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【第29話】関係あるよ



「……わ、私たちっていつまでこんな感じなんだろうね」


「こんな感じって?」


「い、いつまでこんな距離のある関係を続けるんだろうねって話。もう文化祭まで二週間もないのに」


 私がなけなしの勇気を振り絞って口にすると、速水さんは剣呑な反応をした。棘のある視線に、自分の目だと分かっていても、私は震えあがる感覚がする。


「いつまでって、外崎さんがあたしのお母さんに、志水さんと一緒になっていいよって伝えるまででしょ。何? もうお母さんにそう言ったの?」


「……いや、言ってない」


「じゃあ、どうしようもないじゃん。それでよく、関係を良くしたいって言えたね」


 速水さんの言い方は突き放すようで、取り付く島もないとはこのことかと、私は感じてしまう。表情から「もう帰ってほしい」というオーラが出ていて、私はそれに従ってしまいたくなる。


 でも、私はすんでのところで堪えた。言葉にするには大きな決心が必要だったけれど、どうにか状況を改善したいという思いが、私の口を開かせる。


「……ねぇ、速水さん」


「何?」


「速水さんの両親は、速水さんが五歳のときに離婚してるんだよね……?」


 私がそう言った瞬間、部屋の空気は凍りついた。目を見開いた速水さんから、高木さんが言ったことは現実なのだと私は察する。


 速水さんは一瞬苦虫を嚙み潰したような顔をしていたけれど、すぐになんてことのないような表情に戻っていた。この期に及んで何かを隠すかのように。


「……それ、誰から聞いたの?」


「……高木さんから聞いた」


「でも、おかしくない? 外崎さんはあたしの過去を教えてって尋ねたの? 今の外崎さんは、見た目ではあたしなのに?」


「それは宇都宮さんや稲垣さんに話しているところを聞いちゃったんだ。私が三人に、遥さんが志水さんにプロポーズされたってことを打ち明けた、その流れでね」


 速水さんはすぐに返事をしなかったから、私は不安に苛まれる。唇を噛みしめて考えこんでいて、私は次に出る言葉を聞いてもいないのに、恐ろしく感じた。


「そっか。そういうことならしょうがないね、とは正直言えないかな。なんで言っちゃうかな。あたしの家の、本当にプライベートな話なのに」


「それは、ごめん。何かあった? って訊かれて断り切れずに、つい……」


「でも、言っちゃったんでしょ。それって、もう取り消せないってことじゃん。どうしてくれんの」


「……ほ、本当にごめん」


 謝ったところでどうにかなるわけではなかったけれど、それでも私は謝るしかなかった。今さらどうしようもない後悔が押し寄せる。


 速水さんが黙って、私を見ている。何か目に見える形で謝罪したかったけれど、私は頭を下げる以外にどうすればいいか分からなかった。


「まあ、いいよ。いや、良くはないんだけど、でも嘘だって取り消そうとしたら、かえって怪しまれるもんね。それはあたしとしても避けたいし」


「許してくれるの……?」


「まあ今も正直腹立たしい気持ちはあるけど、でも許す許さないの問題じゃないもんね。もう現実に起こってしまったことだから。それこそしょうがないよ。あまり認めたくはないけど」


 速水さんは勝手に打ち明けてしまった私にも、理解を示そうとしてくれていた。大人の対応だ。


 気を遣わせていることが申し訳なくて、私の気持ちはさらに萎れていく。それと反省を示すこととは、まったく違うというのに。


「そんな落ちこまないでよ」と、速水さんに言わせてしまっていることが恥ずかしい。胸を張るとはいかなくても、背筋は正さなきゃいけなかったのに、私はそれすらできていなかった。


「ね、ねぇ、速水さん……」


「何? どしたの?」


 注がれる視線に、先ほどまでの嫌らしさはいくらか軽減されている。速水さんなりに、私に対する悪感情を抑えようとしてくれているのだろう。それがかえって、私の視線を下げさせた。


 こういうことは、目を見て言わないといけない。だけれど、私はどうしても速水さんの顔を見られなかった。


「速水さんは、志水さんが遥さんにプロポーズしたことについて、本当はどう思ってるの……?」


 それはうなだれたまま言うべきではなかった。ちゃんと速水さんの顔を見ていないと、口にした内容の重さに釣り合わない。


 情けないばかりの私にも、速水さんは目くじらを立てていない。でも、「何、改めて。そんなのこの前言ったでしょ」という返事には、苛立ちが滲み出てしまっている。私はますます目を伏せてしまう。


 そんな私を見て、速水さんは一つ息を吐いていた。それは呆れるようでもあって、私をさらにがけっぷちへと追いやる。


「じゃあ、もう一回言うね。あたしはお母さんと志水さんには、一緒になってほしいと思ってる。だって、あの二人はお互い好き合ってるんだよ。好きな人と一緒にいる方が、どう考えてもいいでしょ」


 速水さんは確かめるかのように言っていて、もし彼女に疎い人間が聞いたなら、本音だと容易に信じることができるだろう。


 だけれど、私にはもう速水さんは知らない人間じゃない。毎日顔を合わせているし、一緒にギターの練習をしているし、何より私たちはまだ入れ替わったままなのだ。速水さんがそう言って、自分を無理やり納得させようとしていることが、私には分かってしまう。たとえ本人がそんな素振りを見せていないと、思っていたとしても。


