裏組織
「あ、お帰りなさい、ルー兄さんっ!大丈夫だった仕事~?危険な仕事だもんねっ、イスト凄く心配してたんだよ~?」
わざとらしい私の言葉と表情に、ルー兄さんの笑顔が固まり、半歩後ろにいたリオン兄さんの顔色が青くなった。
「でも無事に帰って来てくれてよかったぁ!誰かに刺されたり撃たれたり殴られたりしないか心配だったんだ~!」
絶対お前それ、とリオン兄さんの口が呟く。その顔色は、半歩前に立つルー兄さんの冷気に圧されて土気色に変色していた。
「…リオン、ちょっとあっちで話そうか?」
否とは言わせない力があった。
当然、リオン兄さんにルー兄さんに抗う力があるわけもなく。
「…はい。」
そのまま、リオン兄さんはルー兄さんに外へ連れられて行きましたとさ。
「リオンから聞いたんだね、僕たちのこと。」
「うん、まさかそっち系の仕事してるとは思わなかった…。」
「…軽蔑、したかい?」
私は首を横に振った。
「軽蔑したりなんかしないよ。兄さんたちのこと、信じてるから。だから、おかしなことはしてないって思ってる。」
「イスト…」
感激したらしいルー兄さんが抱き着いてこようとするのを押し返し、にっこりと笑って見せた。
「でも、黙ってたことには怒ってるからね。」
これだけは譲れない。
一気に情けなく、眉が八の字を描く。
そういえば、リオン兄さんが帰って来ないんだけど。
「(ま、いっか)というわけで、これからは、秘密ごとなしね。」
私が言えることじゃないけど。
でも私は結構我侭だから、自分だけが知らないなんて悔しい。
それに私の秘密は、一生誰にも話さないつもりだし。
「…わかった、全部話すよ。」
あれ、なんかまだ秘密ごとあったっぽい…?
「明日、一緒に来てくれるかい?」
どこに?
思わず素でそう返しそうになったけれど、話の流れ的には、兄さんたちの組織…かな?
分からないけど、とりあえず頷く。
兄さんたちが私を危険なところになんか連れて行かないだろう。…多分。
「あ、でも勉強会があるから、夕方にしてね。」
「あ、うん。…なんか挫かれるなぁ。」
「でもこれだけは譲れないもん。」
「ああ、分かってあるよ。」
なんか、大変なことになってきた気がする。
でも、前世で一人生きていく決意をした時に比べれば、今の私には家族がいる。
「さて、そろそろ夕飯にしよう?リオン兄さんを呼んで来てね。」
「ああ、あいつなら急用があって出掛けたよ。ご飯はいらないって。」
…本当だろうか。
「…そっか。」
ま、リオン兄さんだから、いっか。
この時の私には、これから知ることの重大さなんて、分かる筈がなかった。
ちょっとした不安と好奇心で、昨日はよく眠れなかった。
授業中もよくウトウトして、子供たちに笑われるくらい。
裏組織。
危ないのは分かってるけど、兄さんたちがいるのなら、悪くない組織なんじゃないかな、なんて思ってしまうのは、ここでもずっと守られ続けていたからかもしれない。
この無法地帯なスラムを実質牛耳っている組織。
そのくらいしか知らないのも、問題かもしれない。
でも、前世の私とは違う。
だって、この目で実際に確かめることが出来る。
もう、箱の中じゃないから。
「…準備は、いいかい?」
「うん。」
今私は、目隠しをされてます。
隣には、ルー兄さん。
ぎゅっと繋いでいる手だけを頼りにここまで来た。
ここまでと言っても、どこだかしっかり分かってるわけじゃないけど。
何故目隠し?と思って聞けば、曖昧に濁された。
でも、何となく分かった気がする。
家を出て暫く歩いてから、聞こえて来た男の人の豪快な、悪く言えば下品な笑い声と、女の人の艶やかな声。あと、お酒の匂い。
兄さんたちが、私に必死に隠そうとしてた場所。
子供たちの中には、ここに母がいると話している子もいた。
多分ここ、娼館街だ。
スラム街の西の方に広がる、花たちの街。らしい。
多分、私に兄さんたちがいなかったら、私がいたかもしれない場所。
名前だけは知っていたけれど、まさか兄さんと来るとは思わなかった。
「…どこへ行くの?」
今更な問いだった。
でも、今頃になって少し不安になってしまったのだ。
「ここの先に行くと、黎明館っていう店があるんだ。そこに、お前に会わせたい人が、待っているんだよ。」
…確実に、娼館だよねその店。
なんか少し恥ずかしいというか、なんだか微妙な気持ちで頷く。
兄さんと繋いでいる手に力を込める。
暫く歩いて、兄さんが立ち止まった。
「着いたよ、行こう。」
「うん。」
さあ、ここからだ。
その店の中は、甘ったるい香りと笑い声に包まれていた。
入った瞬間に、目隠しをしていても分かる。ここは、別世界だと。
その真っ只中を歩いている気がする。
でも暫くすると、騒がしい空気が段々と離れて行った。どうやら、人の少ない方へと向かっているようだ。
