表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/42

【第17話】友達?



 土曜日になって、私は速水さんになってから一番と言っていいほど、緊張していた。


 もちろん、これまでも緊張する場面は多々あったものの、今日の緊張はそれらと性質が異なっている。メイクをする手さえ、少し震えてきそうだ。


 それでも、私は大げさにならない程度のメイクをして、スクールバッグを持って家を出た。当然学校に向かうわけではない。その証拠に今、私はギターケースを背負っている。


 私がこれから向かう先。それは紛れもなく、私が暮らしていた家だった。


 速水さんから言われたのは、昨日だった。


 明日、今度は昼間に家に来てほしい。その言葉を聞いた瞬間、私はついにこのときが来たかと感じた。


 速水さんは昨晩、夕食の際に私と一緒に文化祭に出ることを、私の両親に伝えたのだと言う。だから、速水由海がどんな人間なのか、文化祭前に一度顔を見せておいた方がいい。


 その理屈は、私にもよく分かった。私がお父さんやお母さんの立場だったら、間違いなく速水さんの顔を見たいと思うだろう。


 だから、私も首を縦に振っていた。お父さんとお母さんの前で、速水さんのままでい続けられるかは不安だったけれど、やらないという選択肢は、私にはなかった。


 約束である一一時。それよりも数分早く私は、私の家の前に辿り着く。


 一つ息を吐いてから、私はインターフォンを鳴らした。ドアの向こうから「来た?」とお父さんやお母さんの声がして、二週間も離れていないのに、私は懐かしさで胸がいっぱいになりそうになる。


 久しぶりに二人の顔が見られる。そう想像するだけで、既に泣きそうにさえなりそうだ。


 ドアが開けられる。即座に目に入ってきた光景に、私は早くも胸が詰まった。


 そこには私の姿をした速水さんと、お父さんとお母さんが揃って立っていた。見間違えるはずがない。


 お父さんもお母さんも私を見て、優しく目を細めている。もちろん今の私の見た目は速水さんだし、二人が私たちの事情を知っているわけがない。


 でも、自分の子供にするかのような温かい目に、強く感情が込みあげる。膝をついて、泣き崩れたくさえなる。


 でも、突きあげてくる感情をどうにか抑えて、私は少しばかり緊張している表情を繕った。初めて顔を合わせるという設定では、たぶんそれが最適解だった。


「はじめまして。速水由海です」


 軽く頭を下げてから、私は口にした。二人は慎まし気な表情を続けていて、私の涙腺は人知れず刺激される。


 声を聞いても、込みあげてくるものが抑えられるかどうか、自信がない。


「千早希の父の浩平(こうへい)です。いつもウチの娘がお世話になってます」


 お父さんの穏やかな声は、私の心を大いに震わせた。ヤバいというありきたりな表現が、頭の中を駆け巡る。


 それでも、私は速水さんとして、ごく自然に振る舞わなければならなかった。


「いえいえ、お世話なんてとても。むしろあたしの方が、外崎さんによくしてもらってる感じです」


「そう? でも、この子おとなしいでしょ? だから、友達がいるかどうか不安で。あっ、千早希の母の徳子です。速水さん、改めてはじめまして」


「はい、はじめまして。確かにおとなしいのはそうですし、クラスでも目立つタイプでは正直ないんですけど、でもちゃんとあたしみたいに友達はいるので、心配しなくても大丈夫ですよ」


「そうですか。なら、よかったです。こんなところで立ち話も何ですから、どうぞ上がっていってください。大したものは用意できないんですけど、ゆっくりしていってくださいね」


「はい、ではお言葉に甘えて、お邪魔させていただきます」


 私は外崎家に足を踏み入れる。速水さんになってからも何回かやってきたはずのことが、今は特別なことのように思えた。


 お父さんたちは、私をリビングに通そうとしたけれど、速水さんが「まず勉強させてよ」と言ったから、私と速水さんは私の部屋に入る。


 クッションに座ってから、私は外のお父さんたちに聞こえないように、安堵の息を吐いた。


「どう? 緊張した?」


 速水さんが同じくお父さんたちに聞こえないように、声を潜めて訊いてくる。その調子はどこかおかしかったけれど、微笑むだけの余裕は、私にはなかった。まだお父さんたちとは、部屋は違っても同じ空間にいる。


「ま、まあね。万が一にも思い至らないと思うけど、それでも今速水さんに私の人格が入ってるとは、気づかせちゃいけないから。実の親の前なのに、どうしてこんな緊張しなきゃなんないんだろうって思ったよ」


「だよね。ごめんね。余計な気を遣わせちゃって」


「いやいや、速水さんは悪くないよ。一緒に文化祭に出る子がどんな子なのか、知りたいと思うのも当然のことだし、私たちがお互いうまく演じればいいだけの話だから」


「そうだね。もしものことがないよう、お互い気をつけないと」


 私たちが話しているまさにそのとき、部屋のドアが軽くノックされて、私は軽く驚いてしまう。


 速水さんがドアを開けると、そこには二人分の麦茶を持ったお母さんが立っていた。お母さんはテーブルにコップを置くと、「じゃあ、がんばってね」と言って、部屋から去っていった。


