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【第28話】言ってよかったよね?



「ねぇ、由海は正直どう思ってるの? 遥さんとその再婚相手の人の思いを尊重したいとかじゃなくて、本当の正直な気持ちを聞かせて」


 稲垣さんの言葉を受けてか、高木さんが私に迫ってくる。


 核心を突いた質問に、私は即座に答えられなかった。今求められているのは、速水さんとしての正直な気持ちだ。でも、私は速水さんではないから、速水さんの正直な気持ちなんて分かるはずがない。速水さんが本当に自分の心を打ち明けてくれているかさえ、判断がつかないのだ。


 速水さんの気持ちを勝手に想像して、言葉にしていいものなのか、私は迷う。


 でも、三人の前でいつまでも黙ってもいられなかったから、どこかで踏ん切りはつけないといけなかった。


「本当に正直に言うと、今もまだ迷ってる。お母さんとその人が一緒になってほしい気持ちも、今のままでいたい気持ちも両方ある。はっきりと答えを出すことなんて、あたしにはまだできないよ」


 私の声はか細く頼りなく、今までのはきはきしている速水さんからは似ても似つかなかった。でも、イエスでもノーでも明確な答えを私が出してはいけない気がした。


 あの速水さんがここまで覚束ない言葉を並べているから、本当に相当迷っているのだろう。三人はそう解釈したようで、私により心配するような目を向けている。


 でも、それがかえって私の逃げたいという気持ちを増幅させていた。


「……なるほどね。由海が迷うのも無理ないか。だって、もう遥さんと二人で暮らしてる時間の方が、そうじゃなかった時間よりもよっぽど長いもんね」


 結論を出せないでいる私にも、高木さんは理解を示してくれている。だから、私も素直に頷いた。


 たとえその事実は、速水さんから聞かされておらず知らなかったとしても。


「でもさ、由海。本当にただのお節介なんだけど、私の思いを言っていい?」


 私は「うん」と声に出して、再び頷いた。高木さんの思いを遮ってはいけない気がした。


「私は遥さんには再婚してほしい。だって、遥さんは女手一つで由海をここまで育ててきたんだよ。きっと言葉では言い尽くせないほどの苦労があったと思う。だから、もうこれ以上一人でがんばる必要はないんじゃないかって、私は思うな。由海の前のお父さんとのことで、あんなに大変な思いをしたんだから、なおさらね」


「大変な思いって? 由海の家、昔何かあったの?」


 宇都宮さんがとっさに訊いていて、デリカシーがないなとも思ったけれど、私はどこか助けられた感覚も抱いていた。速水さんの家にかつて何があったのかは、私としても知りたいことだった。


「大変な思い」という言葉が出てきて、私の気になる思いは膨らみだす。気を抜いたら、声に出してしまいそうなほどだ。


 それでも、私はそれを何とか堪え、平気な表情を取り繕う。「そっか。茉里奈と綾乃は高校からだから、知らないか」と高木さんは言っていて、私は気が逸ってどうかさえしてしまいそうだった。


「ねぇ、由海。これって二人にも言ってよかったよね?」


 そう訊いてきた高木さんに、私は三度頷いた。私にわざわざ確認を取るということは、やはり軽い話ではないのだろう。


「これ」が何を指すのか、私にはまったく分からなかったが、それでもどんな内容が知らされてもいいように、私は内心身構える。


 高木さんは私たち三人に今一度目を向けてから、おもむろに話し出した。


「ごまかしてもしょうがないから単刀直入に言うと、由海の両親は由海が五歳のときに離婚してるんだ。その前のお父さんが、結構ろくでもない人だったみたいでね。仕事はしてたしちゃんと稼ぎもあったんだけど、家での態度が酷かったらしくて。自分の気に入らないことがあると、すぐ遥さんに暴言を吐いてたって私は聞いてる。手が出ることも一度や二度じゃなかったって。その矛先は幼かった由海にも向けられて、心無い言葉を言われて泣いてしまうことも珍しくなかったとも聞いてる。そんな状況に耐えかねて遥さんは離婚して、ここまで一人で由海を育ててきたんだって」


 高木さんが語った内容は、曖昧な個所も多かったけれど、変に話を盛ることはしていなくて、真実味を帯びていた。


 速水さんがそんな振り返りたくない過去を持っていたなんて。心が揺さぶられて、驚きのあまりすぐに声が出ない。それは宇都宮さんたちも同様で、言葉を失った空間は、いたたまれないという言葉では片づけられないくらいの痛みを纏っていた。


