……ヒーロー?
「うぅ、暗いな……。やっぱり一人で来たのは失敗だったかなぁ」
その少女は弱々しい声で制服のスカートをぎゅっと握りしめながら呟く。彼女が自分の行動を悔いるのも当然で、この辺りは道を照らす明かりもほとんど無く昼夜問わず人の通りが少ない道であり、暗闇の中にポツンポツンと光が置いてあるような不気味な道だった。
現在時刻は二十三時。こんな時間にこんな所を女の子が一人歩いているのもおかしな事だが、彼女の着ている服はそれに拍車をかけていた。
彼女の着ている服は『高校の制服』だった。
自分の歩いてきた道を振り返って確認し、そして、また前を向く。目に映った景色はほとんど変わりなく、自分が今どのくらい歩いてきたのかわからなくなるほどだった。
制服のポケットからスマホを取り出し、アプリを開いて現在地を確認しようとし、彼女は「げっ……」と呟く。画面の右端にははっきりと『圏外』の文字が記されていた。ため息をつきながらスマホをポケットに入れ、気持ちを切り替え暗闇が続く道を見る。
「ううん。弱気になったらダメよ。緋色灯!私には崇高な目的があるの。だから、こんな所で挫ける訳には――」
「あのー」
「わひゃあ!!」
暗闇から突然声が聞こえ、灯は奇妙な叫び声をあげる。恐る恐る声のする方へ振り向くと、彼女と同じように怯えた表情をする青年がいた。
「えっと、ごめんなさい。驚かせるつもりは無かったんだけど……」
「あっ、いえ、こちらこそ。大きな声出してごめんなさい」
灯は軽く頭を下げた後、相手を見る。影もある、体も透けてない。どうやら悪霊の類ではない。と少し安堵した。そして、彼女が彼とある共通点があると思い、声をかけようとすると
「君、その制服。『色才高校』のものだよね?」
「えっ?あっ、はい。色才高校の制服です。ということは貴方も?」
「あぁ、僕も色才高校だ」
彼が着ている制服は灯が通っている高校と同じ『色才高校』の男子の制服。まさかこんな所で同じ学校の生徒に遭遇するとは思わず、彼女は少しバツが悪そうな顔をするが、相手は自分と同じ学校の生徒と知って嬉しそうな顔をしていた。
「良かった。友達と遊んでいたらこんな時間になっていて、近道して帰ろうと思ったら道に迷ってしまって……。情けない事に不安で仕方なかったんだ。ねぇ、良かったら一緒に明るい道までいかない?」
突然の提案に思わず「えっ?」と声が漏れる。灯がこんな所まで来たのは、先ほど彼女の口から告げられたように『崇高な目的』があったから。
しかし、勢いでここに来て、数時間ほど歩いてみた結果、足は痛いし、目的のものはなかなか現れないし、時間が遅くなるにつれ不安はどんどん大きくなってきた。
そんな中で出た彼の申し出。彼女は一つの答えを出す。
『眠いし、寒いし、疲れたし。緋色灯。また、明日頑張りまーす!!』
「うーん。じゃあ明るい所まで一緒に」
彼女は笑顔で、彼の提案にOKを出した。
※
「へぇ、君も二年生なんだ。なら僕と一緒だ。ここで会ったのも何かの縁だね」
「えぇ、まぁ」
暗い夜道の中を一人で歩くのは不安とは言え、灯は早くもこの同級生と帰る選択をした事を後悔していた。というのも、彼女は慣れた友達の前では男女問わず良く笑う明るい性格だが、根っこは『人見知りの陰キャ』。初めて会った同級生の男子なんてものと即座に話が合うはずもなかった。
一方、彼は彼女と真反対の『初見でも明るく話せる陽キャ』であり、彼女が学園生活でもっとも距離を置く存在だった。彼は灯に気を使い気さくに話しかけてくれているのだろうが、その質問におずおずと答える度に彼女の『とっとと帰りたいゲージ』が蓄積されていった。
「でも、ごめん。僕、君と同じ学年なのに君の事知らなかったよ」
「まぁ、あの学校、二年生で三百人くらいいるから覚えられなくて当然だよ」
「はは、それもそうか」
彼はケラケラと笑う。その屈託のない笑顔を見て、彼女の中である疑問が浮かび今度は灯から問いかけた。
「そう言えば、あなた部活動はしているの」
「えっ、部活?」
急に灯に問いかけられて、彼は少し戸惑う。彼女は眼鏡を右手で直した後、彼をじっと見て再び言葉をかける。
「ごめんね、急に変な質問して。でも、あなたの笑い声を聞いて思い出したの。そういえば、演劇部であなたと似たような声の人がいたなと思って。だから、あなた演劇部なのかなって?」
「驚いた。まさか声だけで僕の部活を当てるとは。すごいね、君。探偵になれると思うよ」
「本当?ありがとう」
「いや、嘘じゃないよ。ねえ、他には。他には何か僕の事当てられる?」
「他の事?そうだなー、じゃあ例えば……」
「貴方、本当に私と同じ学校の生徒?」
灯は彼をじっと見つめながらそう問いかけた。その声は淡々としていて温度の無い声に変化していた。急変した彼女の態度に彼は困惑しながらも笑顔でその問いに答えた。
「いやいや、それは酷いよ。あれだけ僕の話をしたじゃないか。確かに僕は君の事知らなかったとは言え、まさかそんな質問するなんて――」
「貴方が所属しているって言った『演劇部』。今は三年生と一年生しか所属してないの」
「……」
「それにさっき私の学年。二年生は三百人いるって言ったよね?あれ、嘘なの。私たちの学年は全員で二百九十九人。あと一人で三百人なのに、っていう話は結構有名だから知らないはずは無――」
「あーあ、もうちょっと騙されていれば怖い思いせず……」
「――死ねたのに」
彼女の言葉を遮ったのは、彼の口から出たとは思えないほど暗く低い声で発せられた台詞だった。だが、その言葉より灯が恐怖を感じたのは空を見上げている彼の口元が不気味に笑っていることだった。
身の危険を感じ、急いで彼から離れようとするが
シュルッ!!