そして、立ち止まった。
「…大丈夫だよ、悪い人ではないから。」
「…でも、いい人じゃないんだね。」
兄さんからの返事は無かった。
無言で、繋いだ手に力が込められる。
スパン、と扉が横にスライドしたような音が聞こえた。
それと同時に、兄さんの手が離れ、視界を覆っていた布が取り払われた。
いきなり飛び込んで来た光に、目を眇める。
ぼやけた視界の向こうに、人影が見えた。
「よう、別嬪さんになったな、イスト嬢ちゃん。」
「きゃっ、本当に立派になってぇ~。」
渋い男の人の声と、艶やかな女の人の声だった。
次第に光に慣れた視界に、今度こそはっきりとものが映る。
目の前に居たのは、五十代くらいの如何にも親父!という感じの男の人と、その人の腕に腕を絡ませた、着物姿の女性だった。
兄さんが、一歩前に出て頭を下げる。
「連れて来ました。イストです。」
「んなこと分かってるってぇの。」
ニヤニヤと笑う男の人に、兄さんは苦笑を返す。
この展開に付いて行けないのは、私だけだった。
「…ルー兄さん、この人だれ?」
「イスト……まあ、仕方ないかな。」
まだ小さかったから、と呟く兄さんを見てから、視線をまた戻す。
男の人は、ニヤニヤと私を見ていた。
「あら、悲しいわぁ~。私のことも覚えてないわよねぇ。」
隣の女性が、悲しそうに言う。
茶化すような声音だが、どこか本当に悲しまれている気がして、申し訳なく思った。
「すみません、あの、どこかでお会いしたことありますか?」
私の問いに、二人は顔を見合わせてから笑った。
「そりゃもちろん。お前のおしめを変えてやったことだってあるんだぜ?」
「あら、アンタなんかまだまだよ。私なんか母乳あげたんですからねっ」
おしめ?母乳?
何のことだ、とルー兄さんを詰問するように見上げた。
すると、意外な返事が返って来た。
「お前が赤ん坊の時、ここでお世話になっていたんだよ。」
言われて思い返してみれば、確かに途切れ途切れの赤ん坊時代の記憶の中に、あの二人がいないでもない。かもしれない。
「あの男の人が、ユーグさん。隣の女の人が、その恋人のヘレネさんだよ。」
「ユーグだ。ここの取締り役みたいなことしてる。」
「ヘレネよ。ここの女主人をしてるわ~。」
どうやら凄い人な気がしてきた。
改めて室内を見渡せば、そこは絢爛豪華な一室だった。
前世で一度だけ見たことがある、赤い格子と色鮮やかな模様の調度品の数々。確か異国のものだ。
異国情緒溢れる中、長椅子に座る二人は、どこかの貴族のように悠然としていた。
「おい、いつまでも扉の前に突っ立ってんじゃねえよ。こっちこい。」
「ほら、向かい側にお座りなさいな。」
そう言ってヘレネさんが立ち上がって私の手を引いて導く。抵抗もなしにされるがままにユーグさんの向かいの長椅子に座らされた。
良かったことは、隣に兄も座ってくれたことだろうか。
「さてと、バレちまったみてぇだな、おい。」
「すみません。リオンが気を抜きました。」
「ま、しゃあないな。」
ヘレネさんから何か長細い棒を受け取り、それをユーグさんはくわえた。白い煙が吐かれる。
「イスト嬢ちゃん、お前はどこまで裏組織のことを分かってる?」
突然の問いだった。
答えられずにいた私に助け舟を出したのは、ルー兄さんだ。
「よく知らないと思います。きっと、スラムを牛耳る組織、くらいの知識でしょう。…だろう?」
こくり、と頷く。あまり釈然としないというか、知らないことがいけないことのように感じた。
知らない、というのは前世のこともあって、なんだかいい気はしない。知らないのは罪のような気がして。
「そうか。ま、当たらずとも遠からず、か?」
ソファーの前に置かれた低い足のテーブルの上の箱の中に、煙管の灰を捨てながらユーグさんは笑う。
「…ま、いい。ヘレネ、ちょいと美味い酒と肴頼む。」
「はぁい。ちょっと失礼するわねん。」
ヘレネさんは、ウインク一つあっという間に部屋から出て行った。
完全に気配が消えた瞬間、ユーグさんが煙管を置いた。
「…これから、組織の真実を話す。お前さんは本当に聞きてぇか?仲間外れが嫌だ程度の気持ちなら、やめとけ。」
ほの暗く輝く真剣な瞳に、圧倒され、息を呑む。
でも、答えは決まっていた。
「…確かにそれが一番の理由です。でも思うんです。“知らない”ってことは、取り返しのつかないことになるんです。」
だから、今度はそんな自分になりたくないから。だから。
「教えてください。兄さんたちは、組織は、何をしているんですか?」
負けないように、逸らさないように、ユーグさんの目を真っ直ぐに見詰める。
数秒、見つめ合った。
そして、ふとユーグさんが笑い出した。
「ハッハッハッ、こりゃ傑作だ!あの赤ん坊がこんなイかした目するようになるなんてなぁ!親父さんは嬉しいぜ!」
誰が、親父さんだ。誰が。