◆第28話 後片付け、はじめます
ローレンス殿下のもとを訪ねたのが昼一番だったことが幸いして、お城に戻った頃がちょうど『これ以上は遅い時間になってしまう』というような時間帯だった。ちょっと長居はしていたけれど、おかしいほどの長さじゃないくらいのいい時間であったことに私はほっとした。
ディアナはローレンス殿下のお部屋に戻った後はすぐに小さくなってバスケットの中に自ら入った。そしてバスケットの中からローレンス殿下に声をかけた。
「エミリアが屋敷まで帰るのを見届けたらすぐに森に行って台座を回収してくるわ。だから窓は開けておいてね」
「ありがとうございます」
「いーの。森が綺麗になったの、私も嬉しいし。それにノアの子が生まれて私にも後輩ができるなら、なおのことあの森は綺麗じゃなきゃいけないし!」
どうやらお姉さんぶりたいお年頃は健在らしい。
私とローレンス殿下は顔を見合わせて笑った。
「では、私たちは帰ります。殿下、よかったですね」
「まだ、嘘みたいな気持ちでもいるけど……でも、今までと違うのは身体で分かるんだ。ありがとう」
むしろ、この殿下がこの国の未来を支えてくれるなら私も安心できる。
今日の決意表明は実に聞けてよかったことだと思う。
「そうです、試しに一つ魔道具を起動させてはいかがですか?」
「……そうだね。じゃあ……灯りにしようかな」
ローレンス殿下はそれから机の上にあったランプに手をかざした。
少し緊張されているようにみえるけれど、やがて温かな光が灯る。
「御礼は、必ず」
振り返った殿下は、少し照れたような顔でそう仰った。
嬉しさを隠す必要がないから、こんな表情を見せてくれているのかもしれない。
「お茶菓子、お約束ですからね? ディアナと一緒に楽しみにしています」
「もっとねだってくれてもいいのに」
「だって、まだ解決していないこともありますから。……誰が魔石を置いたのか、見つけないと同じことが起こりかねませんよね」
あの魔石や台座を設置した者が何者なのか。
それがわからなければ、ふたたびあの森に何者かが危害を加えてしまうかもしれない。
私の言葉にローレンス殿下は小さく呟いた。
「実は、ある程度予想はできている。ただ、確信を得るためには証拠を揃えないといけないけれど」
「私がお手伝いできることは、ありますか?」
もしも逃げられてしまえば大変だ。
少しでも力になれたらと思って私はいったけれど、ローレンス殿下は小さく首を横に振った。
「ありがとう。気持ちだけ受け取っておくよ。エミリアにはとても助けられているけれど、調べるのは立場上難しいから」
立場と言われてしまえば、無理に踏み込むのは難しい。
子供に情報収集のお願いをするのは、普通に無理だよね。
本当はローレンス殿下の立場でも難しいのかもしれないけれど、それは王子という立場でなんとかできる側面もあるのだろう。
ただ、それは今から先のお手伝いができないというだけで。
気付いたことは今のうちに伝えておくべきだ。
「あの、ローレンス殿下。森に魔石を置いた者は、おそらく正面から森に入っています」
「それはどうして?」
「僅かですが、森の入り口付近に車輪の跡が轍となり残っていました。そこから足跡が三人分ほどあったので、おそらくそれ以降は人の手で運ばれています」
「……それは、すごく貴重な情報だね。巡回は常にその場にいないとはいえ、何箇所も設置しておいて一度も兵士と遭遇しないとは思い辛い。……そういうことだよね?」
「はい。もちろん、絶対にそこから入ったとは言えませんが」
「いや、ありがとう。貴重な情報だよ。正直、あのときはひどく緊張していたから。もう少し周囲を見ておくべきだったと反省している」
「私ももし殿下と同じ状況だったら、見えてはいなかったと思います」
むしろ、たまたま足元に気がついたからというだけだ。
けれど、ローレンス殿下は苦笑なさった。
「そんなことを言うエミリアはまだ五歳だよ。私とおなじ年ならどういうことになっているか」
いえ、それに関してはむしろローレンス殿下のほうが大人びています。
私は大人びているんじゃなくて、中身が大人なんだもの。ただ、だいぶ好奇心の面では子供らしくなっている気もするけれど……!
