4.もう一人の仲間と、ご飯と。
どれくらい見詰め合っていただろうか。
コンマ数秒、数十秒、数分。
実際にはそう長い時間でもなかっただろう。
「そうだね、リーチェが起こしたんだから、責任取らないとねぇ」
ユーニさんの声にハッとしてそちらを振り向くと、彼はうんうんと一人納得するように頷いていた。
……どうしようめちゃくちゃ恥ずかしい。
「リーチェ、責任、とる!」
美少女は何故かドヤ顔で胸を張っている。
いやこれ意味分かってないんじゃないのかフェリーチェさん。
「ティガー、トラジくんには何種類のナノマシンが入ってる? 少なくとも言語補助は入っているよね」
『言語補助を含め185種になります。ただし、最新で142年前のものになります。』
「全てのログを出す事は可能?」
『ログ自体は保存されていますが、出力デバイスが故障しているため現在は不可能です。』
「うーん、車に積んである奴で対応いけるかなぁ……」
「えっと、あの、ユーニさん」
「ん? なぁに?」
「ナノマシンとか言語補助とかって、何?」
「あ、そっか」
ナノマシンなんてそれこそアニメか漫画で出てくる『なんかすごいやつ』くらいにしか馴染みがないわけで。
全然分からなくて横入りで訊ねた俺に、ユーニさんは嫌な顔一つせず丁寧に教えてくれる。
といっても彼も別に専門ではないので、一般教養や常識程度の中身らしいけども。
曰く、現在の人類の体内には種類の差こそあれどナノマシンが必ずといって良いほど存在しているものらしい。
数百年前にそういったブームみたいなものがあったらしく、その当時の人は大体投与しているそうだ。ナノマシンは母体の血液を通して子にも受け継がれていく為、体内に入っていない人を探すとなるとそれこそ秘境の少数部族や、宗教上などの理由で他人を拒絶し続けているコミュニティくらいしかいないのではというくらい珍しいらしい。
その中でも言語補助は一番と言っても過言じゃない機能で、大抵の人が所持しているそうだ。
まあ確かに、わざわざ外国語を覚えなくても自動で翻訳してくれるなら誰だって欲しいよなぁ……。俺は前に街中で外国人に話しかけられたときにめちゃくちゃ慌ててしまって、一緒に居た陽翔に爆笑された事を思い出した。
ちなみにナノマシンが古くなったり故障したりしないのかと聞いたら、自己修復・複製機能がある上に寿命が来ると排泄物なんかと一緒に体内から排出されるようになっているらしい。
……兄貴の発明すごすぎないか。
ナノマシンは俺の中で『なんかすごいやつ』から『なんかすごすぎるやつ』に格上げされた。
「リーチェの言葉が聞き取れてるみたいだからさ。それに経過を考えると、キミの治療にもナノマシンが使われてると思って」
「……もしかして、此処は日本じゃないんですか?」
ユーニさんは黒髪だし日本人にも見える顔立ちだけど、彼女は見るからに天使――じゃなかった、西洋の容姿をしている。ユーニさんのいう事が本当ならフェリーチェの第一言語は日本語じゃないし、此処は外国なのかもしれない。
「うーん、日本じゃない、というか……」
「ニホン、ってなに?」
まってフェリーチェさん、それは爆弾発言では?
歯切れの悪いユーニさんの言葉に、美少女がこてんと首を傾げながらとんでもない事を言い放った。
え、なに、ニホンって何?ときたか。320年経って消滅したのか日本。まじか。沈没か?
