トリック・オア・トリート 〜悪戯攻防戦〜
「トリック・オア・トリート」
チャイムが鳴らされたので玄関を開けると、待ち構えていたのは魔女やお化けの格好をした3人組の子供たちだった。
——今日はハロウィン。
両手を差し出す子供たちが「トリック・オア・トリート」を繰り返しながら、無邪気な笑みを浮かべている。
大学に入り、アパートで1人暮らしを始めてから3度目のハロウィン。
お菓子をねだる子供達に俺は静かに答えた。
「うちは仏教だから」
俺の言葉に目の前の笑顔が消えていく。
とはいえヤツらにとっては想定内の答えなのだろう。
「ファイナルアンサー。
トリック・オア・トリート」
「お菓子は用意してないぞ」
表情の無くなっていた少年はニヤリと口角を上げると右手を前に出し、巻かれた腕時計を確認して声を張りあげた。
「18:00、目標はいたずらを選択。
これより24時間以内に1人につき1回の報復があることを宣言する!」
2人の少年と少女は挑戦的な笑みを見せ、俺を一瞥するとくるりと踵を返した。
「今年は負けない。望むところだ!」
俺の言葉に子供達の後ろ姿が揺れている。予定通りと笑っているのだろう。
こうして俺と子供達との攻防戦は3年目に突入するのだった。
始まりは2年前のハロウィンの日。
近所で見かけていた子供たちが、仮装した格好で俺のアパートにやってきた。
「トリック・オア・トリート」の声に、日本にもハロウィンが普及してきたのかと思ったものだ。だが予想外の訪問にお菓子の用意などしてるはずもない。
急いで部屋の中を探したものの、封の開いたお菓子を出すわけにもいかず、「ごめんね、うちは仏教だから用意してなかったよ」と笑ってごまかした。
しょぼくれた子供達には悪かったと思ったが、その翌日に思いがけない反撃にあう。
ピンポンダッシュから始まり、玄関の扉に『私はお菓子をあげませんでした』の張り紙。
表札の『川合』には『かわいい』とふりがながマジックで書かれていた。
後日、見覚えのある丸刈りの少年を見つけると、悪戯の犯人かと問いただすことにした。
怒るほどの悪戯ではないが、一応大人として注意が必要かと思ったからだ。
「うちに悪戯したのは君だな? ダメだよ、あんなことしたら」
「やだなぁ、お兄さん。ハロウィンはお菓子をくれなかった家には報復のいたずらをしていいんだよ」
注意をしたつもりがケロリとした顔で返された。
「ハロウィンってそんなイベントだったっけ?」
「そうだよ。もらえなかったら1人につき1回いたずらが出来るんだ。お兄さんも来年はお菓子を用意して待っててね」
「来年も……来るのかよ」
おでこを抑えた俺に、少年は無邪気な笑みを浮かべた。
とは言え俺には馴染みがないハロウィン。
1年が過ぎ、すっかり忘れていた頃に3人組は再び現れた。
「ごめんね、買って来るからちょっと待っててくれるかな?」
もう悪戯はごめんだとお菓子を買いに行こうとする俺に、ため息を吐きつつ首を横に振る子供達。
「残念だけどお兄さん。俺らもあとの予定が詰まっているから。明日の報復を楽しみにしていてね」
「えっ!?」
その子供とは思えないあくどい笑みに、俺の直感が警鐘を鳴らしていた。
この子たちは——いや、ヤツらは悪戯をしたいが為にここに来たのだと。
だが俺にも大人の意地がある。
同じ轍を踏むわけにはいかない。
チャイムの音を切り、表札を外して玄関には『はり紙禁止』と扉に貼って対策を万全に行った。
……結果は俺の惨敗だった。
ヤツらは1年で成長していたのだ。
アパートの前にある弁当屋からは「ご注文の品です」と焼肉弁当(税込580円)が届けられ、なけなしのお金を払わされる。
抜いておいた表札には『僕はかわいい(川合)です』と新たな丸文字の表札が差し込まれ、新聞受けにはラブレター。
奴らの仕業と気付くまでの5分間、初めてのラブレターに舞い上がってしまったのは苦い思い出だ。
そんな慌てふためく俺をほくそ笑みながら眺めている奴らに、リベンジを誓ったのだ。
待ちに待ったハロウィン。
今年こそは奴らの悪戯を全て阻止してやる。
奴らの例年のパターンから見れば、行動を開始するのは明日。
今年は日曜日なので、奴らも手の込んだことをしてくる可能性は高い。
郵便受けにはテープを貼り、表札は金具から撤去。
お弁当屋には子供たちが何を言っても注文を受け付けないように念を押しておいた。
何より今年は玄関前にスマホと連動出来る防犯カメラを設置して『防犯カメラ作動中』と張り紙をした。
おいそれと悪戯出来ないだろう。
俺は含み笑いを漏らしながら眠りにつくのだった。
朝、太陽が昇る前に目が覚めると玄関の扉を開く。
さすがにこの時期の朝は肌寒く、身震いしながら玄関周りのチェックを行う。
悪戯された痕跡はない。
その後何度か確かめにいくのだが、奴らに動きはないままお昼を迎える。
警備を厳重にしすぎて諦めたのだろうか?
