バンシー
アヤハム産フルカウリング型ドラゴン、AZTーONE。
通称『アズワン』
ライズ皇国が誇る四大ドラゴンメーカーのひとつ『アヤハム』、そのトップモデルを飾る最新鋭のスピードドラゴン。
血統管理や育成過程、生体調整において余すことなく最新技術が注ぎ込まれた速く飛ぶために生み出された存在。
ヘッドカウリングからテールエンドまでの洗練された鋭角的デザインは、研ぎ澄まされた刃を思わせ、見る者に高揚感をかきたてる。
アズワンとは最速と最高を兼ね備えた……えーっと、その……とにかく超速くてカッコイイ、アタシの飛竜よ!
「やっぱり、アタシのアズワンは最高ね!」
アタシ、エリーゼ・スタンホープは断崖の中腹にある休憩所で、自分の飛竜を見つめてニヤけていた。
周囲に誰かいたらそんな恥ずかしい真似はしないけど、夜の休憩所にはアタシとコイツだけなので問題ない。しばらくは思う存分ニヤニヤしよう。思い切ってスリスリもしちゃおうかな?
そう思いながら黄色の外殻に触れようとすると、アズワンが短く息を吐いた。金色の瞳がアタシを見つめ、次に空へとむけられる。
アタシも同じ方向に視線をむけると、二頭の飛竜がこちらに降下してくるところだった。あぶない、あぶない。アズワンが気づかなかったらスリスリしてるのを見られるところだった。
「ここにいたんですね、エリーゼさん」
「いやあ、エリーゼさんのアズワンは見つけやすくて助かる。黄色いから」
二頭の飛竜からライドスーツを着込んだ男女が降りてきた。二人はアタシを慕っているライダー仲間だ。何かあるとエリーゼさん、エリーゼさん、といってついてくる。まったく仕方のない連中なのだ。
「飲み物、持ってきましたけど甘いヤツと甘くないヤツ、どっちがいいですか?」
「もちろん、あま……くないヤツ」
アタシも16歳になったので甘くない飲み物だって飲めるわ! 差し出された容器をひったくると一気に口に含む。
(うっ……やっぱり甘いのにすれば良かったかも)
口の中に苦味が広がっていく。
「あ、やっぱり甘いのにします?」
「こ、コレでいいわよ!」
この苦味が大人の味よ。大人になったら大人の飲み物を飲むものなんだから……とはいえ、なかなか二口目が進まない。どうしよう。
アタシが飲み物の容器をみつめていると、ライダーの女の方、メーガン・ロジャースが自分の容器を差し出してきた。
「エリーゼさん、実は私、甘くない方が飲みたかったのでこちらの甘い方と交換しませんか?」
「え?」
「お願いします」
「……仕方ないわね、どうしてもって言うなら」
アタシは寛大な心で飲み物の交換に応じた。
さっそく口の苦味を新たな甘みで中和する。ああ、やっぱりコレだわ。
一方、二人は「意地悪しないの!」「ごめん、つい」とわけのわからない会話をしていたが気にしないことにした。
「今日は新しいスーツの調整でしたっけ? どんな感じですか?」
「ばっちりよ。これにしたのは正解ね」
アタシは自分が着込んでいるライドスーツに視線を落とした。
スピードドラゴンに騎乗する際は、専用のウェアを着ることが推奨されている。高速飛行をおこなうライダーが受ける、風圧や重力は従来のそれとは桁違いだ。
また瞬間的な判断と操作を求められるライダーにとって、ライドスーツのフィッティングはかなり重要だ。スーツに違和感を持ったまま飛び続けると判断力や体力を著しく低下させる。最悪の場合、操作ミスを引き起こす危険性すらあるのだ。
ライドスーツの調整は飛竜のメンテナンスやチューニングと同等の重要性をもっている……って、お姉ちゃんがいってた。
「わざわざ、遠くまで取りにきた甲斐があったわ」
このスーツは既製品ではなく、評判の業者にオーダーメイドで作らせたモノだ。完成の連絡を受けたので、発送を待たずに直接ショップまで取りにいった。
ぴったり体にフィットしたスーツはホールド感が抜群で、旋回時の重力をしっかり受け止め、加減速による衝撃を緩和させてくれる。それでいて飛竜の操縦を阻害しない柔軟さがあり、むしろ普段着よりも着ていて楽かもしれない。
唯一の欠点は、胸のあたりが圧迫されるから本来よりもサイズダウンしている気がする、ってところ……でも、アタシに合うライドスーツって本当に少ないから、ここは妥協するしかないわね。
