過去の一場面(番外編)
番外編となります。
本編の十数年前で、イストがイストワールだった頃のお話です。
イストワールの生い立ち説明が入ります。
あと、まだ本編に登場していないキャラ、碌に描写の無かったキャラ、名前すら登場していないキャラなど出ています。
キャラのイメージが崩壊してしまうかもしれませんので、ご注意を。
本編と違い、ちょこっと恋愛要素ありの甘め(?)の筈です。
これはまだ、私が“イストワール”だった頃の話。
フォンシュミット公爵家の第一子として生まれた私は、厳しい両親の元で育てられ、教育という教育を受けさせられ、作法という作法を叩き込まれた。
決して温かい家庭では無かったけれど、幸せな生活だったとは思う。
女である私が跡取りになることは不可能だったが、それでも男の子に恵まれなかった場合、私の夫となる人が家を継ぎ、引いてはその子供が家を継いで行く。
その為には、私が暗愚であってはならなかった。
しかし私が九歳になった頃、弟が生まれた。待望の男の子だった。
当然の結果か、私への関心は薄れ、全ては弟へと圧し掛かることとなり、私は公爵家という重石から解放された気分だった。
好きなように過ごし、何かを強制させることなく学院へ通う。
勿論みっともない成績は残せないので頑張ってはいたが、そんなことよりも学友たちとの語らいの方が大切だった。
この頃だ。家同士はあまり仲良くは無かったマリアと親しくなったのは。
そんな風に暢気に過ごすこと一年。
突然、父に連れられ城へと登城した。
訳も分からず通されたのは、王宮の後宮にあたる一角に造られた庭園。
そこで待っていたのは、話には聞いていた父の姉に当たるサーシャ王妃殿下と、そのご子息で在らせられるアルカーノ殿下だった。
初めて会った殿下は、本当に天使のような愛らしさを持った少年で、あまりの可愛らしさに私は顔を真っ赤にして恥ずかしがっていたのを覚えている。
父の横でずっと頬を真っ赤にして俯く私を、殿下はずっと微笑んで見ていた。
この四名でのお茶会は、週に一回行われることとなり、流石に一月を過ぎた頃には私も殿下に慣れ、自然に接することが出来るようになった。
大人たちの話なんて、つまらない。
そう私たちが思うまで時間は掛からなかったと思う。
気付けば殿下に手を引かれ、庭園を駆け回る日が続いた。
とても楽しかったのを覚えている。だって、当時私の周りにいた子供たちは、貴族の子供らしい子たちしか居らず、駆け回るなんてことしなかったから。
だから殿下との追いかけっこやかくれんぼは、楽しくて仕方なかった。
そんな日々が二年も続き、中等部へと上がる少し前。
私は、何故私が殿下と引き合わされたのかを知った。そして、殿下と会っていたのが私だけではなかったことも。
そう、私は殿下のお后様候補の一人だったのだ。
知った時は、愕然とした。
だってもう既にこの頃、私は殿下に恋をしてしまっていたから。
一晩中泣いて過ごし、流石の両親も心配する程に悲しんだ私を励ましてくれたのは、マリアだった。
彼女は私の頬を叩き、言ったのだ。
「貴女の気持ちはその程度なの?諦められるの?」と。
夢から覚めたような気持ちだった。私が彼を好きなことは変わらない。
数いる女性の中の一人だったとしても、いいじゃないか。
彼に好かれるよう、選んで貰えるよう、努力すればいい。まだ決まった訳ではないのだから。
その日から私は頑張った。
彼に選んで貰えるよう、上手くない料理だって刺繍だって頑張った。
失敗ばかりして、弟に慰められる日々が続いたけれど。
この頃には、厳しい両親の代わりに私が弟を甘やかしていた。
立派な弟だったけれど、やはり子供。甘えたい年頃なのに、両親はそれを許してくれるような人ではなかった。私が子供の頃よりも、それは一層酷くなっていた。少なくとも私の時は、もう少し甘えさせてくれた気がする。
それもない弟がとても可哀想で、ついつい姉として甘やかしてしまっていた。
それで我侭に育つこともなく、立派に育ってくれる弟は自慢の弟だった。
「ねえさま、ねえさま」と、普段は滑舌のよい弟も、舌足らずに年相応の姿を見せてくれたものだ。
厳しいが誠実な両親、可愛い弟、頼もしい親友、そして恋する人に囲まれ、本当に幸せな毎日だったと思う。