 そのわずかな時間でも、私は心と身体を強張らせてしまう。自分の家にいる実感を強く感じているのが、どことなく奇妙な感じだ。


 だけれど、私はそれを無視して、速水さんと一緒に勉強を始める。分からない英単語を教えてもらう。


 部屋から漏れ出る声が、お父さんたちに引っかかっていないことを願った。





 休憩を挟まずに、英語の勉強をし続けて一時間以上が経った。そろそろ集中力も切れてきたところで、再びドアがノックされる。


 速水さんが開けると、またお母さんが立っていた。にっこりとした笑顔で、「千早希、ご飯できたよ」と言っている。その言葉通り、リビングからかすかに漂ってくるいい匂いを私は感じた。


 お母さんは立て続けに、「由海ちゃんも一緒にどう?」と言っていて、私は深く考えることもせずに、「じゃあ、お言葉に甘えて」と答えていた。もともとお母さんは、私の分も作るつもりだったのだろう。だから、私が外崎家に混じって昼食を食べることは、半ば既定路線だ。


 それに空腹であることも相まって、いい匂いの誘惑には勝てなかった。


 私たちがリビングに向かうと、そこには塩焼きそばが四人分、皿に盛られて用意されていた。冷凍とはいえ海鮮が多く入った、私の家の昼食によく並んでいたメニューだ。


 懐かしさと美味しそうな匂いに、腹の虫が活発に動き出す。


 ダイニングテーブルに私と速水さんが並んで座り、その正面にお父さんとお母さんが座る形で、昼食は始まった。少し遠慮めいた素振りを見せながら、口にした塩焼きそばは優しい塩味が、記憶していた以上に美味しかった。


「ところで、由海ちゃん。千早希はクラスではどうなの? ちゃんと馴染めてる?」


「美味しい?」「美味しいです」といった簡単なやり取りをしてから、お母さんが気になって仕方がないという風に訊いてくる。


 速水さんが「ちょっと、お母さん」と軽くたしなめていて、その態度は今までの私からすれば少し大げさではあったものの、でもあからさまに不自然でもなかった。


「はい。徳子さん、大丈夫ですよ。千早希ちゃんは、ちゃんとクラスに馴染んでますから。中心人物とまではいかないですけど、それでもクラスの輪には溶けこんでいますから、安心してください」


 いくら文化祭に一緒に出る間柄とはいえ、クラスメイトの母親なのだから、ここは敬語を使うべきだろう。


 でも、私は自分の言葉にむずかゆさを感じていた。自分のことを「千早希ちゃん」と呼んでいるのもそうだし、丁寧すぎる口調は、担任の先生みたいだ。


 それでもお母さん、それにお父さんもほっと胸をなでおろしていたから、私の話は二人に好印象を与えたらしい。その一方で、私は小さくない嘘もついていたから、心も痛めていた。


「そりゃ何よりだよ。この子、中学まではずっと、学校で一人だったみたいでさ。家に友達を連れてきたことなんて、一度もなかったんだ。だから、今こうして由海ちゃんがやってきてくれて、俺たちすごい感動してるよ」


 かすかに目を潤ませてさえいるお父さんが本心で言っていることは、私にもよく分かった。友達がいなかったのも、家に人を連れてきたことがなかったのも、事実だ。


 そのことを伝えてあるからか、速水さんも口を挟んでたしなめることはしていない。


 だけれど、私は見かけでは頷いていても、頭ではまだ受け止めきれていなかった。


 お父さんやお母さん、他の人たちからすれば、私たちは友達だと見えているのか。確かに友達でもなければ、家に人を連れてくることはそうそうない。


 それでも、私はまだ速水さんとは、友達と呼べるような関係にはなれていないと感じていた。奇妙な現象で繋げられているにすぎない。ドライな考え方でも、そう思ってしまう部分も私は捨てきれていなかった。


「ありがとうございます。でも、千早希ちゃんに友達がいなかったっていうのは、ちょっと意外ですね。確かに自分から積極的に話しかけるタイプではあまりないかもしれないんですけど、それでも話してみると、よく本を読んだり音楽を聴いたりしているからか話題が豊富で、話していて面白いんですけどね」


「そこまで言ってくれてありがとう。由海ちゃんもこう言ってくれてるんだから、千早希ももっと自分から話しかけたらいいのに。千早希はもっと、自分に自信を持つべきだよ」


「ま、まあ、それはね……」


「徳子さん、そんなにプレッシャーをかけなくてもいいじゃないですか。千早希ちゃんには、千早希ちゃんのペースがあるんですから」


「確かにそれもそうね。ここまで言ってくれるなんて、本当に由海ちゃんは、千早希と仲が良いのね」


「はい。おかげさまで」


 何のおかげかは分からなかったけれど、私はひとまず感謝を口にする。身体中に走る感覚は、こそばゆいなんて言葉じゃ足りない。私と速水さんの仲が良いと言われて、思わず照れてしまう。速水さんも飾ったような笑みを浮かべていて、私たちの関係の不思議さを改めて感じているようだった。


 気を紛らわすために、塩焼きそばに再び口をつける。


 私たちが言い知れない感覚を抱いている間も、お父さんやお母さんは会話をやめることはなかった。


「ねぇ、どうして一緒に文化祭出ることになったの?」と訊かれる。想定された疑問に、私も「私から誘ったんです。千早希ちゃんの曲、YouTubeで聴いていて、いいなと思っていたので」といった趣旨の答えを返す。


 お父さんたちも納得してくれたようで、「どの曲が好き?」とさらに会話は広がっていく。


 私はその間中、どうにか速水さんを演じ切った。必要のない疲れに、何をやってるんだろうとも思ったけれど、それは表に出してはいけなかった。



(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