◆第5話 お部屋の中の行動範囲が増えました。
それから、誰も私の部屋にこない時間を狙って謎の巨大化ができるウサギさんは私のところへやってくるようになった。赤ちゃんなのに毎日来客が多くなってきて忙しいけど、誰もこなかったら寂しいので喜ばしいことだ。
ウサギさんには名前を教えてほしいと伝えたけれど、残念ながら教えてもらうことはできなかった。というより、ウサギさんにはまだないらしい。
ウサギ同士で名前を付ける習慣ってないのかな?
『もしあなたがつけてくれるなら、私はその名前を名乗りたいな!』
ウサギさんはそう言ってくれた。
なに、その重大な役目……! でも名前をつけさせてくれるなら嬉しいと思う。
『でも、まだいいや。あなたが私の名前、しっかり考えてくれて、絶対に発音を間違わずに言えるようになったらつけてほしいの』
それはそれで不便じゃないかな……と思ったけれど、普段の生活でウサギさんが名前を使わないなら問題もないのかもしれない。
『でも、君は不思議な子だね。生まれたてで言葉はまだ発音できないのに、しっかり意思疎通ができるんだもん』
それを言うなら、私はウサギさんが発音もしていない気持ちを読むことができるほうがすごいと思う。
ただ、ウサギさんもすべてを読み取れるわけではないらしい。
やろうと思えばできないこともないらしいのだけれど、実際にやると周囲の生き物の気持ちを全部拾ってしまうので大変なことになるという。
だから話したい内容はできるだけ語りかけるように言ってね、と、私はウサギさんから言われている。それだけを読み取るようにしているらしい。
『ねぇねぇ、エミリア。今日も座る練習するの?』
その問いに私は頷いた。
最近の日課は一人座りの練習だ。
かたや自由に走り回れるウサギさん、かたや踏ん張ってもまだ自力で座れていない六ヶ月の赤子。私も早く動けるようになりたいのである。始めたばかりのこの練習だが、ウサギさんが一人座りをするための練習に付き合ってくれるのはありがたい。
ただウサギさんが練習に付き合ってくれると、私は練習よりもその毛並みの良さと暖かさで満足してしまうのであまり集中できなかったりもする。
そしてその様子に気付いたウサギさんも照れ始めるので、いつのまにか撫で撫でタイムになっていることも珍しくはない。
ありがとう、ウサギさん。この時間、至福です。
ただ私もウサギさんの支えがあればバランスをとり、座れるところまではだいぶ近づいている。だからナンシーが一日一冊、絵本を読んでくれるようになった。
私にはこちらの言葉が最初から聞こえているので、最初からこちらの文字も読めることを期待したけど、あら残念。普通に読めませんでした。
そのため私は読み聞かせで必死で聞き取りをし、音に照らし合わせて文字が理解できるように勤しんだ。
するとよほど絵を気に入っていると思われたのか、枕もとに小さな絵本を三冊くらい置いてもらえた。さすがに文字を認識しているとは思われてはいないものの、表紙だけでも楽しめるようにという配慮だったと思う。
私はこれを幸いとして復習に取り組んだ。そして教材として新しい絵本が欲しくなったときには飽きたような素振りを見せて新しいものをお願いした。
生後六ヶ月と半分。ジェスチャーもなかなか上達してきました。
このままいけば国外でもジェスチャーだけで話ができる人になるんじゃないかな、という自惚れまで生まれてくる。
そしてようやく一人座りができるようになると、私がベッドから下ろしてもらえる時間も増えた。というより、夜やお昼寝時を除いて、基本はベッドから降りている。
それは私が一人座りができるようになった後、喜んでベッドの上でハイハイの練習をしようとしていたことが原因だ。
まず私の姿を目撃したナンシーが『お嬢様はちょっとお転婆なので、このままだと柵に挟まってしまって危ないかもしれない』と判断した。
そしてそれがロバートに伝えられ『それならベッドを新しくしましょう』となったようだった。