 私は顔を上げた。意を決して、速水さんと向き直る。尋ねることには覚悟がいったけれど、それでも私は口を開く。


「本当に? 速水さん前、志水さんのことあまり得意じゃないって言ってなかったっけ?」


「別にそんなことはないけどなぁ。それにあたしがどう思ってるかなんて、二人が一緒になるのには、何も関係ないでしょ」


「関係あるよ」


 私は思わず口を挟んでいた。速水さんには自分の思いを、存在をそんなにないがしろにしてほしくない。


 速水さんは紛れもない、遥さんの一人娘なのだ。速水さんの意思も考慮されて、尊重されてしかるべきだろう。


 双眸が私に向く。その目には「ぎろりとした」という表現が当てはまりそうで、私は怯みそうになったけれど、どうにか自分を励ます。


 間違ったことは言っていないと思いたかった。


「関係、あるよ」


 同じことを二回繰り返していて、壊れたスピーカーみたいだなと自分でも思う。


 それでも、私はより力を込めて言っていた。今私が伝えられる、唯一にして最大のことだと思ったからだ。


 私の真剣な表情が伝わったのか、速水さんもすぐにごまかしたり、否定したりはしていない。


 表情にかすかに迷いが見え始めた速水さんを前にして私ができることは、言いやすいように促すことだけだった。


「速水さん、お願いだから、本当のことを言って。大丈夫だよ。私を信じてくれていいから」


 精一杯穏やかな表情をして語りかける。速水さんが話しやすいように。胸に沈んだ澱を、少しでも吐き出せるように。


「……あたしは」


 速水さんがそこまで言いかけて、いったん言葉を止める。


 言おうかどうか悩んでいる様子の速水さんを、私は無理に急かさなかった。速水さんは速水さんのペースで言ってくれればいい。そこに私が口を挟んでいい道理はないだろう。


 言い淀んでいた速水さんが、一つ息を吐く。


「あたしは正直、そこまで志水さんと一緒にいたいとは思えない。だって、以前外崎さんにも言った通り、あたしは志水さんのことがそこまで得意じゃないから。そんな人と一緒に暮らすとなると、想像しただけで気を遣いすぎて、しんどくなりそう。志水さん、それにお母さんには本当に悪いことなんだけど、それでもね」


「そうなんだ。それが速水さんの本音なんだね」


「うん。それと本当に情けない理由なんだけど、あたしはこうなるまでのお母さんと二人っていう生活に少なからず満足もしていたから。もちろん、忙しくてなかなかお母さんと一緒にいられなかったことは、寂しかったよ。でも、お母さんがあたしを大事にしてくれてることは、少ない時間の中でも伝わってきて、私はそれがとても安心できたんだ。だから、志水さんがそこに入ってきて、あたしと二人だけの関係が、形が変わってしまうのが正直怖い。お母さんの気持ちが少しでも志水さんに向いてしまうのが、私には恐ろしく感じられちゃうんだ」


「って、何わがまま言ってんだって感じだよね。こんなの全然ガキだよね」そう恥ずかしげに付け加えた速水さんは、本音を吐露したことを、後ろめたいとさえ思っているようだった。こんなことを言うなんて甘えていると、思っているみたいに。


 でも、私はまったくそうは思わなかった。「そんなことないよ」という言葉が、瞬時に口をついて出る。


 親の愛情をその身に受けていたいという思いは、少しも恥ずべきではない。私にはずっと両親が二人ともいたから、速水さんの心境は完全には分からないけれど、それでも理解することを投げ出してはいけなかった。


「現状が変わってしまうのが怖いっていうのは、わがままでも何でもないと思う。満足がいく環境があるのは、幸せなことだから。その幸せがもしかしたらなくなってしまうかもしれないって状況になって、恐れない人の方がむしろ珍しいよ」


「外崎さん……」


「速水さん、本音を言ってくれてありがとう。ようやく速水さんの胸のうちが見えたようで、私も嬉しい。それでさ確認なんだけど、このこと遥さんにも伝えておいた方がいいかな」


「……いや、それはやめといて。いつか元に戻ったときに、ちゃんと自分の口から伝えたい。だからさ、申し訳ないんだけど、外崎さんにはこのままなんとなく結論を先延ばしにして、はぐらかしておいてほしいんだけど、お願いできるかな」


「うん、もちろんだよ。どうにかうまくやってみる。幸い、遥さんからも答えは、今のところ迫られてないしね」


「よかった。じゃあ、お願いね。いつになるかは分からないけど、あたしたちが元に戻るそのときまで」


「うん、分かった」


 私たちは頷きあう。やはりこれは速水家の話なのだから、速水さんの意思を尊重すべきだ。部屋に流れていた張り詰めた空気も、今だけは少し緩んでくれている。だから、私は速水さんから目を背けずにいられた。


 速水さんの表情も多少はすっきりしていて、速水さんの心を軽くする手助けができたことに、私は少し安堵していた。



(続く)

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