一歩
*元々そうですが、今回は特に視点がコロコロ変わります。
『では、明日の夕刻迎えに来ます。』
そう、ガイさんは言った。
起きて私とガイさんとクリフくんの三人で談笑した後のことで、クリフくんは悲しそうに笑って頷いた。
そんな彼の肩を抱き寄せ、帰って行くガイさんを二人で見送る。
手を大きく振ったガイさんの姿が完全に見えなくなるまでずっと。
そして彼の姿が見えなくなった頃、クリフくんは私の手に自分の手を重ねて、私を見上げた。
「…今夜、一緒に寝ても…いいか…?」
上目遣いの可愛さに、思わずくらりとしてしまう。本当可愛いなもう!
でもこれも明日までなのか、と思うと胸が締め付けられるような錯覚を覚える。
明日の夕方、クリフくんは城へと帰ってしまう。ただの子供のクリフくんから、王太子のクリフくんへ。
きっともう、私なんかじゃ手も届かなくなるんだろう。
二度とこの子と会うことは出来なくなる。それが少しどころか大分寂しいなんて。
「…うん、一緒に寝ようか。」
私も、そうしたいと思った。
最後くらい、いいよね?
スラムの娘と、ただの少年。そんな関係の最後なんだもの。
手に手を取って家の中へと入って、二人一緒にベッドへと入る。
小さな粗末なベッドだから凄く寝辛いけれど、少なくとも私の心は満たされている。
「狭いよね。寝苦しくない?」
「うむ、大丈夫だ。こうやって人とくっついて寝るのも悪くない。」
「ふふふ、そっか。」
内緒話をするように向かい合って顔を近づけて微笑み合う。
これから寝るというのに、何だかワクワクする。
一頻り笑い合った後、クリフくんが私の胸へと顔を埋めた。
「…イストが姉上だったら良かったのにと言ったが、訂正しよう。イストが、母上だったら良かったのに…」
掠れた呟きに、思わずドキリとする。
冗談だと笑うには、重い呟きだったし、彼自身本気なのだろう。
ぎゅっと私の服を握り締め、夢現のような声音で続ける。
「イストなら…イストだけが、わたしをあいしてくれる…」
幼い子供のように、いや、そもそも彼は幼い子供なんだ。なのに、彼はずっと強がって、歳不相応な態度を貫いた。そうするしかなかった。
周りが、そうであるようにと強制したんだ。昔の、殿下みたいに。
でも殿下、いや陛下には、厳しくも慈しんでくれたご両親も、臣下も私だってマリアだっていた。
じゃあ、クリフくんには?
誰も彼を、彼自身を見てくれる人はいないの?
瞼の裏に蘇るのは、遠き日の城の姿。
確かに綺麗な場所とは言い難かった。それでも、決してそれだけの場所では無かった。
少なくとも、その時代を生きていた人間が、城にはいる。
そんな人たちが、クリフくんを蔑ろにしたり、倦厭するとは思えない。
私は、そっとクリフくんの頭を抱えるように抱き締める。
「ありがとう。でもね、きっとそう思ってるのは勘違いだよ。」
悲しい悲しい勘違い。
「もう一度、周りを見てみて?直ぐ傍にいる人だけじゃなくて、少し遠くにいる人も。きっとね、クリフくんを真っ直ぐ見てくれている人が必ずいるから。」
うそだ、と呟くクリフくんの耳元へ口を寄せる。
「嘘じゃないよ、私を信じて。」
「…でも、イストはわたしのははうえになってくれないではないか。」
「私、母親っていう存在が、一人だけだなんて言うつもりはないよ。でもね、少なくとお腹を痛めて苦しい思いをしてクリフくんを産んでくれたのは、マリア…様だよ。」
母親というものを、実際にお腹を痛めて産んでくれた人とするのなら、今の私の母は一人なのだろう。
でも、イストワールの母、昔の私の母も私にとっては大切な母親なわけで。
養母とか育ての親とか、そういった無粋なことだって言いたくはない。
「でも…、ははうえは、あいしてくれない…」
「確かにそうかもしれない。でもね、そうじゃないかもしれない。だってね、人の心ってのは難しいんだよ。見た目通りなら苦労はしないんだ。それにね、私はクリフくんを信じてるから。」
不思議そうな顔のクリフくんの背中を優しく撫でる。