「ところであなた達、アタシの用事に付き合ってこんな所まで来てよかったの?」
今、アタシ達がいるのはスーツを受け取った帰りにあるフライトスポットだ。アタシは新しいライドスーツを試したかったからいいけど、この二人は特に用もないはずなのについてきていた。
それに受け取りが閉店間際になってしまったので、それからここに移動してスーツの調整を繰り返していたらすっかり深夜になってしまった。
「ここはいつも飛んでる場所からだいぶ離れてるし。よっぽどヒマなんだな、お前達!」
すると二人が、驚いたような呆れたような、何ともいえない表情になった。
さらにお互いに顔を見合わせ、苦笑いまで浮かべる。
「だってエリーゼさん……見た目ちっちゃいから、ちょっと心配で」
「とても16歳とは思えない容姿ですので、何かと面倒なことになった際は色々と説明する人が必要でしょう?」
「な、なによソレ」
確かにアタシは少し幼く見えるかもしれないけど、正真正銘の16よ。
そんな風に周りから心配されるような子供じゃないわ!
「よく12歳ぐらいに間違われていますし」
「もしかしたら悪い人にさらわれるんじゃないかと」
知らなかった。そんな理由でこの二人がついてきたなんて……いや、コイツらが時々、アタシを子供扱いしてるような気がしてたのよ。それに普段は『エリーゼさん』って呼んでいるけど、影では『エリーちゃん』っていってるの知ってるんだから!
「もう帰る!」
飲み物の容器を突き返して、アズワンへと大股で歩き出す。
「ライドスーツの調整はいいんですか?」
「もう十分よ!」
後ろから引き止めるような声が聞こえてきたが、無視してアズワンの背に飛び乗った。
スーツの固定具をセットして、鞍に引っ掛けていたフルフェイスのヘルメットを被る。
「待ってください、俺達も行きます」
二人が慌てて飛竜に乗るが、彼らの準備を待たずにアズワンを飛翔させる。
低く唸るような咆哮をあげ、アタシを乗せたスピードドラゴンは夜空を駆け抜けていった。
☆ ☆ ☆
浮島を避け、断崖と断崖の間に滑り込む。
アタシが持ち手に力を込めるとアズワンが一気に加速した。
体に受ける、風圧と重力が増す。
さらに渓谷に沿いながら旋回を始めると、それまで以上に強い重力が体にかかる。
アタシは鞍に抱きつくように身を屈め、全身でそれに抗う。
アズワンはアタシの意思を正確に読み取り、理想的な軌道を描いて駆け抜ける。
(これほどのスピードなのに、この安定感。新しいライドスーツだけじゃない、アズワンの調子も完璧ね)
先程までの苛立ちはキレイに消え去っていた。
思い通りに空を駆ける感覚が、アタシに強い高揚感を与えてくれる。
ここは馴染みのフライトスポットではなかったが、スーツの調整で何往復もしたので飛行ラインは完璧だ。迷いなく飛べている。
その上、騎乗しているのがアズワンなのだから、タイムを計測すれば、このフライトスポットの最速レコードを更新しているだろう。
(たしか『スラグライン』とかいう名前だったわよね、ここ……今度、ちゃんとタイムを測ってみようかな。地元のライダー達を引退させちゃうようなレコードを叩き出してみせるわ!)
気分は最高だった。打ち付ける風や重力すら心地いい。
そんなアタシと同調するようにアズワンが低く野太い咆哮をあげる。
大気が揺れ、アタシ達はさらに加速していった。
同世代の子には、飛竜を操縦するのが怖いという者もいる。
アタシはその逆で、空を飛ぶことにまったく恐怖しなかった。それどころか、こうして思いっきり空を翔けているとワクワクしてくる。うまく高速ターンを成功させた時は、嬉しくてドキドキした。
飛竜で空を翔けることが楽しくてしょうがない。アタシという人間は、そういう性分なの。
正直、頭は良くないし、お姉ちゃんみたいに美人でもない。自分の容姿が子供っぽいのも知っている。性格だって誇れるようなモノは持ち合わせていないわ。
でも飛竜に乗るのは好き。
好きだから一生懸命にやってきた。
だからライディングテクニックには自信がある。
まだ、お姉ちゃんには勝てる気がしないけど、お姉ちゃん以外の人間に負ける気はしない!
