ヒーローがこんな普通の人なんて
ズサアァァァァァ……
街から少し離れた場所にある人気のない小さな公園に突如、空から何者かが着地してきた。
漆黒の仮面と鎧、鮮やかな赤いマフラー。そして、暗闇でも輝くツインアイ。
先程、数時間前に色才高校の生徒を怪物の魔の手から救った漆黒のヒーロー。
ナイトハウンドだった。
ヒーローは周囲を見渡し、人や動物がいない事を確認すると無言のまま公園内の古びた公衆トイレに入っていった。
彼が入って数秒後、男子トイレの窓から一瞬光が漏れ、ヒーローと入れ替わるように一人の人物が出てくる。
その人物は男性だった。
高くも低くも無い背にスラリとした体躯。ボサボサの黒髪の下にはきちんとすれば整って見えそうな顔があったが、顎に生えた無精髭がそれを台無しにしていた。
しかし、彼をぱっと見た時、一番印象に残る点は他にあった。
「はぁ……」
その男はとにかく疲れ切っていた。
目には覇気が無く、眉は八の字。スラリとした体躯も背中に漬物石でも乗せているのかと思うほど猫背であり、そのせいで彼は実年齢より何倍も老けて見えた。皺の少ない白のワイシャツと黒のスーツパンツも着崩して着用されているため、よりお疲れ感が出ていた。その口から漏れるため息は長く深く、半分魂でも出ているかのようだった。
今の彼を表すピッタリな言葉は『お疲れサラリーマン』だった。
パンツのポケットに手を入れ、スマホを取り出す。
「うげ……」
時刻は零時を回って、午前一時半。その事実を知った彼は、なんでこんな時間まで働かなければならんのだろう……と思い、肩にずっしりと疲労感がのしかかってきた。スマホの電源ボタンを押すと黒い画面に切り替わり、そこには疲れ切った顔の自分が映っていた。
「何かまた疲れた顔しているな。俺……」
深夜の公園でポツリとそう呟く彼の耳に
「ワンッ!」
彼の声とは対照的なほど元気な犬の鳴き声がした。声の方を向くと
「へっへっへっ……」
公衆トイレ近くのベンチの上で小さな黒い柴犬が舌を出しながら、彼を見つめていた。
(……何やってんだ、コイツ)
彼がその黒い柴犬に声をかけようとすると、黒柴は足に力を込め
ダッン!!
ベンチから思いっきり飛び跳ね
ベチッイ!!
彼の頬に勢いよく犬パンチした。
突然、黒柴に殴られた彼の頬にはスタンプを押したようにはっきりと肉球の跡がついていた。
彼は赤くなった頬を摩りながら、怒りを露わにして黒柴に吠えた。
「痛ってぇな!何すんだ、このクソ犬!!」
「やかましい!!」
対する黒柴も先ほどの可愛らしい顔からは一転、その顔は怒りに染まっていた。が、元が小さな黒柴なので迫力は無かった。
「お前と言うやつは、僕が毎度毎度ヒーローにとって名乗りは重要だとあれほど教えているのに、未だに『名乗る程の者じゃない』とか言って端折ろうとする!お前、みんなのヒーローの自覚あるのか!?」
「ねぇよ!んなもん!てか、端折りたくてもお前が毎回首に電流流すから、あのクソダサイ名乗りを言う羽目になってんだろうが!」
先程の戦闘でナイトハウンドが突然、奇妙な声を上げた後、首根を抑えてうずくまった理由がこれだった。
彼は戦闘時間短縮(本音はとっとと帰宅)するため名乗りを省こうとしたが、それは彼の相棒の荒業によって毎度阻止される羽目になっていた。黒柴の方も彼に名乗りの重要性を事あるごとに説いているのだが、その思いは結局伝わることはなく、電流と説教で改心させるという手段しかとれなかった。
「まだあるぞ!お前、名乗りの最中に神出鬼没の変態って言おうとしただろ!」
「チッ、バレてたか」
「僕が音声を即座に変更したから良いもののどこの世界に自分の事を変態なんて名乗るヒーローがいるんだよ!」
「いや、実際変態だろ!漆黒のヒーローなんて名乗っている奴がこんなアラサー男っていうだけでもだいぶ危ないのに、それが意味もなくカッコつけて戦っているだけだぞ!それもこんな時間に!これを変態と言わずして何という!」
「馬鹿野郎!戦いをカッコ良く魅せて何が悪い!お前、もうちょっとファンや視聴者の気持ち考えろよ!このヒーローの面汚し!」
「一歩間違えれば死ぬかもしれない戦いにカッコつける暇なんかあるか、ボケ!そして、俺はさっきの戦いで誰の面を汚したんだよ!てか、ファンや視聴者って、誰の事だよぉぉぉぉ!」
彼が深夜の公園で天に向かって吠えている時
「あの……」
ふと、公園の生垣の方から声がした。一人と一匹はぐるんと声の方に首の向きを変え、脂汗をかきながらそちらを直視していると
ガサガサ……
((えっ!?))
その人物の姿を見た時、彼とワンコは驚いた。
なぜなら、そこにいた人物を彼らは知っていた。正確にはさっきまで会っていた。
そこにいたのは怪物の凶行から命を救った少女
緋色灯だった。
数時間前に救出した少女が突然現れ、とまどいを隠せなかったがそれでも彼とワンコは自分たちの正体を隠すためアイコンタクトで一芝居打つことを合図する。
「ごほん。あー、大きい声だしてすいません。家族から変な電話がかかってきて、ついつい怒声を」
「あ、いえ、すいません。ちょっと驚いてしまって」
――そりゃそうだ。いくら人気の無い深夜の公園とは言え、アラサー男と黒柴がヒーローの在り方についてなんて題目で喧嘩。フィニッシュは天に向けて放った台詞が
『てか、ファンや視聴者って、誰の事だよぉぉぉぉ!』
だもんな。あー消えたい。
むりやり笑顔を作る彼の体から嫌な脂汗がだらだらと流れ落ちる。
「すいません。こんな夜中に大きな声出して。完全に不審者ですよね、俺」
「そんな事無いですよ。誰だって時には大声で笑いたい時や、一目も憚らず号泣したい時だってありますよ」
そういって少女はクスクスと笑う。その姿を見てホッとした。不審者扱いされないだけでも御の字なのに、彼女に怯えた様子は無くむしろ笑ってくれる。その方が彼としてもありがたかった。
そう思いつつも、なぜ助けた彼女がここにいるのか?という疑問が拭いきれず、彼が灯に問いかけようとした時
「でも、ビックリです」
「まさか、あんなカッコ良い戦いをしたヒーローがこんな普通の人なんて」