「一生懸命で、優しくて、頑張れる良い子だって私知ってるよ。そんなクリフくんの両親は、きっと素敵な人だよ。」
湿り始めた胸に苦笑を零し、抱き締めていた腕を緩めることなく囁き続ける。
本当は少し、殿下とマリアのこと分からなくなっていた。でも、クリフくんがこんなに良い子なんだもの。もう一度、二人を信じてみようと思う。
それに、笑顔で接してくれた人全てが好意を持ってくれてたかどうかなんて、分からないものだ。
そして、厳しい態度で接してきた人全てが私に悪意を持っていたわけではない。
いい例が前世の両親だ。彼らは私に厳しかった。けれど家を出ることになったあの日、彼らは泣いていたのだ。
「クリフくんはまだ若いんだもの、もうちょっとだけ時間をかけてみたらどうかな。」
時間が解決してくれる問題は、結構あると思う。
幸いなことに、彼には時間がたっぷりあるんだから。
「もし、クリフくんが大人になって、それでも自分を愛してくれている人がいないっていうんなら、その時は私がクリフくんの母上になるよ。」
腕の中の存在の、なんと愛おしいことか。
小さく震えて、嗚咽を噛み殺して泣く少年を、私は間違いなく母親のような気持ちで愛しているのだろう。
でも多分、私よりもっとこの子のことを考えている人がいる筈だ。それこそ、この子がこの世に生れ落ちる前から。
暫くしてクリフくんが落ち着いたのを見計らい、腕の力を緩める。
私の胸から顔を上げた彼は、泣きながら笑っていた。
「イストは、ずるい女なのだなぁ。」
分かっているのだ、クリフくんは。
私がクリフくんを愛していることも、そしてその上で母親になるつもりはないことも。
それにね、私は少し不満があります。いいえ、少しなんてものじゃないかもしれない。
ムカつくくらい可愛いらしい、天使の泣きっ面を両手で挟んで額と額をくっつける。
「それにね、私はまだ十五歳!母親じゃなくて、お姉ちゃんにして!」
クリフくんは目を丸くして、そして、愉快そうに笑った。
トントントンとリズム良く包丁の音を立てながら朝食の準備をする私の横に、クリフくんは立っている。
卵を割ろうと四苦八苦している姿は、見ていて微笑ましい。
昨夜、私たちは一頻り笑い合った後、じゃれつきながら眠りに就いた。
私あれ程寝たのになあとか思う。クリフくんの体温に安心したのかもしれない。
そうやって一緒に料理をして、食べる。何だか本当の姉弟のようで楽しかった。いや、母子かな、なんてね。
そんな朝を楽しみ、私とクリフくんは揃って勉強会へと向かった。
彼にとって今日が最後の勉強会。楽しんでくれたら嬉しいと思う。
小屋に辿り着いた私たちを、待っていた子供たちは笑顔で迎えてくれた。
「イスト姉さん、もう体は大丈夫?」
「平気?」
「クリフは何とも無い?大丈夫?」
次々と心配そうに訊いてくる子供たち一人一人に安心させるように返事をし、いつも通り授業を進める。
クリフくんも率先して皆と学ぼうとしてくれるから、嬉しかった。
今日が最後だって皆分かっているから、皆してクリフくんに構っている。子供たちに囲まれて笑うクリフくんの姿は、本当に楽しそうで。
誘拐なんて最低なことをしたし、すぐに親元へ帰さなかったのも最低だけど、少しだけ良かったかな、なんて思った。
最後の授業は、とても楽しかった。一生の思い出となるだろう。忘れないだろう。
もう少しすれば私も学院に通うことになるが、ここ程楽しめる気はしない。
大勢で騒ぎながら昼食を終え、自由時間とばかりにイストはわたしをジョーンたちへと任せた。皆で遊んで来いということなんだろう。
わたしは、この時を待っていた。
「皆、頼みがある。」
何対もの瞳が、わたしへと集まる。
断られるかもしれないと考えると、少し怖かった。
けれど、引くわけにはいかない。
もう、決めたんだ。
「おう、遠慮すんな!」
「何だ?」
マイクとジョーンは笑顔だ。きっと、この先を聞いたら彼らの表情は変わるだろう。
震えそうになるのをぐっと堪え、拳を強く握る。
「わたしを、裏組織の頭領の元へと、連れて行ってくれ。」
