。
「…本気なんですか?」
今度はユーグさんへ問う。
どうしても本気かどうか知りたかった。
「ああ。」
今までのだらしの無いおじさん然とした雰囲気は、なくなっていた。
そこに居たのは、裏組織の人間。
ふと、気付いた。
ああ、この人が組織の頂点なのだと。
「…こんなこと、私に話してよかったんですか?もしかしたら、保身の為に貴方方を売るかもしれませんよ?」
私だけでも助けてくれ、と国に私が兄さんたちを売る、なんてこと、有り得る話な筈だ。
いくら私が、隠し事はなしにしてくれと言っても、話せることと話せないことがあるろうに。
「そういう奴は、自分でんなこと言わねえよ。」
くつくつと喉の奥で笑い、彼は机の上の煙管を手に取る。
「それにお前さんは兄たちを売ろうとはしねえだろうしな。」
「…信用してくれてるんですね。」
「勿論だろ?俺がおしめを代えてやったんだからな。」
「恥ずかしいですからそれ言わないで下さい!」
自分のあられもない姿を見られていると思うと、恥ずかしくてたまらない。
前世の記憶があって、精神年齢が高い分、あの幼少の日々は地獄だった。だからいつも寝て過ごしていたけれど。
恥ずかしさで憤死してしまいそうだ。
そんな私を愉快そうに見るユーグさんの瞳は、私を見る兄たちの瞳と同じだった。
「ま、だから話すことにした。イスト嬢ちゃんにも関わる話だしな。」
「すっごく関わりますよね、この話。」
「でも、僕たちが失敗しなければ、大丈夫だよ。心配しないで、イスト。」
「兄さんは楽観主義者なの?そうなの?」
大丈夫だなんて言う兄さんの神経が信じられない。
この国の上層部を甘く見過ぎている。
私の知るカルロ氏だって、殿下、いや陛下だって誰だって、凄く頭の切れる人だった。
「その自信はどこからくるの?何か策でもあるの?」
それしか考えられなかった。
でもスラムの裏組織が、どうやってカルロ氏を失脚させるつもりなんだろうか。
「ま、当然の疑問だわな。こっちにはちょっとした考えがあるんだよ。」
ニヤニヤ笑うユーグさんと対称的に、ルー兄さんの顔は浮かない色だ。
凄く嫌な予感しかしない。
「ま、その時までのお楽しみってなぁ!」
「…はあ。」
凄く不安だ。不安でたまらない。
でもここまで秘密にされるってことは、多分私に話せることじゃないんだろう。
兄さんの浮かない顔を見るに、非合法なことなんだろうか?
そう、例えば、暗殺とか。
暗殺、と暗い気分になるのは否めなかった。
今でも時たま夢に見る。最期の瞬間。
そっとさり気無くお腹に手を当てて、熱を沈める。
「本当に、それは大丈夫なんですか?」
これだけは確かめたかった。
真っ直ぐにユーグさんと見詰め合う。
彼は、微笑んだ。ボスとして相応しい、鋭気に満ちた瞳で。
「おう、任せろ。お前さんに迷惑はかけないぜ。」
私は、小さく息を吐いた。
安堵の息じゃない。これからどうするかと不安の溜息だ。
ありえない。無事に済む筈がない。
でも今ここで私がいくら反対したところで、どうにもならないのだろう。
「…分かりました。」
納得したように、頷く。表情は強張ってしまっているけれど、仕方ないだろう。
私が不安に感じているのを分かっているのだろう、ユーグさんは手を伸ばして私の頭を優しく撫でた。
「ほら、もう遅くなっちまう。帰りな。」
その言葉が、この場を去る切欠となった。
お開きとなり、兄にまた手を引かれた帰る。勿論、また目隠しをされた。
帰る道すがら、私は聞いた。
「ねえ、いつそれは起こるの?」
兄は、一応答えてくれた。
「…一月後だよ。」
一月後。
その言葉に、私は悟った気がした。
一月後は丁度、カルロ氏の誕生日だ。
彼は毎年、自分の屋敷に客を招いて盛大な誕生日会をするのを楽しんでいた。
客の幅は広い。貴族、商人、学者、学生、たまに王族まで。
私も前世で、殿下一緒に招かれたことがある。
それはもう立派なパーティーだった。
招待状のない人間は入れない決まりだったから、普段よりも警備は厳しくなかった気がする。勿論、外からの危険には警戒していたけれど、その分内部からの危険は想定していない警備体制。
多分、そこを狙えば、容易くはないが、カルロ氏を亡き者にすることは可能かもしれない。
問題は山積みだけれど。
「…そっか。」
私は、思案するように目隠しの裏で目を閉じた。
招待状をそう何枚も用意出来る筈がない。
自然と少数での作戦になるだろう。
だったら、私にだって止めることが出来るかもしれない。
「怪我、しないでね。」
「…うん、勿論さ。」
気休めなのは分かっていた。
兄さんと繋いだ手に力が込められる。
「そっか。」
私は、それを握り返した。しっかりと。