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愛思草  作者: 五月雨
Ⅰ 動き出す何か
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兄妹




「あ」


「お」



私の声に振り向いたのは、見た目通り「チャラい・やんちゃ・生意気」と有名な次兄、リオン兄さんだった。

いつもの本人曰くアレンジしたらしい服を着てサングラスをしている。

スラム街にこんな格好の人は珍しいから、よく目立って分かりやすかった。



「どうしたの?確か仕事場ってここじゃないよね?」



リオン兄さんの職業は、よく知らない。でも多分、環境的に土木系とかだとは思う。

スラム街で土木系の仕事が入る訳ないし、リオン兄さん自身、仕事場はここの外と言っていたので、まっ昼間にスラム街を歩いている筈ないのだが。



「あー…ちょい、仕事相手の付き合い?…みたいな?」


「…みたいな、って…」



曖昧に笑って濁す兄の態度に呆れて、思わず持っていた紙袋を落としてしまうところだった。

付き合いと兄は言っているけれど、その仕事相手らしき人は見当たらない。

思わず好奇心で、それらしき人を探すように周りを見れば、「きょろきょろするなってーの」と頭を小突かれてしまった。



「つーか、一人でここ歩くなって言ったろ?」


「う…、で、でも昼間だし、明るいし…」


「お前なぁ…。いくら明るくたって、ここはそんな甘い場所じゃねーっての。」


「で、でも!今まで危ない目に合ったことないし…」


「はぁ…」



これ見よがしにため息を吐いたリオン兄さんが、がしりと私の頭を掴む。ぐっと顔を近付けられて、思わず仰け反る。



「ち、近いよ!」


「よーく聞けよ~?」



顔が近い。凄く近い。結構端整な顔をしているから、余計恥ずかしい。

前世を含めて上位に食い込む程、二人の兄は格好いいと思う。妹としての贔屓目なしで。

紙袋があるせいで手も使えないから、一歩二歩と下がる。



「お前が今まで何事もなく平和で暮らせてるのは、ちょっとした奇跡みたいなもんだぜ?だから、気を抜くんじゃねえよ、頼むから。」


「兄さん…」



ぎゅっと抱き締められて、兄の体温が伝わる。

微かに震えた体に、私が傷つくことを本当に心配してくれているのが分かる。



「頼む、家の近くでじっとしていてくれ。そこなら安全だから。」



な?と兄の腕から解放されて、一応頷く。

心配してくれているのは分かっているし、ここスラムが安全ではないのは分かっているから。

でも、少なくともこの辺はまだ安全地帯だしいいかな、と思ったんだけど…。

まだまだ私の認識は甘かったようだ。



でも、何かおかしい。

兄の言い方だと、家の近くは安全らしいけど、でもそれっておかしいんじゃないだろうか。

安全な場所なんて、ないんじゃないんだろうか。



「…リオン兄さん、」


「何だ?」



安心したのか、優しく笑う兄を見上げる。



「何で、家の辺りは安全なの?」



兄の笑みが固まった。今考えればおかしい。

生まれてから、私は危険な目に遭ったことが殆ど無い。あっても直ぐに兄が助けてくれた。

食べ物も満足に食べられない時代ってのが、確かに幼い頃あったのは覚えているけど、それ以降は死なない程度に食べれているし。

それって、ここじゃ奇跡なんじゃないだろうか?



「…うちで教えてる子供たち、時々突然いなくなる子、いるよね。」



本当に突然いなくなる子が時たま居る。

三年前に始めた勉強会。スラムで勉強しようとする子供はそんなに多くないから、いなくなれば直ぐに分かる。

突然来なくなった子供について、兄たちはいつも「仕事先が見付かった」「養子に行った」と言っていた。


でも、それは本当なんだろうか?



