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【第19話】文化祭出ることになった



 楽曲が完成したのは翌日、日曜日の午前中のことだった。昨晩だけでは終わらず、遥さんが仕事に行った後もギターを触り続けて、なんとか完成形に辿り着いた。速水さんとの練習が入っている予定の午後にまで仕上げられて、よかったと感じる。


 さっそくできた曲を、スマートフォンのボイスメモに録音する。ギターを始めたての速水さんを考慮して、Fコードやセブンスコードなどの、難しかったり複雑だったりするコードは使用していない。


 私が今まで作った曲の中で一番シンプルと言える曲は、その削ぎ落とされた展開も相まって、私には自画自賛したくなるほど好きな曲だ。


 もちろん速水さんに聴いてもらわなければ反応は分からないけれど、それでも私は曲を書けたことに、かけがえのない喜びを感じていた。


 速水さんとは、今日は駅前の図書館で落ち合った。三階の自習スペースへと向かう。


 ギターケースを持ったままの私たちは、少し奇異の目を向けられもしたけれど、速水さんと一緒ならそれも今だけはどこ吹く風だった。


 図書館で二時間の勉強を終えた私たちは、そのまま歩いて三分もかからないカラオケ店に入る。


 ギターの練習を始める前に、私は新曲ができたことをいの一番に速水さんに伝えた。速水さんは目を輝かせて、軽く身まで乗り出してしまっている。


 私は出かける前に録ったボイスメモを、速水さんに聴いてもらう。スピーカーから流れた音源は、録音環境もあって音質がいいとは決して言えない。だから、私は速水さんの横で恥ずかしいような申し訳ないような、後ろめたい気持ちを抱いてしまう。


 でも、簡素なギター一本の演奏でも、速水さんはしきりに「いいね」と言ってくれていたから、私が感じている後ろ向きな気持ちは、少しずつ軽減されていく。


 聴き終わった後も「えっ、めっちゃいいじゃん! 外崎さん、すごいよ!」と褒めてくれたから、私も背中を丸める必要はないのだと思えた。単純な語彙に、かえって速水さんが本心で言っているのが伝わって、誇らしくなった。


 歌詞はこれから書くし、TAB譜も近いうちに渡す。そう私が言うと、速水さんは「うん。楽しみにしてる」と前向きな返事をしていて、私にささやかだけれど自信を与えてくれていた。


 ギターの練習を一時間半、そこからカラオケタイムを三〇分。そうして、私たちが申し込んだ二時間パックは終わった。


 今日は速水さんの家の前で、私たちは解散する。まだ遥さんは帰っていないから上がっていけばと、私は誘ったが、あまり遅いと私の両親が心配するからと速水さんは遠慮していて、私もそれ以上強引に声をかけなかった。


 速水さんと別れて家に入った私は、昨日と同じように、まっすぐ速水さんの部屋に向かう。そして、机に座ると真っ先に楽曲制作ノートを開いた。理由はもちろん、新曲の歌詞を書くためだ。


 でも、いくら考えてみたところで、歌詞は一行も思い浮かばなかった。これはいいかもしれないというワンフレーズさえ思いつかない。歌詞も曲と同様、何のきっかけもなく出てくるほど都合がよくはない。勉強やギターの練習を経たせいか、集中力も途切れ途切れで、こまめにスマートフォンを垣間見てしまう。


 そうしてノートに向かっているとも向かっていないとも言えない時間を一時間ほど過ごした頃に、一階の玄関が開く音がした。「ただいまー」との声は遥さんのもので、私はすぐに一階に下りる。


「おかえりー」と言って見た遥さんの手には、ファストフードチェーンの袋が握られていて、すぐにでも夕食が食べられるようだった。


「由海、今日の晩ご飯、ケンタでいいよね?」


「いや、いいも何ももう買ってきちゃってんじゃん。いいよ。あたしもお腹空いてたし。今から食べよ」


 そんなやり取りをして、遥さんが支度を調えるのを待ってから、私たちは夕食の席についた。通常のフライドチキンと、少し辛いレッドホットチキンのパックだ。ポテトとビスケットもセットでついている。


