オタク・イズ・デッドを考察してみる
あくまでも私の解釈なので、正解ではありません。
そして、無駄に長めです(-_-;)
実は以前に一度、岡田斗司夫のこの講演はエッセイに出してはいるんですが、その時は私自身の「おたく像」の話で、オタク・イズ・デッドの考察はしてなかったんですね。
で、なろうでオタク・イズ・デッドについて書いているエッセイを拝読、星5入れて、これは語り合いたいと感想書きに行ったら、感想欄が閉じられていてしょんぼり( ´-ω-)
で、なら書いちゃうかと(この前も似たようなことしてますね(笑))
とは言え、前回のエッセイで考察を書かなかったのが、前提として語らなければならないことが多すぎるんですよね(-_-;)
考察に入るまでに説明でかなり話さないといけないので、「書いたとこで誰も読まんやろ」って自主ボツした訳なんです。なので、覚悟してお読みくださいm(_ _)m
まず、オタク・イズ・デッドは2006年に新宿のロフトプラスワンで行われたワンマンイベントで、クリエイターであり、評論家であり、メディア論の教授でもある岡田斗司夫氏の講演イベントです。
この講演の内容を本人が加筆修正して新潮新書から「おたくはすでに死んでいる」が出版されていて、現在はAmazonなどで、電子書籍版も出ています。
詳しく知りたい方は、このエッセイの続きを読まずにそちらを購入して下さいm(_ _)m
これから行う考察というか、解説はあくまでもワンマンイベント「オタク・イズ・デッド~おたくは死んだ」の講演内容に関するもので、岡田斗司夫著「おたくはすでに死んでいる」に関するものではありません。
自らをおたくの王「おたきんぐ」と称する氏が、おたくは死んだと語ったわけですが、前提として、この講演まで、氏はおたくの定義をしていませんでした。
講演でも語っていますが、定義することを避けていたんですが、この講演にあたり定義をしています。
この定義はおたく世代論を踏襲した上で氏の解釈で行われたものです。氏も講演で語っておりましたが、この定義はあくまでも氏の解釈だと言うことを念頭において下さい。これについては後述しますが、この定義付けは私も同様の認識をしていますが、正解ということではありませんから、あくまでも便宜上のものだとご理解下さい。
第1部 冒頭から本題まで
さて、講演冒頭に氏は「おたく文化は終わっているのではないか」という危機感に至った経緯を2つの事例から話しています。
ひとつは審査員として参加したテレビ番組の「アキバ王選手権」企画でのエピソード、この時、準決勝から審査員をつとめた氏は、「アキバ王」と銘打って準決勝まで来た若者なら、相当に濃い人物だと思っていたら、随分普通で拍子抜けしたと回想します。
声優ファンだという若者に「大学生でも声優は呼べるから、イベント主宰して声優を呼べば、イベントに行くより近付けるし、なによりファンを増やせるよ」と話したら固まってしまったと。
決勝では自分のお宝を出し合うことになっても、そのお宝が既製品を買って来たものばかりだったことに違和感を感じたそうで。
2つ目のエピソードは若者のディベート番組で、アニメ趣味を隠していながら、アニメ好きを差別するなと主張する若者と、そのまわりの「そもそもお前がアニメ好きって知らないし、聞いたことないから差別できん」というやり取りから、オタク界隈がおかしくなっていると危機感を持ち始めたと、笑いを交えて本題へと入っていきます。
ここから、氏はおたくの定義と日本の社会構造の変化がおたく文化にもたらしたものを語っていくわけですね。
オタク・イズ・デッドはオタク文化が社会にもたらした役割、社会構造がおたくにもたらした変化、を双方向で語りながら、オタク文化が役割を終えて、新たなプチクリエイター(氏が提唱する、ちょっとやってみて、それを周囲へと広める人物のこと)の時代に突入していると話しています。
ではここから第2部としてオタクの定義と社会構造との関わりを考察していきます。
氏はおたくの定義として、世間一般でいわれるオタクをまず否定し、その上でおたく世代論を解説、解釈を加えていきます。
氏はおたく第1世代を1980年頃におたく活動していたものと呼んでいます。
おたく第1世代は産まれが1960年頃に当たる世代なので、氏はそう言ったのだと思いますね、講演当時で「現在の40代」と言っていることからも、そうだと思われます。
氏はこの世代を貴族階級と講演で呼んでいました。このあとに続く説明もおたく世代論にそっていたので、おたく世代論を解説し、氏の解釈を加えていきます。
