他者の間違いを指摘するか否か「教えたがりおじさん」を通して考えた事
Q.あなたは〇〇さんが△△を間違えている事に気づきました。どうしますか?以下から一つ選び答えなさい。
1.間違えていますよ、正しくはこうですよと教えてあげる。
2.そのままにしておく。
この設問を見て、大半の人が「〇〇さんが誰かによって、また△△がどのような間違いかによって答えが変わる。よってこれはクソ問題」と感じたことでしょう。それが一般的な思考だと私も思います。
つまり、同じ間違いでも自分と他者との関係性で指摘するかスルーするか行動は変わってくるという事です。
こいつ、当たり前のことを言ってるだけじゃねぇか!そんなの言われんでも分かっとるわい!と思ったあなた!
いや、おっしゃる通りでございます。ですがね、最近自分で思うところがありまして、「教えたがりおじさん」のことについてぼーっと考えているうちに、自分がほぼ無意識で選択していた行動が適切だったのか振り返る良い機会となったので、それを共有したかったのでございます。
「教えたがりおじさん」というのは、ボウリング場やゴルフ場などに現れるその道の上級者で、たまたまやってきた初心者たちに良かれと思って口や手を出し嫌われるおじさんのことを言うそうで、一部で問題になっています。おじさんとしては善意で初心者の間違いや未熟な点を指摘し、改善してあげようとしているのですが、初心者側からしたら頼んでもないのに色々言われていい気分がしないですよね。これがそもそもおじさんと初心者が知り合いや仲良しの場合には問題が起きなかったはずです。つまり、おじさん側が関係性の認識を誤っている事によって起きる問題なのだと思います。
それに気付いたと同時に、自分の中にも「教えたがりおじさん」が住んでいると気付いてしまいました。そして、おじさんが顔を出してくる時の自分の感情に一定の法則がある事も分かったのです。
私が他者の間違いを指摘する時、そこには間違いを見つけた事や正解を知っている事からくる優越感や、一方的な親切心、正義感を満たせる事による快感が含まれていました。もちろん全てがそのような汚い感情ではないと自己弁護しておきます。しかし、その感情が他者に伝わった時には不快な思いをさせるでしょうし、関係性のさらなるずれが生じる原因になるでしょう。
ということは、間違いに気付いても相手との関係性がきちんと構築できていなければ基本的にはスルーした方が良いのではないか。逆にそれでも指摘すべき時はどのような場面か。そこまで考えた結果、とても当たり前の答えに辿り着きました。
それは、自分や周りが不利益を被る場面です。最初の設問の△△が自分にとって不利益となるような、例えば買い物をしてお釣りが500円間違っていた場合などは自分のために間違いを指摘して良いのです。また、間違えた人自身が被る不利益が、自分との関係性を越えて大きくなる場面、例えば目の前の人が財布を落としたら拾って声をかけてあげて良いのです。
そうして、私は考えをまとめる事ができました。他者の間違いに気付いた場合、自分と相手との関係性を正しく認識できているか、それを指摘しなければ自分や相手が不利益を被るか考えた上で指摘するかスルーするか判断しようと。
きっと、次は相手との関係性についてや、どこまでを不利益とするかなど細かいところを考えだす予感がします。しかし、そこまでいくと一般化することは難しくなってしまうので、上記のまとめができた事に満足しましょう。
結局当たり前のことを言っているだけのような気がしますが、それができていたかどうかはまた別の話で、明日からより良い判断ができるようになれればいいなと思いつつ、締めとさせていただきます。もし読んでくださった方がいましたら、ありがとうございました。