いや、この程度で諦める奴らではないだろう。
俺は気を緩めないように両頬を軽く叩き、今のうちにとトイレに向かった。
だが、用を足してレバーを下げるのだが、一向に水が流れていかない。
——まさか!
トイレから出て洗面台の蛇口をひねるが水が出ない。
慌てて外に飛び出して量水器を確認すると元栓を閉められていた。
バッと後ろを振り向けば、こちらを見ながら口に手を当ててて笑っている子供たち。
追いかけようかと思ったが、奴らは「ヤベッ」って顔をしながら一目散に逃げていった。
くっ、まんまとやられてしまった。
これで残りの悪戯は2つ。
俺は大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせた。
現在は13時。
残り時間は5時間だ。
玄関の前に立ち、奴らの動向を窺う。
奴らも俺自ら見張り作戦に出るとは思わなかったのか、たまにチラホラと姿を見かけるが悪戯を仕掛けるには至らないようだ。
時間だけが過ぎ、それでも俺は玄関の前にいた。
その時——。
「あれっ? 川合さん。どうしました?
あっ、鍵をなくして入れなくなったんでしょう?」
俺に声をかけてきたのは2つ隣に住む田中さん。
田中さんは近くの喫茶店で働く23歳。
貧乏学生の俺に、余ったからと夜食をくれたりする優しい人だ。
少しぽっちゃり体型だが優しくて愛嬌があり、俺は密かに好意を抱いている。
「い、いや、そんなんじゃないですよ。ただ、その…………秋です。秋を満喫してるんです」
「確かに綺麗なオレンジ色の空ですもんね」
田中さんはそう言ってクスリと笑った。
あっ、やっぱりめっちゃ可愛い。
「た、田中さんは昨日のハロウィンは彼氏とパーティーとかしたんですか?」
「してませんよー。もう、川合さんは私に彼氏がいないって知っててそういうこというんですから」
もちろん彼氏がいないことは知っているが、聞くと安心するのだ。
田中さんはそっぽを向いたが顔は怒っていない。
「いやいや、田中さん可愛いし、優しいし、彼氏がいないなんて信じられませんよ」
「またそうやってからかうんだから。じゃあ私が川合さんに付き合ってって言ったらオッケーって言ってくれます?」
「あ、当たり前じゃないですか!」
俺は恥ずかしくなり空を見上げた。
きっと俺の顔は夕空よりも赤くなっているだろう。
「……川合さん。本気にしちゃいますよ」
小さな呼びかけに彼女を見ると、田中さんも恥じらうような赤い顔をしていた。
心臓がバクバクとうるさく音を立てる。
あれっ? この感じ。本当に?
