◆第2話 本音はいったいどこにあるのか
やがて、お父様が到着されると連絡を受けたので私たちはお出迎えをするためエントランスへ向かった。
でも、お部屋からエントランスはかなり遠かった。
どれだけ大きいのですか、このお屋敷。歩けるようになっても、部屋を覚えるのは大変そう。
やがてエントランスに到着したのち、私はナンシーに抱っこをされたまま、お戻りになったお父様をお迎えした。
馬車から降りてきたお父様は、『え、王子様ですか?』と聞きたいほど非常に美形だった。実物の王子様を見たことはないけれど、たぶんこういう人なんだと思う。知らないけれど。
そして腰に剣を装備した、騎士のような服装をしていた。
「戻った。私の留守中、なにかかわったことはなかったか」
お父様の声は淡々としている。
「ええ、特に変わりはございません」
二人の間に流れる空気は久々の再会を楽しむような空気はない。ただただ事務的だ。いや、寒々としているような気さえする。
そんなことを思っていると、一緒にお迎えをしていたロバートが咳払いをした。
「いえ、奥様がお嬢様を出産なさったことこそ、一番大変なことであったと思います」
その言葉で二人ともはっとしたようだった。
あの、忘れないでください娘の存在。いや、お母様のほうは忘れていたのではなく、問題がなかったと仰りたかったのかもしれないけれど。
「そうであったな。手紙でエミリアと名付けたと聞いた」
「はい。旦那様が娘が生まれた場合の名付け候補として、一番上にお書きなさっておりましたので」
「そうか。顔を見ても良いか」
どうぞどうぞ、ぞんぶんに御覧ください。
そしてお父様と私は顔を合わせる。
「……子供、だな」
「はい、赤子でございます。抱き上げなさいますか?」
そうだ、お父様に抱っこされれば、お母様も抱っこしてくださるんだよ。だから遠慮なく抱っこしてくれて構わないのよ!
そう思って私は両手をのばした。
しかし、お父様は額にシワを寄せた。
あれ?
「……抱き上げかたがわからん」
「簡単でございますよ。私がお手伝いしますから」
「いや、いい」
お父様、まさかの拒否!
「それより、風呂に入りたい。部屋に戻る。用意できたら呼んでくれ」
そしてすたすたと行ってしまった。え、本当に……? 泣いちゃうぞ、本当に泣いちゃうぞ。
赤ちゃん感覚で感情を制御するなんてできないんだぞ!
「で、では、お嬢様はお部屋に帰りましょうか。お嬢様もお疲れのようですし」
「ええ、お願いね。私も部屋に戻るわ」
そして父娘の初対面は、実にシンプルに終了した。
お父様とお母様の会話もほぼないに等しい。
あまり良好な家族関係ではないとは思っていたけど、それを決定づけるような対面だなと私は思ってしまった。
**
そして、その夜。
時間はわからないけれど、たぶん夜の深い時間。
私の部屋のドアが突然開いた。
え、誰!?
夜中に私の部屋に人がやってくるなんて、最近はほぼなかった。あったのは記憶が戻ってすぐくらいのころかな? たぶん、私が夜泣きをしないこともあってだと思う。ナンシーもそのことを褒めてくれていたし。
私の部屋が広過ぎること、私がまだ一人で起きあがれないことから人影をすぐには確認できない。
そんなことを思っているうちにドアが閉められる音がした。入室した人物は明かりを持っているようで、窓の外の月明かりだけだった部屋はほんのりオレンジに色づいた。
私は寝たふりをすべきか寝返りを打ってその人物を確認するか迷っていたけれど、その人物の足は私の想像以上に速い。足音はほとんどないけど、神経を研ぎ澄ませれば競歩の選手並の速さだと感じた。
そのためあっという間に私の側までやってきたので、私はひとまず寝たふりをすることにした。
さすがに強盗ではないと思うけど、私はちゃんと寝ている赤ちゃんです。
ほら、あんまりじろじろ見ないで別のお部屋にいってくれてもいいんですよ。
そう思っていると、やってきた人物は嗚咽を漏らしたような声を上げた。
「これが……私の娘か……」
え、この声……まさかお父様?