 少しして、「由海、本当なの?」と稲垣さんが訊いてくる。何か声を出したら、動揺が表に出てしまいそうで、私は小さく頷くことしかできなかった。


「本当なんだね。初めて知ったよ」


「ご、ごめん……。もうちょっと早く言っとくべきだったかな……」


「いや、いいよ。由海が言いたくなかったんならそれで。だって、言っててあまりいい気分になれる話でもないでしょ」


「まあ、それはそうだけど……」


「それよりもさ、萌衣はどうして由海の家のこと知ってるの?」


「それは、昔私の家と由海の家は隣同士だったから。だから、直接的には聞かなくても雰囲気がよくないのは、何となく察せられちゃったんだ。家にまで由海の前のお父さんの罵声が聞こえてきたこともあったしね」


「そうなんだ」と私は心の中で呟く。高木さんの話したことが事実だとしたら、速水さんが私に話したくなかったのも当然だ。


 知りたかったという思いはあれど、私は速水さんを責められない。言いたくない過去の一つや二つ、誰にだってあるだろう。


「なるほどね。そんなことがあったなら、由海が慎重になるのも無理ないか。確認だけど、由海。その人は暴言を言ったり、ましてや暴力を振るうような人じゃないんだよね?」


 宇都宮さんからの質問に、私は少しためらいながらも「たぶんそうだと思う」と答えた。まだ志水さんとは二回しか会っていないから、人となりの全てはまだ知らない。だから、私の返事には少しの願望も含まれていた。


 私たちの間に、また束の間の沈黙が訪れる。重苦しくなり始めた空気の中で、口を開いたのは稲垣さんだった。


「由海。ここまで聞いといて当たり前なことを言うけど、やっぱりこの話は私たちがどうこう言えるような話じゃないと思う。由海が遥さんともよく話し合って、決めることだよ。せっかく打ち明けてくれたっていうのに、こんな当然な答えになっちゃってごめんね」


「ううん、全然いいよ。あたしもそうするしかないなって思ってるし。今日、綾乃たちに言ったのは、ただ話を聞いてほしいだけだったから。それ以上は、私は求めてないよ」


「そうだよね。どんな結論になっても、私たちは受け入れるよ。まあ由海の家の話だから、こういう言い方も違うような気はするけど」


「そんなことないよ。そう思ってくれただけで嬉しい。ちゃんとお母さんと話してみようって気になった。萌衣も茉里奈もありがとね、話聞いてくれて。おかげでちょっと心が軽くなったよ」


 嘘だ。まだ心はずしりと重くて、顔を上げられるような状態じゃない。


 でも、私は努めて微笑んだ。それが虚勢を張っていると思われても、沈んだ表情をしているよりはマシだろう。


 案の定、三人はまだ私を窺うような顔色をしていたけれど、私は半ば強引に「さ、教室戻ろ」と言って、体育館の裏から引き上げた。歩き出した私に、三人もついてくる。


 雲に覆われた空からは太陽の光は見えず、もうすぐ雨が降ってさえきそうだった。





 昼休みが終わって、午後の授業を私はどこか身が入らない状態で受けていた。高木さんが告げた現実を、私は未だに受け入れられていない。何をしていても、隣に座っている速水さんのことが気になって、チラチラと視線を送ってしまう。


 速水さんも、きっと私が向ける目に気づいていただろう。でも、まったく知らんぷりをしていて、速水さんがまだ私に対してバリアを張っていることを私は知る。突き破るだけの勇気は、私にはなかった。


 放課後になって、私はまっすぐ速水さんの家に帰る。今までだったら、すぐにギターケースを持って私の家に向かっているところだが、この日ばかりはどうしても気が重い。


 もちろん速水さんと距離ができて以降、速水さんのもとに行くには少なくないエネルギーがかかっていたのだが、今日は輪をかけて酷い。


 抱えている過去を断片的にでも知ってしまった今、どんな顔をして速水さんに会えばいいか、私は分からずにいた。


 それでも私は、なるべく何も考えないようにして、ギターケースを持って速水さんの家から出た。すっかり歩き慣れた道を通って、私の家へとたどり着く。マンションの入り口に立っただけで呼吸は逸り、心臓が早鐘を打ち始めるかのようだ。