第1世代はSFブームに影響をうけた世代であり「SF好きを名乗るなら千冊読め」が合言葉だった世代です。氏の解釈では「自分たちは世間とは馴染めない人種だ」という自負から「貴族階級」であるとし、一般の人がおたく的な趣味を理解出来ないのは仕方ないと考えた一方で、おたく的な趣味はいいものであるから、聞かれれば答えるという立場だと説明しています。
第2世代は1970年代産まれの「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」に影響を受けた世代であり、氏の解釈では第1世代と違い「エリート思想」、つまり産まれつき違うのではなく、努力して「おたく」になったと考えている世代だとして、積極的に布教などすることと、この世代までは勤勉でおたく族としての共通認識、共同体意識があると言っていますね。
第3世代は1980年代産まれで「新世紀エヴァンゲリオン」に影響を受けた世代で、このあたりから第4世代までは、それまでのおたくの持っていた共通認識をもたず、氏曰く個人で好きな作品を見るだけ、アイデンティティーとして、他者との差別化のためのヲタクへと変化していきます。
これらを踏まえて、氏は旧来のおたくをニーチェの超人思想になぞらえて解説していますが、詰まるところ「およそ一般には子供向けとされるコンテンツやマイナーなものを好きと公言するには強い意思と知性が必要である」「自分の好きなものをメディアや他者から与えられるのではなく、自ら選びとる意思と、それを否定されても意に介さない強さ、そして、他者から誹謗を受けても論破できる知性を持ちうる」ことが旧来のおたくの根底に共通している部分であり、だからこそアングラカルチャーを支え、自ら産み出していくおたくの存在がカルチャーを発展させていたと考えているんですね。
さて、第3部ではついにおたくが死にます(笑)
おたく世代論と旧来のおたくの氏ならではの定義を踏まえて、氏はSFの衰退とおたく文化の終焉を重ねています。SFは拡散し周知されることで衰退しましたが、おたく文化でも同様のことが起きていると氏は考えたようです。
おたく文化はマイナーであったり、子供向けであるカルチャーのマニアであるために、周囲に理解されない、ややもすれば攻撃されるものでした。
おたく族は共通認識のもとに暗黙のうちに義務化された知識を蓄える勤勉さで、コミュニティを形成していたと氏は語ります。
しかし、エヴァンゲリオン登場以降、一般層にも拡大する中でライト層を取り込むことに成功したことで、おたくは濃さを失い薄くなっていきました。
それに伴っておたくへの偏見が薄れる一方で旧来のおたくが姿を消していく。
おたくの王が必要なくなり、おたく王国は崩壊したと氏は涙したんですね。
このおたくの役割の終焉は日本の社会構造の変化の影響によると、氏は語っています。
高度経済成長からバブル期の成長段階ではおたくは「勤勉」であり、成長する社会の中で、「大人になることをもとめる社会」の中で、「子供じみた趣味で社会貢献」する「社会貢献出来ずとも、自分の好きを主張する共同体の一員として活動」する。
前者はクリエイターとして作品をつくり、イベントを開き、様々に経済を動かし、後者もまた、共同体の共通認識を持ち、カルチャーを支え、仲間同士で語り合い、支え合うことでカルチャーを発展させていったというわけですね。
ですが、バブル崩壊後の停滞期に突入すると、日本は大人になることが不利になった。成長しない社会で発展を求めるよりも個人個人で各々好きなものを愛でる文化が産まれ、消費のスピードだけが加速するようになる。
こうした時代では自身で体験して紹介する、試しに作ってみて配信するなどのプチクリエイターが必要と締めていますが、旧来のおたくはおたく的なコンテンツを拡散させることに成功して消えて、その後に閉塞する社会の中で教養を求めずにただ好きだけを求めるライト層がヲタクを名乗ることでおたくは死んだというわけですね。
さりとて、氏はそれを悲しんではいましたが、否定はされていません。時代の流れでそうなったと解釈されただけなんですね。
2006年当時より、消費のスピードは上がり続けて、コンテンツの寿命は確実に減っています。
多く人に消費される反面でコンテンツ自体の単価も下がっているように思います。
さて、前提が終わったので考察に入っていきますが、この講演「オタク・イズ・デッド」とは何だったのか、というと、様々な解釈が可能だとおもいますが。
1 イノベーター理論としてみるオタク文化の変遷
2 社会構造や社会問題とおたく文化の関係
3 多様性と消費加速による創作の概念の変化
こういった事柄に焦点をあてて見ます。
1 イノベーター理論としてみるオタク文化の変遷
おたく世代論とおたくが死んでいく流れをSF界隈で起きた拡散と周知による衰退で例えた氏ですが、これは有名なイノベーター理論と構造が同じく思えますよね。
