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【第27話】打ち明け話



 全一二話あるアニメの、六話目までを立て続けに見たところで、誰からともなく「もうよくない?」という空気が流れ、鑑賞会はお開きとなった。「また今度続きを見ようね」と約束を交わして、高木さんたちが速水さんの家から帰っていく。


 一人家に残されて私は、ひとまず安堵の息を吐いていた。


 怪しい時間帯はあったものの、どうにかボロを出さずに切り抜けられた感覚がある。アニメを見ている間は、アニメの話をすればよかったから、いくらか気も楽だった。


 私は軽く後片づけをすると、速水さんの部屋へと向かった。入るやいなやギターを手に取る。不安を完全に消し去るには、まだまだ練習が必要だった。


 そのまま一時間ほどギターと歌の練習をして、私はギターケースを背負って速水さんの家を後にする。今日は駅前のカラオケ店での練習の予定だ。


 私が到着した頃には、すでに速水さんは店の前で待っていた。でも、私たちは簡単な挨拶を交わしただけで、すぐに店内へと入っていく。


 速水さんのそっけない態度は変わっていなかったし、私も深く踏みこむ勇気は出なかった。


 カラオケルームに入ると、私たちはすぐにギターを手に取って練習を始めた。余計な話が許される空気は、私たちの間にはなかった。


 ギターを弾くにあたってのアドバイス自体は、速水さんも素直に受け入れてくれる。でも、それ以外の話は私たちはできなかった。ギターの練習に集中したいというのはもっともだけれど、それでもゆとりがなくて、私には胸が締めつけられる感じがする。


 速水さんは私に講師としての役割しか求めていなくて、それが私たちの間に生まれた壁を顕在化させていた。


 与えられた時間をギターの練習だけに使い、私たちは二時間パックの終了時間を迎えた。以前までは少しお互いの好きな曲を歌う時間も設けていたのだが、今はそれもなくなっている。


「じゃあね」と言葉少なに去っていった速水さんの後ろ姿を見ながら、私は心細くなる。「方向も同じだから一緒に帰ろうよ」とは言い出せず、ただ立ち尽くしてしまう。


 遥さんに志水さんと一緒にいてほしいと伝えられない現状では、私たちの間に生まれた距離を縮める手段は存在していなかった。


 暗くなる少し前に、私は家に帰る。気が向かない自分をどうにか奮い立たせて、机に向かっていると、しばらくして遥さんが帰ってきた。


「晩ご飯、Uberでいい?」と言われて、私も素直に頷く。連日の仕事で疲れている遥さんに、夕食づくりまで求めるのは酷だろう。


 私たちは中華料理チェーンの料理を頼み、夕食にする。食べている間も、そして食べ終わってしばらく二人でリビングにいる間も、私は志水さんとのことを遥さんに切り出せなかった。速水さんとの関係修復のためには認めた方がいいけれど、やっぱりまだ心の中では完全に納得がいっていない。


 よりこじれた状況になっていることを隠すように、自然な様子で遥さんに接する。遥さんも特段変わった様子は見せず、一緒にテレビドラマを見ている間は、私たちはどうにかつつがなく時間を過ごせていた。


 疲れてるし、明日も早いからとドラマを見終えてしばらくすると、遥さんは自分の寝室に向かっていった。


 私も寝る支度をして速水さんの部屋へと向かう。寝るには少し早いから、スマートフォンでSNSを見たりして時間を潰す。


 すると、スマートフォンが振動して、ラインが送られてきたことを知らせた。


〝今日、どうしたの?〟


 高木さんが私との個別ラインに送ってきたメッセージは直球で、だからこそ私は小さくても震えあがってしまう。


 いつも通り振る舞おうとしていたのに、高木さんの目からはそうは見えていなかったのだろうか。


〝どうしたのって、何が?〟


〝今日、なんか調子変じゃなかった? いつもの由海らしくなかったというか。何かあったの?〟


 私の相槌は、高木さんの言葉を引き出す以上の役割を果たさなかった。即座になされた返信に、私は心が凍りつくような感覚がした。「速水さんらしくない」は、私が今一番言われたくない言葉だった。


 まさか速水さんと私の人格が入れ替わっているとは思いもしないだろうが、それでも異変を感じて距離を取られたら、元に戻ったときに速水さんに悲しい思いをさせてしまう。それだけは絶対に避けなければならない。


