【第7話】文化祭出てみたら?
「じゃあ、外崎さんが話しやすいように、外崎さんが好きなものの話しよっか。外崎さん、間違ってたらごめんなんだけど、音楽好きだよね? 普段どんなの聴いてんの?」
速水さんが選んだのは、確かに私が一番話せる話題だった。私の部屋で、本棚に並んだCDや壁に貼られたバンドのポスターを見ているのだろう。
気を遣ってくれたことに申し訳なさを感じるからこそ、私は素直に答えるしかない。
「えっ……、でも、たぶん速水さん知らないと思うよ……?」
「大丈夫だって。こう見えても私音楽詳しいんだよ? ねぇ、外崎さんはどんな音楽が好きなの?」
音楽に詳しいって、それはK―POPやバズっている流行歌程度のものだろう。私が普段聴いている音楽はそれらとは縁遠い。
だけれど、本当に速水さんが音楽に詳しい可能性もある。だから、私はそのわずかな可能性を信じて、ありのままを答えることにした。
「えっと……、ピロウズとかストレイテナーとかグレイプバインとかよく聴くかな……。知ってる……?」
勇気を出して言った私にも、速水さんはキョトンとした顔をしていた。そのわずかに垣間見せた表情だけで、私は自分が的外れなことを言ってしまったことに気づく。本当のことなのに。
「ごめん、知らない。ちょっと勉強不足でさ。それって何? バンド?」
「う、うん。まあ一応は。どこがいいとかは上手く言葉にできないんだけど、でも私の部屋にCDがあったと思うから、聴いてくれたら嬉しいなって……」
「うん。帰ったら寝る前にでも聴いてみるよ。私も外崎さんのこともっと知りたいしね」
速水さんにまっすぐ言われて、私は顔を赤らめそうになってしまう。こういう風にすぐに人の懐に入りこめるからこそ、速水さんは友人が多いのだなと改めて知った。
「そっかぁ。でも、私が知らないバンドの名前がポンポンと出てくるってことは、外崎さんは本当に音楽が好きなんだね。ねぇ、部屋にギター置いてあったでしょ? あれもよく弾くの?」
グイグイ来る速水さんに、私はたじろぎそうになってしまう。「私のことをもっと知りたい」という言葉に、嘘は含まれていなかったらしい。
「ま、まあ。ほんのたまにだけど」
「へぇ、どれくらい弾けるの?」
「基礎的なコードは一通り弾けるかな……。好きな曲のコピーとかも、本当に時々だけどすることもある」
「えっ、すごいじゃん! 私ギターまったく弾けないから羨ましいよ!」
一瞬、本当に一瞬だったけれど、それは嫌味か? と私は思ってしまう。ギターを弾けたところで、友達ができるわけじゃないのに。
私からすれば、多くの友人に囲まれて日々を笑って過ごしている速水さんの方が、よっぽど羨ましい。でも、それを面と向かって言えるだけの気概は私にはなかった。
「い、いや……これくらい誰にでもできるって」
「そんなことないよ。ギターとかけっこう難しいって聞くよ? 誰にでもできることじゃないよ」
速水さんに体よくおだてられて、それでも私はいい気になっていたから、自分でも単純だなと思う。私のギターに費やした時間が無駄ではなかったと認められているようで、素直に嬉しかった。
でも、そのせっかく上向きかけていた気持ちも、速水さんが次に口にした言葉で止められてしまう。
「それにさ外崎さん、自分で曲も作ってるんでしょ? そんなクリエイティブなこと、めったにできることじゃないって。才能じゃん」
その言葉に私は一瞬、心臓が止まるような錯覚さえ味わった。私が曲を作っていることは、お父さんとお母さんしか知らないはずなのに。
「えっ、なんで知ってんの……?」
「ごめん。外崎さんのノート、気になって見ちゃった。歌詞とその上にアルファベット、あれたぶんコードだよね? が書かれてたから。えっ、もしかして見られたくないものだった……?」
ああそうだと、首を何度も縦に振りたい気持ちに私は駆られる。ちゃんと机の引き出しの中にしまっておいたはずなのに、どうして見られてしまったのだろう。