エリーゼ・スタンホープは『閃光』の二つ名を持つ、ドラゴンライダー。
そして、このアズワンは最新技術を結集して生み出されたスピードドラゴン。
「今夜は誰が相手だって負けないわ!」
……お姉ちゃんは別ね。
しばらく気持ち良く飛んでいると、あの二人を置き去りにしてきたのが申し訳なくなってきた。
(ちょっと大人気なかったかも)
さっきはムカついたけど、そんなことで二人を嫌いになったわけじゃない。むしろ彼らのことは好きだ。こんなアタシを気にかけて、わざわざついてくるお人好しなんて他にいないわ。
気分も晴れたし、冷たくするのはもういいだろう。
(スピードを落として、アイツらが追いついて来るのを待とう)
自分が飛んできた方向に目をむける。
(でも結構飛ばしてきたから、追いつくまでに時間がかかるかも……速すぎるのも問題ね)
すると視線の先に飛竜の影が現れた。
(ん、意外に早かったわね)
その時、耳馴染みのない甲高い咆哮が響いた。
まるで悲鳴とも怒号とも取れるような、耳をつんざく竜の声。
それが後ろから追ってくる飛竜のモノであること、そしてこの飛竜があの二人のドラゴンでないことはすぐにわかった。
さらに相手は、かなりのスピードを出していることも。
「アイツらじゃないの?」
とはいえ、このフライトスポットを別のライダーが飛んでいるのはおかしなことではない。飛行頭数の少ない深夜だとかなりスピードを出せるので、この時間帯を好んで飛んでいる者も多い。
むかってくる飛竜は、そんな地元のライダーなんでしょうね。
置き去りにした二人と合流したいなら、速度を落として進路を譲ればいい。
でもアタシはアズワンの速度を緩めることなく、持ち手に力を込めた。別段、理由などないーーなんとなく今夜は誰にも前を飛ばせたくなかった。
浮島と渓谷の間のわずかな隙間をすり抜け、むき出しの岩肌をかすめる。速く飛ぶため以外なら、そんなラインを取る必要はない。しかし後方の飛竜もまったく同じラインを辿ってきた。
「いいじゃない! ぶっちぎってあげるわ!」
アズワンも低い咆哮をあげて、大きく翼を広げる。
グッと速度が増した。
前方に切り立った断崖が迫ってくる。この先は複雑に入り組んだ渓谷と無数の浮島が散らばるテクニカルなセクション。生半可なテクニックじゃ、ついて来れないわよ!
岩肌ギリギリを飛行し、急上昇と急降下、急旋回を繰り返しながら浮島をパスしていく。
全身にのしかかる重力に抗いながら進行方向を見つめる。
視界が狭い。強烈な重力によるものだ。
だが……問題ない!
「悪いわね。今日のアタシとアズワンは、最高に仕上がっているのよ!」
持ち手に力を込め、力強く両足を踏み締める。
アズワンの咆哮があたりに響いた。
圧倒的な加速感と強烈な重力。
吹き荒れる風に体を打ち付けられながら、アタシは笑みを浮かべた。
理想的な飛行だ。思い描いた軌道を確実にトレースできている。
「あとひとつか、ふたつ渓谷を抜ければふりきれ……」
背後から、あの甲高い咆哮が聞こえた。
「ウソっ!」
特徴的な流線形のシルエットがそこまで迫ってきた。
さらに崖を飛び越え、浮島の底面ギリギリで旋回軌道を取る頃にはぴったりと後ろに張り付かれる。
すぐそこに生々しい飛竜の気配があった。
相手からのプレッシャーが、ナイフのようにアタシの背中に突き刺さる。
「アタシとアズワンが煽られてる?」
ギリギリまで加速してからの急旋回、これ以上はないほどの速度と旋回軌道。断崖の岩肌がすぐそこを通過していく。
(今のは上手くいった。思い描いた以上のターン……そ・れ・な・の・に!)
相手の気配が依然として背後にある。その差はまったく変わっていない。
全力なのに、ふりきれない!