〝別に何でもないよ。強いて言えば、昨日あまり眠れなかったから、そのせいで萌衣には調子悪そうに見えてたのかな。大丈夫。一晩ぐっすり寝れば、またいつもの調子に戻れると思うから〟


〝それ、前にも聞いたんだけど。ねぇ、ごまかさないで本当のこと言ってよ。あまり眠れなかったってことは、それだけ気がかりなことがあったってことだよね?〟


 高木さんは、やはり鈍くはなかった。私がとっさについた嘘も、すぐに看破してしまう。


 私は「本当に何もないから」と返そうとしたけれど、そうしたところで高木さんが引き下がる未来は見えなかった。


 だけれど、速水さんと入れ替わっていると、本当のことを言っても信じてくれるはずがない。でも、強情を張ったところで意味がないのも事実で……。


 少し考えてから、私はスマートフォンに再び触れる。


〝うん。まあちょっとはね。でも、大丈夫。萌衣には全然関係ないことだから〟


 私は何かあったことをそれとなく認めながら、でも高木さんには詮索してほしくないという態度を取った。心情を理解して、ラインをやめてくれるように望む。


 だけれど、私の打った手は悪手だったらしい。高木さんは、矢継ぎ早に返信を送ってくる。


〝何、その言い方。そりゃ由海には由海にしか分からない問題もあるかもしれないけどさ、でも関係ないってのは言いすぎじゃない? 私たちに話すことで少しでも気が楽になったり、もしかしたら解決策を一緒に考えられるかもしれないのに〟


 高木さんは自分の力を過信している。文面から私は、まずそういった印象を受け取った。今私が抱えている問題は、どれも高木さんに話したところで何一つ解決しない。当の私にだって解決方法が分からないのだ。


 でも、私は気がつけば〝そうだね〟と返信を送っていた。もしかしたら、自覚がなくても私の心は、この事態をいつまでも速水さんと二人きりで抱えていることに、限界を迎えつつあるのかもしれなかった。


〝改めてどうかな。私たちに話してみるっていうのは。私たちはみんな、由海の力になりたいって思ってるよ〟


 そのラインからは、高木さんが抱いている自負が感じ取れて、私は心を動かされる。


 どのみちここまで提案されたからには、拒否するのも気が引ける。話す前から、何も変わらないと決めつけるのはよくないと思った。


〝分かった。じゃあ、明後日学校で会ったときにちょっと話すね〟


 私は思い切って、短いラインを送る。


 すると、高木さんからは「了解!」とポーズを取る、猫のキャラクターのスタンプが送られてきて、私はかすかに励まされる。


 私も「よろしく!」と、音の出る犬のキャラクターのスタンプを返す。スタンプを送ることも、速水さんになってから私は次第に慣れつつあった。


 高木さんは既読はつけたものの、それ以上メッセージを送ることはなく、私たちのやり取りは終わりを迎える。


 私はスマートフォンから手を離して、ベッドにもぐりこんだ。目を瞑ってもなかなか眠ることはできなかったけれど、それは事態が一つも解決していない以上、仕方のないことだった。





 速水さんとギターの練習をするために、カラオケルームで顔を合わせる。でも、開いてしまった距離は戻ることはなく、気まずい思いをしただけだった日曜日をどうにかやり過ごし、私はまた月曜日の朝を迎えていた。


