アリスの日常1
転生してから十数年が過ぎ、この世界でのボク、アリス・ロバーツも14歳になった。
はじめは言葉も喋れず、性別まで変わって苦労したけど、今ではここの生活にもだいぶ慣れた。
「アリス、早く朝ごはんを食べちゃいなさい」
母親のオリビア・ロバーツがそういってきた。
その言葉はしっかりと理解できる。この国の言語なら読み書きだってできた。
「今日は早めに仕事に行くから。ひとりでも、ちゃんと支度して行きなさいよ」
「うん、わかってる」
ボクが朝食のパンとスープを食べ始めると、母さんは出かける準備を終えて、テーブルの上に包みを置いた。
「お昼よ」
「ん、ありがとう」
「遅刻しちゃダメよ。行ってくるわ」
「はーい。いってらっしゃい」
母さんが慌ただしく玄関を出ていく。
(そろそろボクも支度しなきゃ)
急いで朝食を食べ終え、自分の部屋にむかう。
ボクの部屋はそれほど広くないけど、ベッドと机と椅子、クローゼットなど必要最低限の家具はひと通り揃っていた。この世界の子供部屋としては一般的な大きさだと思う。
むしろ「1人部屋が欲しい!」と嘆いている知り合いもいるので、これは恵まれた環境なのかもしれない。
アリス・ロバーツは、よくある『転生先で悲惨な生活を強いられる主人公』ではなく、愛情をもって育てられた普通の女の子だ。
さて、出かける支度といっても着替えるだけなのですぐに終わる。
今着ているベージュの服を脱いでクローゼットの前に立つ。
ふとクローゼットのそばに置いてある姿見に目をむけると下着姿のアリスが映し出されていた。
ショートヘアーの黒髪に大きな黒い瞳、小ぶりの鼻に薄い唇、少女らしい健康的な頬。体型はスレンダーな方で胸の膨らみは控えめ、大人っぽさよりも子供っぽさが目立つ。
(……あいかわらず貧相な体。母さんと全然違う)
アリスは父さん似だ。髪や瞳の色は父さんと同じ色をしている。そこに不満はないんだけど、転生前のボクはわりと巨乳好きだったので、アリスの発育には思うところがあった。
(まあ、自分が巨乳でうれしいかは微妙なところなんだけどね……ってアホなこと考えてないで支度、支度!)
自分の胸から視線を外すとクローゼットを開け、青いスカートと空色のブラウスを取り出す。十数年も女の子やってれば、スカートを履くのも慣れたもので、手早くスカートとブラウスに着替えた。
派手さはないが清潔感のあるこの服は、アリスが通っている学校の制服だった。
そう、ボクは学校に通っているのだ!
(まさか異世界に転生して学校に通うとは思わなかった)
とはいえ、転生前のボクは頭が良くなかったので、学生に戻っても元大人のアドバンテージは活かせなかった。いや、弁解をさせて! ここでは言語も違うし常識も違う。転生前の知識が役に立つことなんてほとんどなかったんだ。
現在、ボクは普通に勉強をやり直している。むしろ前回よりも真剣に取り組んでいるくらいだ。ほめてほしい。
(ボクが超頭良かったら違ったのかもしれないけど……しかたないね)
制服に着替えたボクは、茶色の肩掛け鞄を持って部屋を出た。
母さんが用意してくれた昼食を鞄に入れ、しっかりと戸締りを終えてから家を出た。
外に出ると日差しのまぶしさに目を細め、空を見上げる。
今日は天気が良かったので、無数の浮遊島が遠くまで見えた。
それは十年以上眺めている見慣れた景色だが、ここが異世界であることを感じさせる。
雄大で現実離れした光景ーーいや、今ではこれが現実か。
ボクが住んでいるのは、呆れるほど高低差が激しい渓谷と断崖がどこまでも続き、空には特殊な鉱石を含んだ岩山がいくつも浮かんでいるような土地だ。人が暮らせるような平地は点々とあるのだが、崖や谷によって分断され、徒歩での移動は困難だった。
そこで人間が頼りにしているのが『飛竜』だ。
