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【第14話】ギター講座



 放課後になって私たちは、一緒に私の家に帰る。なんてことはせずに、私たちは少しタイミングをずらして、帰路についていた。


 意外だったのは、すぐ帰ってしまった速水さんを、「外崎さん、もう帰っちゃったの?」と、高木さんたちが少し惜しむ様子を見せていたことだ。


 昨日のカラオケは大いに盛り上がって、速水さんは高木さんたちの心を掴んでいたらしい。やっぱり速水さんだ。身体が変わっても、性格はそう簡単には変わらないと私は思う。


「なんか用事があるらしいよ」と速水さんに代わって説明した私にも、三人は不審な目を向けてはこなかった。昨日、速水さんを誘ったのは私ということになっているから、私(の見た目をした速水さん)のことを詳しく知っていてもおかしくないと思ったのだろう。


 深く突っこまれず、私は安堵していた。


 高木さんたちの「今日も部活来ないの?」という質問を、「ちょっと勉強しなきゃいけないから」と何とか躱して、私は学校を後にする。


 ここ一週間帰っている速水さんの家とは反対方向に歩き出し、一〇分ほど歩いたところで、私の家があるマンションに辿り着く。


 五階でエレベーターを降り、すぐ左の部屋のインターフォンを押すと、既に制服から部屋着に着替えた速水さんがドアを開けた。私が自分の家にいるだけなのに、それを客観的に目にするこの状況に、慣れる日は来るのだろうか。


 そんな思いを感じながら、私は自分の家に入った。お父さんとお母さんは、まだ帰ってきていなかった。


 私たちは私の部屋に入ると、少し話してからギターを握った。私はお父さんが使っていたギター、速水さんは私が普段使っているギターだ。


 話を聞くに、速水さんはギターにはまだ触ったことがないらしい。私に悪いと思って遠慮していたようだ。その遠慮をノートのときにも発揮してほしかったと私は感じたけれど、それは今言っても仕方がないことだった。


「では、これからギターの練習を始めたいと思います」


「はい、お願いします」


 私が言って、速水さんが応える。メイクのときとは逆の構図に、私は胸の奥が少しくすぐったくなるのを感じた。


 今、速水さんはベッドに座り、私はその正面に向かい合って立っている。「教わる側が座るわけにはいかない」と渋った速水さんを、私がどうにか宥めた結果だ。


「では、ギターを弾くにあたって、まずはチューニングの方法から教えたいと思います。正確な音程で引くことが上達の近道になりますから。と言っても、難しいことはありません。チューニングには、こちらのチューナーを使います」


 私は自分のギターのヘッドに取りつけていたチューナーを外して、速水さんに渡した。速水さんに、同じようにヘッドにチューナーをつけるように指示する。


 チューナーを取りつけて、速水さんが再び私に上目遣いを向ける。身長差がより際立っていて、自分の視線に私は背筋が伸びる思いがした。


「チューニングは弦を弾きながら行います。なので、まずはピックの正しい持ち方を覚えるところから始めましょう」


「はい」


「では、まずは人差し指をCの形に折り曲げてください」私が手本を見せると、速水さんも同じようにする。「人差し指の第一関節の少し下にピックを置いて、その上に親指を被せてください」普段何の意識もせずに行っていることを改めて言葉にすると、少しこそばゆい感じがした。


「こうですか?」とピックを持った速水さんの手は、初めてとは思えないほど綺麗で、私はちょっとだけ羨ましく感じる。


「はい、OKです。ピックの持ち方で弾き心地も変わってきますので、最初はなるべく正しい持ち方を心がけてください」


 返事をした速水さんの表情は、心なしか緩んでいた。おかしいのが堪えきれていないみたいに。


「速水さん、どうかした? 私、変な言い方してないよね?」


「う、うん。なんか外崎さんが丁寧な言い方してるのが、ちょっとおかしくて。ごめんね。真剣に教えてくれてるっていうのに。もう少ししたら慣れるはずだから」


「いいよ。私だって、自分で言っててちょっと滑稽だなって思ったし。速水さんが気にすることじゃないよ」


 お互いに軽く笑いあったことで、部屋に張られていた緊張の糸が緩んだ気が、私にはした。これでいくらかリラックスして、練習できるだろう。ガチガチに固まっていて、いいことなんて一つもない。


「では、チューナーの電源を入れて、まずは六弦のチューニングから始めていきましょう」


 気を取り直すように言った私にも、速水さんは頷く。「まずは何も考えず、上から下へと一番上にある太い六弦を弾いてみてください」。私が指示した通りの行動を速水さんは取り、部屋には六弦の低く太い音が響く。


 絶対音感があるわけじゃないけれど、基準の音よりも低いか高いかぐらいは、私にも分かった。


「速水さん、チューナーには6Eと表示されていると思いますが、針は真ん中よりも右左、どちらに振れていましたか?」


「大分右に振れていました」


「そうですよね。それは基準の音よりも、音程が高いということです。反対に左に振れていれば、音程は低いということになります。そして、音程を低くするためには、ペグを右に捻って弦を緩める必要があります」


「ペグ?」


「ヘッドについている、弦の音程を調整する部分です。六弦に繋がっているペグがありますよね。それを少し緩めてからもう一度弾いてみてください。針がぴったり真ん中に合ったら、その弦の音程は合ったということです」