その内、二人目の弟まで生まれた。上の弟が、少しだけ不機嫌そうにしていたのは私だけの秘密だ。
その日は、そんな新しく生まれた弟の誕生祝いのパーティーだった。
色々な人を招いての大規模なそれは、勿論親戚関係にある殿下も招待されていたから、私はいつも以上に支度に気合が入る。
「へ、変じゃない?変じゃない?ねえ、ジゼル?」
「ええ、ええ。とても可愛らしいですよ、お嬢様。」
「本当に!?大丈夫!?」
何度も何度もそう尋ねる私に、私付きのメイドであるジゼルは苦笑を滲ませる。
その横で他のメイドに服装を整えて貰っていた上の弟であるアクゼルスも、どこか呆れた風に見えた。
「ねえさま、大丈夫ですよ。ねえさまが一番可愛いですから。」
そんな世辞まで真顔で言われてしまう始末だ。私は頬を膨らませて、弟と目線を合わせるように屈む。ふわり、とドレスの裾が床に広がり、アクゼルスは一歩引いた。
「もうっ!いつからアクゼはそんなにお世辞まで言える立派な紳士になってしまったの?」
「ねえさま、僕は世辞なんて言いません。」
淡々と真顔でそう言われたが、信じられるわけがない。
ジゼルが止めてくれるまで、この問答を何回か繰り返し、私たちは呼びに来た使用人に連れられて、会場となる広間まで向かう。
勿論、今の今まで喧嘩紛いのことしていたなんて微塵も思わせない態度で。
その道すがらも、小声で「本心でしたからね」としつこく言ってくる弟には、仕方ないとばかりに御礼を言っておいた。弟に気を遣われるなんて。
幼いながら紳士然と私をエスコートするアクゼに腕を任せ、扉の向こうへと進む。
主催者の子供たちの入場に気付いた招待客たちが次々と挨拶に来るのに、二三言挨拶を交わして両親と新しく生まれた弟の元へ向かう。
私たちに気付いた両親が、弟の側へと導いてくれる。
弟は、真っ白に塗られた木で出来た、柵状になっているベビーベッドの上で寝ていた。
まだ首も据わっていない赤ん坊を柵越しに覗けば、すやすやと健やかな寝息を立てる姿が見える。身長の足りない弟を持ち上げてやろうと脇の下に手をやったら、全力で断られた。思春期だろうか。
そんな私たちを渋い顔で見ていた母が、ベッドから赤ん坊を抱き上げてアクゼにも見えるように腰を折ってくれる。
「可愛いわね!アクゼ!」
「………そうですね。」
興奮気味の私とは逆に、アクゼはどこか気に入らないとばかりに弟を見据えていた。
これはあれだろうか。新しく生まれた弟に母親を取られたような気持ちになるアレだろうか、なんて思ったが直ぐに否定する。だってそもそも取られると感じる程良いものではなく、二人の仲は余所余所しいものだからだ。私も弟のことは言えないけれどね。
だとしたら、何故弟を不満に思っているのだろうか。
「どうしたのアクゼ?弟が出来て嬉しくはないの?」
そっと腰を落として覗き込むようにアクゼを見るが、弟は直ぐ様視線を斜め下へと落とす。
決して合わない視線に苦笑を零し、そっと正面から小さな両肩に手を乗せる。
「この子は新しい家族よ。私たちの可愛い弟よ。」
「…分かっています。僕らの弟です。…………ねえさまの、新しい弟です。」
そう言うだけ言うと、ぷいと顔を背ける。あまり見ないアクゼの年相応な態度に、思わず緩む頬をどうにか締めて、私は真顔で考える。
もしかしてこの弟は、新しい弟に姉である私を取られるとでも考えているのではないだろうか。なんだ可愛いなあもう。
そう分かってしまった瞬間、もう我慢できずに公衆の面前だというのに、アクゼを思い切り抱き締めた。
後ろで母の小さな悲鳴が聞こえたけれど無視し、驚きに固まる弟をぎゅっと抱き締める。
華奢な体を胸に抱え、爽やかなミントの香りのする髪に顔を埋める。
「可愛い可愛い私の最初の弟。いくら弟が生まれようとも、私が貴方の姉ということに変わりはないのよ?」
「…………でも、ねえさまの弟は、僕だけではなくなってしまったでしょう?」
子供らしい言葉に、頬が緩む。
ちらりと見えたアクゼの耳が、真っ赤に染まっていた。
「でも、貴方の姉は私しかいないわ。」
出来るだけ優しい声音で囁けば、腕の中の体が一瞬震える。次いで、小さな腕がおずおずと背中に回された。
「ぼくのこと、愛していてくださいますか?」