飛竜はドラゴンの中でも飛行に特化した種族で、もとからこの地に生息していた彼らを手懐けて移動手段や運搬手段などにしている。
今も小型飛竜に乗った配達員がボクの頭上を通り過ぎて行くところだった。さらに注意深く目をこらせば、青空の至る所に人を乗せた飛竜の姿が確認できる。
(今日も平和だね。普通にドラゴンいるけど)
ファンタジーの代名詞であるドラゴンもいれば、魔法のような現象もあったけど『魔王』によって人類が脅かされているなんてことはなかった。むしろ戦争すらここ数十年起きていない。
(もっとも世界の危機に、14歳の小娘ではどうすることもできないんだけどね……あいにく転生した時に特殊能力とか授からなかったから)
そんなたあいのないことを考えつつ、学校へと歩き出す。むかったのは停留所だ。
ボクの家があるのはクラン地区という標高が低い場所で、学校のあるコンロ地区とは150メートルぐらい高低差があり、さらに切り立った絶壁によって分断されている。
そこで登下校に使っているのが大型運送飛竜だ。停留所とは、その飛竜に乗るための場所だった。
(停留所がもう少し近くにあればよかったんだけど…ボクの家ってクラン地区でも端にあるからね)
最寄りの停留所まで数十分は歩かなくてはならない。面倒くさいが文句をいったところで、それはかわらない。
少々うねった田舎道を我慢して進んでいった。
それから数十分後、なんとか停留所についた。
「おはよう、アリス」
声の方向に視線をむけると、ボクと同じ制服を着た赤毛の少女がいた。
「……なんだ、カンナか」
「いや、そこは『おはよう』っていいなよ」
「おはよう?」
「なんで疑問形なの?」
赤毛の少女は怪訝な顔をしたがすぐに笑みを浮かべた。
彼女はカンナ・ヴォル。14歳。ボクの幼馴染みだ。
同い年で女の子の幼馴染み! 転生前なら大喜びだったかもしれないけど、今はボクも女の子なので微妙な感じなんだよね。
まあ、幼い頃からの付き合いで、仲も良いから、この子がアリスの親友で間違いないだろう。そういう意味では大事な存在だ。
「あいかわらず、意味不明なノリしてるわね……ほらパッセンジャーがきたわよ」
カンナが謎の単語を口にした。
「パッセンジャー?」
その時、停留所に巨大な客室を抱えた大型飛竜が降下してくる。
「パッセ? え、なに? あの運送飛竜のこと?」
「カカワシのパッセンジャー1600P。あの飛竜の名前じゃない」
カンナが当然のような顔をする。
「いや、知らないよ、そんなの。運送飛竜は運送飛竜でしょう? もしくはバスドラゴン?」
「アリス……『バスドラゴン』って言い方だとだとアースドラゴンとかシードラゴンみたいな飛べないドラゴンの運送業も含まれちゃうから! ドラゴンと飛竜って単語は区別して使わないと、常識でしょ?」
カンナが良い顔で笑う。
「……お、おう」
思わず肯定してしまったが、それは常識じゃない。母さんや近所のおばちゃんは普通にドラゴン、ドラゴンいっている。
「うーん、やっぱり飛竜に関する専門知識も学校で教えるべきだと思う」
「……ボク、そんな授業が始まったら絶対にサボるよ」
「え? なんかいった?」
「ううん、なんでもないよ」
大型飛竜が停留所に着地する。飛竜が巻き上げる風でスカートがめくれないように気をつけてながら、ボクはカンナの話を聞き流すことにした。
「飛竜の知識はライズ皇国の国民なら必要な教養よ!」
思いっきりスカートがめくれ上がっていたが、カンナは熱が入りすぎて気づいていない様子だった。彼女はとにかくドラゴンが好きで、特に飛竜のことになると周りが見えなくなる。
いわゆるオタクってヤツだ。
(あッ……そこのおじさん、目のやり場に困ってる)
外見は悪くないんだけど、ボクの親友はちょっと残念な子だった。
☆ ☆ ☆