「じゃあ、私はそろそろお暇させていただきますね。お父様が首を長くしてお待ちくださっていると思いますので」
「じゃあ、私がアーサー殿のところまでは送るよ」
「よろしいのですか?」
来たときは案内役の人に連れてこられたし、帰りは呼んでくれと言われていた。ローレンス殿下も調べ物を今すぐしたいだろうにと思うと、その気遣いはなくても問題無い。
でも、ローレンス殿下は私の持っていたバスケットを持ってくださった。
「むしろ私がアーサー殿に会いたいんだ」
「父に、ですか?」
「そう。ひとつだけお願いをさせていただこうかと思って。無理強いをするわけではないから心配はしないで」
そうしてニッコリと笑われるものだから、私は少しだけお父様がずるいと思ってしまった。確かにお父様は子供じゃないもんね。頼れる……と思ったけれど、お父様はあまり王家……というより陛下に近寄りたくないご様子だったから、ローレンス殿下のお願いもお聞きなさるかわからない。
ローレンス殿下も、会ったことがない相手を信用して頼み事をするような方じゃないと思うのだけれど……。
そんなことを考えているうちに、お父様と別れた場所にまで戻ってきていた。本当はそこからお父様を呼んでいただく予定だったけれど、すでにお父様は渋い顔をして待ってくださっていた。どうやら申し訳ないことに、思いの外待たせてしまったらしい。
ただ、待たされたからといって直接当たるようなお父様ではない。
お父様はローレンス殿下を見るとすぐに一礼した。
「ローレンス殿下、娘がお世話になりました」
お父様も今日はローレンス殿下へのお礼で来ているという建前を貫いてくださった。ただし、ちょっと愛想が足りない礼儀の範囲の声だったけれど。
娘からすると『殿下という以前に子供相手なんですからもうちょっとにこやかに!』と思う。お父様のお顔、整いすぎているから愛想がないと冷たく見えちゃうんだよ。
しかしローレンス殿下は驚くことなく、むしろ歓迎するといわんばかりの表情で首を横に振った。
「いえ、世話になったのはこちらです。エミリアはいろいろと気付きのきっかけを与えてくれました。感謝します」
「お上手ですね。しかし、そう仰ってくださるなら、ひとつお願いをさせてください。娘はまだ幼いため、殿下とお会いした経験を将来忘れることもあるかもしれません。その時もお咎めにならないでくださいね」
お父様は冗談交じりに言っているけれど、これは抗議でもありそうだ。
『顔を忘れるくらいまで会わせるつもりはないから』という副音声が私には聞こえた気がした。
お父様はもともと王家にはあまり好意的ではない……というよりいざこざを懸念されているもんね。
この状況で、果たしてローレンス殿下はお父様にお願い事なんてできるのだろうか……?
しかし私の思いとは対照的に、ローレンス殿下は相変わらず楽しそうだ。
「エミリアが私のことをお忘れになっても仕方ないと思います。ですが、これほど賢い御息女なら覚えていてくださるのでは、と思っています」
「……まあ、否定はしないが」
「ただ、もしお忘れになったとしても私は忘れません。お忘れになっていたというのでしたら、今度はこのような小さなことではなく、なにか忘れられないような、印象に残る素晴らしいことができる人間になっておこうと思います」
ローレンス殿下の言葉に私は少し驚いた。
今の殿下にははっきりとした自信がある。
影からそっと支えることを目標にしていた時の姿とは違っている。
ーーいや、違ってはいないのかもしれない。
だって、ずっと努力はなさっていた。ただ、それはこれまで表立ったものではなく、裏方のためだったけれど、それをまっとうできるだけの努力はなさっていたのだ。
「今後、殿下はそれを叶えられるようになると仰るのですか」
「ええ」
にこりと浮かべられる笑みは心からの表情なのだなと思ってしまった。
初めて出会ったときの壁のようなものが消えていた。
「ずいぶん自信がおありなのですね」
「残念ながら、自信があるわけではありません。ですが、可能性は与えられました。ならばもう、邁進するしかありません」
「……そうですか」
素っ気ない返答の割に、お父様の声色は暖かなものに変わったように思えた。
そして少しだけ、笑っていらっしゃる。
「私の娘は眩しいでしょう?」
「ええ」
「リブラ家の宝です。あげませんからね」
「お父様!」
一体なにを言い出すのかと、私はお父様の言葉を遮った。
子供みたいな主張を挟んでくるのはやめて欲しい。ローレンス殿下も苦笑してらっしゃるし! そもそも別に欲しいなんて殿下は仰ってないじゃないですか!
「ところで、話がかわり申し訳ないのですが、アーサー殿は狩りがお上手なんですね。父から聞いたことがあります」
「狩り?」
急な話題の転換に、お父様の目はやや細められる。
お父様が狩りをなさるなんて、私は聞いたことがない。でも、ローレンス殿下が今のタイミングで単なる雑談をしようとしているとは考えにくい。
そうなると……もしかして狩りって、犯人さがしのこと?
「害獣が森に悪さをしているようで、私も練習してみようと思うのですが……どうかご覧いただき、採点してくださいませんか?」
「……見るだけで構わないのですか?」
「はい。それで、今後の私の伸び代を見ていただきたいのです」
もしも、もしも私の想像が当たっているのなら。
ローレンス殿下は後ろ盾として、お父様が後見になられることを望んでいる。
それも『国に対する害獣』を駆除することで、だ。
ローレンス殿下にはルイス殿下と違って後ろ盾がない。
魔術が使えると判明すれば申し出もあるかもしれないけれど、それよりもローレンス殿下自ら選びたい、そして選ばれたいと考えていらっしゃるようだった。
「私は甘い採点をしませんよ。現状で私が甘いのは妻と娘にだけです」
「構いません。はっきり仰っていただくほうが、成長できますので」
「でしたら狩りの日程が決まりましたら、使いをお送りください。ですので今日は失礼させていただきますよ」
お父様はそう言って引き受けなさった。
ローレンス殿下は安堵なさっていた。
……お父様に頼みたいことがこんなことだったなんて、私は想像していなかった。うん、確かにこれは私には無理なことだ。本人どころか後見人も子供で、なおかつ年下となればちょっとお話にならないもんね。
「ローレンス殿下、ありがとうございました」
「こちらこそ。これ、返しておくね」
ローレンス殿下はディアナが寝ているバスケットを返してくださった。
そして一番近づいた時に、一歩踏み込まれて私の耳元でそっと呟かれた。
「あとは頑張るから。ありがとう」
ローレンス殿下の姿はすぐに離れた。
そして優しく笑い、すぐにその場を後にされた。
私はローレンス殿下にとっての初陣が始まるんだと、理解した。