「こんなのあり得ない。アズワンは最新鋭のスピードドラゴンでアタシは『閃光』なのよ!」
何が起きているのか理解できなかった。
いくら攻めても亡霊のようにぴったりと背後についてくる。
そして、あの不気味な甲高い声を浴びせてくるのだ。
思わず振り返ると飛竜の真っ赤な瞳と目があった。
「う、うっ!」
少しだけ怖くなった。もしや、後ろにいるのはここで事故死した飛竜とライダーの幽霊なんじゃないか? と思ってしまったからだ。
(あんな目をして、こんな気味悪く叫ぶドラゴンなんて知らないわ!)
相手が幽霊ならふりきれないことに説明がつく……が、なにその恐怖体験。怖すぎ。泣くぞ。
断崖をパスすると渓谷の谷間が見えた。
そこに飛び込む前にスピードが出過ぎているアズワンを減速させる。
と、その時。
アタシの右ななめ上を通って、赤と白のフェアリングドラゴンがスッと前に出る。
明らかに減速していない! そのまま渓谷の谷間へと突き進んでいった。
「バカっ! その先はスパイラルゾーンよ、知らないの?」
入り口こそ余裕のある広さをしているけど、すぐに複雑に入り組んだ構造になっている。
そこでは小さくスパイラルを描くように、細かく飛竜をロールさせながら進まなければパスできない。当然、飛行速度は落ちる。落さざるおえない。
「気合とか根性でどうにかなる場面じゃないわ!」
一度目の旋回に成功したとしても次の急降下、その次の急旋回、さらに急上昇を短い間に繰り返さなければならない。どんなにギリギリを飛んでもあのスピードでは翼が岩肌に接触する。最悪、コントロールを失って崖に激突だ。
アタシが惨劇を確信した瞬間、目の前の飛竜が翼を折りたたんだのがわかった。
「え?」
通常、飛竜は旋回や上昇、ロールする際に大きく翼を広げる。
そうして得られる浮力と推進力によって、様々な軌道を描くことができるようになる。
だが翼を折りたたむということは、それがかなり制限されるのを意味している。
前を行く飛竜が、そんな状態で突っ込んでいく。
アタシは目の前の光景が信じられなかったーーそれで渓谷を通過したからだ。
飛竜は翼を折りたたんだまま、最小限の軌道でスパイラルゾーンの真ん中を突き抜けていった。もっとも崖に接近した時など、10センチも離れていない。ほとんどカスってる!
アタシがスパイラルゾーンを抜けた頃には、飛竜の姿は遠くなっていた。
勝ち誇ったように甲高い咆哮があたりに響く。
とても追いかける気力は残っていない。
そして相手の姿は、あっという間に視界から消えてしまった。
アタシはアズワンの速度を緩め、そのまま着地できる場所へ降下させる。
地面についてもアズワンの背に乗ったまま、あの飛竜が飛んで行った方向を黙って見つめていた。
(とんでもないモノを見ちゃったわ)
自殺行為にも思えた突っ込みは、翼を折りたたんだ状態でスパイラルゾーンを抜けるための推進力を得るため。スピードが足りないと途中で十分な浮力を失って旋回も上昇もできなくなるんだ。だからあそこで減速しなかった。
(何をしたのかわかるからこそ腹が立つ。あんなのマネできないわ! くやしい……いっそ幽霊に追いかけまわされた方がマシよ)
だんだん、ムカついてきた。
ムカつきすぎて、目頭がジーンと熱くなる。
黙っていたアズワンが短く息を吐いた。
見ると頭を持ち上げて、空を見上げている。
アタシも空に目をむけると、ようやく追いついたメーガン達がこちらに降りてくるところだった。急いで目を拭って平静を装う。泣き顔なんか絶対に見られたくない。
「すげえ速いのがエリーゼさんの方に飛んでいったんですけど」
「私達を一瞬で抜き去っていったんです。エリーゼさんは見ませんでした?」
「見たわよ。ハッキリとね」
あの常軌を逸した飛行は目に焼き付いている。
それと飛竜の咆哮。あの甲高い声が耳から離れない。
「アタシら、『叫び霊』に遭遇したのかもしれないわ」
ーーその日を境に、ライズ皇国のあるエリアで『バンシー』と呼ばれる飛竜とライダーの噂が広がり始めた。