ボクとカンナが通っている『国立コンロ学園』は、コンロ地区全てが学校の敷地という広大な教育施設だ。端から端まで20キロメートルほどあるので、5年以上通っているボクでも全部を把握し切れていない。当然、生徒数も多く、この辺の学生はほとんどがコンロ学園に通っていた。
「あんな所に何万人って生徒が登校しているなんて、ドラゴンがいなきゃ無理だよね」
大型運送飛竜が抱える客室から、ボクは外の景色を眺めていた。
となりのカンナも車窓の外へと目をむける。
「コンロ学園はシリン山脈の大断崖の中腹にあるから、上に登るも下に降るも徒歩じゃ難しいわね。正直、命がいくつあっても足りないわ」
目の前にはライズ皇国らしい、荒々しい大地と浮島郡の光景が広がっていた。
数百メートル級の断崖が幾つも重なり、平地は繋がっておらず、飛び飛びにあるだけ。この国の領土はほとんどがそんな地形なので、ドラゴンがいなければ恐ろしく不便な生活を強いられる。
少なくとも今のような生活水準は望めないだろう。
今、乗っている大型運送飛竜のように、人やモノの物流はドラゴンによるものがほとんどだし、製造業や農業、商業、そして軍事などでもドラゴンは欠かせない存在だ。
(ライズ皇国にとってドラゴンはなくてはならない……って社会の授業で習った)
あくまで学校で教わる範囲でしか知らないけど。ボクが暮らしているライズ皇国は世界でも有数のドラゴン大国で、特に空を飛ぶドラゴン、飛竜に関しては世界一といっても過言ではない。またドラゴンが支える様々な産業によって、経済的に豊かな国でもあった。
(ボクみたいな庶民も学校に通えているのは、それだけこの国が安定してるからなんだろうね)
なんというか……ボクの暮らしはすごく安定している。ドラゴンがいる世界に転生したけど、その生活は『剣と魔法のファンタジー』ではなかった。
学校があり、授業と宿題がある。
母さんがいて親友がいて、気のいいご近所さんもいる。
将来への不安はあるけど、命の危険はほとんど無い。
ボクが転生したのは、そんな世界だった。
(ちょっと残念な気もするけど、やっぱり幸運だったんだと思う。ガチの剣と魔法の世界だったら生き残れる自信ないもん……それになんだかんだいって、この世界が気に入っている)
「あッ、あのフェアリングドラゴンはドーハンの? いや、あの形はアヤハムか?」
隣で、カンナが顔を窓に貼り付けている。
「カンナ、みっともないからちゃんと座りなよ」
「後で今の飛竜について調べなきゃ、たぶんアヤハムのだと思うんだけど」
「……あー、そう。まあ頑張って」
本当に平和な世界だ。
当然、ボク達を運ぶ大型飛竜は何事もなくコンロ地区の停留所に到着した。
国立コンロ学園は8歳〜18歳までの男女が通っている。貧富の差によって入学が制限されることはなく。庶民と貴族が共に学んでいた。
(ライズ皇国はそれほど階級社会じゃないんだよね。もちろん貴族はいるし、そこに貧富の差はあるけど差別や迫害はないっぽい……もちろん区別はされてるけどね。あんな風に)
停留所から校舎へとむかう途中、ボクの前を十数人の集団が歩いていた。
彼らの制服には豪華な意匠が施されていて、ひと目で庶民ではないとわかる。
きっと何処かの貴族か財閥の御子息や御令嬢なんだろう。
「あれはルーカス先輩達ね」
前のグループを見ているとカンナがそう教えてくれた。
「ルーカス先輩……誰?」
「ルーカス・ウッド、ウッド財閥の御曹司よ。有名じゃない!」
金髪のやたらキラキラした男子を指差しながら、カンナが驚いた表情を浮かべた。
だがボクからしたら、幼馴染みがドラゴン以外にもちゃんと関心を持っていたのに驚いた。
「ルーカス・ウッド? ……知らない」
「素朴な疑問なんだけど、アリスって何に興味があるの?」
「今日のお昼ご飯」
「あぁー、うん。そうかぁー」
