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【第25話】オーケーしていいって



「そう。でも、千早希ちゃん大変でしょ。この子、最近までギター触ったこともなかったんだから。教えるの苦労してるんじゃない?」


「いえいえ、苦労なんてとても。由海ちゃんは音感もいいし、指先も器用だから、どんどん上達していて。自主練もちゃんとしてるみたいですし、私も大分楽させてもらっています」


 私が言ったら少し気恥ずかしくなるようなことも、速水さんは微笑んだままで言っていて、私はさすがだなと感じる。


 上達しているという実感は、速水さんの中にもあるのだろう。それは事実だから、私も訂正する必要は感じない。


 遥さんが「だってさ」と顔を向けてきても、私は自然な表情で「まあね」と言えていた。言っていて少しむずかゆくなったけれど、たぶん速水さんのキャラには合っていた。


「少しは謙遜しなさいよ」と遥さんが言って、食卓は和やかな笑いに包まれる。ここまでは順調に来ていると、私は思った。


「でも、千早希ちゃんありがとね。この子にギター教えてくれて。気になることがあったら、バンバン言っていいからね。それがこの子のためにもなるんだから」


「いえ、気になるとこなんて。そりゃあるにはありますけど、ギターを始めれば誰もが通る道なので、全然問題じゃないですよ」


「そう? でも、この子この性格で、意外と言いたいこと言わなかったりするからね。変なところで人に気を遣っちゃうというか。何か言いたそうだなって思ったら、気楽に声かけてくれればいいから」


 何気なく言っていた遥さんにも、私は内心で焦りを覚えてしまう。何とか速水さんを演じられていると思っていたのは私だけで、遥さんは違和感を抱いていたのだろうか。


 それとも、言いたいことを言わないのは速水さんの元来の性格?


 私にはすぐに判断がつかない。でも、前者だったとしたら事態は望ましいとは言えない。いや、元に戻られていない時点で、まったく望ましくはないのだけれど。


「そうですかね? 由海ちゃんと一緒にいる限りは、そんな感じはあまりしないんですけどね」


「そうなのよ。最近もね、二つある選択肢のどっちか一つを選ばなきゃいけないって場面があったんだけど、まだ答えを保留にしてるの。本人なりに考えてるのは分かるんだけど、それでも私に何か言いたかったり、相談したいことがあれば素直に言ってくれればいいのにね」


 一瞬、本当に一瞬だけれど、テーブルの空気が凍りついたような感覚が私にはした。「ちょ、ちょっと、お母さん」とたしなめる声も、私はすぐに発せない。


 具体的にこそ言っていないものの、遥さんにとって志水さんからのプロポーズは、初めて会った娘の友人に話せるようなようなものだったのか。


 速水さんになってから少なくない期間が経っているのに、遥さんにはまだまだ私の知らない部分があったのだ。分かったような気になっていた自分が、今さらながらに恥ずかしく思える。


 速水さんも私の姿をしている以上、「そ、それはそうなんですね」以上の返答をできていない。束の間私に向けられた目に、内心穏やかでないことは容易に察せられた。


「あれ、二人ともなんか微妙な表情してない? この話って言っちゃまずかったかな」


「そうだよ」と、私は何度も強く言いたくなる。でも、それは心の中で叫ぶだけで留めておいた。これ以上この話を掘り下げて、ボロを出すような真似はしたくなかった。


 速水さんは「いえ、全然」と言っていたけれど、その声は揺れていて説得力に欠けている。


 それでも、私たちのこの話はやめてほしいという思いが伝わったのか、遥さんは「なんか、ごめんね。別の話しよっか。千早希ちゃんの家って何人家族なの?」と、どうにか話題を変えてくれている。私が教えた通りのプロフィールを速水さんが口にすると、遥さんは気まずくなりかけたテーブルの空気をごまかすかのように「そうなんだ。ご両親は何されてる人?」と、重ねて訊いてくる。


 志水さんの話から少しずつ距離が離れていくことは、私にはありがたかったが、それでもテーブルの雰囲気はすぐには回復することなく、また笑顔で話せるようになるまでには少なくない時間がかかっていた。





 少し早めの夕食は、夕方の六時になる頃には終わっていた。


 いくら早く帰るとはいっても、食後にお茶か何かを飲んで一服はしていくだろう。そう私は思っていたけれど、遥さんは夕食が終わったら両親を心配させないようにすぐ帰った方がいいと改めて私たちに言っていて、本当に速水さんは明るいうちに私の家に戻ることになった。


 そして今、暗くなり始めた外を私たちは一緒に歩いている。速水さんが少し私と話したいと、遥さんに直談判した結果だ。


 ただ並んで歩いているだけなのに、私は胃が縮むような思いがしてしまう。隣にいる速水さんから、身長差が逆転したかのような威圧感を私は覚えていた。


「外崎さん、どういうこと?」


 家から少し離れたところで、速水さんが耐えかねたように切り出す。その質問の意味は、たぶん一つしかなかった。


「ご、ごめん……」


「いや、謝らなくていいから。お母さんが言ってたのって、志水さんのプロポーズのことだよね? あたし、オーケーしていいって言わなかった?」


 速水さんの言葉が、私に突き刺さる。私は申し開きの言葉さえなかった。


 ただ、速水さんから視線を逸らすことしかできない。それがどんなに不誠実な態度か分かっていたとしても。


「い、いや、でも実際に言うとなると、勇気が要るというか……。私が言った言葉で、速水さんたちの未来が決まってしまうのが恐れ多いというか……」


「何それ。責任負いたくないってことじゃん。言っとくけど、この話で外崎さんが負う責任なんて、ひとつもないからね。お母さんとあたしが決めることなんだから。外崎さんはただ伝言を伝えるだけだって、思ってくれて構わないよ」