「はい、分かりました」ペグを操作して、チューニングを進めていく速水さんを、私は静かに見守る。正直自分でやった方が早いけれど、それでは速水さんのためにならない。だから、私は動かしたくなる手を意識的に抑えた。


 速水さんが「音程、合いました」と、六弦のチューニングができたことを伝えてくる。「では、その調子で引き続き、上から五弦、四弦、三弦、二弦、一弦のチューニングをお願いします。音程は後で覚えてもいいので、まずはチューナーをしっかり見ながら、チューニングを進めていってください」と私が伝えると、速水さんは歯切れのいい返事をして、他の弦のチューニングを始めた。


 最初は手間取っていた速水さんも少しずつ慣れてきて、チューニングは私が思っていたよりもずっと早く終わった。


 チューナーを返してもらって、私は自分のギターのチューニングをする。それも終わると、チューナーを外して、私は再び速水さんに向き直った。


「では、チューニングも済んだところで、いよいよ実際にギターを弾いてみましょう。まずは何も押さえないで、上から下へのダウンストロークです」


 私は右手を振り下ろして、六弦から一弦までを一気に鳴らした。抜けのいい音が、ギターから部屋中に広がる。


 速水さんの感嘆の声を上げたそうな目が、私に刺さった。


「ポイントは肘を支点にして、腕の力を抜きながら振り下ろすことです。では、今私がしたように、やってみてください」


 速水さんはわざわざ返事をしてから、逸る気持ちを抑えるかのように一つ息を吐いて、私と同じように六弦から一弦を鳴らした。


 もちろん初めてだから、そううまくいくはずはない。音の粒は潰れていて、格好いいとは言えない。


 でも、速水さんは初めてギターを鳴らせたことに感動したのか、口元を緩め、目をキラキラと輝かせている。


 その表情に私は、自分が初めてギターを触ったときのことを思い出していた。お父さんの見様見真似で、初めて音を出したあのときに勝る瞬間を、私はまだ味わっていなかった。


 清々しい表情をしている速水さんを見て、私はもう一度全ての弦を鳴らす。速水さんも続くように開放弦を鳴らしていて、私たちは会話するかのようにギターを鳴らし合った。やっていること自体は子供の遊びと大差なかったけれど、それでも私の心には楽しいという思いがふつふつと湧き上がる。


 速水さんも同じように感じているのが、何も言われなくても分かる。私の部屋は、すっかり爽やかな空気に包まれていた。


 私はダウンストロークに続いて、下から上に手を振り上げる、アップストロークも速水さんに教える。本当に基礎の基礎の動きでも、速水さんは心から楽しそうにやっていて、私もギターを弾きながら昔を懐かしんだ。


 何回か開放弦を鳴らし終えたところで、私は「では、そろそろ次のステップに移りましょうか」と口にする。速水さんは、よりいっそうワクワクした表情を私に向けていた。


「外崎先生、次はいよいよコードですか?」


「先生」という言葉に、私はむずかゆい感覚を抱く。でも、速水さんの言い方にはバカにするようなところは一つもなかったから、気分を悪くすることはなかった。


「いえ、その前にまずは楽譜が読めるようにならなければなりません。ギターには通常の五線譜の他に、TAB譜という楽譜があるので、今からそれを説明しますね」


 私はあらかじめ学習机の上に用意しておいた、ギターの教則本を手に取った。TAB譜の解説が載っているページを開き、速水さんに見せる。


 そこには、六つの線に音符の代わりに数字が載った楽譜が印刷されていた。


「これがTAB譜? ですか?」


「はい。どの弦のどのフレットを抑えればいいかが一目で分かる便、利な楽譜です。六本ある線はギターのそれぞれの弦と対応していて、一番上が一弦、一番下が六弦という風になっています。たとえば、このTAB譜では上から四本目の線に3という数字が書かれていますよね。これは四弦の3フレットを抑えることを意味しているんです」


「すいません。フレットって何ですか?」


「ギターのネックの部分、弦が張ってあるところに、いくつか出っ張ってる部分がありますよね。それがフレットです。とはいっても実際に抑えるのはフレットそのものではなく、それよりは少し上の部分ですが」


「なるほど。分かりました」


「では、まずはコードの前に、TAB譜を見ながら単音を弾いてみましょうか。このTAB譜では四弦の3フレット、三弦の2フレット、そして0はどこも抑えないという意味です。これを実際に弾いてみると……」


 私はTAB譜通りの単音を鳴らした。速水さんにも指の動きが分かるようにゆっくりと。


 速水さんにも指の位置をアドバイスしながら、同じ単音を弾いてもらう。一音一音を確かめるかのように弾く速水さんの指は私よりも長く、これならFコードやセーハもさほど苦労しないで、できそうだと感じる。


 まあ難しいから、文化祭ではもし出るとしても使わないけれど。


 他にも楽譜の読み方を、音楽の授業で習ったぐらいの範囲でおさらいしたり、いくつか単音弾きの譜例を弾いているとあっという間に時間は過ぎて、私たちは夕方の六時を知らせるチャイムを聴いていた。


 お父さんやお母さんは、いつも夜の七時頃に帰ってくる。そこで速水さんの姿をした私がいたら、色々ややこしいだろう。


 それにたとえ短い時間であったとしても、私は速水さんに勉強を教えてもらわなければならない。いつまでもギターを弾いている場合ではないのだ。


「では、速水さん。ひとまず今日はここまでにしましょうか」



(続く)

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