あのノートを見られたら私は死ぬしかない、とまではいかないけれど、それでも恥ずかしさのあまり、顔から出た火に全身が焼けていくような気持ちになってしまう。
確かに私は動画で自分の歌を公開しているけれど、手書きのノートを見られるのは訳が違った。目にした事実自体、速水さんの記憶から消してしまいたい。
そう思っても、それはいくら願ってももう無理なことだった。
「そっかぁ。見られたくないものだったかぁ。ごめんね。勝手に見ちゃって」
目を伏せて口を結んでいる私の表情を、「そうだ」と言っていると解釈したのか、速水さんは重ねて謝ってくる。
正直、私には許せない気持ちもある。私は速水さんの物になるべく触れないようにしていたのに、速水さんは私の物を何の配慮もなく手に取っていたなんて。腹立たしさを完全になくすことは難しい。
それでも、私は速水さんを責めなかった。既に見られてしまった以上、そんなことをしても何の意味もないのは分かりきっていた。
「ううん、いいよ。まあ進んで見せたいものでもなかったんだけど、速水さんになら見られてもいいかなって。その代わり、他のクラスメイトとかにはあまり言わないでよ」
「分かった。外崎さんがそう言うなら、あたしはこのノートの存在は秘密にしとく。でもさ、ノートを見た率直な感想を言っていい?」
私は頷く。他者からの評価は恐ろしくもあったけれど、純粋な興味が上回った。
「あたしは外崎さんの書いた歌詞、すごく良いと思ったよ。一つ一つの言葉のチョイスが丁寧で、胸に迫るものを感じた。まだよく知らないんだけど、ちゃんと外崎さんの中から出た言葉だって気がしたよ。読んでるだけで、グッときちゃった」
速水さんからの評価は、絶賛と言って差し支えなかった。(言っていなかったからだけれど)今までお父さんとお母さん以外に歌を褒められた記憶のない私は、嬉しさと恥ずかしさで顔が火照りそうになってしまう。
お世辞を言って持ち上げようとしている可能性を排除してもよさそうなほど、速水さんの目は微笑んでいながら真剣だった。
「ほ、本当に? 冗談で言ってるわけじゃないよね……?」
「なんでここで冗談言う必要があるの。本当だよ。あたしは心から外崎さんの歌詞、良いと思ったから」
速水さんの曇りなき眼が、私の心をこじ開けてくる。たった一人から褒められただけで、自分の歌詞にもっと自信を持ってもいいのかもしれないと思える。それは動画投稿サイトでも無視され続けている私が、初めて感じた感慨だった。
でも、その満たされ始めた気持ちも、速水さんが次に口にした言葉ですっと引いていく。
「ねぇ、外崎さん。文化祭出てみたら? たぶんまだステージの出演者、募集してたはずだよ」
「えっ、無理無理無理無理。なんで私が?」考えるよりも先に、脊髄反射で声が出る。覆いかぶさるように否定した私にも、速水さんは相好を崩していない。
「だって、作曲もしてるってことは、ギターも弾けるってことでしょ? だったら弾き語りで出てみたら? きっとみんな感動すると思うな」
いやいや、この人は(今は見た目上では私だけれど)何を言っている? 私の歌が人を感動させられるなんて、冗談もほどほどにしてほしい。
そもそも私は両親以外の人前で、自分の歌を歌ったことがない。それに、サイトに投稿するために録音した自分の歌を聴くたびに、「下手だな。誰が聴くんだこんなの」と思っている。
私が人前で歌って得する人間は、誰一人としていないだろう。
「いやいや、私には無理だよ。大勢の人の前で歌うなんて絶対無理」
「どうして、そう決めつけるの? やってみなきゃ分かんないじゃん」
速水さんの言うことは正しかったけれど、私の心には届かなかった。私が人前で歌えないことは、それこそ首を刎ねられたら死ぬぐらいに絶対的なものだ。
私は自分がステージで歌っているところを、少しも想像できない。そんな未来は、私には用意されていないのだ。