「勿論よ。」
「ぼくのこと、忘れないでいてくださいますか?」
「勿論よ。」
「………甘えていてもいいですか?」
「勿論よ。思い切り甘えて頂戴な。」
その答えに、ぎゅっと一度だけ力の篭られた腕は、しかし直ぐに離れて行く。
「……ごめんなさい、ねえさま。我侭を申しました。」
軽く私の腕の拘束を解き顔を上げ、アクゼは微笑んだ。
どうやら弟の中で何か整理がついたらしい。
そんな子供二人を仕方ないとばかりに見ていた父が、そっと私の肩に手を置いた。
「さあ、そろそろ挨拶に行かなければならない御人がいるだろう?アクゼルス、お前の姉を借りるぞ。」
「…はい、父上。お恥ずかしい姿を晒してしまい、申し訳ありませんでした。」
先程までの子供らしさを消し、瞼を軽く伏せて頭を下げたアクゼに父は頷いて見せ、私の肩を引いてその場を離れた。
父の挨拶しなければならない御人というのに心当たりのある私は、速まり始めた胸の鼓動の音に頬に熱が集まる。
父は、テラスへ続く窓まで私を連れて来ると、そこで足を止め、そっと私の背を押し遣る。振り返れば父は頷いていたので、それに微笑み返して前を向く。
逸る胸を抑え切れず、早足でテラスへと出れば、そこには一人の少年が佇んでいた。
こつ、と私のヒールの音に、その少年が振り返る。
月明かりの下、輝くような銀の髪を持った少年は、優しい緑色の瞳で私を見た。
「こんばんは、イストワール。」
にこり、と陽だまりのような笑顔を浮かべ、私に手を差し出した少年の名前は、アルカーノ・V・アウグスト。この慈愛の国カリタの王太子殿下だ。
鎖骨辺りで切り揃えられた銀髪を、今は金の紐で緩く左側で結んでいる。
「こ、こんばんは、殿下っ」
おずおずとその手を取れば、優しく彼の横まで引き寄せられる。
そのまま握られた両手は、殿下の唇へと寄せられ、左手の薬指に軽い口付けが落とされた。勿論私の顔は、真っ赤だろう。
「この度は、弟君のご誕生おめでとう。これで益々フォンシュミット家は安泰だね。」
そう言って悪戯っぽく笑う殿下に、私は苦笑を零すことしか出来ない。
きっと殿下ではなく別の誰かが言ったのなら、それは僻みか社交辞令か嫌味にしか聞こえないだろう。
「そんなこと、どうでもいい事です。私は弟が無事生まれて来てくれただけで十分ですから。」
本心から言った私の言葉に、殿下の目が一層優しくなる。
それが酷く気恥ずかしくて、私は顔を星空へと背けた。くすくすと笑い声が聞こえて、益々殿下を見ることが出来なくなる。
そんな私の恥ずかしさを理解してくれたのか、殿下はそっと握っていた両手を離し、同じように星空を見る。…少し寂しいなんて思ったのは、一生の秘密にしようと思う。
「そうだね、その通りだ。でも、羨ましいな。僕には兄弟がいないから。」
「そうですか?」
「うん。無いもの強請りなのかもしれないけれどね。」
一人っ子だから、と笑う殿下を横目でそっと盗み見る。
本当に、出会った時からこの人は変わらない。勿論成長されているし、顔立ちも段々とお父上であられる陛下に似てきているけれど、そういったことではなくて、雰囲気が変わらないのだ。
いつまでも一緒にいられるような、そんな錯覚さえ覚えてしまう程に。
思わず考えてしまい、きゅっと胸が痛む。それを悟られないように、宥めるようにそっと左手を胸元へと持っていく。
自然と俯いてしまいそうになるのを、ぐっと堪える私の右隣で、殿下は「ああ、そうだ」と明るい声を上げた。
「イストワールと僕が結婚すれば、アクゼルスも生まれた弟も、僕の弟ということになるじゃないか!」
輝かんばかりの笑顔が私に向けられ、思わずドキリとしてしまう。勿論、内容も内容だった。殿下は冗談のつもりかもしれないけれど、こちらは一々喜んでしまう心を隠すことが出来ない。
もうどうにでもしてください!と叫びそうになるのを堪え、素っ気無い声で「そうですね」と返すのが精一杯だ。その時だった。
「ご冗談は程々になさってください、アルカーノ殿下。」
背後から、聞き覚えのある幼い声が聞こえた。振り返ってみれば、立っていたのはアクゼルスだった。
淡々とした無表情で殿下を見ている弟に、私はまた始まったと天を仰ぎたくなる。
「いやだな、冗談なんかじゃないよ、アクゼ。」