その場の空気が凍った。そう感じた。
誰も何も言うことなく、ただ瞠目している。
「わたしは、やらなければならないことがある。」
一人一人、訴えかけるように見渡しながら、わたしは続ける。
ここで引くわけにはいかなかった。ここで引いたら、わたしはきっとこれからもずっと何も変わらず、ここでの生活をただ綺麗な思い出として心に残して生きるだけの人形になってしまう。そう、思った。
「頼む。わたしを、連れて行ってくれ。」
頼む、と頭を下げる。誰かに頭を下げるだなんて初めてのことだ、と頭の片隅で思う。
屈辱だとは少しも感じなかった。
そして長い沈黙の後、誰かが近付いて正面に立った。
「…顔を上げろよ、クリフ。」
ゆっくりと顔を上げたその先には、マイクが立っていた。
その顔に、苦笑を滲ませて。
「いいだろ、ジョーン?」
そのまま振り返ったマイクに、ジョーンは確かに頷いてみせた。
それを確認したアレンが仕方ないとばかりの笑みを浮かべ、一歩前に出る。
「君を連れて行こうじゃないか、クリフ。」
着いて来いよ、と背を向けたアレンを呆然と見る。
まさかこんなに簡単に承諾されるとは思っていなかった。
思わず問うような視線を、マイクやジョーンたちに向けてしまう。視線を受け止めてくれた彼らは、揃って頷いてみせた。
わたしは無意識に頭を下げていた。
そして、顔を上げてアレンの背中を追う。
確かな一歩を、踏み出せた気がした。
アレンに連れられやって来た場所は、子供が入り辛い場所だった。
人生の殆どを城で生活しているわたしでも、知識としては知っている場所。そう、娼館街だ。
あちこちで艶やかな女たちと男が妖しい雰囲気を出しているこの場所を、アレンは気にした風もなく楽々と奥へと進んで行く。
通り過ぎる大人たちも始めは怪訝そうな顔をするものの、何故かアレンを見ては納得したように視線を外す。中には親しげに声をかけてくる、いかにもな姿の女もいた。
それに軽く手を振って応え、アレンはわたしの手を引く。
「悪いね、こんな場所連れて来て。」
「い、いや、気にしないでくれ…。」
平静を装おうとして、完全に失敗した。
どもってしまったわたしを、アレンは笑った。
「はははっ、ちょっとクリフ坊ちゃんには刺激が強すぎたかい?」
「坊ちゃんと呼ぶな。………………だが、今まで目にしたことがないことは、認める。」
「強がっちゃって~。まあ、もうちょいだよ、着いたからね。」
そう言われて立ち止まったのは、一軒の店の前。
この辺りでは一番見栄えのいい店だろう。高級な部類なのかもしれない。
子供二人では明らかに場違いなそこへ、アレンは臆する様子もなく入って行く。
手を引かれているので必然的に私も足を踏み入れることになったが、店内はもっと場違いなのではないかという程、大人な雰囲気だった。
きっと大人に止められると思ったが、意外なことにそこにいた大人たちは誰一人としてアレンを気にする様子は無かった。否、気にはしたが、何も言おうとはしなかった。
しかしやはり見慣れないわたしが気になるのか、いくつかの怪訝そうな視線が突き刺さる。それにアレンは苦笑した。
「悪いね、気にしないでくれよ。彼らも仕事なんだよ。」
「それは分かっている。だが、アレン。お前は一体何者なんだ?」
「んー」
こんな怪しい場所に軽々と入ることが許されているだなんて。
疑惑の目を背中へと向けると、彼は振り返って苦笑した。
「簡単な話さ!俺がこの界隈の出身ってだけだよ。」
嘘を吐いているようには思えなかった。
しかしこの界隈の出身ということは、アレンの母親は…。
「母親がここの娼婦でね。だから顔パスなわけだ!」
どうだ、とばかりに笑ってみせたアレンに、わたしはどう返していいのか戸惑う。
とりあえず、「そうか」と小さな声で返したが、複雑そうな顔をしていたのだろう。アレンは、優しく微笑んだ。
「君はそんなことを気にしている余裕はないよ。ほら、着いた。」
店の奥の奥に、その部屋はあった。
さっと襖が左右に開く。
部屋の奥の長椅子に、その男が座していた。