「その子たち、今どうしてるの…?」



兄の顔から、笑みが消えた。



「ねえ、リオン兄さん、答えてよ。」



体の芯から、すっと熱が引いて行く。

震えが襲って来て、立っているのがやっとだった。



「…イスト、何言ってるんだ。」



兄は、答えてはくれなかった。



「言ったろ、あいつらは出て行ったって。」



暗い瞳は、私を見てはいなかった。



「兄ちゃんの言うこと信じられないのか?」



口の端を上げて笑う兄さんから、私は目を逸らした。

見ていられなかった。そんな風に痛々しく笑う兄さんを。


堪らず俯いた私の背後で、誰かが立ち止まる音が聞こえた。



「お嬢、そこまでにしてやってはくれなませんかい?」



聞いたことのない、男の人の声だった。

吃驚して後ろを振り返った私の耳に、リオン兄さんが咎めるように呼ぶ声が聞こえた。



「ガイ…」


「すみませんね、兄貴。でももうバレちまったんだ。しょうがないんじゃないっすかね?」



飄々と笑う男だった。ガイ、という名前らしい。

目立つ脱色した髪に、薄い水色の瞳。

美丈夫と言えるが、顔に傷の多い男だった。

何よりも、その格好が問題だった。

スラムに似合わない高級らしい黒いスーツを着崩し、中には柄物のシャツ。腕や首にはジャラジャラと金色のものが輝き、その腰には黒い物体が鈍く光っている。


完全に、裏社会の方だ。



「…っどちら様ですか?」



聞くまでもなかった。

兄さんを振り返ってみれば、横を向いて不服そうな顔で黙っている。


代わりに答えてくれたのは、謎の男だった。



「お初にお目にかかります、お嬢!俺は、ガイっていうもんです。兄貴付きの護衛みたいな奴っすよ。」



以後宜しく、と手を取られ、どこかの貴族のように掌に口付けられる。

あまりにも自然な動作で、声も出なかった。

何より、前世の記憶もあるので慣れていたのもあるんだろうけど。

でもここ十何年はされていない行為。

覚えず頬が上気する。



「ってめ!俺の妹に何してんだ!?」


「いやですね兄貴~。軽いレディに対する挨拶じゃないっすか~。」


「俺の妹と、店の女を一緒にするんじゃねえよ!」


「俺の最敬礼がこれなんすけどねぇ。」


「そんな礼儀は捨てちまえ。」



喚く兄を、ガイさんは軽々とかわす。


兄がこんなに他人に翻弄されているのを初めて見た。

幼い頃から、いつもリオン兄さんが翻弄されていたのはルー兄さんだけ。

私に対しても誰に対しても飄々としていたから、こんなに乱れるリオン兄さんは初めて見る。


しかし、なんていうか、この二人。



「…仲、いいんですね。」



お友達みたいだ。そう続けようとした私に、二人は揃って「違う」と言った。

リオン兄さんはこの世の終わりのような顔で、ガイさんも嫌そうな顔だった。

あまりに息がピッタリだったので、笑ってしまう。



「イスト、勘違いするな、こいつは仕事での部下であって、断じて仲なんか良くないかなら?」


「そうっすよ、お嬢。こんな人と仲良しなんて虫唾が走りますね。あ、お嬢とはこれから今までの分も仲良しになりたいと思いますけどね?」


「え、あ、はい。こちらこそ。」


「てめ、どさくさに紛れて何言って…!」


「お嬢は了承してくれましたよ?ね?」


「あ、はい。いつも兄がお世話になっているようで。」


「いやぁ、それ程でもないっすよ。」



話してみると、あんまり怖くない人だった。

傷もあるし拳銃も持っているし、怖そうな人だったけど軽いノリの面白い人だ。

ついつい気を許した私を、リオン兄さんが引き離すように、肩を抱いて引き寄せた。



「とりあえず俺はこいつを送り届けてくる。お前は先に帰れ。」


「え、兄さん、私一人でも…」


「了解。確かにこの辺は今危険っすからねえ。早く相手方をどうにかしないと…。」


「その為に頑張ってるんだろうが。いいから早く行け。」



リオン兄さんは、それだけ言うと私ごとガイさんに背を向ける。

背後で、ガイさんの了承の声が聞こえて、気になった私は頭だけ振り返った。


けれどもう、そこには誰も居なかった。




















荷物を持つと言ってくれたのを断り、

兄と歩き出して数分。

やっと兄は口を開いた。



「お袋が死んでから俺たちは、お袋の遺してくれた宝石を持って生き延びてた。正直餓鬼だった俺とお前を連れて、兄貴はよくやってたと思う。」



その時の記憶はあまりない。

赤ん坊だったから、よく寝ていたし。

ただ、いつもお腹が空いていたように思う。

その時の苦しさを思い出した私がリオン兄さんの手を握ると、ちゃんと握り返してくれた。



「宝石を売るのは最終手段だっていつも兄貴は言ってた。でもとうとうどうしようもなくなって、兄貴はスラムを出て、それを売ろうとした。」


「売ろうとした?」



売ったじゃなくて、売ろうとした?