私も怪我をしないように気をつけているから大丈夫だよ! と言いたいけれど、ベッドが大きくなることは大歓迎だ。
……ただ、ベッドは少し大きすぎるのではないかとも思ったけども。
あまりに大きい大人用のベッドに一人で寝るのはなかなか落ち着かない。これ、俗に言うキングサイズっていうものじゃないですか。あれ、クイーンだっけ? いずれにしても自分の寝具はシングルサイズしか記憶にない。部屋の広さが広さなので今更だけど……。
けれどその緊張感も長くは続かなかった。
今の私は動くものに興味を持ったり、注意力を削がれたりする。だって、見るもの聞くもの初めてのものが、いまだに多いんだもん。これは赤ちゃんの特性に引っ張られているのかなとも思うけれど、無理に我慢したり矯正したりするのはやめるようにした。
だって、今から私が生きていくのはこの世界。この世界に適応できるようになるには、この時間は大切な慣れるための時間だと思う。それに、前世ではここまで注意力散漫じゃなかったはずだし……。うん、多分だけど。記憶違いでなければだけど。
一応この年齢ならではの許されることも多いし、失敗するなら小さいうちにだと思うし、無理に我慢はしないようにしている。我儘じゃなければ、まぁ、いいかなって!
ちなみに私はベッドから下ろしてもらえなくても、自由にベッドから降りることができる。だからお昼寝をするようにベッドに寝かされていても、勝手に降りて練習可能だ。
一応着地失敗に備えてクッションも多くあるけど、私はそんなヘマはしない。
なぜなら……私を下ろしてくれる友人が頻繁に来てくれるからだ!
『エミリア、降りるー?』
降ります、降ろして!
遊びに来て私に問いかけたウサギさんは、その返事を聞いてから私のベッドの側までやって来る。それから巨大化して私を掴まらせて降ろしてくれる。
そうして降りたあとはハイハイの練習開始だ。……っていってもすぐに体力の限界が来るから、進捗はなかなかよろしくないんだけどね。
早くできるようになりたいけれど、ここで無理をして身体を痛めるわけにはいかない。ちゃんと身体の声を聞いて、無理をしない程度に頑張りたい。
それに、ハイハイがおわってもウサギさんが期待してくれている歌の練習もある。飽きたら絵本を読んでいてもいいので、やることはいっぱいなのだ。
あ、最後にはウサギさんにベッドに戻して貰うよ。一応、ちゃんとお昼寝をしている体をとりたいからね!
ちなみに今でこそナンシーは私の側から離れることも多いけど、一応一日中私についてくれることも可能だとは思う。実際、私が意識を取り戻したばかりの頃は一日中私の近くにいてくれて、私の用事がないときは針仕事などをこなしていた。
ただ、屋敷としては本当は他にもナンシーにはお願いしたい仕事があるみたい。
でも私がよく眠る(ことになっている)ことや、特に悪さをしないので、最近は『ちょっとお仕事してきますね』と私に言った後は少し長めに用事を済ませてくることもある。
もともと私も用事があるとき……例えば読んで欲しい本があるとき、抱っこして欲しいときなどはちゃんと主張するので、一緒にいてほしければ主張すると思われていることもあるのだろう。
実際に戻ってきても私がまだネムネムしている(風なことを装っている)ので、心配ないと思われているのだと思う。
こんな背景があるため、私はウサギさんとのこっそり密会はスムーズに進められている。
『ねえねえ、エミリア。エミリアー!』
私が考えにふけっていたからか、もふもふな足を私の背中にぺちぺちしながらウサギさんが自分の存在を主張してきた。ごめんごめん、忘れていたわけじゃないんだよ。
『あのね、エミリア。今日したい遊びがあるの』
そうウサギさんから提案があるのは初めてで私は首を傾げた。
いったい、どういう遊びなのだろうか?
『あのね、冒険ごっこ!』
冒険ごっこ。
その響きはたまらなく子供らしく、そして今のエミリアにとってはときめくほど心惹かれるものだった。