 速水さんの態度は頑なだった。私に対して腹を立てているようにすら感じられる。


 それでも、私は首を縦に振れずにいた。志水さんのことを「あまり得意じゃない」と言っていた速水さんの言葉に、嘘はないと思ったからだ。


 速水さんが心から納得できていない状態では、私は睨まれても「分かった」と言うことはできない。たとえ、それが私の勝手な推測だったとしても。


「それとも外崎さんは、あたしのお母さんと志水さんが一緒になることが嫌なの? それこそ外崎さんのエゴじゃん」


「いや、別にそういうわけじゃないけど……」


「じゃあ、オーケーしてよ。一緒になっていいって、お母さんに伝えてよ。こんな状態じゃ、外崎さんしか言える人いないんだから」


 速水さんは頼みこんでいたけれど、その気持ちに応えることは、私にはやっぱりできなかった。ただ、口を塞いだまま足を前に動かすだけ。


 電灯がつき始めた道に、歩いている人間は私たちしかいない。ひりつくような空気は私には、黙っている以上は受け入れなければいけないものだった。


「外崎さんは、どうしても志水さんのプロポーズを受け入れる気はないんだね。私がいいって言ってるのに」


 冷たい声で速水さんが言う。私はうなだれる一方だ。


「じゃあ、あたしたちもうなるべく会わないようにしよう。ギターの練習以外はなるべく」


 きっぱりと口にした速水さんに、私は思わず顔を上げてしまう。志水さんのプロポーズのことと、私たちが顔を合わせることがすぐにトレードオフの関係で繋がらなかった。「えっ、なんで……?」という声が口から漏れてしまう。


 速水さんはよりいっそう表情を険しくしていて、私は身の毛がよだつような思いさえした。


「だって、あたしは今の外崎さんとあまり一緒にいたくないから。たぶんこれであたしの家に戻っても、外崎さんはお母さんに、『志水さんと一緒になって』とは言わないでしょ?」


 私はまたしても黙ってしまう。でも、それが何よりも態度の表明になっていた。


「だったら言うまで、あたしは外崎さんとは長い時間一緒にいたいとは思えない。辛うじてギターの練習はするけれど、それ以外はもう学校でもあたしに話しかけてこないで」


「で、でもそれだと勉強はどうするの……?」


「それは自分で何とかしてよ。今はYouTubeとかあるんだし、いくらでも自分でなんとかできるでしょ。ていうか、まず気にすることがそれ? もっと外崎さんには、考えなきゃいけないこと、やらなきゃいけないことがあるでしょ」


 速水さんの言わんとしていることが、私には痛いほど分かってしまう。


 でも、今の私たちは人格が入れ替わっている状態なのだ。お互いに対する情報交換は、この先どうすればいいのだろう。


 懸念はいくつもあったけれど、それでも私は声に出しては言えない。私が何を言ったところで、速水さんの怒りの火は消えないと思ってしまう。


 そのままお互い何の言葉も交わさずに歩いて、私たちは学校の前に辿り着く。部活も終わって、校門から出てくる生徒はいない。


 人気のない学校の前で速水さんは、「じゃあ、この辺で別れよっか」と言う。断る権限はないように思えて、私も頷いた。


「じゃあね、外崎さん」と口にして離れていく速水さんを、私はしばらく立ち止まって眺める。


 その言葉が永遠の別れの言葉にさえ聞こえてしまって、私の足を磁石で吸い付けられているかのように留めていた。





 翌朝になって、本当に速水さんは私と口を利いてくれなくなっていた。


 起きて間もない頃に送った〝戻ってないよね?〟という確認のラインにも、返信は来ていない。私が速水さんのままでいる以上、尋ねるまでもないことではあったものの、本当に私とやり取りをする気がないことが分かって、私は胸が締めつけられる思いがする。


 速水さんは軽い気持ちで言ったわけではなかったのだ。


 私が高木さんたちと一緒に登校したときも、教室に速水さんの姿はなかった。もしかしたら学校自体にさえ来ないのではないか。もしそうなったら私のせいだ。


 辛うじて始業時間間際に速水さんは登校してきたけれど、誰とも話すことなくまっすぐ自分の席に向かっていて、その姿は入れ替わる前の私を想起させる。


 高木さんたちとは普通に話しているものの、私は会話の輪に入っていくことはできなかった。速水さんにそっけない対応をされることが怖かった。


 速水さんは授業と授業の合間の時間には、イヤフォンをして本を読み、昼休みになると自分の昼食を持って、すぐさま教室から出ていってしまっていた。明確な拒絶に、私の心には小さな穴が開いてしまう。


 高木さんたちに「外崎さん、どうしたの?」と訊かれもしたが、本当の理由が言えるはずもなく、私は「分からない」と答えるしかなかったし、それはある意味現状の一部分を捉えてもいた。


 昼食を食べ終わった後、高木さんたちに断って、私はいったん教室から出る。でも、いつも会っていた屋上に向かう階段の踊り場にも速水さんの姿はなく、私は寂しい思いを再び味わう。


 自分で蒔いた種なのだから、そう思うのはお門違いだけれど、一言でも言葉を交わして安心したい。そう感じるくらいには、もう速水さんは私の中で大きい位置を占めていた。



(続く)

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