「え、まさか……」
「あー、と。うん。一個ずつ説明したほうが良いよね。うん。待ってね」
どうやって説明したら伝わるかなあ、と呟くユーニさんに申し訳なさがこみ上げてくる。
初対面で赤の他人なのに、付き合いが良いのか起こした手前放っておけないのか。
でも、俺の事を起こしたのがとんでもない悪人とかじゃなくて良かった……と改めて二人を見ながら思う。
――だってなんていうか、どうみても善良そうだし。
これで実は二人は詐欺師集団でしたー! とかだったら、もう逆にすごい。騙されても仕方がない。そんな雰囲気の二人だ。
自分に人を見る目があるとは思わないが、ここまで信頼してしまっているのは何故なんだろう。割と人見知りするタイプのはずなのにな。でもなんというか、ユーニさんにしてもフェリーチェにしても、こちらに笑いかけてくる顔を見ると『この人たちは大丈夫だ』という気持ちにさせてしまうのだ。いわゆる人たらしというやつだろうか。会ってまだ数十分も経ってない気がするのに。
ぐぅぅぅ
そんな事を考えていたら、不意に胃の辺りがきゅうっとして、音が鳴った。
俺の腹の音だ、と気付くと恥ずかしくて、思わず腹を抱えて心もち丸くなった。
そんな俺を見てユーニさんはふんわりと笑う。そうこの顔、この顔がどうしても信用してしまう。
「とりあえず、時間が掛かりそうだから軽く何か食べながら話そうか。フェリーチェ、ななちゃん呼んできてくれる?」
「わかった!」
軽やかな足取りで、彼女がドアの向こうへと駆けて行く。「ななちゃん」と呼ばれる人がさっき言ってたもう一人だろうか。フェリーチェとユーニさんの関係が分からなかったが、もしかして親子なんだろうか。
ユーニさんはなんというか国籍もだけど年齢も不詳といった雰囲気で、まあでも20代後半~30前半、40には届いていないだろうなという見た目だ。彼女くらいの子どもがいるようには見えない気もするけど、「ななちゃん」が奥さんで早くに出来た娘なのかもしれない。だってユーニさん左手の薬指に指輪してるし。結婚指輪の文化は320年後の世界にもしっかりと残っているらしい。
「えっと……すんません……」
「どうして?おなかが減るのは元気な証拠だよ。胃の中空っぽだろうし」
……それもそうか。
自分ではそもそも寝たつもりもないし自覚もないけれど、何せ320年食事を摂ってないわけだ。
体感数時間前の昼飯が、まさか320年前の食事になるとは。購買の焼きそばパン好きだったんだけどな……さすがにもう二度と食えないよな、と思ってしまってちょっと寂しくなった。
「ティガー、トラジくんの食事補助系のナノマシンは?」
『放射能汚染・食中毒や寄生虫・アレルギー等に対応しています。』
「お、さすが。大体適応してるんだね。良かったー」
ちょ、ちょっと待って?
『先程水分を摂取した際に身体スキャンを行いましたが、内臓機能にも支障はなく、健康体です。完全に回復していますので、病人食ではなく通常の食事を摂っても問題ありません。』
「じゃあ一緒のものが食べれるねぇ」
待って待って待って恐いんだけど!?
何食わされるの俺!?
「あ、大丈夫だよ。一応確認しただけで、ちゃんと衛生的に問題ない食品だから」
焦りが顔に出ていたのか、こちらを見たユーニさんが笑っている。
本当に大丈夫? 放射能とかめちゃくちゃ恐い単語出てきたんだが?
さらにふと『食糧問題を解決する未来の食品――昆虫食』みたいなネット記事を思い出してしまった俺は人知れず震えた。まさか、な。主食になってないよな?
どうしよう、聞いてみたいけど、本当に主食が虫だったら逆に失礼なんじゃ?
「え、と……ちなみにユーニさん。今の時代の食事って、どんな……?」
頼む! かみさま! SFファンタジー! せめて虫ではなくディストピアあるあるの固形キューブと合成肉と謎の錠剤とかにしてくれ! と願いながら、若干震えてしまった声で聞いてみる。
「んー? あ、そっか。時代が違うんだから食べ物だって違うかもしれないよねぇ」
がさがさと鞄の中から色んなものを取り出しながら、ユーニさんが言う。インターネットで見たことがある、軍隊の戦闘糧食みたいな銀色のパウチの中身が恐くて仕方が無い。
「とりあえず健康体とはいえ、トラジくんは寝起きみたいなものだし、あんまり重いものもよくないだろうから汁気の多いものにしようかなぁ。とはいっても軽く探索のつもりだったから、大して材料持ってきてないんだけどね……缶詰のトマトとチーズのスープに乾燥米入れて、リゾットみたいにするのとかどうかな。あ、ウインナーとミックスベジタブル缶……グリーンピース嫌いだったりする?」
「平気でっす!!!!!!!!」
脳裏を過ぎっていった恐ろしい想像と違って全然、普通の食材たちに、泣きそうになりながら全力で返事をする俺。
有難う神様。有難うユーニさん。
ちなみに聞いてみたところ、昆虫食は一部の地域では受け入れられてるけど大半の人は食べないらしい。ユーニさんたちもその地域の出身ではなく、よっぽど切羽詰らない限り基本は食べないそうだ。良かった。ありがとうかみさま!
