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【第34話】祭りの始まり



 夜が明ける。目が覚める。


 まず私が目にしたのは、やはり速水さんの部屋の天井だった。今日も元に戻っていない。昨日も特別なことは、速水さんと一緒に夜のテニスコートに行ったぐらいしかなかったから、そんなに都合よく問題が解決するわけがないのだ。


 でも、今日こそは元に戻っているかもしれないと一パーセントくらい期待していた私は、その期待以上の落胆を抱いてしまう。いつになったら元に戻れるのだろうと、途方に暮れる思いもする。


 でも、私の胸にあったのは、必ずしもネガティブな気持ちだけではなかった。


 今日は文化祭の初日だ。去年までだったら憂鬱でしかなかったこの日を、今の私は少しだけワクワクした気持ちで迎えている。速水さんになっていなければ、芽生えなかった感情だ。


 私は心の中で感謝をする。速水さんになってからの日々は苦労も多かったが、悪いことばかりでもなかった。


 文化祭は一〇時に開場する。もちろん準備のためにずっと早く学校に行かなければならない生徒もいたが、私たちのクラスは昨日の時点で準備をあらかた終えていたので、私はそこまで急いで学校に行く必要はなかった。


 今日もまた朝早くに仕事に行った遥さんを見送ると、私はいつもより余裕を持って朝食を食べた。メイクにも比較的時間をかけられる。


 確認程度にギターも弾く。コードを抑える手はスムーズで、これなら本番もきっとうまくいくだろうと思った。


 約束していた時間通りにインターフォンが鳴って、私が玄関を開けると、そこにはやはり高木さんが立っていた。


 私たちの高校は普段は制服だが、文化祭の二日間だけは私服で学校に行くことができる。高木さんは白くて英字がプリントされたTシャツの上に淡いチョコレート色のアウターを羽織っていて、クリーム色のチノパンも相まって私の目には落ち着きと活発さのバランスが取れているように映った。


 簡単な挨拶を交わして、私たちは学校に向かっていく。途中で宇都宮さんや稲垣さんとも合流して、どのクラスの展示が面白そうだとか、暇な時間何して過ごす? だとか他愛もない話をした。


 速水さんになって間もない頃と比べれば、私はずいぶん気軽に三人と話せるようになっていた。


 開場時間の三〇分前に学校に到着した私たちは、まず自分たちの教室に向かった。誰が受付をするかといった段取りを、もう一度集まれる全員で確認するためだ。


 模造紙で作られた飾りに彩られた教室に入ると、既に多くのクラスメイトが到着していて、そこには他の女子と話している速水さんもいた。


 私たちもそこに混ざって、打ち合わせが始まる時間を待つ。学校中はざわざわと騒がしく、文化祭が始まるのが待ちきれないという声が、あちらこちらから聞こえてくるようだった。


 クラスの実行委員を中心とした打ち合わせは、ものの五分もしないうちに終わって、私たちには自由時間が訪れる。ここからはもう受付の当番が回ってくる時間帯以外は、何をしていてもいい。


 暇だったから、私たちはひとまず文化祭の開幕式が行われる体育館に向かうことにした。


 廊下を歩いていると、他にも多くの生徒が体育館へと向かっていて、皆なかなかに暇を持て余しているようだった。


 体育館に到着した頃には、もう大勢の生徒や保護者、地域の人々が椅子に腰を下ろして、開幕式が始まるのを今か今かと待っていた。運よく空席を見つけて、私たちは五人で並んで座ることができる。


 席に着くと、しばらくしてから吹奏楽部の演奏で開幕式は始まった。いきなりだったから、若干驚いてしまうほどだ。


 私たちの高校の吹奏楽部が大会でいい成績を残したという話を、私は聞いたことがない。だからめちゃくちゃ上手くはないのだろうけれど、それでもただ聴いている分には問題は私には感じられなくて、勇壮な曲は会場の雰囲気を十分に高めていた。