「いただきます」をして、食べ始める私たち。久しぶりに食べたフライドチキンは肉厚で、スパイスが利いた味は素直に美味しかった。


 遥さんとの会話も途切れることなく続く。ようやく一つ大きな案件が終わったらしい。遥さんの声は弾んでいて、私としても返事をするのに、以前ほど大きな苦労は要さない。


 テレビではバラエティ番組が流れていて、私たちは和やかな時間を享受できていた。


「ねぇ、お母さん」


 一つ話題が終わったタイミングで、私はおもむろに切り出してみる。遥さんの「何?」という返事が、私の心の深い部分を撫でる。


 このことを伝えるには勇気が必要だったけれど、リラックスしたムードの中なら、何を言っても遥さんは受け入れてくれるだろう。


 私は自分の気持ちを確かめるかのように、口を開く。


「あたし、文化祭出ることになった」


 意を決して口にした言葉は、声にしてみれば案外あっけなかった。言い出せなかった時間が嘘かのように。


 遥さんは「文化祭出るって?」と、訊き返している。言葉足らずだったなと思い直し、私はできるだけ平然を装って答えた。


「あたしたちの高校の文化祭、一日目か二日目かは分かんないんだけど、体育館で有志によるステージ発表があって、私そこに出るんだ。外崎千早希さんっていうクラスメイトの女子と一緒に、ギターを弾いて歌うんだよ」


 私の説明が唐突に感じられたのだろう。遥さんは目を丸くしていた。


 確かに何の前触れもないことだったから、その表情の意味が、私にはよく分かる。垂れ込み始めた灰色の空気に、私はかすかに不安になってしまう。


「えっ、ギターを弾いて歌うって、由海いつの間にギター始めてたの?」


「先週ぐらいからかな。その外崎さんがもともとギター弾いてる子でさ、今教えてもらってるんだ」


「そうなんだ。全然気づかなかった。えっ、練習の時間はどうしてるの?」


「それはまあ、放課後とか休日に外崎さんの家や、カラオケボックスに行ったり色々ね」


「ってことは、最近部活を休んでるのも、そのギターの練習を始めたのが理由?」


「それはまあ、うん……」


 何も悪いことはしていないはずなのに、私は胸を張れなかった。


 遥さんは私に部活に行ってほしい、テニスを続けてほしいと思っている。その思いを裏切っているようで、バツが悪く感じられてしまう。


「そっかぁ。まさか由海がギターを始めてたなんてね」と言う遥さんの口調からは真意を読み取れなくて、私はよりいっそう不安に駆られてしまう。


「ご、ごめん。やっぱり部活に行った方がよかったよね……?」と言った声は、自分でも分かってしまうほどたどたどしかった。


「いや、そんなことないよ。むしろちょっとホッとしてる。だって、由海はここ最近、ずっと体調が悪いって思ってたから。確認だけど、体調の方は大丈夫なんだよね?」


 私は頷く。他に手段はなかったとはいえ、遥さんに嘘をついてしまったことに心が痛む思いがした。


 でも、遥さんは本当に安心したかのように一つ息を吐いていて、私の予想以上に、私(遥さんからすれば速水さんだ)を気がかりに思っていたことが窺えた。


「よかったぁ。それだけが心配だったから。由海が無事なようで何よりだよ。ギターがんばってね。お母さんも応援してる」


 遥さんがこんなにすんなりと理解を示してくれるとは思っていなかったから、今度は私が目を丸くしてしまう。


「えっ、いいの……? お母さんは、あたしにテニスをしてほしいんじゃなかったの……?」


「それは由海が一番やりたいことだと思ってたからね。でも、今の由海が一番やりたいのはギターを弾いて歌うことなんでしょ? だったら、私がとやかく言う権利はないよ。いいじゃん、ギター。やってみなよ。学生のうちは色々やりたいようにやるのが一番なんだから」


 反対されたらどうしようと、私は何度か頭の中でシミュレーションしていたけれど、それが杞憂だったことを、私は微笑んだ遥さんの表情で知る。その態度は甘いとも言えたけれど、それでも私のやりたいことを尊重してくれているのが、嬉しかった。もっと早く伝えておいてもよかったとも感じる。


「うん、ありがと。あたし、がんばるよ。そこでちょっと相談なんだけどさ、これからは家でもギター練習していいかな? ちょっとうるさくなるかもしれないけれど、それでもお母さんの迷惑にはならないようにするから」


「うん。全然OKだよ。だって文化祭はもう来月なんでしょ? それくらい練習しないと、間に合わないもんね。それにさ文化祭、お母さんも行っていいかな。まだ予定は決まってなくて、行けるかどうかは分かんないんだけど、それでも由海がギターを弾いて歌ってるところを見てみたい」


「当然、大丈夫だよ。絶対来てね。仕事に何とか都合つけてさ」


「うん。なるべくその日は空けられるように努力するよ」


 私たちは目を合わせて、それから小さく笑いあった。私はいつの間にか、遥さんと気兼ねなく話ができるようになっている。


 それ自体は喜ばしいのだけれど、遥さんは速水さんと話しているつもりのはずで、速水さんの身体で過ごしていることに改めて気づき、私ははっとする。


 悪い言い方をすれば、今の私は遥さんを騙し続けている状態だ。いつまでこんなことが続くのだろう。砕けた話をすればするほど、私の中で遥さんに対して申し訳ない思いが募っていく。


 早く元に戻りたいと、私は今更ながらに思った。



(続く)

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