疑問を浮かべる私に、ああ、とリオン兄さんは微笑んだ。



「そこにあの人が現れたんだ。」



兄さんは、懐かしむように目蓋を閉じた。

あの人、というのを思い出しているんだろう。



「あの人って?」



思わず尋ねた私に、兄は私を見て笑って言った。



「口の悪い嫌な大人。」


「……はい?」



何だかスッパリと変なことを言われた気がする。

兄の今までの口ぶりから、予想出来ないことを言われた気がする。



「捻くれてて、やさぐれてて、この世の終わりみたいな顔したイカれた男が、兄貴が売ろうとした宝石見て、“俺が買う”って言ったのが始まりだな。」


「ひ、酷い言い様…」


「お前も一応一緒に過ごしてたんだけどな、半年くらいだけど。」


「…覚えてない。」


「そりゃお前は、寝てばっかの赤ん坊だったからなぁ。」



吃驚な事実だった。そんなことがあろうとは。

というか宝石を買ったその男と、半年一緒に何をしてたんだろうか。

私の顔にアリアリとそんな疑問が浮かんでいたんだろう。リオン兄さんは続けて話してくれた。



「宝石を買ったそいつがな、“気まぐれだ、付いて来い”って俺たちを連れて来たのが、このスラムを仕切る裏社会の組織だったんだよ。で、そこのボスと知り合いだったらしいそいつが、俺たちをボスに預けて半年後、スラムを出て行った。」



まさに寝耳に水だ。知らなかった。



「で、その後兄貴と俺はボスに見込まれ、組織に入ることになり、今では立派なボスの右腕左腕ってな。じゃんじゃん。納得したか?」


「…えっと、じゃあ、私が今まで平和に過ごせたのは…」


「その組織の影響力ってやつだな。逆効果な時もあったけど、今は俺たち自身もそれなりの地位にいるからそれも無くなったし。でもどこにも馬鹿はいるから、心配してんだ。」



自分の置かれていた状況が分かった。

分かったけど、これは流石にいきなりはちょっと…。



「状況についていけない、ってか?」



面白そうに顔を覗き込んで来た兄さんを睨み付ける。

さっきまで私にバレないように必死だったくせに。


あれ、じゃあ、小屋の子供がいきなり消えたのは…。



「もしかして、小屋の子供たちが消えたのって…」


「…あー、うん。組織に引き抜いてた。」



やっぱり!

分かった瞬間、怒りが込み上げて来た。



「子供になんてことさせてるのよっ!」



握っていた手を離し、兄の正面に立つ。

驚いて立ち止まった兄を睨み付けた。



「でもな、スラムの中じゃいい就職先だし…。」


「裏社会の組織のどこがいい就職先なのよ!そういうのはダグリスのこと言うの!」


「いや、あいつは特例中の特例だろ…。」



苦々しい顔をして言うリオン兄さんに、そういえばダグリスのことを毛嫌いしていたのを思い出す。

何でも糞生意気な餓鬼だから嫌いらしい。子供らしい言い分だった。



「組織って言ったって、危ないことさせてるわけじゃねえよ。下積み中だし。」


「下積みって…、でもいつかは危ないことするんでしょう!?そうだ、裏社会の組織ってことは悪いことだって…」



想像してしまい、血の気が引いた。

兄二人もその片棒を担いでいると思うと、もっと引いた。



「ちっ、違うぞ?!何想像してるか分かんねえけど、違うからな!?」



慌てて取り繕う兄の姿が、より一層嫌な想像をさせる。

心持か一歩引いた私の両手を兄さんが握る。



「俺たちの組織は、逆にそういう奴らをどうにかするためにあるんだからな?放っておいたら最悪になるスラムの治安をだな、守るために俺たちが…」



終いには正義の味方みたいなことを言い出した。

それに違った意味で引きそうになるのを堪え、兄をじっと見詰める。

今度は、リオン兄さんも私をじっと見詰めていた。



「…そっか。」


「イスト、お前、分かって…」


「でもこれと、子供たちの件は違うからね。」


「……おう。」



渋々といった感じに頷いた兄から一歩離れ、一気に駆ける。

息が上がった頃立ち止まって振り返れば、少し離れた場所で、驚いた顔をして立っている兄が見えた。

それに手を大きく振って、叫ぶ。



「もう家の近くだから大丈夫!」



見えないかもしれないけど、笑顔で言った。



「だから、お仕事頑張って!」



今までの無知だった頃の応援とは違う。

そんな私を見て、兄は呆れた表情で、でもどこか嬉しそうに笑い、頷いた。

それを確認して、私も一つしっかりと頷き、踵を返し、そして走り出す。




腕の中の荷物の重さなんて、ちっとも感じなかった。










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