カンナが生温かい目で見つめてきたけど、あえて気にしないことにした。
例のルーカス先輩とやらもいつの間にか上級生の校舎へといったようで、その姿は見えなくなっていた。
☆ ☆ ☆
この世界でも学校の授業は退屈だ。
魔法の授業でもあれば面白かったかもしれないが、あいにく魔法というヤツは特定の資質がなければ使えないらしく、さらに資質を持つ者は僅かなので学校で教えるような代物じゃないらしい。
もっとも昔受けた検査で、ボクは『資質なし』と判定されているので、そもそも無縁な話ではあるんだけどね。
そんなわけで、今日も退屈な授業を受け、お昼休みにはカンナと一緒にランチを食べる。そんな、いつもの学校生活を送っていた。
「決めた! 今年中に自分の飛竜を手に入れる!」
校庭のすみでカンナとランチを食べていると、彼女がサンドイッチの残りを頬張りながら宣言した。
「何か当てでもあるの? 飛竜って簡単に手に入るモノじゃないと思うけど?」
いくらライズ皇国がドラゴン大国だといっても飛竜は高価だ。一般的には、子供がお小遣いを貯めて購入できるモノではない。
例えば、商業利用であれば国からの助成金が出るみたいな話も聞いたことあるけど、学生のカンナがそれを受けられるとは思えなかった。
「当てはないけど、バイトして購入資金を貯めるわ」
「バイトって……カンナの実家がやってるパン屋の手伝い? そんなに貰ってたっけ?」
「……だいたい1年分も貯めれば、安めの中古なら手が出ると思う」
それは気の長い話だ。
「でもカンナの実家にドラゴンいたよね? たまに乗ってるって自慢してなったっけ?」
「配達用のドランのこと?」
急にカンナが渋い顔になった。
大袈裟に腕を組み、天を仰ぐ。
「ドーハンの小型飛竜ドラン。頑丈な体に乗りやすい性格、コストも維持費も安い『世界経済を変えた』とすら称される大ヒット小型飛竜。飛竜の完成形といっても過言ではない!」
なんだ。ベタ褒めじゃないか。
「あの子が悪いってんじゃないけど……ウチが求めているのはアレじゃない!」
「??」
「アリスにもわかるように説明するならスピードドラゴンよ!」
なんとなくわかった。今朝もそうだったが親友が激しく反応するドラゴンのタイプがある。
「あぁー、尖っている形のドラゴンね」
「『尖ってる』じゃなくてフェアリング! それはスピードドラゴンの中のフェアリングドラゴンっていう種類!」
カンナが顔を真っ赤にしながら訂正してきた。
飛竜にも色々な種類があり、人や荷物をたくさん運べる大型の飛竜からひとり乗り用の小型の飛竜など。それぞれ力が強かったり、維持費が安くすんだりと様々な特徴がある。
その中には速く飛ぶこと重視した飛竜もいた。
カンナが好きなのは、速く飛ぶドラゴンらしい。
「カンナって、ああいうのがタイプだったんだ」
「他人に聞かれたら誤解されそうな言い方しないでよ……それに飛竜好きならスピードドラゴンに憧れるのは当然でしょう? スパーンって空をすっ飛んでいく姿を見て、カッコイイと思わないの?」
「……まあ、カッコイイとは思うけど」
いつもはカンナが暑苦しいせいで、ドラゴンの話題になると素っ気ない態度をとっていたが、ボクにもドラゴンをカッコイイと思う感覚はある。
やっぱり男の子にとっては『ドラゴン=かっこいい』だ。転生して女の子になった今もそれはかわらない。
もっとも、ボクの親友はドラゴン好きなので『ドラゴン=かっこいい』という方程式は女の子にもあてはまるのかもしれない。
「……あ、アリス」
カンナが瞳をキラキラさせながらボクを見つめていた。
(あ、しまった!)
カンナの反応は、ボクがドラゴンをカッコイイと口にしたせいだ。
こうならないように普段は素っ気ない態度をとるようにしていたのに……その後、休み時間いっぱいまで、彼女のドラゴン愛について聞かされることになった。