ガッ!!
「きゃあ!!」
何かに足首を掴まれて、その場で転倒してしまう。膝を思いっきり地面にぶつけ、白い肌に痛々しい赤い擦り傷が生まれたが、彼女はその痛みに意識を向けている余裕は無かった。
「なに、これ……」
足首には不気味な色をした平たい紐状の何かが巻き付いていた。肌に触れる感触はぬめぬめして不愉快であり、生臭いような異臭もあった。これは生物の一部だ。と直感的に感じた灯は、足元から彼に視線を戻す。そして、足首に巻かれているものの正体を理解する。
それは彼の口から出ている、舌だった。
「無駄だよ。人間程度が僕――俺から逃げ、ラレル……」
バリッイッ!!
「――ワケナイダロウ!!」
「ひっ!?」
人の声から獣のような声に変化した彼は、体が肥大化、変色し、顔には漆黒の瞳と大型の牙と顎、肌は青鈍色の鱗が覆い、臀部の辺りからは大型の尻尾が生えていた。
灯はこの生物の姿を創作の世界で見たことがあった。
『蜥蜴男』
彼女の目の前に現れた怪物はまさにそれだった。
「ハハハ!お前タちノ学校の生徒ワ、馬鹿バカリだナな!こんナ、時間にコンな所ウロツケば俺タチに襲わレルに決まっテるダろ!?」
ブッ!!
怪物は唾を吐くように彼女の足元に向けて、口から勢いよく何かを吐き出した。怪物の唾液にまみれたそのカードを彼女は知っていた。
色才高校の学生証だった。
恐怖に塗りつぶされた彼女の顔を見て、蜥蜴男はニヤリと笑う。
「サッきのオトこはギャンぎゃん騒グから、食欲が失セテな。今は巣アナで気絶シテ保存食にナッテルが……」
怪物は足首から舐めるように彼女の体を見る。その視線を受け、灯は全身に鳥肌が立ち、蜥蜴男がこれから自分にしようとしている事を想像し震えあがった。
怪物の口元からボタリと唾液が落ち、目を充血させて吠える。
「オマエは旨ソウだ。モウ我慢デキナい!!ここで俺ニ食ワレロ!!」
グンッ!!
「きゃあ!!」
足首を縛っていた舌に力が入ったと思った瞬間、灯の体は宙づりになっていた。慌てて捲れ上がるスカートを両手で抑えた彼女が下を見ると、大口を開けて獲物を待つ怪物がその目に映りこの時初めて『死』という文字が頭をよぎった。
このままだと死ぬと感じた彼女は目に涙を浮かべて叫んだ。
「やだっ!まだ死にたくない!!誰かぁ!!」
「ハハハ、馬鹿ダナ、お前!!コンナ所で叫んダトコロで誰カ来ルワケが――」
「残念だな。それが来るんだよ」
バキィ!!
「ガァ!!」
突然、蜥蜴男の顔面に激痛が走り、痛みと共にその体は後方へ吹っ飛ばされた。怪物の意識から切り離された舌は灯を拘束する力を失う。
「きゃあ!」
宙づりになっていた彼女の体はそのまま頭から数メートル下の地面に落下――とはならなかった。
灯は自分が死んでいない事を理解するとぎゅっと閉じていた目を開く。
その目に映ったのは――
漆黒の仮面と鎧、鮮やかな赤いマフラー。そして、暗闇でも輝くツインアイを持った。
「……ヒーロー?」
闇夜に現れたヒーローだった。