その時田中さんの後ろに見えた人影に俺はようやく理解した。
奴らがニヤニヤしながらこちらを見て指差しているのだ。
そう、これは奴らが仕組んだ悪戯だ。
去年のラブレターから一段も二段も上のことをやってきやがる。
「田中さん。あなたまで巻き込んでしまって、すいません。あの子供たちですね?」
「えっ!?」
「分かってますよ。アイツらにはお灸をすえておきますから!」
田中さんに頭を下げて、俺は奴らの方に走り出した。
「ヤベッ、逃げるぞ!」
逃げ出す少年達だが所詮は大人と子供。
本気で走ればスピードが違う。
みるみる奴らの背に迫り、そして離されていった。
「——はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
やはり子供の持久力は侮れない。
いや、俺が運動不足なだけか。
奴らは調子に乗って「鬼さんこちら」と囃し立ててくる。
どれだけ追いかけっこを続けただろうか。
あたりはすっかり暗くなっていた。
汗だくになり、息を切らした俺は公園の芝生の上で大の字になっている。
——ピピッ
——ピピッ
——ピピッ
「あーっ、もう時間切れかぁ」
丸刈りの少年の腕時計からタイムアップを知らせるアラームが鳴り響く。
「残り1つだったのに!」
「でも楽しかったね」
そう、俺の作戦勝ちだ。
奴らは追いかけっこに夢中で悪戯のことなど忘れていたのだ。
「残念だったな」
全てを出し切った少年たちの満足そうな顔を見ていると、いつの間にか俺にも笑みがこぼれてしまう。
少年は寝そべる俺の横に腰を下ろした。
「お兄さん。俺たち今年で卒業なんだ」
「卒業?」
「そっ。来年からは私たち中学生なの。
もう来年はお兄ちゃんのところに行くことは出来ないの」
よく分からないが、これも彼らのルールなのだろう。
これが最後だと思えば、寂しさを感じるのが不思議なところだ。
「まっ、楽しかったとは言い難いが、いい思い出になったよ」
「そこは楽しかったって言うところだろ?」
そう言った少年は右手を俺に向けてきた。
子供と握手なんて照れ臭いが、俺は起き上がると素直にその手を取った。
「——っぁああ!?」
手が——取れた!?
俺が握った手がポロリと少年の手元から抜け落ちたのだ。
「あっーはっはっ。やっぱお兄さんは最高だな」
「うふふっ。時間ギリギリだったね」
「なっ、なっなんだこれ!? 24時間超えたら悪戯しちゃダメなんだろ?」
「もちろん。さっきのは17時50分のアラームだったからね」
——ピピッ
——ピピッ
——ピピッ
そして再びアラームが鳴り響く。
どうやら俺はまんまといっぱい食わされたようだ。
結局今年も惨敗だ。
俺がへたり込んでいると、少年は再び手を差し出してきた。
「今度は本物だって。それにもう24時間たっちゃったしね」
「本当かぁ?」
恐る恐る手を伸ばすと、少年は歯を剥き出しに笑った。
「お兄さん、ありがとね」
「まぁ、完敗だったと言っておくか。
だが、田中さんまで巻き込むのはやり過ぎだ。人によってはめちゃくちゃ怒られるところだぞ」
「田中さんって何?」
「えっ?」
あれっ?
何か話がおかしい。
「ほ、ほら。さっき俺と話してた女の人がいただろ?」
「あの人お兄ちゃんの彼女じゃないの?」
「……ちょっ、ちょっと待て!」
もしかして田中さんは……。
「俺たちがしようとしてたのは、義手での握手に水の元栓を止めること。あとはお兄さんの物干し竿にパンツを干しただけだよ。気がつかなかった?」
「パンツ!?」
「私のクマさんパンツと縞々パンツを干しておいたの」
それって変態のレッテル貼られない?
いや、問題はそこじゃない。
じゃあ田中さんとの話って……。
俺は血の気が引いていくのを感じていた。
「もしかしてお兄ちゃん、私たちが悪戯にあの人を使ってたと思っていたの?」
「……あぁ」
「さすがに俺たちもそこまではしないよ」
「そう……だな」
俺は力なく項垂れた。
よりによってハロウィン翌日に予想外のチャンスが訪れていたなんて。
その時、ポンと肩を叩かれた。
「お兄ちゃん、よく分からないけどこれやるよ」
少年が手渡してきたのは昨日少年が被っていたお化けのマスクだ。
「……俺にどうしろと?」
「こう言えばいいのさ。ラブ・オア・トリックって。
きっと愛をもらえるよ」
愛をくれなきゃ悪戯するぞか。
大人がやれば犯罪臭がプンプンするのだが、ここまでくれば当たって砕けろだ。
俺は顔を上げマスクを受け取ると、少年に親指をつき上げ、全力で駆け出すのだった。
お読み頂きありがとうございます。
「トリック・オア・トリート」は大人がやったら犯罪です! 注意しましょう。