「これはこれは、お目にかかれて恐悦至極…ってか?」
これが、裏組織のボス。
にやりと不敵に笑う口に煙管を銜え、だらしなく開けられた服の前からは程よく鍛えられた様子が見て取れる。
端整な顔とは言い難いが、数々の修羅場を潜って来ただろう風格は圧倒される何かを感じた。無意識に喉がごくりと音を立て、一歩後ずさりそうになるのを根性で抑える。
「…あなたが、裏組織を束ねておいでなのか?」
一拍置いてから口を出た声は、みっともなく震えることもなく平静を装うことに成功していた。
男も面白そうだとばかりに目を眇め、煙管を口から離して煙を吐き出す。
「いかにも、俺がボスのユーグだ。」
で、何の用だ?とどこか底の知れない瞳でわたしを見下ろす。
この男はきっと、わたしの正体だけでなく、どんな意図を持ってここへと来たのかも知っているのだろう。
全てを見透かされているような気がして気分は悪いが、それも自分が若輩者故だ。
ぎゅっと下ろした拳を握り締める。
「ユーグ殿…。わたしは、クリフ…クリフォード・F・アウグストという。」
「知ってるぜ、王太子殿下だろう?あんたを誘拐するようルーとリオンに指示を出したのはこの俺だしなぁ。」
わたしの身分などこの男にとってはどうでもいいことなのだろう。
小馬鹿にしたようなこの態度も、この男の放つ威圧感のせいで反感すら湧いてこない。
「今日こちらに参ったのは、頼みがあったからだ。……聞いてもらえるか?」
「そりゃ内容によるぜ?」
再び煙管を銜え、わたしを値踏みするように見詰めるユーグに、ごくりと喉が鳴る。
ここが正念場だ。ここで失敗すれば、
「…聞いて欲しい。わたしは、」
ずっと自分が何をすればいいのか、すべきなのか分からなかった。
「わたしは、曾お爺様を失脚させたい。」
ぴくり、と煙管を持つ手が揺れる。
眇められた目は、わたしを射抜くかのように見つめている。
「…わたしは、王族を、国を、本来あるべき姿に戻したい!」
決めたのだ。
彼女が笑ってすごせる国にしようと。
「頼む!わたしに力を貸してくれ!」
必死に頭を下げて頼む。
今まで両親以外に頭を下げたことなどなかった。否、下げる必要がなかった。
そんな世界で生きてきた自分が、何をしているのだろうか。
裏組織の人間に、スラムの人間に頭を下げるのが悔しいとか屈辱だとかそういうことじゃない。
わたしは、王太子として何の力も持たない自分自身が許せないのだ。
一番国の中枢に近いといってもいいのに、何も出来ない何の力もない自分が腹立たしくて仕方ない。
「あなたからすれば、何をと思われると思う…」
「まったくもってその通りだな。つか、あなたサマなら一人でどうにかできるんじゃねぇのか?」
だって、王太子だろ?
冷たい言葉が、頭へ降って来る。
分かっていたことだと、ここで折れたら負けなのだと拳を握り締める。
「…わたしは、確かに王太子と目されている。しかし、実際には力もなく、味方もいない…」
わたしの周りにいる大人は、殆どが曾お爺様が用意した人間ばかり。
カルロ派と呼ばれる派閥の人間しかわたしの傍にはいない。
彼らはわたしを支持しているが、それはただ単にわたしが曾お爺様の孫だから。
そんな人間をわたしは味方だとは思えない。
わたしが曾お爺様に牙を向いたと知ったら、彼らもわたしに牙を向くだろう。
王は一人では何もすることが出来ない。臣下あっての王だから。
「だから…!」
「だから、何だ?んなお飾りの王子に手を貸せってか?」
煙管をくるくると回しながら、ユーグはわたしを見下す。
その口元は皮肉げに嗤っていた。
「くくくっ、つかいいのか?そうやってカルロに反抗したらあんた、消されるぞ?」
「それはない。……父上は、もう二度と母上との間に子を作ろうとはなさらないだろう。だから、曾お爺様はわたしを消すことは出来ない。」
ユーグの嗤い声が消える。
わたしは、頭を下げたまま自嘲の笑みを浮かべた。
「曾お爺様の身内には、もう父上の側へと上げることの出来る女性はいない。」