 吹奏楽部の演奏が終わると、学園祭の実行委員長、そして校長先生という順番で挨拶が行われる。


 でも、二人の挨拶は定型句を並べているだけで、私にはまるでネットの記事や挨拶の教本をつぎはぎにして作ったように感じられてしまう。実行委員長が最初にかました「皆さん、盛り上がってますかー!」という呼びかけにも反応は薄くて、可哀想にすら思えてしまう。きっと彼の心には、深い傷が刻まれてしまったことだろう。


 実行委員長の痛々しくさえある姿を見てしまって、私は急に心細くなってしまう。私たちの出番のときも、これくらいシーンとしていたらどうしようと、ふと思ってしまった。


 真面目で面白みに欠けた校長先生の挨拶が終わると開幕式も終わり、そのままステージ発表に雪崩れこんだ。ステージではおそろいの衣装を着た数人の生徒が登場して、ヒップホップダンスを披露している。


 だけれど、私たちはそれを見届けることなく席を立っていた。体育館の空気は滑った実行委員長と真面目なだけだった校長先生のおかげで、冷めていたからだ。


 ステージの途中で席を立ってしまった私たちを見て、壇上の生徒たちは心を痛めていることだろう。私も逆の立場だったら、間違いなく胃がキュッと縮んでいる。


 それでも、私たちは体育館を後にしていた。どのみち壇上に上がっている生徒に、私の知り合いはいなかった。


 私たちが戻ると、開場から三〇分ほどが経ったからか、既に廊下を多くの人たちが行き交って、校舎は活気に満ちていた。子供も大人も分け隔てなく混ざっていて、まさに老若男女といった感じだ。


 中学の頃はこんなに規模が大きくなかったし、去年の文化祭の間はずっと家にいたから、私は初めてとも言っていい「祭」の空気に、すっかり当てられてしまう。


 速水さんでいる以上はうろたえたりするわけにはいかなかったけれど、ひっきりなしに人がいる状況は私に目眩さえ起こさせそうだった。


 私たちは、クラス展示や部活の展示を見て回る。一年生のミステリー喫茶に、三年生のクラス演劇。美術部の作品展示に、放送部の自主制作映像上映。


 どの展示もまあまあ人がいて、文化祭は早くも盛況と言ってよかった。話も弾む。


 高木さんの他のクラスの友達や、宇都宮さんや稲垣さんの後輩までは、私は完全に把握できない。でも、速水さんがうまく間に入ってくれたから、私は不自然にも不格好にもならずに済んだ。


 ただ高木さんたちの話に乗っかっていればよく、それは自分から話すよりはいくらか気が楽なことだった。


 一二時を過ぎたぐらいに、私は高木さんと一緒に、速水さんたちからいったん離れた。クイズラリーの受付の当番が回ってきたからだ。


 教室に入って、私たちの前に受付をしていた男子と入れ替わるように席に座る。


 改めて見回してみると、私たちの教室は受付用に机が二つ、他のクラス展示や出店で使える飲食券や図書カード、お菓子などといった景品。さらには最初のクイズである一問目が壁際にぽつんと置かれているだけで、壁に飾り付けをしたり黒板に絵を描いていたりはするものの、他のクラスと比較して貧相な感じは否めない。もっと机を並べて、その上に段ボールでも立てて、迷路でも作ればよかったと私は感じてしまう。


 楽をしたいという一心でクイズラリーに決まったのだが、苦労をしないということはそれだけ得られる喜びも少ないのだ。


 隣では高木さんが、あくびを噛み殺している。来年はもっと力を入れた展示にしたいと私は感じた。つい一ヶ月ほど前まではそんなこと思わなかったのに。


 これといった展示をしていない私たちのクラスに、人はあまり寄りついてこない。だから、私たちは雑談をして受付当番の時間を潰す。


 私はそんな展開を予想していたのだが、意外にも私たちのクラスには、人がひっきりなしと言っていいほどに訪れていた。続々と人がやってきて、私はクイズラリーの人気の高さを知る。他のクラスにも協力してもらってクイズを置いているから、楽しみながら各クラスの展示を回れる、案外いい企画なのかもしれない。


 私たちはやってくる人たちに笑顔で解答用紙と鉛筆を渡して、簡単にルールの説明をする。まだ開場してから二時間ほどしか経っていないというのに、もう全てのクイズを解き終えた人もいて、私たちは笑顔で景品を渡した。