いきなりの弟の登場に驚いた様子もなく、殿下は笑う。
一見どうってことないように見えるが、実はこの二人は仲が悪い。
というよりは、一方的にアクゼが殿下を嫌煙しているのだ。殿下に対するその無礼な態度に、私は常々もう少しどうにかするようにと言い聞かせているのだが、普段から聞き分けのいいこの弟は、こればかりは聞き入れてくれない。何でも引くわけにはいかないとか何とか。何の勝負をしているのだろうか。
「だから、僕のことは義兄上か義兄様と呼ぶと良いよ。ねえ、アクゼ?」
「大変有難いお申し出ですが、遠慮させて頂きます。それから、どうぞ僕のことはアクゼルスとお呼び下さい。」
「ははは、面白いことを言うね、未来の義弟君は。」
無表情の仮面が剥れ、むっとした顔をし始めた弟とは違い、殿下は余裕の笑みを崩すことはない。歳の差も勿論だが、常日頃から王宮で生活する殿下に、いくら子供らしくないと言われるアクゼでも敵わないようだ。
これ以上、アクゼが興奮してしまっても困ると思い、慌てて割って入る。
「と、ところで、どうかしたの?」
二人の視線がさっと私に集中する。冷や汗が頬を伝いそうになりながら、私はアクゼに微笑みかけた。
私を見て、少し雰囲気が穏やかになったアクゼは、元の無表情に戻して私の傍まで駆け寄る。
「メルリィン叔母上がお見えになったそうなので、呼びに参りました。」
「まあ!メルリィン叔母様が?」
弟の思わぬ言葉に喜びの声を上げた私の横で、殿下が記憶を呼び起こす。
「確か…、フォンシュミット公爵夫人の妹君だよね。」
「はい、メルリィン叔母様です!ご自宅に篭っていらっしゃって、滅多にお目にかかれないんです!でもとてもお優しい方で、大好きなんです私たち!」
「ふうん、………きっとアクゼは、君が懐いているから好きなんだろうね。」
最後の方は小声であまり聞こえなかったけれど、嬉しいばかりの私は元気よく頷く。
そんな私の様子を、二人は生温かい目で見ている気もしないでもないが、今回ばかりは気にしない。
「さあ、ご挨拶に行きましょう。ねえ、ねえさま?」
「え、あ、えっと…」
流石に殿下を放って行くのは憚れ、思わず窺うように隣の殿下を見る。
彼は、とても優しい表情で私の頭を撫でてくれた。
「行って来るといいよ。僕とはまた学院で直ぐ会えるからね、気にしないで。」
「え、えっと…」
「僕もそろそろ中に戻らないと、一緒に来た者たちが煩いだろうしね。」
「あ、はい…」
「今夜は、君に逢えて良かった。」
挨拶と共に、軽い口付けが額と頬に落とされる。
くすぐったさに身を捩った私の右手を、アクゼがぎゅっと握って来る。
それに殿下は軽く笑うと、反対側の手を握ってテラスへと導いてくれた。
静かなテラスとは逆に、煌びやかな会場に一歩足を踏み入れる。
そっと、左手から手の温もりが離れた。
「じゃあ、また学院で。」
「は、はい!また学院で!」
軽く手を振って、殿下は人混みへと消えて行く。
それを見送った私の右手が、くいっと殿下が消えた方とは反対側に引っ張られた。
ふと弟を見下ろせば、なんだか不機嫌そうな顔で人と人の間を縫う様に進んでいる。
少し足早なのは、不機嫌だからだろうか。この他人に動じない弟がここまで感情を顕わにするなんて、殿下ってやっぱり凄い。
「…僕は、義兄なんていりません。」
ぼそっと前から聞こえた呟き、私は苦笑するしかなかった。
これは、まだ私が“イストワール”だった頃の、楽しい思い出話。
あけまして、おめでとうございます。
今年もこんな作者ですが、宜しくお願い致します。
中途半端なところで切りました。これ以上は私には無理でした…orz
本編とちょっと違う「愛思草」になったのではないでしょうか。どうでしょうか。
とりあえず、番外編をアップしてみました。いかかでしょうか。
本編の方ですが、遅い更新で申し訳ありません。
何度も活動報告などで言い訳をしているような気がします…。
とりあえず、ペースが遅いのが問題の一つです。後は肩こりと目疲れとか…。
言い訳を始めたら長くなってしまうので、ここで切ります。
こんな作者ですが、まだお付き合い下さる方、どうぞ宜しくお願い致します。
皆様にとって、この一年が素敵なものでありますよう願っております。