ある人はもう既に他家に嫁いでいるし、ある人は年齢的な問題で無理だ。
どこかから養子をもらってくることも出来るかもしれないが、それは外戚として力を揮いたい曾お爺様としては避けたいだろう。
彼にはもう母上しかいないし、母上にはもうわたししかいない。
「だからこそ、曾お爺様はわたしを完全に蔑ろにすることは出来ない。そこを利用する。」
味方をつくり、外堀を埋め、曾お爺様を陥れる機をつくる。
簡単なことではないけれど、やるしかない。
「頼む、わたしの味方になってくれ…!」
コトリ、と煙管が置かれる音が聞こえた。
「ちょいと話をしようか、お坊ちゃん?」
それは、意地悪な口調だった。
目の前で頭を下げっぱなしな子供を見下ろす。
小さなガキだ。本当に小さなちっぽけなガキ。
こんなガキが将来この国のトップに立つんだっていうんだから、可笑しな話だ。
「実はな、俺たちはあんたを生きて帰すつもりはねぇんだ。」
ぴくり、と下げたままの頭が震えた。けれどそれ以上何の反応を表さない姿に眉を顰める。
覚悟の上ってか。
「今回のこの誘拐だってな、別に俺たち裏組織が主犯って訳でもねぇ。」
確かに実行犯は俺たちだ。
けれどそんな俺たちを利用し、手引きした奴らがいる。
そいつらは今頃してやったりとばかりにでかい顔をしているのだろう。
「…だが、このままではあなた方はただでは済まないぞ。」
「だろーな。」
なんてことないとばかりに淡々とした返事に、子供が震えた。
けれど決して顔を上げようとはしない。
だからだろうか、聞かれていないのにぺらぺらと口が動く。
「依頼人の貴族サマは俺たちをゴミくらいにしか思ってねぇだろうしな。金さえ払えばどんな馬鹿なことだってやる愚か者どもとでも思ってんだろ。」
切って捨てられるのは目に見えている。
俺たちだって馬鹿ではないのだ。
「これででかい顔し出した連中は、能無しな馬鹿ってことになる。」
カルロだって馬鹿じゃないのだから、スラムの荒くれ共が馬鹿なことをした、だけで済む筈もない。
きっと手引きした人間がいると考えるだろうし、それを何としてでも見つけ出そうとするだろう。
それが俺たちの狙いだ。
「そういう連中は、俺たちのことなんて微塵も考えねぇような立派な貴族サマが中心だ。しかも慎重さもない馬鹿。そういう奴が上にいてもらっちゃ困るんだよ俺たちも。」
そして俺たちが前々から仕込んでおいた奴らに、そいつらをカルロに捧げさせる。
上手くいけば信頼も得られて万々歳だ。多少の犠牲を払ったとしても。
馬鹿と鋏は使いようとか言うが、本当の馬鹿は何の役にも立たない。
そうして国の上層部に残るのは、カルロ派か慎重な反カロル派。
王太子を失ったカロル派は、きっと衰退の一途を辿ることになる。
「ま、どっちにしろここを第一に考えてくれるような奴はいねぇだろうけどな。」
少なくとも今の異常事態くらいはどうにかなるだろう。
元の多少なりとも俺たちの手でどうにか秩序を保つことが出来るくらいのスラムに戻れば、御の字だ。
思わず吐き捨てるような口調になってしまい、自嘲の笑みを浮かべてしまう。
「そういう訳だから、俺たちにはあんたにつく理由はないってわけだ。」
目の前の、吹けば飛んでいってしまうような少年。そんな奴に何を期待するというのだろうか。今まで安穏と何も知らずに生きてきた王子サマなんかに。
「もう頭上げて、イストのとこ帰んな。これ以上は無駄だかんな。」
煙管を口に咥えて煙を吸う。
王太子は頭を上げようとはしなかった。
「おいおい我慢比べってか?無駄だからやめろ。」
思わず呆れたような口調になった俺に、しかし決して頭を上げない子供。
これ完全に俺が悪役って感じだよなあ、なんて思いながら煙を吐く。
「…いつまでそうしてる気か知らねぇが、止める気がねぇつうんだったら直ぐに人呼んで摘み出すぜ?」
ふわりと揺れる煙をなんとなしに眺めながら、手の中の煙管を弄ぶ。
何の返事もない様子に、こりゃダメだと人を呼ぼうと口を開いた時だ。
「待ってくれ。」
そこには、頭を上げた王太子がいた。