 受付をするのを少しだけ面倒くさく感じていたのが嘘のように、私はやってくる人たちとのささやかな交流を楽しんでいた。


 私たちが受付の席に着いてからおよそ三〇分が経った頃、再び教室のドアが開けられた。入ってきた人物に、私は思わず目を丸くしてしまいそうになる。


 やってきたのは、私のお父さんとお母さんだった。ドアを開けて私を見るなり、ぱっと表情を華やがせている。


 私も立ち上がって、二人との再会を喜びたい。でも、今の私は速水さんの姿だ。


 二人は笑顔のまま、私たちに近づいてくる。目にはたまたま知っている子が受付をしているという安堵感が漂っていた。


「由海ちゃんじゃない! 元気にしてた!?」


「はい、おかげさまで。あのこちら、解答用紙と鉛筆になります」


 別にそっけない対応をしたいわけじゃなかった。でも、長く話していると、私の中でどんどんと懐かしい気持ちが湧き上がる。


 私は速水さんになってから、お父さんとお母さんにはたった一回会ったきりだ。だから、安心感から私は泣きそうにさえなってしまう。二人には申し訳ないけれど、速水さんとして不自然な言動をする前に、早く窓際にあるクイズに向かってほしいと思ってしまう。


 でも、二人は私から解答用紙と鉛筆を受け取ってからも、すぐには受付を離れなかった。楽しげな目で私を見ていて、私は感極まってしまいそうになる。


「何、由海? もしかして知ってる人?」


 動こうとしない私たちを見かねたのか、高木さんが訊いてくる。私が頷くよりも、二人が応える方が速かった。


「ええ、私たちは外崎千早希の両親です。明日、由海ちゃんと一緒にステージに上がる予定の」


「ああ、外崎さんのご両親でしたか。はじめまして。私、外崎さんと同じクラスの高木といいます」


 納得がいったように言う高木さんに、私は話が運ぶようにすることしかできなかった。ここで口を挟んでしまったら、それこそ怪しまれかねない。


「そう。ご丁寧にどうも。あの、千早希は学校ではどんな様子なの? クラスにはちゃんと馴染めてる?」


「ええ。それはもうとっても。正直二学期が始まった頃は、どこか私たちに対しても壁を作ってるような感じはあったんですけど、心境の変化でもあったんですかね、ここ最近は徐々にクラスの皆とも話すようになってきて。浮いてたりとかぼっちだったりすることは、今じゃもうまったくないんで、安心していいと思いますよ」


 私も受けた疑問にも、高木さんは丁寧な答えを返していた。二人も安堵したような表情を見せていて、三人は初対面だというのに、もうすっかり打ち解けている様子だった。


 たとえ中身は速水さんであったとしても、私に対して肯定的な評価が下されたことは、私も嬉しい。その分元に戻ったときには、クラスに溶け込めている自分を崩さないよう頑張らなければならなかったが、それでも私は速水さんでいる時間を思い起こせば、どうにかなりそうな気がしていた。


「そうなの。それはよかった。ところで、千早希今どこにいるか分かる? 校内を歩いてもなかなか会えなくて」


「それなら、今は他の子と一緒にクラス展示を見て回ってる最中なので、学校にさえいれば、いずれ会えると思いますよ」


「分かった。色々探してみる」


 そうお母さんが答えたところで、またドアが開いた。教室の入り口には私たちと同じくらいの女子が立っていて、それが私たちの学校の生徒なのかどうかは、私には判断がつかない。


 だけれど、次の来客の登場にお父さんが、「ほら、行こう」とお母さんを促している。


 お母さんも「じゃあ、二人とも今日はありがとね。特に由海ちゃん。明日、私たちステージ発表見に行くから。千早希との歌楽しみにしてるよ」と後ろ髪を引かれるように言って、私たちから離れていった。


 二人が受付から去ったところで、私たちは女子を迎え入れて言葉をかける。


 お父さんとお母さんが一問目を解いてから教室から出ていくと、高木さんが「外崎さんの両親、良い感じの人たちだったね」と話しかけてきて、私はただ「そうだね」としか答えられなかった。



(続く)

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