 意を決して入り口をくぐり、五階の私の家へと向かう。考える暇も与えないかのように、すぐ五〇一号室のインターフォンを鳴らすと、少ししてドアが開き、私は速水さんと顔を合わせた。


 どちらからともなく交わされる「よろしく」という挨拶が、まだかなりぎこちない。


 私はまっすぐ私の部屋に通されて、速水さんと一緒にギターの練習を始めた。私の指導と、それ以上の地道な自主練習のおかげで、速水さんはTAB譜を見ずともつかえることなく、曲を最後まで弾けるようになっていた。


 コードの移行も日を追うごとにスムーズになっていて、いくら簡単な曲とはいえ、私はその上達の早さに舌を巻いてしまう。私が数か月かかってできたことを、速水さんはたった一ヶ月でものにしていて、羨ましく思う。


 だから、私が口にした「速水さん、すごいよ」という言葉に、嘘は一つもなかった。もちろん、文化祭に向けてまだまだギターを弾きながら歌うことは練習しなければならないけれど、それでも速水さんなら大丈夫だろう。


 でも、速水さんは私の言葉を無理して褒めていると受け取ったのか、「うん、ありがとね」という言葉とは裏腹に、そっけない態度をやめようてはいない。自分から歩み寄る気はあまりないようで、私は切なくなってしまう。


「本当だからね」と弁明するのも、なんだか嘘くさくなってしまう気がして、私はそれ以上速水さんにかける言葉を見つけられなかった。


 ただ言葉少なにギターの練習をするだけで、私はそれを味気なく感じてしまっていた。


「じゃあ、今日はこれくらいにしよっか」


 きっかり一時間半練習してから口にした私に、速水さんも頷いた。そのあまりにあっさりとしたリアクションに、早く自分から離れてほしいと言われているようで、私は寂しく感じてしまう。ここは元々私の家だというのに。


 これ以上私の部屋にいても、速水さんはもうギターをギタースタンドに置いてしまっているし、勉強を教えてくれることもないだろう(そもそも私は勉強道具さえ持ってきていない)。


 それでも、私はすぐには帰らなかった。ここで逃げたら、今までと何も変わらないと感じた。


「速水さん、めっちゃギター上手くなったよね。毎日しっかり自主練してるんだなってのが、伝わってくるよ」


 私がどうにか捻りだした言葉にも、速水さんの態度はつれない。「別にまだ初心者の範疇でしょ」と、軽く吐き捨てるかのように言っている。


 それは謙遜というよりも、私と話したくないという思いが前面に出ていて、私は思わずたじろぎそうになってしまう。


 でも、どうにか平気な様子を装った。


「初心者はギターを弾くのに精いっぱいで、歌うことなんてできないよ。速水さんはまだ口ずさむレベルだけど、歌えるようになってきてんじゃん。この調子で練習してけば、文化祭のときには十分人前に出ても恥ずかしくないレベルになってるよ」


「まあ一度出ると決めたからには、やりきったって言えるとこまでやりたいからね」


 速水さんの返事は前向きで、言葉だけなら速水さんらしかったけれど、でも表情は憮然としていて、私の顔をひきつらせた。未だに私に敵愾心を抱いているようで、私はさらに肩身が狭い思いをしてしまう。


 そりゃこの件に関しては私の方が悪いけれど、そこまで無下に扱われるいわれはないはずだ。


 でも、私は不満を顔には出さない。同じように憮然とした表情をしたら、関係はこじれていく一方だ。


「だね。高校生活で一度しかない舞台かもしれないもんね。私としても悔いは残したくないし」


「ねぇ、外崎さん」


 速水さんの目が私に向く。眼光は、私の心を射抜くように鋭い。


「何を期待してるの?」


「き、期待って?」


「ギターの練習はもう終わったでしょ。もしかして私に勉強教えてほしいわけ?」


「そ、そんなんじゃないよ」


「じゃあ、何? 外崎さんは何が言いたいわけ?」


「今すぐ帰ったら」と言う一歩手前みたいな速水さんを目の当たりにして、私は思わず怯んでしまう。緊張で身体が熱くさえなってきそうだ。


「別に何でもないよ」という言葉が何度も頭をよぎり、その度に私はイメージで首を振って否定する。勇気を出すときは、きっと今なのだ。


「……わ、私たちっていつまでこんな感じなんだろうね」



(続く)

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