「……とにかく、私には文化祭で歌うなんてできっこないよ。下手な歌にギターで笑われるだけだから。ね、この話はおしまいにしよ。なんか別の話しようよ」
「別の話って?」
即座に速水さんに言い返されて、私は言葉に詰まってしまう。
私は話題をポンポンと思いつけるほど、頭がいいわけではない。一方的に黙ってしまって、役に立つこともなく邪魔なだけの置物みたいだ。
私に気を遣ってくれたのか、速水さんは本の話に話題を変えてくれた。私がいつも隅で、一人本を読んでいたからだろう。
好きな本を訊かれて、とりあえず本屋大賞を受賞している有名な小説の名前を挙げてみる。
でも、速水さんにはピンときている様子がなくて、私たちの趣味はまるっきり違うのだと、私は改めて思い知らされていた。
速水さんは、外が暗くなる前に帰っていった。「じゃあ、また明日学校でね」と帰り際に言ってくれたから、私に学校に行く理由が一つ増える。
速水さんの家に一人取り残された私は、遥さんが帰ってくるまで、なんとなくテレビを見て過ごした。
「これとか晩ご飯に食べたら?」と言ってくれた速水さんの厚意に甘えて、冷凍のハンバーグを温めて、ご飯と一緒に食べる。ハンバーグは肉厚で、コクのあるデミグラスソースが美味しかったけれど、やっぱり一人で食べるご飯はどこか切ない感じがした。
速水さんは今日も、私の両親と一緒にご飯を食べるのだろうか。
習慣の変化に、私はまだついていけていなかった。もちろん、家族一緒にご飯を食べるのが必ずしも正しいわけじゃないけれど、それでも私はやるせなさを抱いてしまっていた。
遥さんが帰ってきたのは、夜の九時を回った頃だった。昨日より早い帰宅とはいえ、こんな時間まで働いていて大丈夫なのだろうかと、私は遥さんを心配せずにはいられない。
でも、「お仕事、お疲れさま」と言って、返ってきた返事が明るかったから、遥さんはまだまだ平気そうだった。バイタリティの大きさに私は畏敬の念を抱く。
「由海、日曜の夜って予定入れてないよね」
冷蔵庫から取り出したビールを飲みながら、遥さんが言う。既にテレビのチャンネルは、私がろくに観ていなかったバラエティ番組からドラマに変わっていた。
「うん、大丈夫だけど。何かあったっけ?」
「えっ、志水さんと三人でご飯食べる約束でしょ。忘れちゃったの?」
初めて耳にする名前に、私は驚きのあまり「えっ」と短い声を出してしまう。そんな人は、速水さんの口からは一言も聞いていない。困らないようにお互いの情報を共有しておこうと持ちかけてきたのは、速水さんの方だというのに。
遥さんはたった今初めて知ったかのような私のリアクションに、軽く呆気に取られている。
コメディタッチのドラマが、いやにうるさい。
「えっ、先月の時点で言ってたよね? 由海もOKしてくれたでしょ」
「そ、それはそうだけど……。でも、どうしてその志水さん? とご飯食べることになったんだっけ?」
「それは、今までに何回か一緒にご飯食べてるから、その延長線上でしょ。それとも由海、中華苦手だったっけ?」
「いや、別にそんなことはないけど……。で、でもさ、一応確認しときたいんだけど、その志水さんって男の人? それとも女の人?」
「男の人だけど。ていうかどうして今さら訊いてるの? 由海、どうかした?」
「い、いや。別に何でもないよ」
もう何度も会っている(らしい)人の性別を訊くのは、確かにおかしかった。不審に思われても仕方がない。
でも、遥さんは「ならいいけど」と、私のごまかしを受け入れて流してくれた。ビールに再び口をつけ、「じゃあ、改めて日曜よろしくね」と言われて、私は「う、うん」とはっきりしない返事をする。
遥さんが納得したように頷いて、再度テレビに目を向けていても、私の頭は混乱し続けていた。
遥さんが男の人と会う。しかも私同伴で。それが何を意味するか分からないほど、私は子供じゃなかった。
速水さんは、どうしてこんな大事なことを言わなかったのだろう。私の中に疑念が芽生える。長い間抱えておくことはできないと思った。
(続く)