寝たふりをしているのでよく見えてないけど、むせび泣いている様子まで聞こえてくるけど……ほんとうに、お父様? え、昼間と別人が来ちゃったの!?
私はあまりの衝撃に目を開けてしまった。
するとそこには、私と同じらしい目の色をしたお父様の姿があった。
「あ、ああ……すまない、起こしてしまったか」
「だう」
「いい子に寝ていたのにな。済まないな」
それはいいのです。
いいんですけど、昼間とすごく様子がちがいますよね、お父様!? お父様が帰宅したときに固められていた髪は、いまや自然な髪型になっている。ただ、私としてはこの方がかっこいいと思う。
でもなにより今の泣きながら笑っている顔は幼さを残した少年のようで、昼間に見た表情と全く違う。いや、もともとお母様同様若いみたいだけれど……。
いったい、どういうこと……?
そう私が観察していると、大きな手が急に伸びてきた。
「あうっ!?」
驚きの声を私が上げてしまうと、お父様は伸ばしていた手を慌てて引っ込めてしまった。
「あああ、すまない、すまない」
「あう」
むしろ、私の方こそ申し訳ありません。少し驚いただけなので本気で謝られると私としては申し訳なくなるのだが、大丈夫だと説明する言葉を残念ながら発音できない。
なので代わりに手を伸ばし『別に嫌だったわけじゃない』と必死で示すと、お父様もほっとしたような表情を見せた。うん、伝わってよかった。
お父様は今度は私を驚かせないようにだろうか、ゆっくりと手を伸ばした。
私はお父様の人差し指を握った。
顔からは想像しにくいほどごつごつした、硬い手だった。
その感触が少し不思議で、ぺたぺたと触っていると指の付け根のほうまで届いた。豆がある。武術を頻繁にしていそうな手だった。剣も持っていたし、鍛えてる人なのかもしれない。
「あ」
「あう?」
「安心してくれ、もう私は臭くない。汗はしっかり流している」
「あうう?」
安心しろと言われても、そんな心配は初めからしていない。
むしろそんな心配まで頭が回っていなかったし、それ以上にそんな心配をする赤ちゃんいたら賢すぎて怖い。
でもこの話し方からすると、お父様が帰宅早々私に触れなかったのは自分の臭さを気にしたからかもしれないな。
ど、どれだけ私のことをデリケートな子供だと誤解してるのですか、お父様。
「汗臭くないから、抱き上げてもいいか?」
「あう」
もちろん構いません、どうぞどうぞ。
「眠くないか? 大丈夫か?」
「あう」
意外と長く眠れないので、全然大丈夫です。いちにちに何回も寝るけどね!
「嫌だったら言うんだぞ」
「あうう」
いいからはやく抱き上げてください。
そう示すために両手で万歳して見せた。
昼間は抱き上げ方がわからないと言っていたのに、若干ぎこちなさはあるものの安定した抱き上げかただった。この抱き上げかた、もしかしたら練習していたのかもしれないと思ってしまった。
「シエロと同じ銀の色だな。お前もお母様と同じ、美しく聡明な女性になるだろう」
「う?」
あれ、あの冷戦を思わせる対面があったのに、今のお父様はお母様のことを愛おしくて仕方がないような表情を見せている。
あれ? どういうこと?
「私はシエロから愛情は得られていない……が、シエロに似たお前ならシエロからの愛情も受けられるだろう。そっくりだからな」
「ううう?」
「だが……少しでいいから、お前の健やかな成長を祈らせてくれ」
ちょっとどういうことですか、お父様。
そう尋ねられないのが非常に悔しい。
出る声が「あー」や「うー」ばかりで、詳しい説明が求められない。
「ああ、もう眠い時間だな」
「うあ」
違うよ、お父様。
けれど私の思いなど届かず、再び私はベッドに戻される。
「良い夢を見るんだよ」
「あう!」
ちょっと、今の状況が気になりすぎて寝てる暇なんてないんですけど!
だけど無情にもお父様は部屋から去っていってしまった。
私は状況が気になりすぎて寝られない……と思っていた。
しかし素晴らしきかな、赤ちゃんの体。
静かになった部屋で考えていたけれど、自然と眠気がやってきました。
朝になったら、発音の練習を頑張ろう。