「ななちゃん、この子がトラジくんね。トラジくん、こっちがななちゃん」
「よ、よろしくお願いします……」
「よろしく」
320年放置されていた割にはホコリのない白い床に、なんとなく正座して俺は頭を下げた。
――いや「ななちゃん」、男なんかい。
勝手に金髪ゴージャス美女を想像していた俺は突っ込みをきゅっと喉に仕舞いこみ、俺は鍋を挟んでちょうど対面に座った彼をもう一度見た。
――……多分、人間じゃ、ないよなぁ。
アンドロイドなのかサイボーグなのか義体(そういう分野が発達しているのかは分からないが)なのか、ロボットアニメにあまりハマらなかったせいでSFにもメカにも疎い俺には判別がつかないが、「ななちゃん」と呼ばれた彼の髪はちょっと生物ではありえない色をしていた。
ピンクというかマゼンタというか、そういうタイプのド派手な髪が、蛍光灯の光を虹色に反射している。……どういう材質なんだろう。キラキラして宝石みたいで、ちょっと綺麗だ。
顔の上半分を覆う保護ゴーグルのような器具の向こう側の瞳も、同じ色をしているようだった。さらにフードの付いたマントのような黒い外套を羽織って、ライフルみたいな厳つい銃を肩にかけて、他の二人より重装備というか明らかに「戦闘担当です!」と力説している見た目なので、威圧感がハンパない。あまりじろじろと見るのも申し訳ない気がするが、目を逸らすのもあからさま過ぎてどうすればいいのやら……。
たすけてかみさま。俺は再び神に祈った。
「ごはんー!」
「はいはい、リーチェ、トラジくんに渡してあげて」
「はい、トラジ。ごはんだよ!」
「あ、ありがとう……」
ユーニさんがよそってくれた器を、スプーンと一緒に満面の笑みでフェリーチェが渡してくれる。
ふわりと顔に掛かるおいしそうな香りの湯気と、銀色の器から両手にじわりと伝わる温度に、また胃が鳴いたのが響いて恥ずかしくなった。
「ふふ、食べれそうで何よりだねぇ」
「目覚めたばかりなんだろう?余り急いで食べないように、気をつけたほうが良い」
ユーニさんとナナさん(流石に「ななちゃん」とは心の中でも呼び辛い)に優しく言われて、なんだかむず痒いような懐かしくて泣きたいような、不思議な気持ちになった。なんだろう、親に見守られてるような感覚?
「ありがとうございます。……いただきます」
「いただきまーす!」
隣に居るフェリーチェも、ユーニさんもナナさんもそれぞれいただきますと両手を合わせてからリゾットに口をつけた。どうやら「いただきます」は共通の文化みたいだ。
俺も、煮込まれて程よく潰れたトマトとふやけた米を一緒にスプーンですくって口に運ぶ。ちょっと酸味のあるトマトコンソメ味にチーズのとろりとした感じがして、美味しい。ゆっくり噛んで飲み込めば、あたたかい食べ物が食道を通って空っぽの胃袋に落ちていくのがわかった。
「美味しいです。」
「ふふ、良かった。」
俺自身に自覚はないけれど、320年ぶりの食事に身体が喜んでいる――いや、身体も俺と一緒に寝てたから、身体からしたらせいぜい腹が減って目覚めた時の朝ごはんくらいの感覚か?
ミックスベジタブルのそれぞれ異なる食感も、ウインナーを噛み千切るときにぷつりと音を立てて弾ける薄皮と、そこからじゅわっと溢れてくる肉汁も。
ちょっと意識しながら食べてみると、口から伝わる膨大な情報量に食事ってこんなに楽しいものだったんだな、と思った。温かくて、色んな食感と味がして美味しい。自分の頬が緩むのを感じる。
それだけじゃ足りないでしょ? おかわりは無いけど此処から出たらもう少しちゃんとしたご飯準備するね、と言われて思わず首を横に振る。これだって美味しくて、充分すぎるくらいちゃんとしたご飯だ、そう言うとユーニさんは嬉しそうに笑った。
さっきは世界に一人ぼっちになったんだと思って一瞬哀しくなったけど、『初めて』の食事はひとりじゃない。
そう思うとこの世界でも、どうなるかは分からないけどとりあえず生きてみようかな、なんてちょっと前向きに思えた。