詰まるところ、氏が「おたく原人」と呼んだ、おたく以前のクリエイターたちを「イノベーター」だとすれば、第1世代は「アーリーアダプター」だった訳ですね。ならば、貴族階級という解釈も良くわかります。現代風に言い換えるなら、「インフルエンサー」と呼ばれる人種が第1世代おたくな訳ですね。
彼らはいち早く新しいもの、他者が目につけないものに飛び付く感度がある。これが「一般の人とはそもそも感性が違う」という発想になり「貴族階級」として、自分たちは人とはそもそも違うのだから、気にする必要はないという考えだったと言っているのだと思います。
第2世代となると、こうしてイノベーターによってつくられ、アーリーアダプターによって、衆目に晒されたコンテンツを少し遅れて発見した「アーリーマジョリティ」な側面と、世代が違うだけの「アーリーアダプター」を兼ねていること、まだこの段階で「マジョリティ」ではなく「マイノリティ」だった点はイノベーター理論とは違いますが、イノベーター理論で使われる数字に具体的根拠はないそうなので、第2世代はアーリーアダプターかアーリーマジョリティに区分されると思います。
ここで、わかりやすい表現、消費しやすい表現が現れて、第3世代は多くのマジョリティがオタク界隈になだれ込むわけですね。
分かりやすさを求めるライト層が急増して、おたく文化は壊されたというわけですね。
反面で、第1世代が消えたかわりに多くの消費者を取り込むことが出来た訳ですが、コンテンツ全体で需給バランスは崩れているようにも思います。
2 社会構造や社会問題とおたく文化の関係
氏はバブル崩壊までの成長期においてはおたく文化は勤勉で共通化されたコミュニティであったとしていますね。
その背景として、おたく趣味がマイナーなもの、子供向けのものであり、その当時の大人にとっては理解されないものであるという前提がまずあったわけです。
当時の大人にとっての趣味は分かりやすくステータスシンボル足り得るものであり、拡大する経済に「裕福さ」を示すものが好まれて、アニメ、ゲーム、toyといった趣味は「子供じみて、役に立たない」とバカにされるものだったため、それを選択するおたくたちは「おたく趣味がいかに素晴らしいか」を語れるだけのデータとそれを言語化する知性、そうしたコンテンツを選びとる意思と、それらを選択し続ける強靭な精神が求められて、道を極める求道者のようであったと説明していますよね。
しかし、社会が停滞を始めると、わかりやすいステータスシンボル、物欲的な趣味が若者たちから理解されなくなります。
当たり前ですね、少ない賃金、将来への不安から物欲を満たすタイプの趣味が「生活に全く役に立たない」とミニマリスト化していく若者から切り捨てられていき、反対に精神の満足のために個別の趣味に特化していく若者たちが、わかりやすく映像化された多くのアニメや高度に作り込まれたゲームへと流れていく、そうしておたく趣味に多くの「消費者」が流入しているんですが、結局「より速く」「より大量に」と求められた結果として供給過多に陥っているし、反面で多くの「おたく界隈に入り込んだ若者」たちは結果としてはそれほど経済的にはプラスになっていない現状があると思います。
コンテンツの次世代を担う作り手も減少しているために、緩やかに死を迎えていっているようにも感じます。
おたく文化はメディアによる偏向報道で多くの偏見にも晒されて来ましたが、古くは宮崎死刑囚の報道、その後も被告人の人柄紹介に「おたく趣味」は度々使われました。
私世代のおたくについて氏は「宮崎死刑囚のせいで親から、あんたは大丈夫でしょうねと言われ、周囲から偏見に晒されてエヴァンゲリオンで救われた世代」と言っていましたが、まさしくです。
そして、そのエヴァンゲリオンによって、大量のライトユーザーを取り込んだ瞬間から、おたく的趣味が別の層へと動いていったとも言えます。
3 多様性と消費加速による創作の概念の変化
現在、様々の配信の形態、様々な表現が溢れて、それらが次々と消費されて消えていく。
創作物は供給と消費がどんどんと高速化しています。創作物に求められることが「分かりやすくシンプルで短時間で楽しめる」ことになっていて、「難解で時間がかかり、ストレスのかかる」ものは敬遠されて来ています。
だからこそ、多くのプチクリエイターが求められては消費される時代になっていくという氏の提唱は正しかったと言えると思います。
より強い個が求められる時代になっていく反面で、多くの繋がりが容易となった世界で、若者たちがどういったコンテンツを産み出し発展させていくのか。
オジサンは期待してしまうけれど、過ぎ去ってしまったオジサン世代の文化に泣いてしまったりもするんですよね。
感想待ってますm(_ _)m