 既に速水さんになってから一ヶ月近くが経過しているこの日にも、私たちは元に戻ることができず、私は毎度のことながら落胆してしまう。


 それでも、今日も速水さんとしての姿を全うするしかないと、無理やりにでも気持ちを切り替える。他の人の前で、不安に苛まれる姿は見せてはいられなかった。


 仕事に行く遥さんを見送って、出来合いの朝食を食べて、メイク等学校に行く支度をすると、この日も大体同じ時間にインターフォンが鳴る。


 ドアを開けると想像した通り、そこには高木さんが立っていた。軽く挨拶を交わして、一緒に学校に向かう。


 それとなく高木さんは「話していいよ」という空気を出していたけれど、私は話を切り出すことはしなかった。歩きながらするほど、軽い話ではなかった。


 お馴染みの地点で合流した宇都宮さんや稲垣さんにも、私は話を切り出さないまま、私たちは学校へ到着した。


 私たちが入ったときに、教室に速水さんの姿はやはりなかった。今日も私と話さないように、始業時間ギリギリに登校してくるのだろうと思うと、胸が痛むようにうずく。


 速水さんのいない机が、ぽつんと寂しさを訴えかけているように見えた。


「で、どうしたの、由海。私たちに話すことがあるって」


 なるべく人気のない場所を探して、私たちが体育館の裏に辿り着くと、高木さんがいの一番に発した。宇都宮さんや稲垣さんも、私の出方を窺うような表情を見せている。


 三人分の視線を受けて、私は胸が詰まるような思いがしたけれど、それでも私が呼んだからには、「やっぱなしで」というわけにはいかない。


「うん。こんなこと萌衣たちに話すべきではないかもしれないんだけど、それでも聞いてもらいたいなって思って」


 三人の「それは分かってる」とでも言いたげな目が、私に突き刺さる。正直、この場を立ち去ってしまいたい。


 でも、私はどうにか堪えて、なんとか顔を上げて、思い切って話を始める。


「三人とも、あたしの家が母子家庭だってことは知ってるよね……?」


 高木さんたちは、いずれも頷いていた。きっと、速水さんの家に来ている中で、遥さんとも面識があったのだろう。プライベートの極致みたいなことまで知っていることに、私は速水さんと高木さんたちの関係性に、改めて驚いてしまう。


 でも、知っているなら話は早い。かすかに漂い始めた「もしかして」という空気を肌に感じつつ、私は言葉を続ける。


「実は、あたしのお母さんには最近仲よくしてる人がいて。まあその人は男の人なんだけど。もしかしたら近いうちに一緒になるかもしれないって話が、今出てるんだ」


 私が打ち明けた話が、想像以上に重大だったのだろう。三人は一瞬口をつぐんでしまって、周囲には実際の気温よりも肌寒い空気が流れた。


 一度言ってしまった言葉は取り消せるはずもなく、かといってごまかすように言葉を重ねるのも違う。


 聞こえてくる生徒たちの話す声が、今だけは遠かった。


「……一応確認なんだけど、それって再婚するってことだよね?」


 言うまでもないことを高木さんは尋ねてきて、改めて言葉にされると、私は身につまされる感覚がした。頷きながらも、認めたくない感覚を私は抱いてしまう。


 遥さんの再婚は、既に私にとってはまったく他人事ではなかった。


「私はいいと思うけどな。遥さんが再婚するの」


 流れる気まずい空気を物ともしないかのように言った宇都宮さんに、私は分かりやすく目を丸くしてしまう。「えっ」という声も出かけた。宇都宮さんには、空気を読むという考えはないのだろうか。


 稲垣さんに「ちょっと、茉里奈」と軽くたしなめられても、少しもバツの悪そうな顔をしていない。もしかしたら、宇都宮さんは私が思うよりもずっと神経が太いのかもしれない。


「別に母子家庭が悪いとか、両親が揃ってる方がいいとか、そういうことを言うつもりはないよ。それだと由海たち以外にも、親が一人しかいない人を否定することになっちゃうから。でもさ、遥さん忙しいんでしょ? なかなか一緒にいる時間が取れないって、由海前に言ってたよね。だったらその再婚相手の人が代わりに家にいるっていうのは、悪くない選択肢だと私は思うけどな。由海だって長い時間、家に一人でいるのは嫌でしょ?」


 宇都宮さんの言うことは、ある意味ではもっともだと私は思う。確かに私は速水さんの家に一人でいる寂しさを、この一ヶ月ほどで身に染みるほど味わってきた。私でさえそうなのだから、速水さんが感じていた寂しさや切なさはいかほどか知れない。


 でも、そういう問題じゃないだろとも、私は感じてしまう。志水さんを、ただ家にいるだけの生きた人形として扱ってはいけないと思った。


「いや、茉里奈。それとこれとは話が違うでしょ。確かに帰ったときに家に人がいるっていう安心感はあるけど、一番は由海や遥さんがどう思ってるかでしょ。そこを抜きにして、この話を考えることはできないよ」


 そう宇都宮さんをたしなめた稲垣さんは、私の気持ちを代弁してくれていた。もともと三人には話をするだけで、はっきりとした答えを与えてくれることは期待していない。


 というか、詳しい事情を知らない三人が示した答えに、そのまま従ってはいけないだろう。ただ話を聞いてくれること以上を、私は三人に求めていなかった。



(続く)

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